鏡  



 愛し合う行為で、眠りに落ちて目覚めた瞬間の沙矢が好きだ。
   まどろみ、夢の世界にいるような表情でこちらを見つめる。
   無垢な姿なのに、顔は女の色香が溢れんばかりで、一瞬その姿に言葉を失う。
   何よりも美しくて、可愛らしい。
「お、おはよ……青、どうしたの? 」
  「お前に見惚れてた」
  「……見とれてるのはいつも私の方よ」
  「もしかして、おはよう……じゃない。あれ? 」
  「こんばんはかな。出かける予定が、本能のままに狂い乱れたからな」
  「こういうの自堕落って言うのよ」
  「たまにはいいんじゃないか。
   時間関係なく愛しあうのも」
  「お化粧落とさなきゃ! 」
   恥ずかしそうに顔を両手で覆った後、もぞもぞと身動きする。
   慌てて飛び起きようとした彼女は、こちらが誘うまでもベッドに崩れ落ちた。
  「っ……な、何で」
  「そりゃ、あれだけ抱き合ったんだし? 」
  「あなたは涼しげだから憎らしいわ」
   悪態をつく唇をふさごうか迷った。
  「鏡見たら、ぐちゃぐちゃの顔よね。うう」
   うなだれた沙矢の背中をなでてなだめた。
  「じゃあ落としに行くか。シャワーして夕食を作ろう」
  「……一人で大丈夫」
  「腰が砕(くだ)けて、ふらふらのお前を一人にさせられるか」
   腕の中でじたばたする沙矢に、床に放った衣服を差し出すと、目を瞠った。
  「本能のままとか言いながら、きちんとしてる」
   彼女が目を覚ますまでにきちんと畳み整えておいた。
   元々、乱雑に放り投げてもいなかったし皺は問題ない。
  「ありがと」
   彼女は、脱がせられた事実は関係なく律儀に礼を言い微笑んだ。
   背中を向けて、着替え始めたので寝室を離れた。
   俺は、ジーンズのみ履いた状態だ。
   本能のままというには大げさだったかもしれない。
   まだ、一度しか絡み合ってない。
   彼女が、気だるさで立てなかったのは、感じすぎたせいにすぎない。
   無理強いはしないが、内心ではまだしたいのだ。
   堅く尖った乳首に、濡れた秘所が物語っている。
   目を覚ましていない時に、指先で撫でてみて知った。
   無意識だろうが、太ももとふくらはぎが動いていて、妙にエロかった。
   いつの間に、こんなにエロくなったのか。
   呆れながらも、寝込みを襲うのは趣味じゃないのやめておいたけれど。
  「青? 」
   寝室から出てきた沙矢がこちらを見ていた。
   邪(よこしま)なことを考えていたのはバレていないだろうが。
  「ああ、行こうか」
  「今日はお出かけはもうしないのね」
  「残念か」
  「ううん。だって、あなたと過ごせてるんだもの」
   可愛らしいことを言い、彼女は俺の手を握った。
   握り返すとふふっと笑った。
  「犯すぞ」
  「青が言うと冗談じゃなくなるわ」
  「満更、冗談でもないからな」
   喉で笑うと、怯えたように距離をとった。
  「……変態っ」
  「お前も変態で俺も変態。最高のカップルだな」
  「私が変態だったら、あなたのせいよっ」
   唇を尖らせ、小さく睨む。いじらしい仕草だ。
   まどろっこしいやり取りを続けるのも、時間がもったいない。
   百面相を繰り広げる彼女をふわりと抱き上げて、歩き始める。
   バスルームに繋がる洗面室と悠然と進む。
   知らず、俺の肩に頬を寄せている。
   あっという間に、自由になるのは、信頼されている証拠。
   辿り着いた洗面室で、彼女を鏡の前に座らせる。
  「は、恥ずかしいから、見ないでね」
  「顔洗うだけなのに? 」
   くすくすと笑ったら、彼女は相手にしないことにしたのか
   化粧落としをした後、洗顔をし始めた。
