とめどなく涙がこぼれる。
 目の前の景色がとても綺麗で夢を見ているのではと錯覚した。
 夢のはずがない。
 この途方もない疲れと、体中から沸き上がる喜びは本物だ。
「……ありがとう、ルシア」
 労ってくれたクライヴは微笑んでいた。
「あなたもずっと励ましてくれてありがとう」
 微かに頭を横に振った。
 頬に落とされた口づけに涙がこぼれる。
 実感がわいてくる。
 夫が取り上げた我が子は、清潔な布に包まれた状態でルシアに渡される。
 愛おしい。
 それ以上何も浮かばなくて、隣りに横たわる子供に向けて微笑む。
「名前なんだが、アルフレッドでどうだろう?」
 唐突に言われ、きょとんとする。
 付き添いながら頭の中でずっと考えていたのだろうか。
(なかなか侮れない人だわ)
「アルフレッド……アルフね」
 名を呟いて頷くとクライヴは、
「まだいくつか候補はあったんだが、男の名前はアルフレッドしか考えてなかった」
 ぷっと吹き出す。
「……女の子が生まれるとは限らないのに」
「そうだな……健康で生まれてくれればどっちでもいい」
 目を逸らす様子を見て、また吹き出してしまい、少し息が乱れた。
「次は絶対女だ……」
「気が早いわ」
 意気込んでいる夫を見て、年の近い弟か妹ができるのは  間違いないだろうと確信した。
 そしてクライヴの希望通り、二人目は見事に女の子を授かり、ルカと名づけられた。
    

青や黄色の蝶が乱舞している。
 花々が咲き乱れ、泉からは水がこんこんと湧き出している。
 まさしく楽園<エデン>だ。
 魔法だけで構成されているとは思えないほど生が溢れている。
 闇に支配された城の中で一日の経過を知ることができるのはこの場所だけだ。
 元々クライヴが、精神の均衡を保つために作った庭園で、
 彼の死か、魔法を解くかで朽ち果ててしまう仕掛けだ。
 ルシアが現れて、庭園は楽園になった。
 彼女がいると世界が自然と輝きだす。
 そして、今は彼女と授かった子供達がいる場所こそが楽園だった。
「……クライヴ?」
 美しい金色の髪と青い瞳を持つ女性が、こちらを覗き込んでいた。
 庭園に置いたベッドの上、横になっていたクライヴは、
 年を追うごとに美しくなる妻を見て溜息をつく。
 表情は淡々としたものなので気づかれないのが幸いだ。
 抑えきれない衝動と闘っていることに。
「アルフと、ルカは」
「部屋で寝ているわ」
 ルシアはくすくすと笑う。
「じゃあ、俺達も寝るか」
 クライヴの瞳に走った光に気づいたのか、ルシアはその身を翻した。
「もう、何年経っても同じね」
「お前が美しいのが悪い」
「……褒め殺しても何にも出ませんから」
「本当のことだ。あの頃から変わらないどころか、
 あの頃よりももっと美しくなってる」
 顔を真っ赤にしたルシアは、
「……早く起きて。それとも具合でも悪いの?」
 近づいてきてクライヴの手を引いた。
「ああ、大丈夫だ」
 妻の手を取り、身を起こす。
 あの時告げられた死はいまだに訪れることはなく、
 平穏な日々を過ごしている。
 女神の星冠の効力もあるだろうが、運命が好転したのは  ルシア自身が共にいてくれたからだ。
 彼女と愛を交わすようになってやがて
 子を授かるに至ったことも全て奇跡の積み重ねで
 それ故にありがたいと強く思う。
 これほど殊勝な気持ちになったのは生まれて初めてのクライヴである。
「……っ……」
 ルシアの手を取り口づけると肩を震わせた。
「敏感なのは長年のしつけのおかげだな」
 にやり笑えば、
「子供たちが隣りの部屋で寝ているのよ」
 困ったように首をかしげる。
「だから? 俺達が愛し合わなければ生まれなかった命じゃないか」
 まったくその通りだから返答に困る。
「起きるんじゃなかったんですか」
「気が変わった。お前も休むといい」
