5、止められない



 バイクで街中を走っている途中で、菫子が遠慮がちに口を開いた。
「あの……涼ちゃん、お花屋さんに寄ってくれない」
「花屋……ええよ? 」
 生活感はあるが、殺風景な涼の部屋に彩りを添えたいと思ったのだ。
 また寄り道する手間が気になったのだが、
 涼があっさりと了承して、菫子はほっとする。
「駅前にあったなあ。そこでいい? 」
 頷くと、バイクは加速をつけて走り出した。
 花屋に着いて、バイクを二人で降りる。
「じゃあちょっと待ってて」
「いや、もう待つのはこりごりや」
 おどけたように肩をすくめた涼は、菫子の隣を歩いた。
 後で驚かせようと思ったのに、それもできそうもない。
「どんなお花をお探しですか」
「……色々見てみます」
 にこやかな笑顔の女性店員が、この時期に売っている花を色々と教えてくれる。
「どんな花がええん? 」
「……涼ちゃんの部屋に飾ってもいい」
「なら、俺に選ばせて。花なんて滅多に買わんから悩むなあ」
 といいつつ涼は、今日入荷したばかりの花を見ているではないか。
 菫子は、ぼぼぼっと顔を真っ赤にした。
 自意識過剰かもしれないが、どうしても恥ずかしい。
「部屋に飾るんならこれしかないと思って。
 小さいけど目を引くやん? 」
「お決まりですか」
 丁度いいタイミングで声をかけてきた女性の店員に、
「菫(すみれ)ください」
 涼の弾んだ声に、菫子はうつむいた。
彼の服の裾をぎゅっと掴んで。
「ありがとうございました」
 ラッピングされた菫の花を大事そうに胸に抱いた涼に
 菫子は、彼を見上げて表情を繕う。
「菫には曲がった角って意味がある学名があるんや
 ……それが、菫子っぽいな」
「どういう意味よそれ」
 バイクに乗りながら、菫子は唇を尖らせる。
「羊の角も曲がってるやろ。今度羊の着ぐるみ買おうかな」
「……涼ちゃん、着るの。巨大な羊で可愛げないわね」
 菫子は、軽く引いた振りをした。
 相手はまるで、動じていないのだが。
「すみれが着るに決まってるやんか。ちゃんと首元に鈴ついたやつにするから、着てな」
「苺柄パジャマの次は、羊の着ぐるみなの……色気とか無縁だわ」
「下着とかは敢えて選択肢には入れないことにしてるから諦めてくれ」
 やけにきっぱりとした口調が妙に気にかかる菫子は後部座席に座り、涼の背中に腕を回した。
「……下着は何で駄目なの。あ、別に買ってってことじゃないから。下着以外もね」
 お互いバイトはしているが、まだ大学生だ……。
 どちらかに寄りかかるのは気になる。
「高価なもんは買うてやれんし、遊びも連れて行くのも無理やから
 少々のことは気にせんでええ。俺がしてやりたくてしてるんやし」
「そう? 」
「こういうの恋人同士って感じでええなあ」
「……う、そういえば」
「うって、何やねん」
「細かい所に突っ込まないで! 」
 あはは、と笑い声がした。
 バイクが、動きだす。菫子は恥ずかしさを堪えつつ、ぎゅっとしがみついた。
 涼の部屋に再び舞い戻ってきた途端、二人同時にお腹を鳴らした。
「は、ずかしすぎる」
「何か適当に作ろうか」
 手を洗うと二人で台所に立った。携帯を見れば十四時を過ぎていた。
 遅めの朝食しっかり取ったはずなのに、腹時計は正確すぎておかしい。
 思わず笑う菫子を涼は、穏やかなまなざしで見つめていた。
 買ってきたすみれをキッチンのテーブルに置いてみる。
 一輪挿しもないので、グラスを花瓶代わりにして花を飾った。
「何にしようかな。卵はまだあった気がする」
 涼が、冷蔵庫を開けて卵を取り出す。
 他にも入っていた牛乳、スライスチーズを使いチーズオムレツを作ることにした。
 涼は生地を作ると器用にフライパンを振って卵を焼き始めた。
 彼が横でオムレツを作っている間、菫子はコンソメスープを作ることにした。
 コンソメもクルトンもあったので丁度いいと思ったのだ。
 涼が普段から、自炊をしているのは本当らしい。
 卵の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
 できあがったふわふわのオムレツに二人で、瞳を輝かせた。
   ケチャップで、ハートを囲いすみれと名前を書いたオムレツを
 涼は大口で食べた。菫子はやることが、ベタだと思いながらも、
 食事中喋るのはマナーが悪いので、黙って口を動かす。
 菫子は、雪の結晶の印(アスタリスク)を書いて、満足そうに頬張った。
 クルトン入りのコンソメスープも美味しく、涼は二杯も飲んでいた。
「……歯ブラシまで用意してるなんて、もう何も言えないわ」