   後ろからタオルを差し出すと、ありがとと小声で言う。
  「ごしごし擦るなよ。肌の表面が傷ついたらいけない」
  「オトメンなの? 」
   ぷっ、と吹いた彼女はゆっくりとタオルで顔を拭う。
   一通り、基礎化粧品で整えているようだ。
  「化粧で、変化したお前も魅力的だけど素顔が一番綺麗で好きだ」
  「上手ね」
  「真実だ」
   腰をかがめ後ろから腕を回す。
   また同じシュチエーション。
   鏡の中で、笑う彼女に笑い返す。
   胸の下で、腕を組み、指先でいたずらに触れたら、表情が変わった。
   はっ、と目を閉じて見開く。
   遠くを見るような表情で。
  「感じた? 」
  「ち、違う」
   ぶる、と頭(かぶり)を振っているから説得力はない。
   既に顔は赤くなり、化粧などせずとも色づいている。
  「あなた、何してるの……っ」
  「おや、上下とも下着をつけてない? 」
  「……分かるでしょ」
   彼女は白状した。
   渡していないからだ。部屋にあったものは洗濯機に放り込んでおいた。
   当然、ワンピースの下は裸だ。
   衣服越しに俺の素肌に乳首が触れて、気が遠くなりかけた。
   自分が仕組んだことだが、しくじった。
   さっきから、既に堅く立ち上がったモノが、下着を突き上げている。
   ワンピースをまくりあげると、すべてが顕になる。
  「いやあっ……」
  「大げさだな」
  「青が下着を置いといてくれなかったんじゃない」
  「まあな」
  「開き直らないで……っああ」
   下から押し上げるように乳房を揉みしだく。
   指の間に乳首をはさみ、こする。
   下腹部に手を伸ばし、薄い茂みの中に指を差し込んだ。
  「最初から濡れてたけど、もう洪水だな」
   乳房への愛撫をしながら、秘所の中に
 指を突き入れるといくらでも、溢れてくる。
   愛しい彼女の蜜。
   鏡には、快楽に酔い始めた女と、イヤらしく笑う男がいた。
   背中がそってきたので、自分の身体にもたれさせた。
   ぶるっと背筋を震わせ、いやいやと顔を横にふる。
  「どうかしたか? 」
  「な……んでもない」
   俺の身体の変化を察したのだ。
  「こんなに硬くして、可愛すぎるな」
   正面から腰を抱きながら、乳首をこねた。
  「あっ……ふ……う……んっ」 
   俺を誘っているように見えて、思わず唇に咥える。
   舌先で転がしたら、また硬さをました。
   高い声を上げて、彼女は身悶える。
   舐めて、ちゅっと吸い上げる。
  「ああ……んっ! 」
   足をばたつかせて、一気に脱力した。
   自らの下着も脱ぎ放つと、彼女のワンピースも完全に脱がした。
   イッた後放心状態の彼女を再び抱き上げ、バスルームの扉を開けた。
   バスタブに背中をもたれさせる格好で、座らせた。
   無造作に投げ出した足が、照明で光り輝いている。
   豊かな乳房、引き締まった腹部、薄い茂みがエロスを奏で、すらりと伸びた足に続く。
   つばを飲み込み、シャンプーの奥を探った。 
   濡れないように配慮していたので無事だ。
   避妊具の空気を抜き、そそり立つ欲望に、纏わせる。
   虚ろな眼差しがこちらをとらえた。どこか瞳は潤んでいる。
  「なあ、沙矢、俺を抱いてくれよ」
  「……で、できないわよ」
  「お前の方に腰を下ろすから受け止めるだけだ」
   一瞬、考えたらしい彼女は、それでも俺が欲しくてたまらないのか、
   単純に愛を分け合いたいのか、俺の背中に手を伸ばした。
  「……うん、あなたでいっぱいにして」
  「満足させてやるよ」
   後ろの鏡に、二人が交合しようとする姿はばっちりと映っていた。
   彼女は、まるで気づいていない。
