煙草



 ベッドサイドで気だるい表情で煙草を吸う青を見るのが好き。
 目覚めた時、隣で煙草の煙が立ち昇っているのを感じるとホッとする。
 青が煙草を吸う時は限られている。
 行き場のない想いを抑えつける為。
 己の中の情熱の炎を冷ます為。
 最近は、吸う量も減って一日数本程度しか吸わなくなった。
 もう必要がなくなったということなのかな。
 硝子の灰皿には僅かな灰。
 浴室に消えた彼を待ちながら、吸殻に手を伸ばした。
 あの頃彼の吸った煙草を自らの唇に運んでいたのは、
 この煙草を吸った唇は私だけのものだと確認したかったからだ。
私は青と同じものを口にしていると思えば嬉しかったのだけれど。
 青は煙草味のキスと冷たい言葉でごまかして大切なことをうやむやにしていたのだろう。
「馬鹿だったわね、私とあなた」
 あの頃のことを思い出せば、苦いものが胸に溢れるけれど、思い出して涙を流すことは二度とないだろう。

 お風呂から戻った青はバスタオルで頭を拭きながら、ベッドの縁に腰掛けた。
 上半身は裸で腰にタオルを巻きつけている。
「お帰りなさい」
「普通、風呂くらいでお帰りとか言うか?」
 くすくすと鼻で笑われた。
「言ってみたかったんだもん」
「じゃあ、ただいま」
「じゃあって」
 何か釈然としない。
「どうせならさ、お帰りって言って欲しい時があるんだよな」
 青は意味深に微笑み、空いていた距離を一瞬にして埋める。
「え、ちょっと」
 あまりの素早さに私はうろたえた。
 シーツが剥がされ、白い胸が露になる。
 胸の膨らみの間に顔を埋め、微笑みながら、
「ただいま」
 彼は、言ってのけた。
 信じられない……。
「ヤらしい。青はいつもえっちだけど、今日のは変」
 頬を膨らませ、唇を尖らせても青は涼しげに笑っている。
「お帰りは?」
「お帰りなさい」
 やはり納得いかない。
「不服そうだな。あ、そうか本当のただいまじゃないもんな」
「はあっ?」
 一人で勝手に納得したらしい青が、するりと腰のタオルを床に投げた。
「俺の帰る所まで案内してくれるんだろう?」
 言葉の意味に気づいて赤面した。
 自分の迂闊さは、治らないのだろうか。
 強引に唇がこじ開けられ、舌が侵入する。
 深い場所を探るキスに脳内が麻痺してゆく。
 青の舌に自分の舌を絡めると熱い何かが奥で目覚める。
「ん……はぁ……」
 肌の熱が上がる。
 くちゃくちゃと淫靡な音がし始めている。
 唾液が二人の間で糸を引いていた。
 力を失った体が、ベッドに倒れこむ。
荒い息をつきながら、青の肩を掴んだ。
 顎を伝う雫を舐められる。
 濡れた唇が艶々と光っていた。
 永遠に続くかと思われたキスは、最後に一度、唇に軽く触れて終る。
「……ああっ」
「感じるか?」
 耳の中に指が入りこんだ。
 さわさわと浅い場所を行き来されてむずむずする。
 羞恥に顔を染めながらも横に首を振ることが出来なかった。
 唇は肌の上をゆっくりと辿る。
 鎖骨を吸い上げられるとくっきりと赤い印が浮かび上がった。
 青によって花が綻ぶ。
 自分では決して咲かせられない華が咲くの。
 抱き起こされ、今度は背後から耳朶を甘噛みされる。
 ぺろりと舐めあげられ、耳の奥に舌が入りこむ。
 両耳に同じ愛撫を受けて、じりじりとせり上がる熱。
 背後から抱えられ、胸の膨らみを柔らかい仕草で揉まれ始めた。
 もたれかかる格好で、虚ろな瞳を宙に向けた。
 掌で包まれ、胸の膨らみは形を変える。
 指で頂を弾かれて、背が弓なりに反った。
 力強く支えられて、夢心地のまま瞳を閉じた。
「ああ……っん」
 硬く尖った胸の突起を指で挟んで、口に含まれる。
 その行為は両胸交互に繰り返された。
 指は下腹の茂みを掻き分け、秘所を触っている。
 指先で撫で、弾かれるたびに蕾は硬くなる。
 じんと中が疼いて、蜜があふれるのが分かった。
 甘い電流が、駆け抜けていく。
 体が反ってベッドへと沈む。
 青はその腕で私の体を抱え、自らの背に腕を回させた。
 耳朶に歯を当てられて唇で引っ張られる。
 耳たぶの膨らみを口に含み、そして準備を施した自身で私の奥を突きあげた。
 深い場所を揺さぶられ、彼を締めつける。
 確かな感触は、欲していた物。生理的な涙がぽつりと頬へと落ちる。
 圧迫されて痛みよりも快楽が沸き起こり、
 離したくなくて、足を絡みつける。
「……沙矢っ」
 足を彼の腰に絡ませると、締めつけたのか、
 行為は激しいものに変わっていった。
 緩く浅く腰を引いて、また奥を掻き混ぜられる。
 腕が青の背から離れる度、彼は体を支えてくれる。
 爪を立ててしがみつく。温もりが中で暴れまわる。
「あぁ……青」
「沙矢」
 吐息混じりに相手の名を囁く。
 甘い余韻を残して宙に融ける声音。
「ああ……もう……」
「くっ」
 淡い光が見えた。
 次の瞬間、互いの熱がぶつかり奥底で弾けるのを感じていた。
 繋がりを解き倒れこんでくる青を受け止めて、意識を眠りの世界へと落とした。


