taboo



「嫌なら逃げろよ。無理強いは趣味じゃないからな」
 傲慢に告げる少年に、彼女はどうしていいか分からなくなった。
 胸が危険信号をかき鳴らす。
 周囲に知られたら、今のすべてを失ってしまう。
 追い詰められた壁際は、本棚にはさまれて薄暗い。
目の前にいるのは、古文を教えているクラスの教え子だ。
 成績はきわめて優秀どころか、学年トップ。
 入学試験も満点だったらしい。
 容姿は、恐ろしいほど端麗で、立ち振る舞いも含め大人びている。
 大病院を経営する家に生まれ、将来は約束されている身だが、
 親の敷いたレールを歩くのではなく、
 自分で決めた道を選び、歩くんだと、この前語ってくれたのを思い出す。
(そう。唯のお坊ちゃまじゃない……)
 押さえられた腕の熱さにびくりとする。
 これ以上近づくのは、いけないと分かっているが、
 理性とは裏腹に、体は勝手に燃え上がっている。
 鼓動が早なり頬が火照っている。
 もしかしたら瞳さえ潤んでいるのかもしれない。
「藤城くん……」
「どうしたの。先生? 」
「っ」
 頬に触れるか触れないかの距離で声が聞こえた。
 ぞくり、背筋まで震えてしまう。
 目の前にいるのは、高校生。
しかも4月に入学してきたばかりの  一年生。まだ16歳になったばかりだ。
 何故、こんなにも惹きつけられるのだろう。
「駄目よ。こんなことしたら……」
「世間体でも気にしているって? そんなこと関係ないだろ。
 俺を嫌いならさっさと拒否してくれればいいけど」
 気持ちに従い行動しろというのか。
 彼の手は大きくて、自分の手のひらなんて簡単に包み込まれた。
 ゆっくりと絡め合わせては離すことを繰り返される。
 指先が触れ合うたびに、体の芯に炎が焚きつけられる。
 夕闇に照らされ、人気のない図書館で、彼女は自分の犯したミスを悟った。
 呼び出されて、訪れるべきではなかった。
 待ち受けていたのは、魔性を秘めた少年。
 まだ、男ではないのに、危うい色香を漂わせ  こちらを、誘い込もうとする。
 指は頬に触れ、首筋に。
「っ……あっ……ふあ」
 いつの間にか襟元がくつろげられていた。
 鎖骨に口付けられ、舌で吸い上げられる。
 突き飛ばしたくても、腕に力が入らなかった。
「好きだ。先生」
「っ……青」
「やっと、そう呼んでくれた。ずっと待ってたんだからな」
 微かな笑い声が聞こえた。
 唇が、重なる。
 あまりにも自然だった。舌で唇を開けられ、絡め取られる。
 必死で声を抑えようと体を突っ張るけれど、功を奏さず、
 自分のものとは思えないくらい甘い声がでていた。
 繰り返されるキスに息がつけない。
 離れた唇は切ない余韻を残して、彼を愛しいと思う気持ちを堪えられなくなる。
「もっとって顔してる」
 くすくす、不遜な笑みは、羞恥を掻き立てる。
「これ以上は、止まれなくなる。
 ここだと色々厄介だろ、お互いに」
 余裕を見せつけられ、唸る。
 こんな、年下の子供に良いように操られている自分が情けない。
 彼と同年代の女の子のように初心で純真ではない。
 経験は少なくともそれなりに恋愛をしてきた。
 大人の恋だって。
 生意気な高校生。
 それだけなら、良かったのに。
 他の誰とも違う、唯一の彼に、私はどっぷり溺れきっていた。
 言葉に出せば調子に乗らせてしまうかも。
 ぐっ、と唇を噛んで、俯いた途端に強く抱きしめられた。
 耳元を食みながら、
「その内先生の全部をもらうから。覚えておいて」
 挑戦的に言い放たれ、心の中、彼を呪った。
 皆に呼ばれている『先生』が違った風に聞こえた。
 足音が遠ざかる。
 一気に力が抜け、本棚にもたれてずるずると座り込んだ。
 彼を拒絶できなかった自分を信じられなかった。
 この先、真っ暗な闇の中を彷徨うだけだと知っていて。
(藤城青……)
 恐らく、この首都において知らぬものは少ないだろう藤城家の御曹司。
