荊で覆われたベッドの上で、クライヴは宙をにらんでいる。
 白い柵で囲まれた牢の中、なす術も持たず、
 いつからここにいるのか思い出せない。
 ずっと眠っていた気がしていた。
「ルシア……?」
 無意識でつぶやいた名前の主はここにはいない。
 体を蝕む荊。
 痛みは感じなかったが、がんじがらめに縛られて動けない。
 手で触れようとしても幻に触れることはできなかった。
「いや、幻は俺か」
 自分の体が自分のものではないような不確かさ。
 心と体がかい離しているのだ。
 自分の体が透けて見えるのはそのせいだ。
 魂だけの存在で、ここにいる。
「死んではいないってことは確かだ」 
 クライヴの本体は別の場所にあって、抜け殻になったままなのだ。
 いわば精神体で、傷がつくはずもないのに、
 絡みつく荊によって腕や足から赤い血が吹き出している
 ように感じるのは、出口の見えないこの状況ゆえの錯覚なのかもしれない。
「ライアン・クライヴ」
 ぼんやり目だけを動かして相手を確認する。
 強大な存在がこちらに語りかけている。
 威圧的な空気に飲み込まれそうだった。
「……ふうん、ここが時の牢獄か」
 何の感慨もなく呟く。
「人の身で踏み入ってはならない領域にお前は踏み込んだのだ」
 クライヴはおかしくて笑い転げそうだった。
 何故今頃になって咎を負うのだ?
 常人ではまず立ち入れない場所に導かれたのは、面白いとさえ思うが。
「……人を召喚するのなんて滅多に成功させる奴いないだろ」
「過去の人間を連れてきたせいで歴史は変わってしまった。
 そして、また三つ目の罪をお前は犯した」
「三つ目? ああ、子供か」
「違う時代に生まれた者同士の子供など許されるはずもない。
 残酷な選択肢を娘に強いることになる。
 自分が生まれた過去の世界を選ぶか、お前と生きるこの世界を選ぶか」
「ルシアは、既に選んでいる」
 クライヴは傲岸不遜に言いきった。
「それで本当に娘は幸せだとでも。
 ……人を二度も召喚してその消耗はかなりのものだろうに」
 クライヴは、表情を変えずに神の言葉に耳を傾けていた。
 元々感情が顔に出にくいというのもあったが。
「気づいていないのか?
 折角、夢で教えてやったのに、無視をしたお前が悪い」
 あの悪夢は、神からの忠告だったのかとクライヴは納得した。
「……ご親切だな」
「時空間を超えて結ばれることは不可能だ……
 それは何者であっても覆すことできぬ摂理」
 クライヴは、神を睨みつけた。
「どうする。残り少ない命を共に生き、娘を不幸にするか?
 それとも、過去へと娘を戻して、すべてなかったことにするか?