   ゆっくりと、覆いかぶさる俺の背中を抱きしめて、微笑む。
   硬い熱の塊を柔らかな内部が飲み込んでいく。
  「んっ……」
  「まだだろ? 」
   奥には届いていない。
   浅い場所を突き進み、全部を満たした時、吐息をついていた。
   すぐには動かず反応を待つ。
  「あっ……やだ」
  「何が? 」
  「あんまりゆっくりは怖いかも」
  「俺を感じすぎて? 」
   彼女は応えられないようだった。
   唇を開いていたので舌を差し入れる。
   淫らに絡め合わせると中から、蜜がこぼれたのがわかった。
   乳首をつまむと、締めつけられ、小さく呻く。
   動かないままでいることで、長く続けられると思ったのだが、
   状況にもよるのかもしれない。
  「……私のナカで暴れて」
   本来の彼女では、考えられないほど熱に浮かされた言葉は、欲に溺れているせいだ。
   俺は調子に乗り次の言葉を引き出すことにした。
  「欲しいのか」
   頷いた後足を絡めてきた。予想以上の効果だった。
  「満足させてくれるんでしょ」
  「怖いくらいにな」
  「あっ……はっあ……ん! 」
   いきなり、大きく腰を前後させると、背中につめを立てられる。
   きゅん、と締まるナカはどこまでも貪欲に、俺の全部を吸い尽くそうとする。
  「愛ゆえに、感じすぎるんだ」
   簡単に、精を吐き出してしまいそうになるのも、
   彼女への愛しさが、俺の身体で爆発しているからだ。
  「心も身体も全部お前に捧げるよ、沙矢」
   淫らな水音が、響く。
   湯の音ではなく、正真正銘俺達が奏でている音だ。
   絡んで、混ざり合って、溶け合おう。
  「んん……っ」
   キスをかわす。
   舌で歯列をなぞり唾液を交換する。
   唇で熱を交わし、奥で繋がる。
   生々しく鏡に映るのは、ただの男と女。
   愛を貪る獣(ケダモノ)。
   胸板に硬い乳首と、やわらかな乳房がこすれる。
   お互いに揺れながら、ひたすらに高みを目指す。
   衝動のまま、突きあげる。
   繋がった部分のそばにある蕾を指で、ぐりぐりと押した。
   胸の頂きとリンクした欲望のスイッチとも
   いえる部分に触れると凄まじいほど引き寄せられる。
   女の身体は神秘的で、男はいつも願っている。 
   ナカで、共にイキたいと。
  「っ……ああ、だ、だめ……いやああっ! 」
  「愛してる……沙矢っ」
 想いのままに、熱が、放たれる。
   少しだけ、と言い聞かせ彼女のナカにとどまった。
   首筋を舌でなぞる。
   ぴくぴくと震えて、身体が倒れ込みそうになるのを支えた。
   繋がりを解いた瞬間、びくと動いた己自身に苦笑いした。 
   萎えぬままの自身から避妊具を外す。
   欲の証のせいで、重くなった避妊具をバスルーム内のゴミ箱に捨てる。
   手を洗い、彼女の身体をバスタブにしっかりともたれさせた。
  「お前となら何時間でも何日でも、ずっとできそうだな」
   彼女の身を思うとできないが。
   そもそも過去に女と一日に何度もしたいと思ったことなどない。
   愛し合っていたとも言い切れないのが最低だ。
  「沙矢が、正気に戻してくれたんだな。感謝してるよ」
   独りごちて、身体を洗い始める。
   シャンプーも終えたところで、かすかな声が聞こえた。
  「あれ……私……あっ」
   気がついて顔の表情をさっと変えた。
   動こうとしたが、さっき以上に身体に力が入らないらしい。
  「心配しなくても洗ってやる」
  「や、もうちょっとしたら動けるようになるから」
  「責任を取らない男だと思わないでくれないか」
  「……説得力がありすぎ」
   裸のままのやりとりだが、彼女はもう恥じらっていない。 
