ルシアは、光溢れる白い空間に眩しさに目を細めた。
 これが普通だという事を今の今まで忘れていたようだ。
 クライヴが魔力で作り出した庭園は、朝、日が昇り、夜が来れば沈むけれど
 俗世からかけ離れた感じだった。
 この城内で、窓がない場所しか知らなかったルシアは、陽の光の恩恵をありがたく感じていた。
 天窓から差し込む光が反射して光っている。
 呆けているルシアの手をクライヴが掴んで歩き出す。
「ぼうっとするな。行くぞ」
「久々に陽の光を浴びた気分なんですもの」
「大げさな」
「生きてるんだなあって思います」
 今までが引きこもりすぎていたのだ。
「サンルームに行ってみるか」
 ルシアは頷いて、クライヴの腕に自分の腕を絡めた。
 気高くて、近寄りがたい黒魔術師が、
 照れ屋でぶっきらぼうで優しいってことを知っている。
「何をにやけてる」
「何でもありませんよ」
 眉根を寄せているクライヴは、わけが分からないという風に、視線を外した。
 地上一階の南側にサンルームは存在した。
 まさしくサンルームだ。
   ガラス張りの扉を開けると、西側に大きな窓が一面を占めていて
 部屋の真ん中にはガラス扉での小部屋がもあり、
 そこには天蓋つきのベッドがあった。
 大きな窓は両開きになっていて、テラスに繋がっていた。
「私、庭園よりここの方が好きです」
 きっぱり言い切ったルシアにクライヴは苦笑する。
「くらくらするだろ」
「あの、庭園は作られた太陽の光ですけど、ここに溢れてるのは自然の陽光ですよ」
「……昼間は陽の光がうっとうしいし、夜は夜で空に星が騒がしくてちっとも落ち着かない」
「クライヴの感覚っておかしいですっ」
 力を込めて言うルシアを見やったクライヴは顎に手を当てた。
「ここで暮らすか」
「え、本当ですか」
「ああ。お前が好きそうな趣味だぞ」
 クライヴは、部屋の中に設けられた小部屋にルシアを導く。
 天蓋の紐を引くと白いレースで縁取られた大きなベッドが、目に飛び込んでくる。
「お姫様のベッドみたい」
「この城は元々王族が住んでいたからな」
「初耳。どうりで大きなお城だとは思ってましたけど。え、まさか滅ぼしたとか」
「滅んだのは俺が生まれた時代よりずっと昔だ。
 お前が生まれた時代ではまだ栄えていただろうけどな」
「……やっぱり時代が違うって思い知らされちゃうじゃないですか」
 ルシアの時代には存在し、クライヴが生まれる前の時代に消滅した王朝。
 ルシアは、ここがどこの城か知っていた。
 当時の王朝で、王女が与えられていた離宮だ。
 勿論場所を知っていただけで、訪れたことなどない。
「そんなことはない。今俺の隣りでここに存在しているじゃないか。
 本来の歴史は歪めてしまったけれど、二人だけの歴史を作ればいいだろう」
「はい」
 クライヴの言葉は重みがあった。
 確かに信じてもいいと思わせる物があるからルシアは、頬を染めて頷く。
 布団もその下のシーツもとても滑らかな質感だ。
 絹だろう。
「星もよく見えるし、いいだろう」
「掃除はしてあるんですか? お布団に黴やら、虫湧いてないでしょうね」
「心配するな。定期的に掃除はしていたし、この間徹底的に汚れを取り除いた。
 布団は干して叩いておいたしな」
「マメですね……」
 ルシアは感心した。
 面倒くさがりかと思いきや綺麗好きなクライヴに驚いた。
「まだ案内する場所は他にもある」
 クライヴがしゅっと天蓋の紐を引き、二人はサンルームのある部屋を出て行く。
 歩きながら、クライヴの口から漏れた爆弾発言にルシアは血の気が引く想いがした。
「実はな、前は地下牢もあったんだ」
「……心臓が竦みあがるじゃないですか」 
「前に、幾つかの空間を繋げて庭園を造ったって言っただろ。
 地下牢含め必要ない部屋を取り壊したんだよ」
「霊とかいたらどうしよう!」
