二人きりの時とはまた様子が違うけど、やはり彼が
   無意識にフェロモンを垂れ流しているのは間違いないようだ。
 職場にいる女性は彼と対等に渡り合っているんだろうな。
 恋愛関係があったのかもしれない。
 今まで想像すらしなかったのがおかしいけど。
「どうかしたか? 」
「べ、別にどうもしないから。ご飯にしよう」
 彼は何も言わず従ったが、納得していないかもしれない。
 陽香は私の隣りに座り、青と私が向かい合って座っている。
 三人でいただきますと手を合わせて食べ始めた。
 食事中は集中しようというのが暗黙の了解なのか、
 食器に金属の触れ合う微かな音が響く。
 青と目が合うと、ぞくっとするような微笑みを送られた。
 友達が側にいても、意に介していない?
 私はドキドキしないように、どうにか愛想笑いにとどめる。
 あんまり見つめると火傷するし。
「ご飯じゃなくてらぶらぶな空気で溶けちゃいそう」
「何言ってるの! 陽香も一緒だから。皆で楽しく。ね? 」
 疎外感を与えてしまうなんて言語道断だ。
 立ち上がると椅子を引いて、陽香との距離を縮めた。
「沙矢……いつも、そんなに青さまとくっついて食べてるの? 」
くすくす。陽香は笑った後、グラスの水を飲み干した。
「な。くっついて食べているわけないでしょう」
「沙矢、さすがに、邪魔になってるぞ。元の位置に戻りなさい」
 ええ、丁寧語で慇懃無礼に指示された!
 すごすごと椅子を戻そうとする私の服を陽香が無造作に掴んでいる。
「青さま、私、構いませんよ? 」
「邪魔じゃないんですね? 」
「胸以外は」
 陽香の一言に彼は、忍び笑いをもらした。
 意外に賑やかな雰囲気で食事を終え、三人でリビングに向かった。

リビングに並んで座ると妙な気がした。
 ごそごそと鞄から、袋を取り出した陽香が、青に向き直っている。
「これ、よかったら」
 お土産として持ってきてくれた塩分だろう。
 何種類も選んでくれたみたいで、その心遣いにじーんとなった。
「ありがとう、陽香さん」
 青はそのまま立ち上がりダイニングに向かった。
 お酒を作ってきてくれるのだろう。
「陽香、ありがとう」
 ぎゅっ、と陽香の手を握り見つめると少しうろたえたようだった。
「私の服掴んだり手を繋いだり、いきなりするんだものね」
「だ、だって、掴みたかったし握りたかったの」
「くっ、むかつくくらい可愛いわね。そりゃあ青さまはメロメロでしょうよ」
「陽香こそ入社した時からずっと憧れなのよ。
 綺麗で、仕事はできるし、あなたみたいになりたかったんだもの」
「そんなできた人じゃないわよ。もう褒めあってどうするの! 」
 お化粧していても赤くなったのはよくわかった。
「会社でこんなに親しく慣れる人ができるなんて思わなかったの」
「それは、こっちの台詞(セリフ)よ。
 沙矢だから仲良くなれたんだからね」
「微笑ましい光景だ」
 彼はお酒が入ったグラスが2つ、オレンジジュースが入ったグラス、
 陽香がお土産で持ってきてくれたおつまみの盛られた大皿を持って戻ってきた。
 さすがに多かったので二種類にとどめたようだ。
「お酒は、大丈夫? あ、お前はオレンジジュースな」
「いける口です」
 さりげなくオレンジジュースが置かれた。
 予想通り、私の飲むものだったらしい。
 彼は、自分の方に青い液体が入ったグラスを置き、
 陽香の前にも別のグラスを置いた。
「カシスオレンジだ。これ大好きなんです!
