sinfulrelations


kiss of holynight





カップル達の間で世間的に今日、12月23日はイヴイヴとか呼ばれている。
初めて知った時は、意味も理解した上で、何だそれは、
安易なネーミングだな、と嘲りもしたものだが、今は、そんな過去の自分すら嘘に思える。なぜかと言われれば答えはひとつだ。
沙矢がいるから、世の風潮に乗るのも悪くないと思えるのだ。
目の前で微笑みながら明日の準備を始めている彼女を見れば
自然と自分も笑みが浮かぶ。
「さーや」
「青、その呼び方、久々ね」
「明日の服なら選んであるからな」
嬉々と服を選ぶ沙矢はとても楽しそうだ。
腹部が目立ってくれば、着れないと思えば余計に力も入るのだろう。
珍しくベッドの上に、洋服やワンピース諸々を散乱させ、悩む様子は見ていてとても微笑ましい。
俺は部屋の入り口でドアに背を凭れさせ腕を組んでそれを眺めている。
「また唐突ね」
くるりと沙矢がこちらに頭を向ける。大きな瞳が瞬きしていた。
「だから寝ろ。明日は早めに帰るからなちゃんと準備しとけよ」
「う、もう12時過ぎてるのね」
沙矢の隣りに移動してベッドの上に広げられた服を取り上げ、壁際のクローゼットに片付ける。
目の前から消えてゆく服たちを沙矢は呆然と見ていた。
「決められなくても服を選ぶ作業が楽しいのよ」
「お前は楽しみが多くていいな」
クスクスと笑えば、沙矢は頬を膨らませた。
「男の人には理解できないのかもしれないわね」
少し拗ねた口調。
妊娠中は神経が過敏になるというからな。
「何怒ってるんだ?」
口調はからかう調子だが、瞳は真剣に問いかける。
口に出して聞くなんて意地悪いかもしれないが、気を使い過ぎると傷つけてしまうかもしれない。
「怒ってないけど、何だか最近自分でもぴりぴりしてるかもしれない。
赤ちゃんができて楽しい気分の時が多いんだけど、時々どうしようもなくて」
唇を噛み締める沙矢を後ろから抱きしめる。
背中から腕を回せば体が少し震えた。
「もう少しすれば安定期だから落ち着いてくるはずだ」
「……うん」
「青、ありがとう」
沙矢の声はいつの間にか嗚咽交じりになっていた。
後ろから顔を覗き込めば頬を涙で濡らして小さく微笑んでいる。
「なあに?」
「最近、前にもましてよく泣くな」
自分の言葉にずきりとした。
「ふふ……そう? 哀しくて一人泣いてるんじゃなくて
泣ける場所を見つけて泣いてるんだから青、心配しないでね!」
えへへと、笑う沙矢が振り向いてそのまま抱きついてきた勢いで
ベッドに倒れこむ。壁に背中を預けて息を吐く。
語尾を強く発した沙矢は、建前じゃなくて本音を言っていた。
力を込めて抱きしめてしまいそうだったから背中に腕を回すのは止める。
シーツの上に腕を下ろして、沙矢の手を握る。
俺はこの小さな温もりに癒されている。これまでもこれからも。
抱きついてきた柔らかな体。
髪をそっと撫でれば、思ってもみない言葉が飛び出した。
未だ身体を預けたまま動かない沙矢の声が耳元でする。
「……早くまたあなたに抱かれたい」
「沙矢?」
「だって青の手、反則よ。優しすぎて、気持ちよくて。
頭を撫でられてるとこの手で体に触れられたいって思っちゃったじゃない」
しみじみと呟かれる言葉に、動揺する。
彼女はこうやっていつも俺を操るんだからたまらない。
「俺だって今すぐにでもお前を抱きたいさ。分かってるのか?」
「え……せ……い!? 」
腕を取りベッドの上に横たわらせると、真っ赤な顔で沙矢が見上げてくる。
耳に息を吹きかければ、敏感な反応が返った。
「っ……ん」
「色っぽい出すな」
「青こそからかわないでよ」
「操縦されてばかりじゃ面白くないからな」
耳元で囁けばじたばたと暴れた。
俺の腕を掴んでこちらを睨む。
「誰が誰を操縦してるっていうの!?」
「お前が俺を」
「エンスト起こしまくってるのに」
「面白いこと言うよなお前」
「……真実だもの」
シーツに腕をついて顔を覗けば真面目な顔でそんなことを言う。
「……くっ」
つい喉から笑いが込み上げた。
あくまで真剣な様子は、沙矢らしくて……。
「あー何がおかしいの!酷い!」
声を荒らげる沙矢の髪を掻き混ぜる。
「寝ようか」
「そうね」
髪に触れると一瞬瞳を閉じる沙矢。
安らいだ表情に安堵した。
「お休み」
「お休みなさい」
沙矢の隣りに横たわり手を繋ぐ。
寝室に移動するはずだったが、二人ともどうでもよかったらしい。



