年の差



 熱烈に愛されて、目覚めた朝気だるい身を起こした。
 床から、服を拾い、ベッドの中でもそもそと身に着ける。
 ベッドから、そろりと抜け出ると彼が瞼を開いた。
「お風呂、先に入ってもいい? 」
「ああ。着替え、持って行けよ」
 ほらと渡された紙袋には、ブラウス、ジャケット、スカートの三点セットがしっかり入っていた。
 よく見ればバスタオル2枚に、下着もパジャマもある! 
 どっちもシルクなのが、驚きだ。
 こんな上質な物を贈られて、罪悪感があるけれど素直に受け取っておくことにした。 
「ありがとう……」
 ばたばたと走っていく背中に、低温のささやきが聞こえた。
「もう少し余韻に浸らせろよ」
 よく聞くと舌打ち混じりだ。
 さっさとお風呂に入って頭を切り替えなければ、今朝までのことを
 思い出して、平静を保てなくなるではないか。
 着替えを紙袋から取り出すと下着と服を入れる。
 全面ガラス貼りに、これはもしかしたら、と懸念がよぎる。
 脱衣スペースに、来たりしませんようにと祈っておく。
 ぴっ、とボタンを押してお湯を張る。
 バスルーム内はこれは何坪分だろうと、計算したくなる程の広さだ。
 猫足の優雅なバスタブは、二人が十分入れそうな……。
(わー余計なこと考えない! )
 お湯を張っている間に体を洗い始める。
 ボディーソープもシャンプーも用意されていて、至れり尽くせりだ。
「お風呂が使えるってことは料理もできる? 」
 お風呂は電気で沸かすタイプなので、キッチンの熱源はガスではないのではないだろうか。
 部屋は色々見たが、肝心なキッチンをよく確認していなかった。
 リビングに戻った途端、抱かれてしまったので。
 昨夜から朝にかけての愛され方は尋常ではなかった。
 私が、ここにいるって刻むみたいに彼はキスの雨を降らせて。
 おそるおそる体を確認する。
「きゃああーっ! 」
 うっかり悲鳴を上げてしまった。
(冷やかされないように……!?
 首ぎりぎりの位置に赤い華が点々と散っているんですが、
 これってわざとなの? )
 指で触れると、未だ熱が残っているような気がする。
 頬をぺちんと叩き、頭にタオルを結んで、髪をまとめると、バスタブに浸かった。
「気持ちいい……」
 シャワーと、バスタブとの距離が結構あるなあとのほほんと考える。
 今日は、ここから出勤するのか。
 浴室は広いので、一人で入れば、噎せ返る危険性はないが、
 あまりゆっくりと入浴している時間もなさそうだ。
 後ろ髪をひかれるが、これからはここで暮らすのだ。機会はいくらでもある。
 扉のタオルハンガーに掛けておいたバスタオルを肌に纏い、バスルームから出た。
「残念だ。ここでお前を愛するのは、次の週末までお預けか」
 眼前には、たくましく鍛えられた肉体が立ちはだかっていた。
 当然ながら上半身裸で、妖しさも全開だ。
 もっとも青の場合着衣の状態関係なく、いつも色香は半端ない。
 目を反らして、着替えを置いた場所を目指す。
「え、と……」
 週末まで待たずとも、今日入れてあと4日すれば年末年始の休暇なのだけれど、
 それを告げるのも浅ましいし、第一彼の都合がある。
「そうそう、このドア、中からは外見えないんだけど
 こっちからは丸見えだから」
 さらり、と爆弾発言をして、青はバスルームに消えた。意外にも大人しく。
「……待ってー」
「呼んだか」
「いいえ、ごゆっくり」
 ははは、とから笑いするしかない。
 バスルームからのお湯の音を聞きながら、タオルで体を拭く。
 小さめのハンドドライヤーが、いつの間にやら置かれていたので、
 髪を丁寧に乾かすことができた。
(青が気を使って出てこれないとかわいそう……)
 急いで下着を身に着ける。
 一寸の狂いもなくぴったりなのが、気恥ずかしい。
 ブラウスを羽織り、スカートを履いてジャケットも身に着けた。
「シンプルなのに可愛い。それに着心地も最高」
 嬉しくなってくるりと一回転する。
 決して派手ではない実用的な服なのに、