  「ああーっ! 」
  「今度は何だ」
  「か、鏡。まさか全部うつってた!? 」
  「引っ越してきた時に、風呂に鏡つけただろ」
  「で、でも、こんなこと……」
  「今更写っていることに気づいてもな」
   冷静に返したら、感情的な声が返ってきた。
  「ううっ……」
「撮影したわけでもない。過去だ、過去」
  「もう、嫌だからねっ! 」
  「気づいてなかったんだから、今までのはカウントするな」
  「あ、あなたは分かってたんでしょ」
  「俺達のまぐわいが確認できるじゃないか」
「うう……ド変態」
  「撮ったりはしないから、安心しろ」
  「当たり前よ」
  「お前は怒ってもかわいいな」
  「だ、駄目よ。そんなこと言っても」
   彼女は褒められることに弱い。
   たぶん、誰よりも俺に言われると嬉しいのだ。
   彼女にとって俺の言葉が特別なように、
   俺にとっても彼女の言葉は特別だった。
  「鏡の中で女の姿を晒すお前は怖いくらい綺麗だった」
  「もっとえっちな言い方するかと思った」
  「いや、本来とても美しいことだからな。
   愛し合う行いは」
  「……そうね」
   俺は椅子から立ち上がり、彼女のもとに向かった。
  体を清め温めてやらなければ。
   抱き上げ、椅子に座らせる。
   自分で洗えるようなので、背中だけ手伝うことにした。
  「私、朝も夜も関係なくあなたに抱かれて嬉しいのよ」
  「今日が特別だったからか」
  「もちろん。私も有給があったし、
   お休みとってよかったわ。
   本当は出かける予定で取ったんだけど」
  「有意義に過ごせたから、もう言うな」
  「……ふふ」
   お湯をかけたら、猫のように身体をぶるぶると震わせた。
  「……どれだけ敏感なんだ。こっちの身にもなれ」
   側にいるだけで身がもたない。
   俺も、彼女と同じく敏感だからだ。
  「私は悪くないもの」
   彼女が、ちらり下に顔を向けたのを見逃せなかった。
   湯が刺激になって疼いたのだろう。
  「頭洗ってたら、欲情なんて振り払えるさ」
  「わ、笑ってるでしょ」
   くっ、と喉で笑い、彼女の髪にシャンプーを泡立てた。
   丁寧に地肌に指を立て洗い、湯で流す。
  「さ、一緒に入ろうか」
「膝に抱えてくれるだけでいいから」
「甘えられるのは悪くないな」
 ぼそぼそと呟かれ、頬が緩んだ。
 自動で湯をためておいたバスタブに、順番に浸かり向かい合う。
 腕を伸ばすともぞもぞと近づいてきたから、文字通り膝に座らせた。
 背中から腕を回す。
「何も気にしないほうがいいのよね」
「野暮(やぼ)だからな」
 微笑み合い、くつろぎながら何を食べたいか話した。
 冷蔵庫にある食材だと三品は作れそうだ。
 スープ、サラダ、メイン。
「チキンステーキにしようか。よく動いたから肉を食べないと」
「主に動いたのは……うわ、すみません」
「その通りだから、いいんだ」
 恥ずかしくなったのか、身を縮こまらせた彼女をぎゅっと抱きしめた。
「大好き」
「何度言い合っても飽きない」
 頬に口づけ、唇にふれあう。
「鏡はずさなくていいのか? 」
 にやりと笑ったら、沙矢は湯の中に顔をつけた。
 ぶくぶくと泡が立つ。
「も、いいもん」
「可愛すぎて、俺の理性はいつもぎりぎりだよ」
 溜息をつくと、ストレートな愛情表現が耳に届いた。
「じゃあ、もっとキスしましょ」
 濃厚なキスになったら、お互いの欲を煽るだけだ。
 自分たちの性(さが)は、彼女も自覚しているだろう。
 天然で無自覚に誘惑し、虚を突く発言をしようとも。
 軽いリップノイズが、心地良い。
 温かな湯の中で、彼女と迎えられたこの日をしあわせに感じていた。
 


  
index