「休ませてくれないでしょう……」
 腕を引くとあっけなく隣りに倒れこむ妻をクライヴは面白がって組み敷いた。
 ここにベッドを置いて正解だったと思う。
 外で愛し合っている開放感を味わえる。
 首筋に触れると、身じろぐ。
 白い手をシーツの上で彷徨わて掴む。
 肩先に触れる頃には、ルシアはくったりと身を預けていた。
「……素直なお前が好きだ」
 恥じらうように頬を染めて、首を振る。
 決して拒絶ではなくて、この先を求めているのだ。
 背中のリボンを解くと、ふわりと金髪が流れ落ちた。
 おくれ毛が、頬を伝い首筋に落ちる。
 憂いを帯びた瞳が、こちらを映していた。
「……アルフってあなたそっくりね」
 長男アルフレッドは、笑ってしまうほどにクライヴに似ていた。
 銀髪も藍色の瞳も生き映しだ。
 長女ルカもルシアによく似ていた。
「……ルカはお前に似てかわいらしい」
「あら、アルフも将来とびきりかっこよくなるの間違いなしよ」
「……想像したくないものがある」
「どうして?」
「きっと性格も俺そっくりに決まってるからな」
 くすくすと笑いながら
「あら、それは大変だわ」
 首にまわした腕の力を強めた。
 髪を撫でる。
 甘い香りを吸い込んで瞳を閉じた。
 昔より愛は深まっていても急きたてられるように抱くことは少なくなった気がする。
 刺激が足りないわけではなく余裕だと思う。
 たまには、激情のままに抱いてみたいと不埒なことを考えた。
 口づけを交わす。
 啄んで、噛みついて、悪戯に笑う。
「クライヴったら」
 鼻を噛んで、舐めたら、くすぐったそうに笑う。
 明るい日差しの下で、表情もよく見える。
「ルシアの望みを教えてくれ」
 顔をあげたルシアが、ううんと唸っている。
 下から見上げる姿も好きだと改めて思う。
 肩先に触れた一筋の髪を指に絡めもてあそぶ。
 揺れる瞳が、戸惑いを表していた。
「狂おしくなるらいに求められたいわ……って変なこと言ってないかしら」
 自分の発言に慌てる様子がおかしい。
 扇情的な顔でこっちを捉えてくるのは無意識ではない。
 意識的にやってるはずだと解釈した。
「時には躊躇いがちで、時には奔放なお前がたまらない」
 下から押し上げるように膨らみを揉みしだく。
 弾んで手のひらを押し返す柔らかさ。
 強弱をつけて、揉みしだくと声に甘さがにじんでくる。
「ふ……っん」
 舌は上唇をなぞり、口内へ侵入させる。
 絡めて吸い上げて淫らな気分を盛り立てる。
 応じるキスも慣れていて、翻弄されてしまいそうになる。
 唇を離すと白い糸が、ぷつん、と途切れた。
 荒い息が聞こえている。
 不規則な呼吸に階段を駆け上がっているのが感じられた。
 ルシアの手を下腹に移動させると、びくりと震えた。
「こんなに興奮してる」
「……焦ってるみたい」
「たまには、お前から、俺を愛してくれ」
 頬を染めたルシアが頷いたのを見て口の端を上げる。
 巧みな指先になぞられ、撫であげられる度に、思わず声が漏れそうになる。
 乱れた息で、感づかれているかもしれない。
「っ……」
 手の動きが早まり、一気に熱く膨れ上がった。
 いささか乱暴に押し倒し、伸しかかる。
 ドレスのすそをたくしあげ、腰を割りいれる。
 その時、甲高い鳴き声が、耳に届いた。
「……アルフが泣いているわ」
「……兄のくせに」
 ルカの泣き声の方がやや幼いのだ。
 腕の中を抜けだして、あっという間に駈け出して行ったルシアに苦笑する。
 早業にも程がある。
 この熱を冷ますにはどうすればいいか考えながら、起き上がる。
 顔を洗い終え、庭園の隣りに設けた部屋へ行くとアルフが、無邪気に笑っていた。
 一瞬で泣きやんだらしい。
 隣りで眠っているルカは、まったく目を覚ます気配がない。
 どうやら兄より大物のようだ。
「お前は立派な母親になったな」