 彼女は、この先暫く彼に翻弄されることになる。


 屋敷の中で彼の憩いの場所は限られていた。
 広大な庭のベンチ、自室の置かれたピアノの前の二つは特別だった。
 机の前で、テキストとノートを広げている時間も割と嫌いではない。
 彼故かもしれないが、勉強を苦痛や義務と思ったことは
 幼い日より一度もなかった。
 学べることは幸せなのだと、親からの教えもあった。
 いわゆるサブリミナル効果。刷り込みだなと、内心苦笑いするけれど。
 ピアノを奏でていると、色々な思いが交錯する。
 出会ってしまった彼女は、近くて遠い存在で、
 手に入れた次の瞬間には、失ってしまうのが分かっていた。
 それでも、欲しくて、たまらない。
 教師の自覚があるなら、厳しく跳ね除ければよいのだ。
 困った風情を見せながらも、最後の最後には屈服する。
 女はあんなに簡単なのか。
 中学の時、付き合った同級生は、どうだっただろうと思い出そうとするが、よく分からなかった。
 過ぎ去った過去は、脳内にこびりつく残滓さえわずらわしい。  
(愛璃……)  
 藤城総合病院と懇意にしている神崎銀行の頭取の娘。
 彼女は、恋愛対象ではない。
 父方の従兄妹同士で、兄と妹のような関係だ。
 この後、彼女に会えると思えば自然と心が弾んだ。
 難を言えば姉と仲がよいのが理解できない。 
 あの二人が一緒にいたら、恐ろしいことになるのだ。
 部屋を出て、階段の側まで歩いた。
 玄関ポーチに佇んでいた少女が、こちらを見上げた。
「愛璃」
 すっと、微笑を浮かべて口元で彼の名前を呼ぶ。
 胸元に白い帽子を抱きしめて、ゆっくりと階段を上がってくる。
 手すりにもたれて、見下ろす。いつものように。
「一度くらい、降りてきて抱きしめてくれてもいいのに」
「必要以上に甘やかさないって決めてる」
「……青はそれでこそだわ」
「何言ってんだ。生意気な」
「じゃあ、お兄ちゃん? 」
「……お前って本当に性質悪いな。姉さんの影響受けすぎだろ」
「翠ちゃんは、青を溺愛しているわよね。
 いいな、あんなお姉さんいて」
 心底、羨ましそうな様子に、目を逸らした。
 歩き出すと、自然に後ろをついてくる。
 中学一年生にしては、大人びているとは聞こえがいいが、要するにマセていた。
 青と同じく特殊な育ち方をした為の性格形成である。
 部屋を一回りした後、愛莉は、ベッドの上に勝手に座った。
 ぶらぶらと足を揺らして、青の方を見ている。
(こういうところはガキそのものだな)
 愛璃は、行儀悪く寝転がり、持参した本を読み始めた。
 お互い好き勝手に過ごすのが、彼らの普通でありこの日も  変わらなかった。
 青のテリトリー内で自由に過ごすことは、  愛璃だからこそ許されているのを彼女も
 自覚しているからこそ、他人からすれば厚かましいとさえ言える態度を貫いていた。
 青は、気に留めずにデスクの椅子に座り、勉強を再開した。
 小一時間が過ぎた頃、顔の横に影が差したのに気がつく。
 無視していると、顔がのぞきこんできた。
「青は本当に勉強が好きなんだね」
「あ? 悪いかよ」
「疲れないのかなって。いつも、眉間にしわ寄せて、しかめっ面だもの」
 おしゃべりが続きそうな気配に、息を漏らす。
「本読む振りして青を観察してたのよ」
「あのな……用がないなら帰れよ。勉強見て欲しいなら見てやるけど」
「家庭教師もどきをしてもらうのは小学校で卒業したじゃない」
「もどきか」
「だって、そうだったじゃない? 」
「ああ。そうだな」
 実際、成績優秀な愛璃には家庭教師など必要なかった。
 ごく稀に暇つぶしで勉強を見てやっただけなのだから、もどきで正しいだろう。
さらりと吐かれた毒は、同じ血を感じさせた。
 藤城家らしく、年齢に不釣合いな早熟さと、大人びた外見。
 いずれは年齢が分からないと言われるのだろう。翠と同じように。
