この静かなる夜に



 雪が降る。
 音も無く降る粉雪は、静寂を連れてくるかのように。
 漆黒の空から注がれる白が、鮮やかに視界に映った。
 私は掌をそっと開いて空に掲げる。
 ふわりと舞う雪が落ちては、溶けて消える。
 掌に溶ける雪に冷たさなんて感じない。
 寧ろ、温かさを感じている。
 冬は、春を待つ季節。
 それでも私は春の温もりを感じている。

 彼の隣りを寄り添って歩く。
 背が小さいから、側にいると守られている気分だ。
 彼の身長の高さは時々悔しくなるけど。
「クリスマスプレゼント何が良い? 」
「俺は菫子の側にいられるだけでええ」
 歯が浮く甘い台詞に、微笑む。
 クリスマスなんだからもっとわがまま言ったっていいのに、言わない。
「すみれこそ何が欲しい? 指輪以外なら何でも構わんで」
 腕を組んで歩いていた私は、歩みを止めてきょとんと首を傾げる。
 指輪……そういえばまだ一度ももらったことない。
「どうして指輪は駄目なの? 」
「指輪なんてそう軽々しく渡すもんやあらへんやろ」
 ずきんと胸が痛かった。
 付き合い始めて三年近く経つのに、一緒にいようって約束を  物に託すことも嫌なのか。できないのだろう。
 黙りこんだ私の頭をさらりと撫でる手。
 3月に大学を卒業したばかりの社会人一年生だから
 不安もたくさんあるのかもしれない。
 それは私だって同じなのに。
だから一緒にいようって約束をして
 これからも頑張ろうって思うんでしょう。
「そんな顔すんなって。今は渡せんちゅうとるだけやから」
「えっ? 」
「もう少し時が経って男として自信もてたら、やるから待っとって」
 彼を見上げると真摯な眼差しがそこにはあった。
「誓いの指輪を贈るからそれまで指輪はやれん」
「待ってる」
 古風な言い方だな。
 頬が小さく緩んだ。
 その日を目指して一緒に歩いて行けたらいいな。
 がしがしと頭をかき混ぜる手が愛しくて、手をぎゅっと握った。
 握り返す大きな手を感じた。
「涼ちゃん、私、とうこよ、すみれじゃないわ」
 何度も笑いながら訂正を入れた。
 いつまでたっても呼び方を変えてくれない彼がおかしくて。
「菫って字つくんやからええやんか」
 いつも私が引いて、このやり取りはここで終る。
 けど、今日は違った。
 譲れないと思ったのだ。
「まともに呼んでくれないといつか
あなたが迎えに来てもいい返事あげないからね」
「……そこまで拘らんでも」
「拘る」
「ふざけてごめんな、菫子」
「どうしてそこまですみれって呼びたいのよ? 」
「すみれって呼び方かわいいから」
「……涼ちゃん、ずるい。私を黙らせるの上手いんだもの」
「菫子の制御方法くらいマスターしとるにきまっとるやろ」
「私も知ってるからいいけどね」
 マンションの部屋の前に辿り着く。
 ぐいと腕を引かれてドキンと心臓が高鳴った。
 強い力で抱き寄せられる。
「ほんまは今すぐにでも菫子を抱きたいけど、イヴまで我慢する」
「涼ちゃんったら」
 頬が熱くなる。
 熱くなった頬にキスが一つ降りて来てまたドキドキした。
「じゃあな」
「うん」
 手を離すのがいつまでも名残惜しかったけど、するりと彼から手が離された。
 部屋に入り、窓の外から手を振ってくる彼に手を振る。
 やがて背中が、ゆっくりと視界から消えていった。

