背中



 後ろに視線を感じる。  どうしてわざわざ後ろにいて、背中を見つめているのか理解できない。
 ここは、私の部屋。
 寝室に向かうはずが、青からこっちにやって来た。
 今日に限ってどうしたのだろうか。
「ねえ、青、どうして後ろにいるの? それからまだ振り返っちゃ駄目なの?」
 この部屋に入ってきた時、私はあっという間に壁際に追い詰められ、
 後ろを向くなと静かな口調で言い渡された。
 何がしたいの。青の行動はやはりどこか掴めないわ。
「駄目だ」
 いささか鋭い口調。
「何見てるの」
「いいからじっとしてろ」
 有無を言わさぬ様子に渋々黙る。
 得体が知れない言動に振り回されるのは今になって始まったことじゃないけれど。
 ふいに背中を抱きすくめられた。青が肩口に頬を埋めている。
 腰に回された腕の強さ。
「少しの間こうしていたいんだ」
「……青」
 そんな甘えたような口調で強請らないでよ……。
 何も言わなくてもあなたの事は分かってるつもりなの。
 背を少し屈めて、肩に頬を埋める青の髪が、耳に触れる。
 ドキンと胸が高鳴った。
 優しい静寂に瞳を閉じる。
 雰囲気に酔いかけたところで、青の掌がブラウスの中に侵入したのを感じて思わず声を上げてしまう。
「っん……青何するの」
 つ、つ……と指先が背中を滑る。
 上から下へと下りて、また上へと登る指。
 その冷たい感触に体がびくと震えた。
「あ……」
 動く指の数が増える。
五本の指が背を鍵盤を弾くように撫でてゆくだけで、せり上がる快感が不思議。
「細い背、折れそうな腰……どこまでも俺を苛む材料だ」
 挑発的な言葉も手伝って、あっという間に体が気持ちよさで支配された。
 がくがくと足が震えていた。
「本当に、感じやすいなお前は」
 呆れた声音に私は頭を振る。
 気持ちが高ぶる刺激を与えるのはあなただわ。
「何だか変だから背中に触れないで」
「俺に命令するつもりか?」
「背中は駄目なの」
 懇願。
 強く触れてなくて柔らかく触れるだけでもその仕草は充分の刺激をもたらす。
 ぞくぞくと震えて、快感が駆けのぼってくる。
「分かった」
 何の感情もない声音に驚く。
「……っ」
 すっと掌が腰までを大きく撫でて、指先が前へ回った。
 背中に触れるのを止めたと思えば、いきなり下着の上から胸を揉みしだかれた。
 背後に立ったまま、大きな体に支配される。
 逃げられない引力で連れて行かれる、何処かへ。
「……っ」
 そのまま後ろへとうつ伏せに横たえられてしまう。
 覆い被さった体勢で未だ、後ろから胸にまさぐられている。
「苦しい」
 彼は細身だけど、身長がある分体重もあって、
 長い時間この体勢でいるのは辛い。
「離れたくない」
 とめどない寂しさを含んだ声。
「離れないわ」
 この体勢では私の顔は見えないのに、
 ひとりじゃないんだと教えたくて微笑む。
「どうして今日に限ってこんなこと。
 顔が見えないのは嫌だといつか言っていたでしょう?」
「後ろからお前を捕まえていれば、誰にも奪われないだろう?」
「変な理屈ね」
 服に差し入れられていた掌が外へと出ていた。
 腰をぎゅっと強く抱かれる。きゅんと胸が疼いた。
「夢を見たんだ。お前が俺から離れてゆく夢」
「もうありえないことだわ」
「分かっている。お前は俺を待っていてくれたんだから、絶対手放したりしない。
 でもお前が俺をいい加減嫌になったらと思えば」
 弱々しい声音に、どきりとした。
いつも強くて冷静な彼は滅多にこんな顔は見せないから。
「青、一人で思い悩むのは止めて。私に全部打明けて」
 そんな夢を見るなんてまるで昔の私みたいで変だ。
 あの頃抱いていた不安をどうして今、青が感じてるの?
 シングルベッドが微かに軋んだ。
 私が暮らしていた部屋から持ってきたそれは、二人で眠るにはとても狭いが、その分、密着度は高い。
「もういいんだ。こうしていると安心するから」
 きつく絡められた腕。
 切なさを感じて戸惑う。
「うん、気のすむまでそうしてていいから」
 青は年上だけれど時折無防備な幼さを見せることがある。
 強いけれど脆い。そんな人。
「私の背中じゃあなたを支えるには狭いかもね」
 くすっと笑う。
 青の大きな体に包み込まれて安心してるのは私の方だ。
 安心させてあげるつもりが、この腕の中にいて安らいでいるの。
「十分だ。沙矢以外俺を癒せるものはないからな」
「私を安心させられるのも青だけよ」
 お互いの表情は見えなくてもきっと満たされた顔をしてるんだろうって分かる。
 腰に回された腕に自分の腕を絡める。
 激しく求め合う時間も、好きだけど、こうやって静かな抱擁を与え合うのもいい。
 私達は暫くそのまま触れ合って時を過ごした。