 青さまのってブルームーンですよね! イメージにぴったりです」
「何で私はお酒飲んじゃ駄目なの? 」
「おとつい飲んだだろ」
「ケチ……青も飲んだじゃない」
 言い募る私は、ひと睨みで黙殺された。
「意外に厳しいんですね」
そう言いながら痴話喧嘩を覗いている気分だわと耳打ちされる。
 仰るとおりでございます……。
「こんなものなので気にしないで」
「……そうなの」
「分かりました」
 陽香は、自分のグラスで私のグラスをこつんと叩いてきた。
「乾杯〜」
 こつん、とグラスを当てて返すと、二人で飲み始める。
 ブルームーンを傾ける彼をよそに、おつまみに手を伸ばす。
 手についた汚れはナプキンで拭き、再びグラスを持つ。
「沙矢を傷つけた分、これからいっぱい幸せにしてあげて下さいね」
 ぽつり、つぶやかれた言葉にはっとする。
 陽香は私と青を交互に見比べていた。
「自分のしてきたことの報いのつもりはさらさらないが、
 俺しか沙矢を幸せになんてできないのは事実なので」
 ぐい、と抱き寄せられる。
 陽香の側だけど、単純に嬉しかった。
 彼の大きな手は、真実を形にしようとしている。
 陽香はグラスを飲み干し、にこにこと笑った。
「……沙矢がノックアウトしてますけど」
「日常のワンシーンだから」
「ワンシーンって! 」
 空の皿やグラスを片づけようとしていると、陽香も一緒に手伝ってくれた。
 青を残し、キッチンに二人で向かう。
「青さまもすごいけど、毎日耐えてる沙矢もすごいわね」
「た、耐えてなんて……まだまだ慣れないのよ本当は」
 流しに皿を突っ込み、スポンジで洗剤を泡立てる。
「青さまはつくづくあなたしか見てないんだから」
 呆れと感心が入り混じった様子の陽香に頬を染める。
「だから、安心して任せられるわね。
 あなたを取られてちょっと悔しい気もするけど」
 悪戯めいた笑みの陽香に、はにかんだ。
「青とは別で、陽香も大事よ。比べられるものじゃないでしょう」
「友達をないがしろにしないあなたでよかったわ。
 ふふ。私達は新入社員研修から一緒だから
 青さまよりずっと長い付き合いだものね! 」
「そうなった自分を想像するだけで嫌気が差すわ」
 久々に女子同士盛り上がってテンションがかなり高くなっていた。
 陽香も酔っているわけでもなさそうなので、素だ。
「一緒にお風呂入りましょうよ。あ、着替えは私のを貸すわ」
「ありがたいけど……いいの? 」
「お泊りは急に誘ったから用意出来ていないの当たり前よ。
 だから気にせず使って! 明日の着替えも貸すわよ」
「こっちも用意してないのに、誘いに乗ったんだもの。
 これで帰るから、パジャマだけ使わせて」
「オーケー! 」
 いつの間にか後ろに来ていた青に、声をかける。
「お風呂、先に入る? 」
「二人で先に入ってくればいい。陽香さん、ごゆっくり」
「ありがとうございます」
「青、お先するね」
「ああ。ゆっくり入れよ」
 傍を通り際、頭を撫でられた。
 バスルームでも、陽香は感嘆の吐息を漏らした。
 はしゃぎつつ、二人でバスタブに浸かる。
 陽香は私が貸したパジャマをすんなり着こなしていた。
 彼女も嬉しそうなので何よりだ。
 リビングに戻った時、あまりにも静かなので青がそこにいないのかと思った。
 気配を感じなかったのだ。
 空気に溶け込んでいるように。
「青? お風呂あがったわ」
「ゆっくりくつろぎました」
「それはよかった」
「青、今日は一人で寝てね。空いている部屋に一人で寝てもらうわけにもいかないわ」
「そうだな。せっかくだから友達同士気兼ねなく過ごせばいいんじゃないか」
 リビングと、ダイニング・キッチンの他、私の部屋、
 書斎(実質、青の部屋)、寝室の他、二部屋は未使用だった。