煙草のフィルムを開ける。
 フィルターを噛みちぎるようにくわえた。
 吸う本数が自然と減ったのは、どうしてだろうか。
 手持ち無沙汰になることが減ったからかもしれない。
 唇に感じる物足りなさは愛しいものとのキスが埋めてくれる。
 煙草にすがる弱さを克服できたのもあるだろうし。
 たまに手を伸ばしてしまう時もあるが前ほど常習はしてない。
 いずれ煙草はやめても、沙矢のジャンキーを止めるつもりはない。
「沙矢」
 そっと息を吹きかけるように囁きかける。
「ん」
 夢うつつの沙矢が腕の中で身じろぎした。シーツの中で身をよじっている。
 何て無邪気な寝顔だろう。
 はっきりいって毒だ。
見ているとまた欲情してしまう。
背中を横から抱きすくめた。
「青……? 」
激しい抱擁に沙矢は何かを感じ取ったのか、腕の中で逃げ惑う。
「無理だ」
口の端を緩く吊り上げて笑う。
汗で背中に貼り付いた髪が艶めかしさを醸し出す。
 枕の下に隠していた予備を、手早く纏い一気に貫いた。
胸の膨らみに触れながら、前後運動をする。
「はぁ……何で今日は……」
声にならない掠れた声が耳に届く。
「お前が可愛くて仕方ないから」
 正直に答えた。一段と低い声が、沙矢に舞い降りる。
 大きく体が跳ねた。
「……う、でも身が持たない」
「悪い。もう無茶しないから」
「どうだか」
 柔らかく微笑んで、沙矢を覗き込むと、恍惚に歪めた表情をしていた。
 肌の火照りもすぐに蘇っているのを見ればまだ俺とこうして
 いたかったというのが火を見るより明らかだ。
「でも嬉しいかな。  どんなに激しくてもその中に優しさがあるから、何をされても許しちゃうの」
 頬を染めて呟く沙矢が愛しくてしょうがない。
 俺は彼女の中で動きを止めた。耳たぶを噛んで囁く。
 熱い吐息を吹きかけて。
「ただいま、沙矢」
「青……お帰り、なさい」
 薄膜の境界越しにすべての熱を吐き出すと、背中から腕が離れていく。
 沙矢は俺の体の下で、シーツを掴んで、途切れ途切れの言葉を返す。
 そうして瞳を閉じた。
 安心できるが狭いそこから抜け出ると力強く抱きしめた。
壊れそうな細い肢体はまだ余韻を引きずっているようだった。
俺はやがて沙矢を抱きしめた格好で、眠りについた。