「せやろ。硬さの好み分からんかったから、ふつうにしといたで」
「ど、どうも」
 どもった菫子は、並んで歯磨きしている涼を見上げた。
 腰に手まで当てて、おやじかと言ってやりたくなった。
 もごもご。やはり変な感じだ。慣れると平気になるのだろうか。
 一度出かけたものの結局朝から一緒に過ごしているのは変わりがない。
 朝も昼も一緒に食べて、落ち着かない気分だ。
 お泊まりセットまでちゃっかり用意されていて驚きも限界に達した。
「……涼ちゃん……」
「ん。あ、泡が顎に伝ってるで」
「はっ」
 口をすすいでうがいをして改めて向かい合う。
 渡されたタオルで拭いて、にっこり笑う涼の顔をじいっと食い入るように見た。
「ありがたいんだけど……細かい所に気が付きすぎて怖い!」
「怖いて。理想的でええやん」
「私ここに住みついたりしないからね。そういうのは、けじめつけないと」
「はいはい。分かってる。菫子がいつ来てもええように準備万端にしてるだけやし」
 ぐうの音もでない菫子は黙りこんだ。
「それとも、ほんまは一緒に暮らしたいん? 」
 からかい口調の涼に、菫子はつま先立ちで立って涼の胸のあたりを押した。
 体勢的に無理があるので、数秒も持たなかったが。
「ば、馬鹿なこと言わないで」
「無意識だったらやばいな……早いところ捕まえて良かった」
後ろからの抱擁。吐息をひとつ吐き出し。
 肩に頭を寄せてきつく抱きしめられた。
 肩にある涼の腕に手を伸ばして、熱を感じる。
「涼ちゃんを好きになっていなかったら、私は今どうしていたのかな」
「今ここにいることがすべてやろ」
 力強い一言に、目元が潤んだ。
 こくんと頷くと腕が離されて正面から、抱きしめられる。
 背の高い彼に、すっぽりと包み込まれ、顎を捕らえられて唇が重なる。
 軽くなぞるキスが、余韻を残しては離れ、深く濃厚なキスに代わる。
 甘いまどろみの中で体の力が抜けていく。
 涼の背中に爪を立ててしがみついた。
 腰を支えられ、腕を引かれる。
 ベッドの上に、押し倒されて、心臓が暴れ始める。
 乱暴ではないが、涼の強い意志を感じた。
 菫子は彼の顔に指先を伸ばして、触れてみた。
「……一回抱いたら歯止め利かなくなるって分かってたのにな」
 せつなげな響きが胸を打つ。
「私、色気なんてないのに」
「心配せんでも、俺に抱かれている時の菫子は最高に色っぽいで」
 かあっと頬が熱くなる。
「本当? 」
「菫子が綺麗になるのは俺の腕の中や。それ以外は認めん」
「……っ。自信満々なんだから。私にもその余裕分けてほしいわ」
 唇が、重なって吐息を奪った。
「余裕ないくらいで丁度ええ。俺がちゃんとリードするから」
 耳元で囁かれて、ぞくりとする。肌の熱が一気に高まった。
「この腕の中で生まれ変われるのね」
 何度もキスをし、長い口づけが続く中で、
 熱に浮かされたように呟く。
 どうして、こんな時だけ、素直に彼に応えられるのだろう。
 今までの菫子は一度消えて、新しく生まれた。
 狂うほどの熱の中で、生身の女になった。
 羽をもがれた痛みは、決して消えることがなくて、
 それでも涼だから、受け入れられた。
「愛してる、菫子」
 吸いこまれそうな深い瞳に見つめられる。
 首に腕をまわして、涼に顔を近づけた。
「涼ちゃん愛してるわ」
 耳元で、少しでも艶めいて聞こえてほしいと願いながら告げる。
 既に床に放られた服が、色鮮やかに目に映る。
 カーテンも閉め切っているが、昼間なのでうす明りで、羞恥を感じて仕方がない。
「……涼ちゃんやっぱり明るい」
「気にすんな。どうせ寝て起きたらとっくに夜や」
 恨みがましげに睨んでみても、涼を煽ることになるだけということに、
 菫子は気がつかない。
 勿論、嫌なわけではないのだ。
 意志を持って、行動しているのだ。
 涼をもっと感じたくて知りたくて。
 繋がれた手に力がこもる。 
 炎が宿った手のひらは、お互い同じで、忍び笑いながらキスをする。
「俺、これから先菫子以外抱かんから」
 思わぬ発言に虚を突かれる。
「そんな簡単に決めちゃっていいの。まだ早いんじゃ」
「菫子は、俺以外に抱かれてもええって? 」
「……涼ちゃん以外の人とそんなことするなんて怖くて想像できない。
 でも涼ちゃんは、男の人だし……」
「だから、どないやねん」
 菫子があっ、と思う間に下着が取り払われて床に投げられる。
 肌と肌が直接に触れ合って、震えた。
 胸の高鳴りを知らせるように。

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