セピア色



家柄か、仕草も洗練されていて品がある。
女性をエスコートすることも難なくやってのける。
学園には家柄がいい生徒は大勢いるが、政治家とも繋がりがあるという藤城家。
青は藤城総合病院の御曹司……私なんかと恋してはいけない人だ。
年上の女教師となんて。
「こら、なんかマイナスなこと考えてただろ?
 高階先生は 時々胃を押さえながら歩いてるって、クラスでも噂になってるぜ」
 青は、いたずらな笑みを浮かべていた。
「え!」
「嘘だよ、本気にした? 」
 こちらをからかって、私を笑わせようとしてくれている。
 年下の子に気遣わせて私こそ情けない。
 望海は、力なく笑った。
「……伊達先生に飲みに行かないかって誘われて」
「ああ、あの暑苦しい体育教師か」
暑苦しいと評されて、たしかにとうなづく。
「断ったら、態度を豹変させたのよ。私が教師生命を脅かせるようなことしてるって」
「最悪だ……弱みを握って言うことを聞かせようとしてるんだな」
は拳を握りしめ、その後私を強く抱きしめた。
「ごめん。望海、学校では行動に気をつけていたはずなのに、俺のせいで」
「……まだバレたと決まったわけじゃないわ」
抱きしめる力が強くなる。
「けど、伊達が口にするってことは何かしら知ってるってことだ……」
 教師をさらっ、と呼び捨てにしたことは、敢えて気にしない。
 望海も、心の中では呼び捨てていたからだ。
  「……どうすればいいのかしら」
独りごちる望海は全然年上らしくもない。
教師でもなく、ただの女の子だ。
ずっと年上なのになんの力もなくて脅えている。
 化粧を落としたら、高校生と間違われるほどだから。
 素顔を知った時、青は、嬉しそうにした。
年の差を感じないと。
「もしもの事があっても、望海のことは守るよ。
傷つけたりなんかしない。約束しただろう」
甘いキスが、思考をぼやけさせる。脳内が痺れる。
きっと、彼を信じればいい。
望海は、こくりとうなづいて青の腕に抱きしめられた。
上背はあっても、まだまだ少年っぽさを残す身体。
「先生をまた抱きたいよ。心ごと全部ほしい。
まだまだ俺のものなんかじゃないだろ」
「あなたは生意気だわ……もう、嫌になる」
髪を撫でる手は優しくて、泣けてくる。>
「……送るわね」
何とか理性を奮い立たせ、青から離れる。
少し時間を置いて彼は戻ってきた。
助手席に座りシートベルトを締めた彼に微笑みかける。
「苦しくなんてないわ。私を好きになってくれたのがあなたでよかった」
私が好きになったのがあなたでよかった……。
涙を振り切り、車を発信させる。
藤城邸まで徒歩数分という場所で車を停車させた。
「もっと長くいっしょにいられたらいいのに」
「……そうね」
 青のつぶやきに心が弾む。
 降りていく彼に、クラクションを鳴らし、見送る合図にした。