 目覚めた私は身を起こし、青の手を握った。
 ベッドの上で壁に背をもたれて、静かな時間を過ごす。
 隣の青は煙草を手に持たず、私の肩を抱き寄せていた。
「ねえ、聞きたいことがあるんだけどいい?」
 気づけば小さな笑みが浮かんでいた。
 こうしているだけでも十分温かい。
「何だ?」
「煙草って何歳から吸い始めたの?」
「普通に15の時から吸っているが……どうかしたか?」
 真顔でいけしゃあしゃあと言い放った青に呆れる。何が悪いとでもいいたげだ。
「別に咎めるつもりもないし、いいんだけど。吸い始めたきっかけって?」
「あれは初めての日だった。
夏休みに借りていた本を返しに高校の図書館に行って、帰りに立ち寄った保健室で」
 私の顔はみるみる内に真っ赤になっていった。
「いい! い、言わないで! 続きが分かるから。
 青って……青ってやっぱり年上キラーだったんだ。
 保健室って先生でしょ。絶対そうに違いないわ」
 青の話だから続きは絶対わかりきってる。
 うろたえる私に青は、この上なくえっちな顔で笑う。
「どうせなら初体験お前が良かったなあ。あの頃の俺に言ってやりたいよ。
後悔するからやめとけって」
「とても嬉しいお言葉だけど、同い年でもないのに青の初体験が私って無理があるんじゃ……」
「まあ深く考えるなって」
「……うん」
「大体、きっかけが知りたかったのにどうしてその時のエピソードまで話そうとするの。
 聞いてるこっちが恥ずかしいわよ」
「今となってはどうでもいい過去だからな、お前に隠す必要もないし、
 煙草を吸うきっかけを聞かれたからついでに詳細を深く話そうかと」
「あけっぴろげね」
 おかしくて笑ってしまう。
「前の俺じゃ考えられないだろ?」
「そうね」
 クスっと笑う。青も微笑み返した。
「今日は吸わないのね」
「さっき、お前が意識を失くしてる時に一服したんだが」
「もう一度吸って欲しいなんて言うの変?」
 暫く青を見つめ続けた。
「ああ……変なやつだ」
 シガレットケースの中の煙草を手に取った青はそれをくわえて火をつけた。
 灰色の紫煙が宙へと向かう。
「青の煙草を吸ってる姿、とても好きよ」
 肩に腕を回して抱きつくと空いている方の手で、青は髪を撫でてくれた。
 指で優しく梳いて、柔和な表情を作る。
「改まって言われると妙な気分だ」
 青はさらさらと髪を撫でて指に髪の一筋を絡める。
 ゆっくりと何度も指先で梳いてくれるから、気持ちよくて瞳を閉じていた。
「ふふ、だって本当に好きなんだもの」
「でもお前に子供ができたら止めるから」
 青の気遣いに胸が温かくなった。
 穏やかな気持ちが満ちてゆく。
「ありがとう」
 青は短くなった煙草を硝子の灰皿に押付けて火を消して、捨てた。
「止められないのは煙草じゃないからな」
 また抱き寄せられた。腕を青の肩に回ししがみつく。
「キスして」
 顎が掴まれ捕らえられた。
 唇が重なる。
 淡いとろけるようなキス。
 煙草の味は苦いのに、どこか甘さを感じた。
「愛してる」
「俺も」
 時が止まる。
 そっと触れ合わせる唇から互いの想いを感じていた。
「煙草の味のキスをしてね」
 あなたが煙草を止める時までずっと。
 青は答えに変えて、強く口づけをくれた。



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