流星群2  



 休日ならともかく、平日に青とスーパーで
買い物をするなんて初めてで、  心は喜びに舞い踊っていた。
 時間が合わないというのが大きな理由で、
 大抵私が適当に買い物して帰るのが常だった。
 仕事帰りで、中々凝った物を作ることはできないのだけれど。 
   休日に一緒に作ったりする機会もできて、
 恋人同士らしいことをしている。今までがきっと普通じゃなかった。
 何でもないありふれた日常を共有するのが、
 どれだけ大切で、素敵なことなのか知らなかった。
「それ買うのか」
「え……? 」
 考え事をしていて手元が留守になっていたようだ。
 強力粉を手に持って凝視している私に、静かな声が尋ねてきた。
(も、もっと早く声かけてくれても!)
薄々分かったが、彼は私を観察していたみたいだ。
 恥ずかしくなって、頬が熱を持つ。握っていた強力粉を籠にそっと入れた。
「お前って、考え事している時顔の表情変わるんだな」
「やたら楽しそうなんだけど」
「さーやと買い物するのは楽しくて仕方がないよ」
「さーや? 」
「愛称。口にしてみたら中々いいな」
 青さま(親友の陽香命名)は、一人ご満悦に浸っていた。
 遊ばれているのか、考えあぐねるところだ。
 よし、そっちがそう来るなら!
「せーい」
「おふざけは大概にしろ。後で痛い目見るぞ」
 青は、間近に顔を寄せて、口元だけで笑った。
 こっちは駄目なんてずるいと思いつつ、
 試しに呼んでみたに過ぎないのでまあ、いいかと笑った。
 強力粉の上に、ぽんと追加されたドライイーストによく気がつくなあと思った。
 帰宅後、ピラフとスープ、サラダで夕食を済ませた後、
「青、先に入る? 」
 お風呂のスイッチを入れて彼を振り返ったら、目を眇めてこちらに視線を送ってきた。
 ネクタイを外し、ボタンをいくつか外した姿の彼は、砕けた雰囲気を纏っていた。
 きっちりオフとオンを使い分けているのだ。
夕食前にネクタイを外している様子を見逃してしまう度悔しい思いをかみ締める。
 いつも先に私が帰っていてキッチンで待っているから、
 今日こそはと思っていたのに、私も用事をしていた為にかなわなかった。
 ホテルで見たあの姿は今でも脳裏に焼きついている。
 素に帰るのを見た気がしてたまらなかった。
 妙にドキドキしたのはやましい意味じゃない。
(あの時は、別の仮面を纏っていたのだろうけど)
 何て事はない仕草なんだけど、様になるからニクい。
 少し間を空けて、彼は答えをくれた。
「違うな。そこは一緒に入るか尋ねるところだろ」
「はっ……そ、そうね」
 甘い態度は計り知れなくて、このままじゃ別の意味で心臓が壊れそう。
   今日は反応が違うので少し違和感を覚えた。
いつもお前が先に入れよとか、悪いな。先にお湯もらうよとか、言うのに。
 お風呂に一緒に入るのが危険だなんて、そういう方向に考える私が悪いんだわ。
青は深い意味はなく言ってくれているのに違いない。
 まだ、ここに引っ越してからお風呂でそういうことはなかった。
「一緒に入る? 」
 彼は言葉に出さず、強烈なほどの妖艶さで微笑み、首肯した。
 思わず目を逸らし、後ずさる。なんて恐ろしいのこの人。
 以前の彼は怖いというより危うく見えたのだが、今は……。
「おびえた目で見るなよ。余計からかいたくなるじゃないか」
 くっ、と笑って彼が、私を横抱きにした。
 涼しい顔で、すたすたとバスルームの方向へと歩いていく。
 もはや、逃げられそうもない。
「あの……まだ着替えを用意してないんだけど」
「俺が用意してくるから先に入ってろ。
 ちゃんと待ってなきゃ承知しないからな? 」
