君を探していた



 第2話

「夕食、食べていく? ……
そんなコミニュケーションをあなたに求めるのが間違いか」
 断りを入れる前に、1人完結され、青はムッとしたが、もちろん顔には出していない。
 感情が表に出にくいのは、便利で時に不便だ。
 もっと、わかりやすい人間なら、とうの昔に気持ちを伝えられているのに。
 未だに、中途半端なままに引きずっている。
 もてあそんでいるつもりはなくても、第三者が知れば、そう思われても仕方が無い。
 27にもなる男が、砌と年齢がさほど変わらない少女と、
 恋愛未満の薄汚れた関係を続けているのだから。
 車に乗り込むと、煙草に火をつけた。
 喫煙者のいない家では喫煙はしないので、
 車と部屋、仕事場の喫煙所が主に煙草を吸う場所だ。
 沙矢と距離を置くと喫煙量が増える。
 代わりでもなんでもないが、要するに口寂しさを誤魔化しているのだった。
 多分、共に暮らし始めたら、あっさり止めるだろうが……。
 車内から、煙草の煙を逃がすために、窓を小さく開ける。
 夜風が、ひんやりと吹き込んできた。煙草をくわえて、ハンドルを握る。
 ギアを入れて、青は軽やかに車を発進させた。
青が帰った後の葛井家では、こんな会話がかわされていた。
「あら、忘れてた」
「急になんだよ。びっくりするだろ」
 翠は、突如思い出したかのように口を開いた。
目の前に座るのは愛息の砌である。
「10月12日、青の誕生日だったのに、
 まだ、おめでとうを言ってなかったわ。
 プレゼントもあげてないし」
「あ、そうなんだ」
「電話かけておめでとうコールよ、砌」
「……今更喜ぶ歳かよ」
「現実的なんだから。これもお姉さまの愛じゃないの」
「よく言うよ。何日遅れてんだよ」
「本当は当日にお祝いしたかったんだけど、
電話かけて彼女とか来てたら気まずいじゃない」
「せい兄の彼女……え、いるの? 」
「知らないわね。高校時代なら、薄々知ってるけど。
 まあ、10年も前の古い話よ」
「……ちょっと気になるな」
「あんたには刺激が強いかもね」
砌は、想像してつばを飲み込んだ。
 数年前、叔父の青が大学生の頃、車に乗っている姿を
 何度か見かけたことがあるが、1度たりとて同じ相手だったことはない。
 詳しくは知らないが、あの見た目なら、
 相当経験豊富というのは、想像に難くないのが、今なら分かる。
 母の翠は、砌が考えていることなどつゆ知らず、
電話の子機を取り短縮ボタンを押した。
「あ、もしもし、青? 」
 プツッ。
 帰ってきたのは無情な機械音声。
『只今留守にしています。ピーッと鳴ったらお名前とご用件をどうぞ』
「チッ」
 舌打ちした翠に砌は肩を震わせた。
「留守番メッセージくらい自分で録音しときなさいよ。
 コンピューターの声って機械的で嫌いなのよね」
「そこかよ」
 変なツッコミを入れる自分の母親に、砌は頭を押さえた。
 砌としては、あの叔父がわざわざ生声を録音するなんて想像できない。
『 藤城ですが、ただいま留守にしております。
ピーッとなったらご用件をお願いします』
砌は脳内で空恐ろしい想像をした。
 悪魔的な美声なだけに、より恐ろしい。
 気を取り直して翠は声色を変え、息を吸い込んでメッセージを入れ始める。
「青くーん、ちょっぴり遅くなっちゃったけど27歳のお誕生日おめでとう。
 英語で言うとトゥエンティセブン!
 うふ、今年こそあなたが幸せになるの祈ってるわ。
 綺麗で優しい翠お姉さまより」
 母親のテンションに呆れた砌は、ため息をついた。
明らかに面白がっている。
「せい兄、怒るぞ」
「これ聞いた時のあの子の反応想像するだけで今から笑いが止まらないわ」
 砌は恐ろしさを感じて椅子から立ち上がった。
 これ以上何も喉を通りそうに無い。
 何故、父さんは母さんと結婚したんだろう……。
 顔で騙されたのか、まさか。
 母と実の姉弟であるせい兄にも、同情する。
 昔から、振り回されて来たんだろうな。
 せい兄が8歳までしか、一緒にいなかったらしいけど。
砌は生まれてから、何度も藤城の家で、叔父の青に会っている。
 昔から、せい兄は、近寄り難い雰囲気があったけど、
今は少しマシになってるような。
 砌は心中でつぶやいていた。

 青は、あの姉の性格などとうの昔に熟知していたが、今回は呆れ果てた。
 留守番電話にメッセージなど入っている方が珍しい。
 大概(たいがい)、携帯に皆かけてくるし
留守の時も携帯にメッセージを残す。
 翠に携帯の番号は教えてないのでこちらに入れたのだ。
「……当日にかかってくるよりマシか」
 自分の誕生日なんて医学部に入って独り暮らしを始めて以来、ずっと忘れていた。  覚えていた時もあったが、別に他の日と変わらず日々を過ごしていた。
 身内以外知らない事柄だ。
誕生日など、成人してから誰と過ごしただろう。
 大学時代は、勉強とバイトをしていたし。
 誕生日に一緒に過ごしたい存在が、現れるなんて思いもよらなかった。
 そんな日が来ることを心の奥底で願っている。
 この間の誕生日、彼女と共に過ごすことができて心底幸せだった。
 あの日、姉などから電話があろうものなら、
 せっかくのひと時が、台無しになっていただろう。
 沙矢から渡されたプレゼントは肌身離さず身につけている。
 クロスのチョーカーだ。
バスルームに向かいながら、青は思いに耽る。
 コックを捻り熱い飛沫を正面から浴びた。
 髪をかき上げながら、シャワーを浴びて、空想にふけった。