 家具を置いていない分あまり汚れることはないが、
 がらんとしていて妙に寂しい気もする。
「青さま、沙矢を借りますね」
「どうぞご自由に」
「わ、私、物じゃないもの! 」
 陽香は吹き出し、青は独特の微笑みを浮かべていた。

 床に陽香のお布団を敷いて、私は自分のベッドを使った。
 アパートにいた時よりも広い部屋なのでほんとうに有難い。
「お邪魔してみるといろいろな発見があるものね」
 うんうん、と頷く陽香に、戦々恐々とする。
 何を発見したんだろう。
 ちょっと怖いような。
「楽しんでくれてるならいいの」
 布団の上に身を横たえた陽香に笑いかける。
 上からだが、横向きに寝ているので、ちゃんと顔は確認し合える。
 普段も大人びた感じだが、お化粧を落とすと、
 あどけなくさえあって、同い年なんだなと思う。
 同い年の同性の友達は、恋人とはまた別なんだなと思う。
 ベッドの下に伸ばした手を掴んでくれる柔らかな手がくすぐったい。
「大好きよ、陽香」
「何、気持ち悪い」
「ひ、ひどい」
「冗談よ。私も大好きよ、沙矢。
 これからも友達だからね」
「うん」
 ぶんぶん、と握った手を振り回すと、コラと怒られたけどそれでも笑っていた。
 陽香も本気で咎めているようではなかったから。
 お互いにお休みを言い、照明の紐に手を伸ばす。
 朱色の光に包まれて、瞳を閉じた。
 翌朝、キッチンには陽香と二人で立った。
 青が作ろうとしていたのを制して、席に座ってもらう。
 彼は目を細めてこちらを見ていた。
 笑い声を上げながら料理をする私と陽香の後ろで、テーブルをととのえ、
 サイフォンからコーヒーを準備してくれている。
 出来上がった料理をテーブルに並べて、三人で座る。
 ほかほかの湯気が立つコーヒーは今日も味わいがまろやかで美味しい。
 陽香も、匂いを嗅いでから口に含んでは、美味しいと青に伝えていた。
「青、よく眠れた? 」
「ああ。問題なく眠れたよ」
「沙矢って、天然で誘うから困りますよね? 」
 冗談めかした物言いに、朝から全開だわと思った。
「……性別、相手問わずか。恐ろしいな」
 誘うって、手を握っただけですが。
 意味深な眼差しに貫かれて、動けなくなった。
「陽香、時間って大丈夫? 」
「私は沙矢と青さまがいいなら、いつでも」
「ご飯食べたら、出ようか」
 彼は、向かい側で目線で頷いてくれる。
「よろしくお願いします」
 陽香は彼に頭を下げ、おどけて、私に笑いかけた。
 彼女を送って行った後、外でデートできるかも。
 脳内で予定を立てる私はすっかり思考が桃色モードだ。
 少し遅めの朝食を食べ終えて、マンションを後にした。
 車に乗り込む時、私は、後部座席で陽香の隣りに座った。
 楽しく話している内に、陽香の住むアパートまで辿り着いた。
「青さま、泊めて頂きありがとうございました」
「またいつでもどうぞ。沙矢も喜ぶから」
「はい」
 陽香を見送るために、一緒に車に降りる。
「何か、別世界を体験しちゃった気分」
「そ、そうね。私も初めて彼の部屋に泊まった時は……って何を」
「ぶーっ。聞いてないのに、自分で話してるわよ! 」
 途端に顔が赤くなる。
 あのマンションの部屋も十分広くて豪華だった。
 ホテルの部屋で会うことも多々だったので、そう何度も訪れたことはないけれど。
「私も恋したいなあ。恋人がほしいとかじゃなくてね」
「いつも陽香を応援しているから」
 ぎゅっと手を握ったら握り返してくれて、スポーツの試合をする前の握手みたいだった。
 お互いの健闘をたたえ合うみたいな。
 バイバイと手を振り、車に戻る。
 


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