制服  



 朝からそわそわしていた。
 初めてのラブホテルに行くということで、期待と戸惑いが半々だ。
 ホテルの部屋や、時折特別な部屋に泊まることはあっても
 ラブホテルに来たことはなかったのだ。
(青は、カップルホテルや、ブティックホテルと呼んだりもするけど)
 もしも心まで結ばれる前にラブホばかり利用していたら
 それこそ体だけの関係を強調しているみたいで、内心倦厭している部分もあった。
 何となく言わなかったけれど、今日は教えてみようかな。
 今はもう吹っ切れて、愛し合う者同士が、愛を交わす場所だと納得しているもの。
 だから、高揚さえしている。別に疾しいことなど何もない。
 疾しいと思う気持ちこそが疾しいんだと、知った。
 鏡の前、瞳を閉じて彼に身を任せる。
 梳いてもらう程、心地よくて陶酔する。気持ちと同じ。
 髪に触れられるのも本当はデリケートなことだけど、今は安心して無防備でいられる。
「青が梳かしてくれると、ふわふわ軽い感じ」
「自分がやるのとは違った感覚か? 」
 吐息をついて、笑む気配に、頬を緩める。
「ん。自分でやるより丁寧なんだもの。
カールしたみたいにふわんって弾んでるでしょ」
 青が指先で髪を撫でる。
 頬と首筋にかかった髪がくすぐったくて声を上げた。
「嬉しいことを言う。ますます触っていたくなるだろ」
 不敵な発言に後ろを振り仰ぐと頭ごと引き寄せられた。
「触っていいよ」
「挑発するのは少し早いぞ」
 くすっと笑うと頬をすりよせ、彼が髪を一筋掴む。
 匂いを嗅ぐ仕草にドキっとした。
 隙間なく密着していると、青の匂いまで伝わってくる。
 彼自身の肌と香水が混じった香り。
 広い胸に頬を寄せて、鼓動を聞く。少し早なっているようだ。
 顎を掬われて、きょとんと見上げる。
 降り注ぐ視線を受け止めていると心臓がひどく騒ぎ出した。
 顔が近づく。
 影が重なる前に瞳を閉じたけれど、柔らかくて、熱い感触を感じたのは頬だった。
(ほっぺ!? )
 ぺろり、舌で舐めている。
「美味しいの? 」
「よく熟していて、食べごろじゃないか」
 ニヤリ。悪魔みたいに笑う姿にぽうっとなる。
 両手で頬を押さえたら、何故か火照って熱い。
気恥ずかしいせいだ。
「……もうっ」
「期待したか? 」
 目を閉じちゃったのは不覚ってこと!?
「……うん」
「そんな物欲しそうな目で見るなよ。
一時の我慢が、さらなる快楽を導くんだぞ」
 びくっと震えたのはきっと期待から。
耳元で素直な奴と囁かれる。
「フルコースが、楽しみだな」
 色香をあからさまに醸し出している声と表情で、彼はのたもうた。
 差し出された手を空いている方の手で掴む。
 もう一方ではハンドバックをぎゅっと握りしめて、立ち上がる。
 出発するまでが少し長いのだけど、こういう時間が何より好き。
 余韻に浸っている私を知ってか知らずか、少し強めに手を引っ張る青の強引さが愛しい。
彼は濃紺のスーツを身に着けていた。
 見慣れている姿なのに、いつもときめいてしまう。
 オフなのにきちんとしてるなあ。
 ラフなワンピースの私とは対照的な格好だ。
 後ろを歩いて、ついていく。
玄関ポーチの所で二人並んで靴を履いて扉を開けた。
 地下の駐車場までエレベーターで降りて、青の腕に腕をからませる。
「珍しいな」
「迷惑だった?」
「まさか。もっと甘えてほしいくらいだ」
 くすっと笑う声に、弾んだ声を上げる。
 ライトアップされた駐車場の中、ぴかぴかに磨き上げられた青の車はひと際目立っていた。
 カーレースにも出ている車種の高級スポーツカー。