 次の日曜日、青は再び葛井家に訪れた。
 姉の翠はおらず、翠の夫で義兄にあたる陽に出迎えられた。
 両腕を広げて大げさな歓迎ぶりだ。
「お久しぶりです、義兄(にい)さん」
「いらっしゃい、久しぶりだね、青」
相変わらず歳を感じさせない童顔だが、
食えない男だというのは、幼き頃より知っている。
 姉を心底愛し抜いていることも。
 案内されたリビングで、ソファーを勧められると、陽は、朗らかに切り出した。
「大事な話があるんだって? 」
「大した用件でもないんですが」
「大した用でもなければ、会いたいとも思わないだろ」
 悟られてるなと思い、青はすっと真顔になった。
「運命って信じますか? 」
「いきなりロマンティックなことを言い出すね」
 陽は、ティーサーバーから紅茶をカップに注ぎ、青に手渡す。
「翠とは運命だと思ってる」
 きっぱりと言い切った義兄の姿に青は目を瞠った後、一瞬目を逸らした。
「そうですか」
「それが聞きたかったの?
 意外に……いや、相変わらず青は可愛いね」
眼鏡の縁(ブリッジ)をいじりながら、
微笑まれ、青は、真顔で彼を見返した。
 淡い微笑みの義兄は、昔から青を年の離れた
弟として、可愛がっているように思えた。
 姉の翠とはまた違う、男同士の関係性が、そこにあった。
 16歳も違えば、子供扱いされてもしょうがないのだろうが。
「運命ってのはね、逃げても 何処までも追い駆けてくるんだ。
 運命に追われるのが嫌なら、自分で引き寄せるしかないね」
陽の確信をついた言葉に、息を呑む。
 全身が、ソファーに縫い止められたかのように、動けなくなった。
「……ありがとうございます。少し胸のつかえがとれました」
「そんな、大したこと言ってないけどなあ」
「十分ですよ」
「簡単に切れるのは運命じゃないから、もし、
 そういう相手がいるなら自分の身をかけて、
大事にするべきだ。傷つけたなら、今度は守れ」
力強い言葉に、視界が開けた気がした。
姉にはまだ何も言わないでほしいという
青の心情は暗黙の了解で通じているだろう。
「感謝します」
「なら、上手くいったら、会わせてよ。
青の心を揺るがせ離さない、その存在に」
「時が来たら必ず」
 握手をかわそうと手を差し出したら、抱擁されかけたので、青は避けた。
肩透かしを食らった陽は、少し残念そうだ。
「そういうの求めてないので」
「……義弟(おとうと)へのコミュニケーションなのに」
嘯(うそぶ)く義兄は、さらっと話題を変えた。
「ところで、砌の家庭教師の件、よく引き受けてくれたな」
「単なる暇つぶしですよ」
「へえ? 」
にやにやと笑う陽に、青はさらり、と返す。
「当然、無理な日もありますけどね」
 陽はひらひらと手を振りリビングから出てゆく青を見送った。
 風も一段と冷たさを増した11月の半ば。
 今日も何事も無く一日を終え、帰宅の途につこうと
 していた青は、ふと空を見上げて、何かを感じた。
 車に乗り込むと携帯ですぐに電話をかけ始める。
 かける相手など一人しかいなかった。
「俺だ」
 受話器越しに伝わる気配。
 驚きで息を飲んでいる。
 数瞬の後、帰ってきた声は。
「……嘘、本当に!? 」
 あの忘れられない声。
 高くていかにも“女”という声だけれど、 耳障りなものではない。
鈴を鳴らすかのような澄んだ声。
「沙矢」
「どうしたの? 」
 声を聞くだけで嬉しくなる。
可愛らしく受話器を持ち首を傾げる姿は容易に想像できた。
「……声が聞きたかった」
「……本当? 」
 先程と同じ繰り言。
 信じさせていないのは、青に原因がある。
「信じられないか? 」
受話器越しに、沙矢は、笑ったかと思うと、すすり泣いた。
 感情表現が豊かで、愛らしいと思う。
少女と大人の間にいる彼女は不安定で、
青が壊していいような存在では決してなかった。
「私もあなたの声なら毎日でも聞きたいわ」
泣きながら、言うから、青は戸惑う。
こんな純粋な少女をこれ以上待たせていいのだろうか。
 小さな誤解を解いていこうと思った。
「俺は、お前以外の女なんて今はいない。
 本当だ。お前と出会ってから
お前以外の女を知らないよ」
 見た目は、女というより女の子だが、端から子供ではなかった。
 ずるい男に健気な言葉をくれるのは、大人の女だ。
「……信じてるわ」
 途端に返ってきた言葉の響きは嬉しそうに弾んでいて、
 また傷つけるのではないかと不安に囚われた。
「もっと、会えたらいいのにって思う。
多くの同じ時間を共にすれば分かり合えるだろう? 」
「でも、いいの? 」
「その方法を考えるから、会える時には必ず会ってほしい」
少し強引な小さな約束。
それが、精一杯彼に伝えられる言葉だった。
「ええ」
 沙矢の顔を見て、声を聞いて、触れる。
 繰り返していけば、おのずと答えは見つかるだろう。
助手席のサイドポケットにしまったパンフレットは、新築のデザイナーズマンションのものだ。
近いうちに時間を作って見学に行こうと思った。
 煙草を咥(くわ)え、エンジンをかけると車を走らせ始める。
 窓を開けると紫煙が夜の空気に流れていった。
(お前を探していたんだ。俺はずっと)
   



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