 沙矢がいなくなる夢。
 現実ではないのにやけにリアルで胸に痛みを呼び起こした。
 今まで彼女に冷たく振る舞い、遠ざけようとしたツケだろう。
 沙矢はずっと一人で苦しんで辛い思いをしていたのだから。
 想像もつかないくらいに。
 こんな不安をずっと感じてたんだと夢が教えてくれた。
 彼女の方がずっと辛かったのだろうけれど。
 ようやく分かった気がする。彼女の秘めた強さを。
 大切にしていきたい、沙矢だけは。
 最後の女だから……。
 何が起きてもこの手で守り抜く。

 切ない時間が過ぎてゆく。
 壁に立てかけられた時計の音がカチカチと響いている。
「今夜は私があなたを包んであげる」
 するりと口から出た言葉。
 抱きしめて、あなたを受け入れるの。
 腕が解かれたので、彼と体の位置を入れ替える。
 後ろから抱きしめ、腕を回し、シャツのボタンを外す。
 パサリとシャツを床に落すと、背中に指を添わせた。
 広くて熱を持った背中。
 さっき私に青が触れたように指先で撫でる。
 私の手は冷たくないでしょう?
 あなたが、抱きしめてくれていたから指の先まで熱を持ってるのよ。
「さ……や……」
 途切れがちの青の声。
 低くて甘いあの声。
「そういえば、この間青にぴったりの香水見つけたの。
 ブルガリ・プールオムって知ってる? 青が知らないはずないわよね」
 微笑みながら、背を撫で、抱きしめる。
コロンも大人のイメージだけど、香水も絶対似合うと思う。
 青の肌。いつも見上げている体を後ろから抱きしめて、頬を寄せる。
「冷静と情熱の間って意味合いを持つ香りなんだって。
 冷静沈着な大人な男性だけど、その中には激しい情熱を隠してるなんて青みたい」
「そうか。お前には、一見、プチサンボンやグランサンボンが似合いそうだが、夜と昼とで違うからな」
 青がにやっと笑ったのが分かった。
 からかうような響き。
「もう何が言いたいのよ!」
 背筋をつねってみた。
「お前みたいな激しい女、他にいないだろ」
「そ、そう?」
「好きだよ、穏やかさと激しさの二面性を持つお前が」
「青」
 ぐいと腕を引かれ、仰向けにさせられた。
 見下ろす眼差しはどこまでも優しくて。
「私も好きよ。優しいサディストさん」
 見上げると青がすっと目を細めた。
 ブラウスのボタンがひとつひとつ丁寧に外されてゆく。
 私が脱がせたから、青は上半身に何も纏っていない。
 手を伸ばし、彼の胸に指を這わす。
 青も下着の上から胸をゆっくりと揉みこんでいる。
「はあ……んっ」
 彼に与えられる快楽と闘いながら、彼の胸を愛撫する。
 ゆっくり指先で頂に触れて、啄ばんで。
 少しだけ速くなった鼓動の音が聞こえる。
 青の背中に腕を回す。
 広い背。私の腕じゃ全部届かない。
 必死で腕を回し、両手を繋ぎ合わせる。
 しがみついた途端胸の頂をきつく吸われ、刺激が体中を走った。
 指の間に挟み舌先で転がし、引きちぎるように噛まれて。
 口に含まれるたびに、胸の膨らみは揺れる。
 今日は私の部屋で愛を交し合ってるんだと思うと不思議な気分。
 寝室で眠らない時は、私は一人でこの部屋で眠る。
二人でいてもだだっ広いスペースの主寝室はベッドも大きい。
 一人では広いんじゃないかな。きっと孤独を感じて寂しい。
 一緒に住むことを決めてから、青も以前暮らしていた
 マンションから今の場所に、引っ越したんだった。