 もしもお前が歴史を修正するのなら、今すぐ解放してやろう」
 どこまでも高みから見下ろされて、クライヴは苛立ちを抑えられない。
 無意味な選択肢だ。
「馬鹿馬鹿しいな。たとえ俺の命が僅かなのだとしても
 ルシアと生きる道以外選ばない。
 何があってもだ……」
 体の力がなくとも、声だけは力強く響いていた。
「……ならば、ここにいるがいい。
 貴様の愛しい娘が、救い出してくれるのを信じてな」
「どういうことだ」
「運が良ければ、寿命が尽きるまでに、もう一度会えるだろう」
 神は、目の前から掻き消えた。
 荊に蝕まれたまま、クライヴは深く息をついた。
「……ルシアに咎が及んでいないだけで、十分だ」
 神とやらは、彼女の方に罪は問わないらしく、ほっとした。
 クライヴの為に、罪のない彼女を巻き込むことは決してあってはならない。
 死が近づいている実感は、少しもない。
(もしかしてルシアは俺を救うために動いているのか……。
 身重の体で危険なことをさせているのだとすれば、すべて俺のせいだ……くそっ)
 蝕んでいた荊はいつの間にか掻き消えていたが、
 寝台を下りても柵を壊すことはできず、
 魔術が万能でもないことを思い知らされただけだった。
 虚しく、白い柵を殴り、己の無力さを吠える。
魂だけでもすり抜けることもできない。
 こちらが知らないのに、ルシアの現状を知っている神にいら立つ。
 柵を掴んだ手を無造作に滑らせる。
 その場に座り込んで、ひとつ息をつく。
「ホークス……」
 あの使い魔も俺を探しているのだろうか。
 束縛を嫌う自由な魔物が、ルシアの側にいるのが想像できなかった。
 

 ルシアは塔を登っていた。
 天まで高くそびえているのではと思うほど終わりが見えず、
 階段は上へ上へと伸びている。
  (どこまで行けばいいのかしら)
 走ってはいけない。
 躓かないように慎重に進んでいた。
 この子も守りながら、クライヴを救う。
 決意をしてここまでやってきたけれど意外と大変な労力を要することだった。
 甘く見ていたのだ。
 それでもあのまま待っていても埒があかなかったし、
 ケルベロスの助力を得ることができて幸運だった。
 段々と息が切れて、疲れてきた。
 気力だけで進んできたが、そろそろ限界だった。
 ルシアは、登った先に白い光が差し込んでいるのを見て、立ち止った。
 光の方へ進んでいくと部屋があった。その奥に階段が見える。
 水槽なのだろうか。
 長方形に囲まれたレンガの中には清涼な水が、満ちていた。
 レンガの上に腰を下ろし、躊躇いもなく、水へと足を浸した。
 つま先をつけてみると、案外深かった。
「……気持ちいい。飲める水じゃないのかしら?」
 人の体の仕組み的に顔をつけて飲むことは難しそうだ。
 さすがに四つん這いになり顔をつける勇気はなかった。
「ケルベロスさんや、ホークスならできそうだけど」
 くすっと笑って、つま先を遊ばせる。
 ぱしゃぱしゃと、水を飛ばすと光が飛び散っているように見える。 
「……っと、危ない」
 水の中で足が滑って、前のめりになりかけた。
「クライヴと一緒に来てみたいな。
 彼ならここまでひとっ飛びだろうし。
 ……あら、一度来た場所じゃないとだめかしら」
 足を取られかけたら、舌打ちして咎めるだろうけど。
(手を繋いでいるだろうからそんな心配は無用かしら)
 時折口に出して言葉を呟いていると、逆にさみしくなった。
 眠ったままでも彼が側にいるのと、一人きりだというのは明らかに違う。
 普段でも、おしゃべりじゃないし、口を開けば憎まれ口も多いけれど。
 相手がいてこそ話しをすることができる。
 涙が浮かびかけたので顔をあげて、ぶるぶると頭を振る。
 そろり、と水の中から足をあげて、床に手をつく。
 膝をついて、立ち上がると深呼吸した。
 先ほどまでの疲れが吹き飛んでいる。
「……本物の聖水だわ」
 足の痛みもなくなり、塔に辿り着いた時以上に元気になっていた。
 走り出したい気分だが、何とか堪え、ゆっくりと歩き出す。
「……ホークス!」
 階段へと進んでいると、向こうから大きな鳥の魔物が飛んできた。
 ルシアと会えたことを喜んでいるのか、周りを飛び回り、やがて肩に飛び乗った。