「いたとしても俺は全然平気だが」
 ルシアは寒気がした。
「私は、平気じゃありません」
「本気にしたのか。いるわけないだろ。
 街で、窃盗なんかの比較的軽い罪を働いた者が入れられたというが、
 拷問は特に行われていなかったらしいからな。
 反省の意味合いで繋がれていただけだろ」
「脅かさないでくださいよ」
「脅かしてしまったか。それは、悪かった」
 ルシアは、クライヴが内心で面白がっていることなんて知りもしなかった。
 表情にはまったく出ていないからだ。
 元々王族の持ち物だったこともあり、目が回るほど広かった。
 それに加えて尖塔が、東と西に一つずつある。
 クライヴの説明を聞いていると驚くことばかりだ。
 ルシアは、マメなクライヴから城の全体図を渡されて舐めるように見ていた。
「クライヴ一人で住んでたなんて勿体無い。広すぎですって」
「王族同士の争いで、王家が滅亡したとの説もある。定かではないけどな。
 とにかく色々な黒い噂があるいわくつきの城だ。
 普通の人間なら誰も住みたいなんて思わないだろう」
 ルシアがいた時代には王家は栄えていたから、どういう経緯で滅びてしまったのかは
 全く知らなかった。ルシアとクライヴの中間の時代に滅亡したことになる。
「どんなに広くて綺麗なお城でも何か複雑です。
 はあ……物好きにも程がありますよ。でも何か似合うから怖いような」
「お前もそう思うか」
 至極満足気なクライヴにルシアはこれ以上何も言う気が起きなかった。
「黒魔術師の住処としては縁起悪いくらいが相応しいんだ」
 なるほど分かる気がするとルシアは納得した顔で頷いた。
「あ、厨房あるじゃないですか」
 ルシアは調理台の上に指を滑らせてみる。
 埃がつかないところをみれば、クライヴが最近掃除したのだろうか。
「本格的に地下から引っ越すつもりなんですね」
 うきうきとルシアは声を弾ませた。
 厨房の食物保存庫には食料がぎっしり詰め込まれている。
 買い出しに行ったんですねとルシアが問うとクライヴは目線で肯定する。
「あっちに居る必要もないからな」
 地下の庭園を含め窓のない自分の寝室のことだろう。
「いい考えです」
「必要なものは、今まで使っていた部屋から持って来ればいい」
「とりあえず腹ごしらえして魔界に出発しますか」
  「遠足気分か? まあいい」
 くくっとクライヴは喉を鳴らしルシアの背中を押した。
 広々とした厨房は、かつては調理師達が料理をこしらえ、
 それを召使い達が、王族の元へ運んでいたのだろう。
「今まで以上に楽しくなりそうですね」
 クライヴが返事を返さないので、ルシアの独り言になってしまった。
 調理台の前に根菜や葉野菜を並べて、選別してはクライヴがルシアに渡す。
 渡された材料をルシアは、一つずつ皮をむき、ナイフで切り刻んでいく。
煮込んだ後、味付けをして適当に皿に盛りつけた。
 具だくさんスープは、簡単に作れるし味付けと材料を変えれば飽きも来ないので重宝する。
 材料によっては作り置きは不可能なので、きっちり食べれる分量だけを作った。
「どうです?」
「パンもあったら最高だったな。今度一緒に買いに行こう」
「何か新婚さんみたいでどきどきします」
「契りを交わした時点で世間的には夫婦も同然とみなされるがな」
 クライヴの発言には他意がなかった。
「ごほっ……!」
「行儀が悪い」
「ご、ごめんなさい」
「動揺する必要はないだろう。俺はもうお前を手離すつもりなどないし、
 見せびらかして歩きたいくらいなのだから」
 ルシアは、咽ながらスープをかき込んだ。
 これ以上甘い台詞を言われたら、胸が詰まってしまいそうだ。
「お前を狙う悪い虫は、徹底的に排除してやるから安心しろ」
「っ……物が入らなくなるじゃないですか」
「何故だ」
 真顔で聞き返すクライヴにルシアは絶句した。
 ああ、この人って!