「は、はい」
 有無を言わさぬ物言いにこくこくと頷く。
 洗面所で、床に下ろされて、背を向けて出て行く彼にほう、と息をつく。
 なんだかんだ甘やかされている。
 服を脱いでバスルームに入る。
 中から外は見えないが、外からは丸見えだと彼は言って、焦ったけれど
 脱衣スペースにでもいない限りは見えるはずもない。
 独立したシャワーブースは、浴槽や洗い場とは別にしきられている。
 ドアを開けて中へ入ると、ボディーソープをスポンジで擦る。
(彼ってまっすぐすぎるわよね)
 シャワーの音にかき消されて、バスルームの扉が開いたのに気づかなかった。
「着替えも含めて全部準備したよ」
 びくっとした。
 彼の甘い低音が、バスルームで反響すると、体まで震えてしまう。
 声だけで、ぞくぞくっとするのは、私のせいじゃない。
 彼が誘い惑わすような声質だからだ。
 分かっててやっているとしたら確信犯だ。
「ありがとう」
「畳んであった洗濯物から、持ってきたけどよかったか」
「うん」
 あくまで平然としている青に後から羞恥が襲ってくる。
 やっぱり、着替えは持ってきておかなければと、決意した。
 抵抗できないんだから事前準備しかない。
 シャワーブースの扉を開けると彼は、バスタブの前に座っていた。
「シャワー、もう終わるから」
「ゆっくり使えよ」
「分かった」
 湯気でくもってぼんやりとしか見えない彼の背中が、とてもすべらかに見えた。
 慌てて、扉を閉めてシャワーを再開する。
 髪を洗ってリンスとトリートメントをして、お湯で流す。
 シャワーを終え、滑ったら危ないので忍び足で移動する。
 扉を開けて、バスルームから出ようとした。
 湯気の効果を信じるしかない。
「誰が出ていいと言った? 」
「えっ……だって終わったし」
「お楽しみはこれからだろう」
 声が笑っている。いわゆる邪笑だ。
 取っ手を掴んでいた手が滑り、背後の大きな影に抱え込まれた。
「忍び寄るなんてずるいわ……」
 恨みがましい言葉がもれるが、相手は何枚上手なのだろう。
「人を変質者扱いするなよ」
「今日は無理だからね」
「何が無理なんだ。言ってみろよ」
 不埒な指先が背中から、回ってきて胸元をまさぐっている。
 ソフトタッチなのに、微妙な電流が走ってしまう。
「――抱かないで……あっ……ん」
 爪で両方の頂を弾かれる。腰から力が抜けかけて屈服したくなる。
「その気にさせればいいってことか」
 耳元を食まれる。熱い舌が、淵をなぞり、じわりと性感を煽っていく。
 腰に回された腕の力は強く離れない。
「さっさと降参しておけよ。楽になりたいだろ」
 胸元から滑り降りた指先が、お腹から、秘所の外側を往復した。
 高らかな声を上げてしまう。
「お前さ、いい声出すようになったな。アパートだけじゃなくて
 俺の部屋でもホテルでも押さえてただろ? 」
「……っ、分からないわ」
「躊躇わずに、感情を出してくれるようになって嬉しいんだ」
 飾りのない言葉に、ドキッとする。
「青が言うなら、余裕ができたのよ」
「もっと、いっぱい可愛い声聞かせてくれ。
 俺は、無条件でお前の声と痴態に昂ぶる」
 後半の台詞がおかしくて、感動が半分吹き飛んでしまった。
「うう……一言以上余計なんだからっ」
「怒った? お前を怒らせるのは、嫌だな」
 はっきり言って、こっちも昂ぶるなんてものじゃない。
 全身が彼を欲しい。受け入れたいとわがままを言い始めてる。
 明日の朝、けだるい目覚めなんて迎えたら、
大変だから止めてほしいだけだ。
愛し合いたいのは、偽りない気持ちだけれど。
「私があなたを導いてあげるから」