 ずっと着ていたくなる。
「ありがと」
 ぱたん、と扉を閉めてリビングに戻る。
 着替え終わったベストタイミングで青が、戻ってきた。
 手で顔を仰ぐ私に
「まだ、熱は冷めないのか。しょうがないやつ」
 悪魔な表情で笑った。
「もぅ……お帰りなさい」
「もっとお前と過ごしたいんだが残念だ。
 会社に着くまで、車の中でしっかり交流を深めよう」
「ふえ……ええっ」
 ちゅ、っと頬をかすめた唇が離れる。
「よく似合ってる。あまりにも綺麗すぎて、理性がやられそうだった」
 昨日から、青には驚かされてばかりだ。
 変わったのか、それともこういう彼もいるのか。
「へ、変なこと朝から言わないで」
 俯いた後、顔を上げる。
「あの、たくさん、ありがとう。こんなにもらっていいの? 」
「もちろん。お前にプレゼントする為に用意したんだから。
 逆に返されたら行き場がなくなって困るな」
「返さないもの」
 彼の瞳を逸らさずに見つめられてももう怖いと思わない。
「いい答えだ。俺もクリスマスプレゼント渡せてほっとしてる」
「ふふ」
「これから、部屋まで送るよ。
ついでに手作りの朝食なんて食べさせてもらえるとうれしいな? 」 
 あっさりと流された。
 肩を抱かれてその指の動きを意識してしまう。背骨を上下に辿っている。
「あ、喜んで! 」
 携帯で時間を確認すれば、6時15分。
 送ってもらって朝食を取る余裕はある。
 起きれてよかった。いや、眠れてよかったが正しいかも。
「書類は、名前の記入と印鑑押してもらうだけなんだが、時間あるかな」
「大丈夫。急いで出ましょう」
 青は、くすっと笑って立ち上がった。私は彼の後ろをついて部屋を出た。
 地下の駐車場で車に乗り込んで、隣りを見ると、
 彼がこちらに顔を向けてきた。まじまじと見つめられ顔が熱を持つ。
「な、何かついてる!? 」
 頬を指でこすってみるけれど。
 腕が伸びてきて、ふわ、と髪を梳かれた。
 どぎまぎしている内に手は離れ、ゆるやかに車が出発する。
 アパートの部屋に戻って、扉を開く。どうぞ、と先に青を部屋へと誘う。
「ご飯作るから、お座布団に座って待っててね」
「ああ」
 青が、すとんと座布団に腰を下ろしたのを確認して、キッチンに向かった。
 距離は離れていないので、後ろを見れば青が、
 どうしているのかとかすぐわかるのだけれども。
 玄関からすぐ入ってキッチン、キッチンは、ガステーブルと
 冷蔵庫くらいしかないし、テーブルはないから部屋に置いたミニテーブルで食べるのだ。
 手が届く範囲に物があるコンパクトさだ。
新しく暮らすことになるマンションとは比べるべくもない。
 小さな食器棚を見れば、買い揃えた紅茶の缶がある。
「青、ストレートと、ミルクティーどっちがいい? 」
「ストレート」
「了解」
 こんな風に笑って彼の紅茶を入れることも、
 これからは普通になるんだと思うと不思議な気分だ。
 ポットでお湯を沸かしている間にハムエッグを作る。
 ポップアップトースターに2枚のパンをセットした。
「ハムエッグに、塩コショウ、する? 」
「いい」
 そうだった。健康に気を使う彼は調味料も控えめで、薄味を好む。
 カップにお湯を入れると、仄かな香りが漂う。
 青だったら、高い位置から優雅にお湯を注ぐだろう。
 私は、零すのが分かりきっているので、断念する。
「はーい、お待たせ」
 思えばこの部屋で一緒に朝食を食べるのなんて初めてだ。
 テーブルの上に、プレートを置く。
 ワンプレートに食パンと目玉焼き、フォーク、紅茶のカップを載せている。
「手を洗ってくる」
「うん」
 青は、私の肩に手を置いて、すっと歩いていく。
 私は彼が部屋から離れている間に、テーブルを整えた。
「す、スキンシップが激しい……」
 ささやかな触れ合いにも、心臓が高鳴ってしまう。
 前よりも、ドキドキが止まらないのは、彼の仕草一つ一つが甘いからだ。
 再び、対面に座った青が、テーブルに肘をついてこちらを見ていた。
 気配がなかった。