クライヴは話す合間に咀嚼しているので、物を口に入れながら喋ってはいない。
 時折間が空いて喋り始めるから、余計心臓に悪かった。
 ルシアは、食事マナーには気をつけようと思いながらも
 結局クライヴの言葉に反応してしまう。
「ごちそうさまです」
「もういいのか」
「胸がいっぱいで」
「じゃあ残り全部食べていいんだな」
「どうぞどうぞ。どうせ腐るだけですし」
 クライヴは、一体どこに入るのか鍋にあるスープを平らげてしまった。
 ルシアがあまり食べなかったので、その分彼が食べたのだが。
「よく食べますね」
「魔界に行くとなったら何が起きるか分からないからな。
 魔術を使う場面もあるだろうし、腹ごしらえしておくに越したことはない」
「確かに魔術ってお腹空きますもんね」
 クライヴが、ルシアの分もまとめて皿を片付けてくれるようなので
 ルシアは彼に任せることにした。
 地下の庭園で、簡単だが料理を作った時、俺は料理は出来ないから
 片付けや下準備は任せてくれと言っていたのを思い出す。
 魔術でちょいちょいと出してしまうこともできるが、
 余所の食卓から盗む行為なので、クライヴは、ポリシー上しなかった。
 ルシアが来るまで、庭園の果実を齧っていただけだったのだ。
 ルシアが庭園で、野菜を育てるようになり、クライヴの食生活は格段に充実したものとなった。
「クライヴって私がいなければ駄目ですよね」
「ああ」
 即答したクライヴは意味ありげにルシアを見つめている。
「食事の管理はお任せあれ! これからもかっこいいクライヴでいてもらいたいですもの」
「ルシアは頼りになるな。もっと役に立たないと思っていたが」
「うわ、聞き捨てならないんですけど!」
「別に大したことじゃない。行こうか」
 流されてうぬぬとルシアは拳を握る。
 そうだ。まだメインイベントが残っている。
 ここで悠長に時を過ごしていてもしょうがない。
 厨房を出ていくつか扉を通り過ぎた所で、クライヴがふと立ち止まった。
 どうやら壁に仕掛けがあるパターンのようだ。
 白い壁に手を押しあてて、ぶつぶつと呪文を唱えている。
 黄色く壁が光り始めた時、クライヴがルシアの手を強く握って引き寄せた。
 体が傾ぐ。
 クライヴとルシアは抱擁したまま壁を通り抜けた。
 通り抜けられたので問題はないが、ここで魔術の効果がなくなったら
 窒息死だったろう。確実に。
 一瞬のことだったが、狭かったし不思議な違和感があった。
 壁を通り抜けて別の空間に出たのだが、ルシアは扉じゃないわと
 突っ込みたいのを必死で堪えていた。
 ルシアは不安が胸を襲いクライヴの手を握る。
 温度のないクリーム色の世界。薄い色合いの空は、一目で好きになれないと思った。
 真っ暗闇だったら慣れているから怖くなかったのに。
 風もない乾いた空気。
 これからやって来る何かを予感してルシアは身を竦ませた。
「魔界では何が起こるかわからない。決して俺の側を離れるな」
「はい」
「道も複雑で迷いやすいからな。
見つけたものに飛びついて向こうへ行くなよ」
 クライヴは、ルシアの奔放な性格は身に染みて分かっていたので
 何度となく畳み掛ける。心配性すぎとルシアは思うけれど、
 彼女が思うよりも危険な世界だから、彼は念を押すのだ。
「大丈夫です」
「気をつけろ」
 クライヴを見上げてルシアは頷いた。
    所々に生えている草の上で、見たこともないような
 虫がぞろぞろと蠢いている。目がぎょろりと大きく足が長く多い。
 足元から這いずり登ってくるのではないか。
 ルシアは恐怖心から早足になった。
「人に危害を加える虫じゃない。
 これ位で驚いてたら、ケルベロスなんて見たら失神するぞ」
「ケルベロス?」
「地獄の番犬とも呼ばれている。召還することは不可能な魔物だ」
「もしかしてあれですか」 
 さくさく進んでいたら目の前に巨大な門が立ちはだかった。
 門前には大きな牙を持つ巨大な獣。
「地獄の番犬ケルベロスだ」
 クライヴが静かに獣を見やると、獣はぴくりと反応し、
 瞼を開けた。振り回されている尻尾も大きくて
 あの尻尾で攻撃をされたらひとたまりもなさそうとルシアは呑気にも思っていた。