 よどみなく口にした私を彼は後ろから抱きすくめた。
 タオル越しに昂ぶった証が、触れて心臓が早鐘を打つ。
 決して無理強いはされないのだ。
 私をその気にさせるのが、犯罪的に上手いだけ。
 肩に回された腕。
 手のひらから伝わって来る震えに、彼への愛しさを思い知る。
「適当な付き合いしかしてこなかった他の女なら、簡単にさせてたけど」
 知らない過去が、明らかにされて、はっと目を閉じる。
「お前には、させたくない。
 関係がいい方に変わったらありだと思ったけど、無理だ」
 瞳にじんわりとこみ上げる涙の粒。
 これは嬉しくて泣いているんだ。
 しゃくりあげる私の腕を引いて正面から抱きしめる青にどんどん涙がこみ上げる。
「そんなに大切に想ってくれてるの」
「出会った初っ端から手を出しといて、嘘くさいか」
 ぶるぶると頭を振る。出逢った夜はお互いを欲する熱に抗えなかったのだ。
「ううん。ますますしてあげたくなった」
「可愛いことばかり言うな。俺もその気になる」
 くすっと笑われて、私も笑みがこぼれた。
「青だから、なんでもしてあげたいのよ? 何されてもいいって思ってるし」
 ますます強く抱きしめられて、ほう、と息を吐き出す。
「気が変わったらその内頼む。
攻める方が好きだから、何するか分からないぞ」
 頭を抱え込まれ撫で梳かれる。
 挑発に、こっくりと頷いて上目遣いで見つめた。
「大丈夫」
「何回惚れ直させるんだ」
 限りなく優しい声音が耳を打つ。
 湯気の中、唇が重なる。柔らかく啄ばむだけで終わったキスの後、
 青が私の唇にひとさし指を当てて微笑んだ。
「式の後は、分かってるんだろ」
「思う存分抱かれたいわ」
「お互いが満たされる夜にしよう」
 裸のまま抱擁を受けていたことに、取り乱す。
「先に上がれ」
 ぽん、と背中を押され、そのまま洗面スペースへと出た。
 揃えられていた着替えとタオルを目に留めて、くすっと笑う。
 着替えて寝室に戻った後、遅れて戻ってきた青と  寄り添ってベッドに入った。
 指先を繋ぐと熱が、伝わってくる。
 彼の寝顔を先に起きて見たいから、早く起きたい。
せっかく、共に眠り目覚める日々を過ごしているのだから。

「おはよう」
「……おはよう」
「一緒に寝たのに何で毎朝先に起きてるの? 」
 今朝も彼の寝顔を見れず仕舞いだ。
 腕の中が心地よくて朝までぐっすり眠ってしまった。
「俺がお前の寝顔を見たいからだよ」
 ウィンクされた。
 私は上手にできないけれど青は何もかも自然にこなす。
ここで暮らし始めてからは彼の寝顔を一度も見てないのだけど
 今こうして一緒にいるのだから、贅沢な悩みだ。
「わ、分かりました」
 ぎこちなく返したら、彼はコーヒーを口につけた。
  「ねえ、お願い聞いてくれる? 」
「何でも言え」
「行きは電車でK県に向かうけど、
 もし青が都合よかったら、迎えに来てくれると嬉しい。
 成人式の後都内のカフェでお喋りする予定だから」
 流石にK県まで、乗せてくれとは厚かましい。電車で行くのが当然だ。
 少し慌しいが朝早く起きれば、会場の受付時間に十分間に合う。
 友達と待ち合わせもできるし。
「お安い御用だ」
「ありがと」
 テーブルに置かれた手のひらを握ると指が絡められた。
 笑みを浮かべてお弁当箱を渡す。
 テーブルの皿とは一応別の調理法だ。彼の期待通りの物を入れたつもり。
「こちらこそ、サンキュ」
「今日もがんばろうね」
「ああ」
 成人式が今から楽しみだ。
 その日、彼に伝えたいこともある。






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