「いただきます」
 お互いに手を合わせて食べ始めた。
 食べ終え紅茶で喉を潤す彼に、あいまいに微笑んだ。
 こういうの照れて、どうすればいいのか分からない。
「美味しかったよ。ごちそう様」
「よかった」
 ナプキンがないので、ティッシュの箱を渡す。
「サンキュ」
「どういたしまして」
「ところで、さっき声が妙に弾んでたな。俺と食べるのが、そんなに嬉しいのか」
「ここで、一緒に朝ごはん食べるの初めてじゃない。
 何だかうれしいなって。だって朝、側にあなたがいるのよ」
 初めての朝、目覚めた時隣りに彼はいなかったのを思い出す。
「これからは、毎日が特別になるな」
「え……ああ。そっか」
 プレートを片づけ立ち上がる。
 手早く洗い物を済ませて戻って、バッグから書類を取り出す。
 二枚つづりではあるが、名前と印鑑を押すのみだ。
 引っ越す際には、区役所で手続きをしなければいけないけれど。
 名前を記す際は緊張で手が震えた。
 青に渡されたマンションに入居する際に必要になる書類だ。
 印鑑は、何度もインクをつけ直し、ティッシュの上で押す練習を繰り返す。
 青は肘をついて、こちらを見ていた。
「あまり見ないでもらえると……」
「頑張って書類に向き合うお前を見てるのが幸せなんだ」
 青の視線はやたらあまくて、見つめられるだけで  心臓が、悲鳴を上げていた。
 くす、と笑みを浮かべてこちらを見守る青に動揺する。
 深呼吸をして、ようやく書類を書き終えた。
 インクが乾くまで、テーブルの上に置いておくことにする。
「お疲れ」
 ぎゅっ、と手を握りしめられて
「あ、どうも」
 握り返して握手してしまった。
「ごめんなさい。手が震えちゃって……」
 がっくりと項垂れた。
 修正しなければならない誤字脱字などはないが、
 青の書いた部分が、綺麗すぎて目も当てられない。
 何だろう、この差!
  「もじもじするな。弄りたくなるだろうが」
 思わず、顔を上げたら、体ごと引き寄せられ膝の上に乗せられた。
一応服は着ているけど、この密着具合は、危なすぎる。
 吐息が、青の体温が全部伝わってくる。
「大丈夫、心配しなくてもかわいい字だ。一生懸命さが伝わってくる」
「う……っん……よ、よかった」
 耳を噛みながら囁かれ、鼻にかかる声になった。
 明日を考えて眠らせてはくれたのだけれど、
 眠気だけではなく気だるさも襲ってくるから性質が悪い。
「夕食、一緒にどうかな? 」
「う……」
「迷惑か? 」
「違うの! 嬉しいのよ。だけどこんなに、一緒にいられるなんて、
 今日も会えるだなんて夢みたいで」
「そうだな。待ち合わせは、お前を待たせてる間心配で
 仕事で愚かなミスをしそうだから、会社で待っててくれるか」
「待ってるわ」
「よかった」
 ほ、と彼は息をついて強く抱きしめてきた。
腕の中で、彼の息遣いと、石鹸の匂いにドキッとする。
 耳元でささやかれた。
「快く名前書いてくれてありがとう。会社まで送るよ」
「行こうか」
 青の言葉に、微笑んだ。
 腕を引かれて立ち上がる。
 車に乗ったら、あっという間に、会社までついてしまった。
 いつになく別れがたくて、胸が疼いた。
 これはただの我儘で一緒に過ごす時間が増えるほどに
 どんどん我儘になってしまうのかもしれない。
 車から降りるとき、
「ちゃんと待ってろよ」
「うん」
 念を押すように言われて照れた。
 会社から、少し離れたところで車を止めてもらい、そこから歩いた。
 すぐに車は駆け去ってしまったけれど夜には会える。
 同じ場所に来てくれるよう伝えた。
「ふわあ……」
 生あくびをかみ殺して、顔を染める。きょろきょろとあたりを確認する。
 誰にも見られてない。よかった。
 念のため、襟元を確認する。きっちりとブラウスのボタンを留めているので問題ない。
 こんなことで焦るのは初めてで、何やら奇妙な感じだけど。
 ローファーの踵をとんとんとアスファルトで叩いて歩き出した。
 

 一日を終えて、トイレに駆け込む。