「彼ができたの」 
 淡々と呟かれた言葉に、無言を返す。
 急に話を転換するのは、愛璃の癖だ。
 最近屋敷に訪れる頻度が極端に少なくなった理由は、それか。
 にこにこ嬉しそうに語る愛璃は、頬を染めて青を見つめていた。
「勉強はおろそかにするなよ」
「分かってるわ」
 律儀に報告しろと頼んだ覚えもないし、愛璃も彼に知らせる義務はない。
 妹のような従兄妹が自分の手をすり抜けて、どこか知らない場所へ行ってしまった気がした。


 黒板に書かれる流麗な文字は、彼女の心を映しているのだろうか。
 それを目で追い、ノートに綴る。
 青は、熱視線を送っていることに気づかぬまま黒板を凝視していた。
 まだ赴任してきて二年目。この進学校で教師をするプレッシャーもあったのだろうが、
 受け持つ生徒に対して、不安を語るなんて、
 教師としてあるまじき振る舞いだったが、そんな姿を決して嫌いではなかった。
 付き合った事はあっても、まっとうな恋をした記憶は定かではない。
 青自身、何らかの感情が欠落している自覚はあった。
 放課後、閑散とした教室の中で、未だ席を立たずにいた彼は、
 がらりと開いた扉の音に耳をすませた。
「まだいたの? 」
「先生に会えるかなって思ったから」
「っ……藤城くん」
「駄目だろ。ちゃんと名前で呼んでくれなきゃ」
週番が、提出し忘れたのだろうか。
 教卓の上に置かれた日誌を、確認している彼女に、近づいていく。
 背後から肩に腕を回し羽交い絞めにすれば、低く呻いた。
 首筋に、息を吹きかけたら、唇を噛んで声を堪えているようで。
「ここ学校よ」
「じゃあ、先生こそ誘わないでくれるかな。
 授業中に物欲しげに見ないでくれよ」
「そ、そんなことしてないわ! あなたがこっちを見てたんじゃない」
「別に意識してなかったよ」
 華奢な体はすっぽりと腕の中に閉じ込めることができた。
「いくら好きでも駄目なのよ」
「好きって気持ちに年齢も、肩書きも関係ない」
「でもね……」
「大丈夫、先生を困らせるような事は絶対にしない。
 俺はそんなに馬鹿じゃない」
「馬鹿って言葉ほどあなたに似合わない言葉はないわね」
「褒めてくれてるんだ。嬉しいな」
 腕の中、心臓が跳ねる音を聞いた。
 大人になりきれていない少女のような教師。
「困らせるような事はしないから、
 俺をもっと好きになって」
「……これ以上好きになれって言うの」
「ああ。俺なしじゃいられなくなるほどに」
 顔を傾ける。顎をつかんで視線を絡める。
 ここは学校だと言いながら、拒む様子もないのに気をよくした。
 唇を重ね合わる。ぷつん、と二人の間で白い糸が途切れる。
 少し長めのキスのせいで彼女の目の焦点が合わなくなっていた。
 くったりと崩れ落ちる体を抱きとめて囁く。
「欲しい……」
 息を飲む音がして、必死で体を離そうと両手を突っぱねてきた。
「約束は守るものよ」
「困らせようとしているんじゃないよ。
 寧ろ、先生も望んでいることだろ」
「馬鹿言わないで」
 くす、と笑ったら顔を真っ赤にして睨んできた。
「大人をからかうのもいい加減に……っ」
 振り上げられた腕を掴み、深く口づける。
 甘い喘ぎ声は抑えられなくなっていた。
 カーテンは閉めているが、誰が来るとも限らない場所で流石に不味い。
 暫く時がたち、体を抱え込まれたままだったことに気づき慌てる。
 本当に時が止まったかのようで、
 彼に夢中にさせられていると認めるしかない。
 唇に指を当てて、問う。少しだけ強引な声音で。
「先生の部屋に行きたい。いいよね? 」
   そう告げる青は生意気で、言葉にならないくらい妖艶だった。
 息を飲み、こくんと頷く姿に内心舌なめずりをする。
 待ち合わせ場所まで、しっかりと交わして教室を別々に出た。



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