「そう? あなたも立派な父親になったわよ」
 むず痒い気分で、アルフの頭を撫でる。
 睨まれたのは気のせいだろうか。
「……どうやら嫌われているらしいな」
「素直じゃないのよ。誰かと似てるから」
「……くっ」
 笑うしかない。
「何か変なこと言ったかしら」
「いや別に。愉快だなと」
「クライヴが明るくなって喜ばしいことだわ」
「俺らしくないけどな」
「それでいいの」
 アルフとルカの兄妹は日々すくすくと成長している。
 一歳違いというのは大変だと今更ながら反省した。
「……やはり、次はもう少し離れていた方がいいか」
「そうね……でも年が近い方がいいかも」
「……運命に任せよう」
 都合のいい言葉を吐いて、ルシアの腕を引く。
 首筋に唇を沿わせる。
 恥じらう顔のルシアに、耳元で囁く。
「俺の疼きを癒してくれ」
「……私も潤して」
 可愛い言葉に、欲情をそそられる。
(今すぐ抱いて、愛したい)
 マントの中に包んで、瞬間転移した。

 突き上げられる衝動のままに体を揺らす。
 いつだって、二人が一番近づく瞬間が好きだった。
「ふ……あっん」
 蕾に触れながら、出入りを繰り返す。
 瞳を潤ませて、クライヴを見つめる。
 腕を引き寄せられ、膝の上で抱かれる。
「……愛してる……っ」
 クライヴは、切羽詰まった時、体中から絞り出す声を上げる。
 感じすぎて、声も出せぬまま髪を振り乱し、首を揺らしていた。
「そういえば、言ってなかったんだが」
 甘いまどろみの中、最愛の人の声が聞こえる。
 夢うつつで耳を傾けていたが、
「俺はあの時お前が来てくれなければ死んでいたらしい」
 衝撃的な発言に一瞬耳を疑った。
「……どういうことなの」
 疑問符が浮かび、一気に覚醒した。
「時空転移を行ったことによる負荷は相当なものだったんだ」
「……うん」
 あまりにさらっと言うので重い話に聞こえない。
「……やっぱり人間を召喚するのは大変なことなのね」
「お前を呼び寄せて後悔したことはない」
 ほっと息をつく。
「その罰で閉じ込められていたのが、時の牢獄だ。
 魔界から繋がっていたのには驚いたよ」
「私もクライヴに会えるとは思わなかった」
「お前のおかげで命を救われたんだ。
 だから俺は、何に代えてもお前を……ルシアを守ろうと改めて誓った。
 守るものが増えてしまったが、それも生きるための枷だしな」
 枷と表現したのが、彼らしくて笑う。
「どうして今頃になって話してくれたの?」
「本当は墓場まで持っていこうと思っていたが、この辺がもやもやしたまま死ねないからな」
 とんとん、と胸元を軽く叩いているクライヴに笑う。
 アルフがお腹にいたから、余計な心配をかけさせまいとしてあの時告げられなかったのだ。
 女神の星冠のかけらが、クライヴの心臓に降り注いだことで、
 死の影が取り除かれ彼は寿命を繋いだ。
 あの出来事は重大な意味を持っていたらしい。
 とりとめのないことだと気にせずにいたら忙しない日常の中で忘れてしまっていた。
 頬を寄せて微笑む。
 髪を撫でて唇を寄せられる。
 愛し合っている時の仕草は以前よりますます甘くなった。
「約束の地に辿り着いたんだ」
「え……」
 漏れる吐息の数だけキスを交わしている。
 唇を触れ合う距離で、問いかけるから言葉まで送り込んでいるかのようだ。
 手を取って見つめ合った。
「人はいつか夢見ていた場所に往けるという。
 それが、約束の地だ」
「素敵ね」
 目元が潤む。
「ルシア、これからも一緒にいよう」
 真摯な顔に惹きつけられた。
「はい」
 今ある幸せが、ずっと続くように抱きしめていよう。
 愛しい人の側で目覚め、眠りやがて朽ちゆく日までどうか消えない灯を。
 


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