 クリスマスイヴ。
 街はイルミネーションに彩られて賑やかだ。
 クリスマスプレゼントの手袋と、前日に焼いたケーキの箱、
買いもの袋を手に彼の部屋を訪ねた。
 本当はセーターとか贈ってみたかったけど、
筋金入りの不器用の私は、手袋が精一杯だったのだ。
 色はダークブルー。
 涼ちゃんに似合う夜の空の色だ。
 預かった合鍵で、部屋の扉を開ける。
 部屋の主がいない部屋は、いつもより広く感じる。
 寂しくなりそうな心を何とか抑えこみ、キッチンに立つ。
 ケーキの箱をテーブルの上に置き、買い物袋を広げる。
 買ってきた鶏肉、パンを取り出してそれぞれ封を開ける。
 唐揚とサンドウィッチって、ベタといえばベタかな。
 でも二人きりのささやかなクリスマスだもの。
 本当は悔しいけど彼の方が料理は上手い。
 料理以外でも何でも器用にこなしてしまうから内心悔しかったりする。
 いつぞやも器用貧乏なんじゃないの? と言う私に苦笑いしていた。
 落ち込みやすい私はいつも陽気な彼にかなり救われている。
 弱音を見せないから、私が気づいてあげられたらと思うのだけど、
 反対に私の事なんて全部お見通しで。
 きっと彼には一生頭なんて上がらないんだろう。
 先に好きになったのは私だもの。
「考え事してる場合じゃなかったわ。
 早くしなきゃ涼ちゃんが帰ってきちゃう」
 内心、焦りを感じ料理を開始した。
 冷蔵庫からレタスとハムとツナを取り出し、ゆで卵を固ゆでして、レタスと一緒に挟む。
 ハムとレタス、ツナとレタスのサンドウィッチも作り、皿に盛り合わせた。
 次はお肉のしたごしらえをしなければ。
 からあげ粉を入れたバットにお肉をくぐらせる。
 あとは油で揚げるだけ。
 衣が揚がる音を聞きながら、お皿を用意した。
 ガチャ。扉の開く音が玄関口でする。
「グッドタイミング? 」
「涼ちゃん、お帰りなさい」
「ただいま、菫子」
 本当にグッドタイミングだ。
「んま。やっぱ菫子の料理は最高やな」
 彼は私が菜ばしでバットに上げたから揚げを手で摘み、口に放り込んでいる。
「行儀悪いわよ、涼ちゃん」
「あんまり美味そうな匂いしとったから」
「部屋の外まで匂い届いてた? 」
「バッチリ」
 笑う涼ちゃんの隣で私も笑う。
 テーブルにつくと、ケーキの箱を隅に避けた。
「お疲れ様、涼ちゃん」
「菫子もお疲れ様」
 仕事を終えて帰りに寄ったスーパーで買い物をして、
 主より先に部屋に入って料理を作った。
 涼ちゃんが買ってきたシャンパンを取り出し、瓶を開ける。
 シュワシュワの泡が吹き出す。
 グラスに注いでカチンと互いに合わせた。
 料理はあっという間に空になっていた。
 シャンパンをもう一度グラスに注いだ。
 空になった瓶もこうしてみると綺麗だ。
 彼はケーキを取り出してキャンドルを立ててゆく。
 電気を消してケーキの上のキャンドルに灯をともす。
 暗闇の中に仄かな光がにじんだ。
 大きな口をあけてケーキを頬張る彼を見つめる。
「美味しい? 」
「さっきは聞かんかったのに」
「だってケーキが今日のメインだもの」
「美味いに決まっとるやろ」
「良かった」
 ほっと安堵の息をつく。
「まさか毒味させたんか? うっわ、さり気なく酷い女やな」
 勿論、本気ではない。
 証拠に顔が笑っている。
「失礼な」
 笑って彼に反論した。
 ケーキをフォークで口に運ぶ。
 甘酸っぱい苺の味が口いっぱいに広がった。
 拘るつもりはなかったイヴだけど、こんなに素敵な日になった。
 ケーキを食べ終えても微笑みはずっと消えることがなかった。
「綺麗やな」
 ぽっと頬が染まる。
「キャンドルの炎が、揺らいでそう見えるだけだって」
 気恥ずかしくて茶化してしまう。
 本当は嬉しくて仕方ないのに。
「ほんま、綺麗や。名前の通り菫のように」
「菫って目立たん隅っこに咲いてるやろ。
 俺も一度は通り過ぎてしまった」
「……涼ちゃん」
「俺をずっと好きでいてくれてありがとう。
 友達としか思ってなかったお前が、
 気づいたら俺の中で信じられないほど
 大きな存在になっているのに驚いて、色々あって
 今度は俺から告白したわけやけど、受け入れて
 もらえなかったらどうしようかと思った」
「改まってどうしたの? 」
「指輪が渡せないとか、ふざけたこと抜かしてごめんな。
 昨日今日付き合い始めた恋人同士じゃあらへんのに」
「涼ちゃんは誠実な人だから簡単に言えないんだよね。
 果たすつもりの約束がもし駄目になったら自分を酷く責めるでしょう? 」
「菫子の言う通りや」
「そないに自信ないない言う自分にむちゃくちゃ腹が立った。
この前かて色々寝る前に考えてた。
なんで本気で好きな女に幸せにするって
一言が言えないんだって自問自答した」
 彼は真剣な表情になった。
「お前を幸せに出来なかった場合の償いが俺に出来るか。
 何度もそればかりに行き着いとったんやけど……」
「そんな……」
 陽気な彼は生真面目な一面も持っていた。
「ほんま、阿呆やったわ」
 笑みが刻まれる。
 口元をにっと歪めて彼は笑った。
「俺以外の誰が菫子を幸せにできるっちゅうねん」
「そうよ、涼ちゃんでなきゃ私を幸せにできないのよ」
「気ぃ合うな、俺ら」
「あったり前でしょ」
 がさごそ。彼はコートのポケットを探っている。
 コートのポケットの中から青い箱を取り出し、彼はテーブルの上でそれを開けた。
 銀色に輝く指輪。
 何故、プラチナが好んで婚約指輪として
 選ばれるのか、知っていた。
「柚月菫子さん、俺と結婚して下さい」
「はい、喜んで」
 指先に彼の手が触れて、指輪を嵌めてゆく。
 じんわりと目頭が熱くなって、涙が零れる。
 涙が後から後から頬を伝う。笑顔で泣くなんてきっと生まれて始めて。
 この日が来るのを待っていたの。
 イヴだなんて思いもしなかったけれど。

「菫子っ」
「きゃあ」
 ばさっとシーツごと涼ちゃんが覆い被さってくる。
 ぎゅって抱きすくめられて腕の中に閉じ込められた。
「重ーい」
「気持ちの重さってことでええやん」
 むちゃくちゃなことを平気な顔で言うの。
 真面目かと思いきや性分は結構ふざけてる。
「ああ言えばこう言うんだから」
 朝の光が白い。
 外には雪が降っていた。私たちの幸せを祝福するかのように。
「眩しいね」
 目を細める。陽の光よりじゃなくて視界にあるのは涼ちゃん。
「ああ」
 彼も私を見ていた。眩しそうに目を細めて。
「「愛してる」」
 言葉は二人同時に重なり、唇同士も重ねた。
 私たちは雪解けの日を待つ。
 静かなる夜を越えて、真っ白な朝を過ごし
永遠を刻む日を迎える。


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