 大きいけど乗り込むと案外中は狭かったりして、そこが妙だと思う。
 車高が低いので、文字通り身を滑り込ませるようにして乗るのだ。
「乗らないのか」
「え、っとお先どうぞ! 」
 にこにこ笑って青を促す。
ドアだけ開けてもらった状態で  乗り込もうとしない私を
怪訝に思ったのか青が問いかけてきた。
 長身の彼が、車高の低い車に乗り込む姿が綺麗だなと気づいたのは最近だった。
 なので時折、私は彼が乗るのを待って後から乗ったりする。
 ただ、彼の乗り込む様子が見たいがために。
(これって変態じゃないわよね? )
 ゆっくりと背をかがめて助手席に乗ろうとした瞬間に長い腕が体を引っ張った。
「遅い」
 若干乱暴な乗り方だったが、座席は揺れることなく革貼りの
 重厚なシートはしっかりとこちらの体を受け止めてくれた。
 至近距離で、半ば覆いかぶさっている体に、どきりとする。
 青の腕が腰に回されている。
 手のひらで包みこまれた胸元に、どくんと心臓がひとつ鳴った。
 触れられているのじゃなく、手のひらが置かれているだけ。
「青? 」
「ショック死なんて、しないだろうな。破裂寸前だ」
 そう言われて意識すれば、確かに動悸が激しい。全速力で走った直後みたい。
「……あなたのせいでドキドキしすぎるの! 」
 手のひらに手を重ねると、ひんやりと低い温度が伝わって、何だか落ち着いてきた。
 すうはあ、と深呼吸していると、くくっと笑われてしまう。
「そろそろ出発しないとこっちが笑い死にしそうだ」
「青がするわけないじゃない」
 ぷっと吹き出して、切り替えが早い横顔を見つめる。
 些細な表情の変化に気づくことができるようになって、嬉しいことが増えた。
 ルームミラーの向きを直し、青がちら、とこっちを見たので頷いた。
 暫く走っていると、車は交差点に差しかかる。
 カチカチというウィンカーの音を聞いていると、何故か眠気が襲ってくるようだ。
 ちゃんと寝たのに、瞼が重くてしょうがない。
 瞬きを繰り返し、ついには目を擦ってしまう。
(うわ……怒られるかな)
 停止した瞬間に、こちらを確認した青が、ゆるく微笑する。
「眠いなら、無理せず寝ろよ。目的地に着いたら起こしてやるから」
 こくりと頷いて、シートを倒した私はそのまま眠りに身を任せた。

「……ん」
(な……にこれ!? )
 熱く濡れた感触を意識して体が震えた。
 瞼を開けると、青の顔が離れたところだった。
 にやりと笑い、唇を舐めている。
 ぽかーんと呆気にとられた。
 ぞくりとした感覚が体を駈けぬけていて、吐息がかった声を絞り出す。
「……お、起こしてくれたの!? 」
 本当は悲鳴を上げそうだったけど、どうにか堪えて言葉に代えた。
 にやり、意地悪めいた口元から目を逸らす。
「ふいうちのキスは、心臓に悪いのよ」
「そうだな。本当に心臓が止まったら取り返しがつかないな」
 相手はまったく応えていないどころか、ふてぶてしく応じてくる。
 何でそんなに頭が回るんだろう。
 言いくるめられるというか。
「青って紳士なんだと思ってた」
 悔し紛れに頬を膨らませる。
「お前の前だと紳士に徹するのも難しい」
 艶めいた微笑みに、うっと怯みそうになる。
 何とも答えられなくて、がくっとシートに倒れた。
「物欲しそうに口開きやがって。そういうことするから俺が調子に乗るんだよ」
(わ、私のせいですか? )
 舌舐めずされゾクっとしたが、からかわれただけで拍子抜けした。
 心臓がいくつあっても足りない。
 車を発進させる音を聞いて、ようやく息をついた。