「高階先生……」
 廊下の向こうから呼びかけられて、思わずたじろぐ。
 離れた距離からよく望海の姿がわかったなと関心すらした。
 彼がこちらに歩いてくるのを待っていると丁寧に頭を下げられて怯む。
「伊達先生? 」
「申し訳ありません。先日はあのような……あなたを脅すようなことを口にして」
 放課後、生徒もほぼ下校して、ひっそりと静まり返った校舎。
「……わかっていただけたらいいんです。頭をあげてください」
 顔を上げた伊達先生は、ホッ、としたように見えた。
「もし、恋人をお探しなら私のことを気に止めておいてくださいね」
「今は私そういうのは興味ないので」
 社交辞令ではなく本音で口にした。青以外興味はないから。
「……待っています」
 愛想笑いして離れる。古文の授業はなくて、今日は青に会えなかった。
 仕事以外では彼のことばかり考えている。
 守ってくれるという彼の優しさを無にしないために、望海はひとつの決意を胸に決めた。
「今学期で辞めたいんです……」
結局思いついたのは、それだった。
田舎に帰って、そっちで教師をしよう。
望海は、大学で学び資格を取ったので古文でも現国でも教鞭をとることができる。
「……急だね。何かあったの? 人間関係とか? 」
「そういうことでは……。
ただ、田舎には母1人ですしよく冗談で帰ってこいと言われていまして。
母はまだ若いし働いていますし、私が都会で一人暮らしをしていても
 問題はないんですが……、都会が肌に合わないなと感じることがあるんです」
田舎から上京して、大学で教職を取り、採用されたのは都立の進学校。
 私はここにいたら、悲しい恋に溺れてしまう。
 全てをなくす勇気など、彼女にはなかった。
 私では彼を守ってあげられない……。
 青には、相応しくない。
 それが、望海の本心だった。
「転勤の手続きをすればいいのかな?
 もったいないなあ。高階先生にはまだまだいてほしいんだけど。
 生徒達からも、保護者からも評判いいし」
「ありがとうございます……」
 三学期末、高階望海は、退任と転勤の挨拶をするため体育館で皆の前に立った。