 青の指が下降してゆく。
 お腹の上を滑り、足の間へと侵入する。
「あ……あっ」
 秘所の周囲を指は行き来し、泥濘になっているそこは舌先でつつかれる。
 息が荒くなり始めていた。
 投げ出した腕でシーツをぎゅっと掴む。
 指に纏わりついた蜜を彼は音を立てて吸った。
 そちらを見ていなくても、卑猥な音がしているからわかる。
 荒々しく唇を塞がれる。
 差し込まれた舌が、口内を探る。
舌同士が絡み合う。
 熱い。吐息が混ざる。
 深い口づけを交わした後、唇は離れ、耳朶へと移動する。
 耳たぶを舐めて、歯を立てる唇。
「ああ……はぁ……ん」
 両胸を強弱をつけて揉まれる。
 背中は跳ね、弛緩し続けている。
 リップノイズが響く軽い口づけをしながら青は、自らの準備をし、私の内部に入りこんだ。
 びくんとひときわ大きく体が跳ねる。
 いつもより前戯の時間は短かったけれど背中への愛撫で、高められていたから、待ち遠しかった。
 ほう、と息をついて迎え入れるように足を広げる。
「……青!」
 名を呼び、また背中に腕を回す。
 力強い律動が開始される。
 彼の存在そのものが、自分を主張する。
 苦しいほどの圧迫感に身震いした。
「沙矢」
 こちらの表情を確かめた青が内部で円を描く。
 ベッドに腕をついて、激しく出這入りを繰り返している。
 白く濁った視界の向こう、こちらを見下ろす青は余裕の笑みを刻んでいた。
 繋がったままうつ伏せの体勢で、奥を一突きされる。
 腰を抱えあげられ、胸元に這わされた指。
 下腹では律動を繰り返しながら、頂を指の腹で押し潰して、掌で胸を愛撫し、
「やっぱりこの体勢好きじゃないな、お前の感じてる顔が見れないから」
 掠れ気味の声を漏らした。
「や……だったら」
「だけど今日は後ろから攻めてみたい気分なのさ」
 髪から香るシャンプーの匂いが私を高ぶらせる。
「逃げる場所なんてどこにもないわね。このベッドは主寝室のものより狭いし」
 ふふと笑みが零れる。
 息が上がっているから言葉を紡ぐのもきついけど、この一体感がたまらなく嬉しいから。
「このベッド、お前にとっては辛い思い出ばかり残ってるんだよな」
 動きを止めた青が私を抱きしめて呟く。
「今は辛くないからいいの。このベッドは使えなくなる時まで使うつもりよ」
「そうか」
 青が後ろで笑ったのが分かった。
 途切れ途切れの息をもらしながら、背中に縋りつく。
 彼の腰に足をまとわりつかせて、奥へと導くように。
「んっ……あっ……」
 舌を絡め合わせながら、ひとつに溶けた。
 鮮烈なほどの光が、意識を焼き尽くす。
 投げだした手を、力強く掴まれて微笑みの中で、瞼を閉じる。
 次はいつもの寝室で愛し合いたい。
 広い場所で縺れ合って転がって、海を泳ぎましょう。



戻る。