(帰ったころには、くたくたに疲れてるわ)
 シートに、体を凭れさせて、ふうと息をついた。
 軽快に走り出した車には、二人が大好きなBGMがかかっている。
 オブラートに包んでいる物の、中々セクシーな
ラブソングばかりが続いていて、ちら、ちらと横目で青をうかがう。
「どうかしたか? 」
  ルームミラー越しに意味深な眼差しが問いかける。
「べ、別に!」
「後で答えてもらうからな? 」
 わざとらしく、焦らした青は、吐息がかった声を届ける。
「どこにキスされたいか」
「っ」
 首筋まで熱い気がする。体が震えた後蒸せた。
「早く治療してやらなければ、危ないな。俺の身にも」
 その後散々、言葉と行動で、翻弄され結局落ち着いて車に乗っていられなかった。
 向こうは運転しているというのにこちらも構うなんて器用すぎる。
 幸せに日々を過ごすようになって、彼の変貌いや真の姿には驚かされてばかりだ。
 潮の香りが、漂う。
 窓を閉めて暫くしたころ、車のエンジンが止まった。
「降りるぞ」
 声と同時にドアが開く。
 靴を揃えて脱いだ。素足に砂がつくのなんて平気。
 お姫様みたいに、腕を引かれて車を降りた。
 強めの力で握られた手に胸が熱くなる。
 自分からもしっかりと握り返すと、視線が合ったので、微笑んだ。
青も、小さく頷いたようだった。
「青、先歩いていいのよ」
「一人で歩いて転んだら困るからな」
「転んだりしないわ! 」
 誇らしげに言ったのがおかしかったのか、くすくす笑う声がする。
 建物から恋人同士らしき二人が出てくる。
 手をつなぎあって、仲睦まじい様子だったが、
 いきなり彼らは、ラブシーンを演じ始めた。
(ええ、あの、人が見てますよ! )
 入り口の横に植えられた樹木に持たれた格好で、吐息を弾ませる。
 舌を絡める激しいキスの音。甘い声さえ、聞こえてきて思わず目を覆う。
 青の背中に隠れて、むんずと服の裾をつかんだ。
 彼はいたって冷静だ。何も見ていないのだろうか。
「行こうか」
 こっくりと頷いて、そのまま建物の中に吸い込まれていく。
フロントに人がいないことに、まず驚いたのだが、驚くにはまだ早かったらしい。
 部屋の写真のタッチパネルがたくさん並んでいるのだ。
「青、休憩と宿泊って値段が違うのね? 」
 何故、二つ料金設定があるのか。
 そもそもホテルというのは宿泊する場所ではないのだろうか。
 きょとんとしていたら、顎をしゃくって見下ろされた。
「休憩は短時間だから安いんだ」
「休憩って、どういうこと」
「俺たちには関係ない。宿泊以外選べないんだから」
 ぶほっ。何も飲んでないのに咳き込んだ。
「そ、そうね」
「大丈夫か。ここで話してても仕方がないから、早く部屋へ行こうか」
 青はきらり、と瞳を光らせた。
 その光に射抜かれて反射的に頷く。
「この辺でいいわよ」
 伸ばそうとした手をつかまれ、私では決して届かない高い
 位置のボタンを青の腕の下から押すことになった。
(リーズナブルな部屋を選びたかったのに! )
 青が選ぶのは高級ホテルばかりで、私に選択権はなかった為、
 初めて値段を見て決められると、少し嬉しかった。
 結局、他より高い部屋を選択することになったのだけれど。
「もう。私こっちでよかったのに」
「気にするなよ……そういう金銭感覚のきちんとしたお前も好きだけど」
 うっ、と怯んでいる内に腕を引かれて歩き出していた。
 エレベーターに乗る前には、横抱きにされていた。
 


  
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