「ケルベロス」
『久しいな、ライアン・クライヴ』
 クライヴの問いかけに、返ってきたのは地底から響くような声。
「ああ。久々に魔界の空気が吸いたくなってな」
『またか。魔界に物見遊山に訪れるとは酔狂もいい所だ』
「悪意は持ってはいない。お前なら分かると思うが」
『そのようだな。では力を試させてもらおうか』
 クライヴは口端を吊り上げた。
 読めた展開だったのだ。
『お前がここを通るに相応しいかだ。我に一撃でも与えることできれば
 お前を認めてやろう、ライアン・クライヴ。
 そこの人間の娘、通してほしくばこの男を黙って見守っていろ』
「よほど退屈していたみたいだな」
 クライヴは、すっと冷徹な眼差しになった。
 ルシアと対峙した時には決して見せなかった本気の瞳。
『元々人間が我が同胞を使役することを我は認めてはいなかった』
「前も同じ台詞を聞いたが」
『挑発など通じぬ。以前に比べて腕を上げたのか我に示してみせよ』
 地獄の番犬・魔獣ケルベロスが、雄叫びを上げた。
 クライヴは、不気味な笑みを浮かべて剣を翳す。
 ケルベロスがいくら強大な力を持つ魔獣であろうとも、
 クライヴとて、以前の彼ではない。
 無鉄砲に力を振るうだけだった過去の彼とは別人だ。
 ルシアは少し離れた場所で、クライヴを見つめている。
 彼が、結界を張ってくれたので、安全な場所を確保できた。
 安全な結界内は、こちらの声もクライヴに届かないし、
 クライヴの声もルシアには届かない。
 目を逸らさずにクライヴの闘いを見ていよう。
 一瞬一瞬の動きを見逃さずに。


ケルベロスは巨大な尻尾を振り回し、クライヴに巻きつけようとした。
 クライヴが、飛んで避けたのでケルベロスの目論みは失敗に終る。
 クライヴがこんな手に引っかからないのは百も承知だ。
 ケルベロスが時間を稼いでいるのだ。
「望み通り遊んでやるよ。弱って動けなくなるくらいにな」
 クライヴは、剣を一閃させた。
 繰り出した魔法は、魔物をくすぐる程度の威力しかないもの。
 じわりじわり、ゆっくりと体力を殺いでいく作戦だ。
 ケルベロスが、牙でクライヴの体に喰らいついた。
 切り裂かれたローブから、血が滴り落ちる。
 魔獣は魔術を使えない。
 自分の身体が強力な武器となる。
 魔術師は魔術が使えるが、力技は不得意。
 お互い得意な分野が異なる。
 過去にクライヴと闘ったことあるケルベロスは
 彼が、強力な力を持つ魔術師であることは重々知っていたから、
 もう一度闘いたいと密かに思っていた。
 その願いが叶えられ歓喜に打ち震えていたのだ。
 クライヴも、自分の力を制限せずに使える闘いに満足感を覚えていた。
 ルシアは、はらはら見守っているに違いないけれど。
 俺が負けるわけないだろう。
 一度目の闘いではかなりの深手を負ったが、何度もしてやられる彼ではない。
 彼もまたひそかに、一矢報いる機会の訪れを待っていたのだ。
 ルシアに感謝せねばなるまい。とクライヴは笑う。
 防護壁を張り巡らせた上で、剣でぐるり円陣を描く。
 きらきらときらめく魔方陣で、自身の使い魔を呼び出した。
「ホークス!」
 嬉しそうに鳴いたホークスが、クライヴの側に降り立つ。
「ルシアと一緒にいてやれ」
 一声鳴くとホークスはルシアのいる結界内に入っていった。
 遠目にルシアが笑顔を綻ばせたのを確認し、クライヴは
 再び闘いに集中した。
 防護壁を掻き消して、ケルベロスを迎え撃つ。
襲い掛かってくる獣の尻尾に、雷撃を与えた。
 低い唸り声を上げてケルベロスがのた打ち回る。
 尻尾を焼かれて怒り狂う獣が、目つきを変えた。
(そろそろ、けりをつけるか)
 クライヴは、詠唱する。
 炎を纏った剣がケルベロスに振り下ろされた。
 体に炎を受けながらも、ケルベロスはクライヴを鋭い爪で引き裂かんとする。
 手負いの獣ほど、厄介なものはない。
 身を持って味わうことになったクライヴだった。   


11-2   13.ユグドラシル
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