「……重っ」
 甲高い声で鳴いてホークスは抗議をした。
「ごめんなさい……あなたと会えて嬉しいわ。
 一緒に、行ってくれるのね?」
 微笑みかけると、ホークスは一声鳴いて、肩を離れた。
 人の歩みで3歩ほど先の場所で、ばさばさと羽を広げて自己主張している。
(一人じゃないことは、なんてすばらしく心強いのだろう)
「ついてこいってこと?」
 ホークスを信じて進むことにした。
 彼がここにいるということは意味があることだと思った。
 一定の距離をとって、先を行くホークスは、ルシアが同じ場所まで辿り着くのをしっかり待っている。
 段が低い分、段の数は多い。
 結局、開けた場所に出たのは、先ほどの泉がある部屋のみだった。
 踊り場もない階段を登り続けて、辿り着いた広い部屋の奥に大きな扉があった。
 両開きの扉は、取っ手もちょうど真ん中にある。
 ルシアは扉の前で目を眇めた。
 門のごとき扉を開いた先には、確実に何かありそうだった。
 ホークスが、飛び回りながら扉をつま先で、蹴っている。
「……ホークスも協力してくれるのね」
 両手で取っ手を持ち押したり引いたり試してみるが、変化はない。
 堅く閉ざされている。
 息を飲んだ。
   早く進みたくて、ますます気が急いてくる。
 扉に手を当てて、頬も寄せてみた。
(何も分からないわ……)
 首をかしげて、しばらく思案した。
 魔術を使うしかない。
 クライヴには、使用を止められたが、それしか術はないだろう。
 どうしても必要になる場面に遭遇したら使用するしかない。
 心で願えば開くならもうとっくに開いているはずだ。
「……私に開けられるかどうかだけど」
 途端に不安になったが、やらない内から諦めるわけにはいかない。
 救いたい人がいる。
 クライヴと、生まれていくる子供と未来を生きていくために。
 取っ手に手をかざし、強く願いをこめた。
 いわば、これは未来を開く扉。
 ありったけの魔力を注ぎこむ。
 放った魔術が、扉に向かっていく。
「……っ」
 その瞬間、凄まじい光が、解き放たれ、思わず両腕を顔の前で交差させる。
 扉の内側へと誘われたルシアは、気が抜けたように、その場に座り込んだ。
 杖があれば支えにすることができたのに。
 初めて杖を持ってこなかったのを悔んだ。
 扉を開けたことでここまで消耗してしまうなんてと愕然とした。
 光に弾き飛ばされることはないのは幸いだったけれど。
 身を起して、座りなおす。
 きょろきょろとあたりを眺めまわしても、広すぎるため全部を見渡すことは不可能だった。
「とりあえずは歩いてみよう」
 うん、と気合を入れて立ち上がる。
 気ままに宙を旋回するホークスはやけに嬉しそうな様子に見えた。 
 広い空間を抜けた先には細い通路があり、白い扉が現れた。
 今度は普通の部屋サイズの扉だ。
 手で押すと軽い音を立てて開いた。
「……え」
 目を凝らしてよく確かめる。
 幻ではない。
 白い柵で囲まれた牢があった。
 そこにいるのは紛れもなくクライヴ。
 大好きな黒魔術師。
 愛する夫である彼が、いる。
 走ることを止められなかった。
 女神の星冠は見つけられなかったけれど彼を見つけた。
「クライヴ……!」
 走ったその先に透明の壁があったが、
 ルシアは、するりと通り抜けた。
「……あなたを救うためにここに来たんです」
 柵を握りしめているクライヴが、泣きそうな顔で笑った。
 柵越しに指を伸ばしても触れ合えない。
 彼が実体ではない限り柵がなくても同じだっただろう。
「……物足りないです」
 苦笑いするクライヴにルシアも笑った。
「でも、あなたに会えてよかった」
「ああ」
 伸びてきた腕が柵を越えて、ルシアの髪に触れた。
 触れられた感覚はなくてもそこにクライヴの手があるのは感じられる。
「……いつまで経っても起きてくれなくて、不安になったのよ」
「……すまない」
 責めるつもりはなかったが、クライヴは素直に謝意を口にした。
 大変な状況にいるだろうに甘える言葉が出てきてしまったのが、情けない。


18.女神の星冠   19-2
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