 終業式がすんだ翌日。
 望海は、春休みになった青をアパートの部屋に呼んだ。
 この部屋に招くのは何度目だろう。
 肌を交わしたのは、1度きり。
 身体を繋げなくても、たまに会って話すだけでも、望海は癒された。
 年下の少年は純粋で、口数は多くはなかったけれど、とても優しかった。
 特別な家に生まれていても、彼は他者を見下したりしない。
 誰にも平等に、適度に付き合う術を知っていた。
 人に深入りしないということだが。
 望海は、涙を堪(こら)えていた。
 この部屋に彼を招いて二人きりで向き合ってしばらく経つが、青は無言のままだった。
 わななく唇。
 膝に手を置いて座布団に座っていた。
 青は、悲しみとも怒りともつかぬ感情を抑えているようだった。
 弱い望海は、彼の前から消えるのを選んだ。自らの保身のため。
 青を守るなんて方便だ。ていのいいこじつけにすぎない。
 汚い自分に嫌気が差しながら、漏れるのは意味のない言葉。
「青……ごめんね」
「悪いと思ってもないのに謝らなくていい
 ……俺が何の力もない年下のガキだから、
 望海に酷な選択をさせたんだな。何が藤城家だよ、枷じゃないか。
 守ってやりたかった」
 敷かれたレールの上なんて、決して歩いてやらないという
 強い意志が、青からは感じ取れた。
 彼は、強い。私なんかいなくても大丈夫。
 悲しませたくないという、エゴで、伝えていなかったが、
 嫌な言葉ばかり口にさせてしまった。
「……あなたが、上手に生きていける人だわ。
 いいお家に生まれたのは関係なく自分の力で歩ける」
「そんなに、俺とのことが嫌だった? 離れたいと思うほど」
 噛み合わない言葉が、宙に溶ける。
(青は憎んでほしいの? 楽になりたいなんて彼は思ってない)
「そうじゃないわ」
「自惚(うぬぼ)れだな。
 高階センセは俺のことなんてそこまで、気にしてなかったのに」
 泣きそうな声だった。
 感情が高ぶっているとわかった。
 二人きり、最後だと言い聞かせ部屋に呼んだ。
 自分の選択は間違いだったのかもしれない。
 青は溜まりに溜まった不満をぶつけているかのようだ。
 普段はあんなに、冷静で大人に振舞っていてもやはり素直で、愛らしい。
 そのことに、ほっとする。擦れてない少年の姿に。
「望海……忘れられない傷をつけてやるよ。消せない傷をな」
 いくら悪ぶったって、可愛らしく思えてしまう。
「んん……っ」
 唇を塞がれ呻く。酸素を欲しがって、もがきながら、ただ流された。
 傷つけるなんて嘘ばかり。青は激情を見せつけながら、
 望海を傷つけることは決してしなかった。これが2度目の過ち……いや本気の恋だ。
「望海……幸せになって」
「青っ……! 」
 熱に浮かされた青は、望海の未来を憂う言葉を伝えてくる。
 小柄な望海の身体を抱えて、鋭く穿ちながら、荒々しい息を吐く。
 最後だからと、避妊具も、望海がつけた。
 あらかじめ、用意していたことに、青が驚いた。
 彼も、きちんと持参していたそれも、無駄にはならないだろう。
 愛し合い涙を喘ぎ声に代える。
「青、好きよ……ああっ」
 折り畳まれ、より深く繋がる。
 力のない指先が、空を切る。
 甘く啄まれる唇。首筋を落ちる雫さえ甘い。
 ベッドの上で、一度目の行為をした後、浴室で、獣のようにお互いを求めた。
 青の膝の上に乗せられ、突き上げられる。
 ぱちぱち、と弾ける白い光が、涙を防いでくれる。
「どうして、こんなに感じるの? 」
「好きだからだろ」
「……ううん、愛してる」
「ありがとう」
 青は、愛してると言わなかった。
 まるで、さよならを告げるみたいに、身体中で、愛していると刻み込む。
 肩に担ぎ上げられた脚。
 角度を変えて、突かれて、途切れ途切れに喘ぐ。
 震える。
「青……っ」
 すっ、と腕を伸ばす。体勢を入れ替えて彼の上で揺れる。
 時折、前のめりになって彼と、舌を絡ませる。
 胸のふくらみは、優しく揉みしだかれる。
 この夜で壊れてしまいたかったが、その願いはかなわなかった。
 果てた後、覚醒した二人はベッドの上でまどろむ。
 望海は、ベッドの中、青の膝枕でまどろみながら、
「望海……いい男見つけろよ」
 ぼんやりと、彼の言葉を聞いていた。
「あなたに言いたいわ。誰も泣かせないでね?
 そんなにかっこいいんだもん。この先もずっとモテモテでしょ」
「どうかな……」
こんなふうに、戯(たわむ)れることは二度とないんだなと思ったら、胸が塞ぐ。
 ただ、痛い。
「とりあえず、望海は泣かせないですんだみたいだ」
「そうね。あなたのそばでは笑っていられたわ」
「……年上ぶるなよ。憎めないだろ」
泣けよと言われているようで青の言葉に胸にしがみついた。
背中を抱く腕は熱くて、涙がこみ上げそうになるけど、こらえた。
「望海とキスできなくなったら、口寂しくなるな……」
「ガムでも噛んでなさいよ」 「ガム……か」 独りごちる青に、笑った。
ね、もう一度とねだる彼に答えを返すように望海は抱き返した。
青は若さゆえか、欲が尽きないようだった。
 景色が色を失くすように一つの恋が終わった。
高階望海と、藤城青は別離した。9つ違い。
教師と生徒。生まれも育ちも違う2人の儚く激しい恋だった。


 5年後。
 母の死をきっかけに上京した望海は、見慣れた面影を目撃する。
 煙草をくわえ、派手なスポーツカーを運転し、
 助手席に外人女性を乗せているのは、過去、恋し愛し合った年下の彼だった。
 すっかり大人びたけれど、瞳に翳りがあるのは変わらない。
(まだ、あなたを寂しさを癒す人には出逢えてないのね)
 一瞬過去に思いを馳せたが、過去は過去と割り切り歩き出す。
 望海は、今穏やかな人生を送っている。
 刺激的な日々とは無縁だけれど、愛する人と愛娘と共に。
あの時、青が願ってくれたように、望海は彼の幸せを願った。
(セピア色ではなく温かな彩りのある人生を送ってね)



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