 お化粧を大きな鏡で確認したけれど、崩れたりしていなかった。
 携帯で時間を確認して玄関へ向かう。7時だ。
 小さい会社だけれど、玄関に警備員さんがいるので安心してロビーで青を待っていられた。
 携帯が震えて着信を知らせる。  家にいるとき以外はバイブにしてあるのだ。
「もしもし? 」
「待たせて悪いな……」
「ううん。もう少しで会えるもの」
 残業したので、待つ時間も少なくて済んだ。
 年末のお休みに向けて少し忙しくなっているが、多忙な彼に比べれば大したことはないのだ。
「それにね、待つ時間も楽しいのよ」
 再会した時の姿を思い浮かべるだけで、胸がきゅんとなる。
「くしゅ……ん」
「温めてやるから、待ってろ」
 笑ってはいなかったけれど、彼はどこか楽しそうだった。
 会社の玄関を出ると、車から降りた彼が颯爽を歩いてくる。
 慌てて駆けだそうとして、ブーツを履いた足がもつれた。
 すんでの所で抱きとめられ、難を逃れたけれど、
 ふ、と息をつかれてしまった。
「う、ごめんなさい」
「礼の方がうれしいな」
 顎を掬われ、間近で見つめられる。彼は全く気にしていないけれど、路上だった。
(……こういうのって普通なのかしら。
 誰かに見られるのを意識したことなかったものね)
 こくっと頷いて、ありがとうとぼそっと呟く。
 それでもまだ腕を離してくれなくて。
「ん? 」
 何かと思えば、マフラーを巻きなおしてくれていた。
ぐるぐる巻きだったのを緩めて、可愛く結んでくれた。
「ありがとう」
「言葉ばかりじゃなくて、態度で示してほしいな」
 ぽかんとして、考え込む。何をすれば彼は納得してくれるのだろう。
 くしゃっと髪をかきまぜられて、微笑まれれば、思考は遮断されてしまった。
「手袋はいらないな」
「……あ」 
 赤と白のノルディックカラーな手袋をもぞもぞとコートのポケットにしまいこむ。
 素肌に冷たい風が触れる前に、大きな手のひらに包まれていた。
 車を彼が開けて、手のひらを取られて乗り込む。
 駐車場までは短い距離なのにたどり着くまで、とてつもなく時間かかった気がする。
「早くもっと、いちゃいちゃしたいな」
「いちゃいちゃって! 」
 シートベルトをした瞬間、変なことを言われたものだから、お腹が苦しくなってしまう。
 車は軽快に走り出した。
 レストランに入って、席へ着くと彼が、定員さんに耳打ちした。
 料理を食べ終えて席を立とうとした私を彼が制す。
 運ばれてきたケーキを、彼とを見比べる。
「ケーキ食べられなかっただろ」
「うわあ……」
 感激で、瞳が潤む。
 ショートケーキは、苺しか載ってなかったけれど、
 彼の気持ちが嬉しくて、一口一口噛みしめながら食べた。
「うう……おいし……」
「泣くほどかよ」
 苦笑して、頬についたクリームを指で拭う。
 それを口に入れるものだから目のやり場に困った。
「ありがと」
 青は、違うだろという風に意味深な笑みを浮かべ、指を動かした。
 周りを確認して、素早く頬に口づける。男の人なのに相変わらず滑らかな肌だ。
「まあ、許してやる」
「……食べたばっかりだもん」
 唇へのキスなんて、無理だ。
「気にならないが」
「私は気にするの」
 このやり取りも傍から見れば痴話げんかなのだろうか。
 甘い時間は、心地よく流れていく。
 その後、アパートまで送ってくれた。
 別れ際、結局、少し強引にキスされてしまったのだけれど。
「気にするなよ……、俺は煙草吸った後でもキスしただろ」
「あなたが吸う煙草はいいの。好きだから」
「無意識で言うなよ。はあ……」
 何故かため息をつかれ、今度はおでこにキスされた。
「電話もメールもこれまでより頻繁にするよ。週末まで、マジで持つだろうか」
「何が? 」
「分からせてやるよ。明日な」
 不敵な予告に、怯えて部屋の中に戻った。
 そして、私は未知の体験をすることになる。


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