朝目覚めてみれば腕が腰にしっかり巻きついていた。
身長差の為、私の頭は青の肩より少し下にある。
枕もせずに彼にくっついたまま眠ってしまったらしい。
「お、おはよ」
照れてしまう私に青はぽつりと言った。
「おはよう」
「無防備な妻に我慢が辛い。自覚してくれ、頼むから」
何今の短歌ですか!? 青ってこんな冗談言う人だったっけ?
新鮮な驚きが胸の内に広がった。
私が驚いて固まっていると口角を上げて、青は首筋に噛みついてきた。
「……っ」
唇の感触を強く感じた。
首筋に咲いた赤い花が存在を主張している。
「ほら首飾り」
「……青ったら」
は、恥ずかしい。朝から何するかと思った。何か変よ、青。
やけにテンション上がってる気が。
「うう……操縦してやる絶対」
「期待を裏切るなよ?」
ぽんぽんと頭を撫でられて、顔が赤く染まってゆく。
青は、ベッドから抜け出ると、自分の部屋に戻った。
朝食の時、スーツを着た青と会えるだろう。
私も起き上がって支度を整えた。
青が買って来た白いレースのエプロンを身に付けて部屋を出る。
首元はタートルネックの服で隠した。
さすがに二人きりじゃないから、晒すことはできない。
一階へ降りると、既にお父様は席についていて、
眼鏡をかけて英字の新聞を読んでいた。
どうしよう。お義父様より遅くなっちゃった。
迂闊だ。イヴだからって浮かれてられないわ。
「おはようございます」
挨拶して、カウンターの奥に行く。
「おはよう」
後ろから聞こえる声。ばたばた走って行ってすみません。
静かに笑うお義父様。決して品のない笑い方はしないのだ。
「何か和むねえ。この2ヶ月の間に家の雰囲気が随分変ったよ」
お義父様は、操子さんに差し出されたコーヒーカップを傾けながら目を細める。
「そうですか?」
ふふふ。思わず鼻歌まで飛び出そうになった。
フライパンにガラス蓋をして、じゅーじゅー焼ける音を聞くと朝だなと感じる。
それから煮込んだスープを持ち運び用の鍋に入れ替えたり、
準備を整えて忙しなく時間は流れていった。
壁時計が7時半を指す頃、青がダイニングに姿を現した。
私が降りて来てから1時間経っている。
「おはようございます」
青がお父様に挨拶している。
普段、お父様に対してぶっきらぼうに話しているけれど本当はちゃんと丁寧に話せる。
親子だから余計に礼儀を重んじているのだ。
親子で丁寧語を使うのは、やはり上流家庭特有かもしれない。
「今日は前から言っていた通り、早めに上がらせてもらいますのでよろしくお願いします」
「沙矢ちゃんと楽しんできなさい。いいクリスマスになるといいね」
「お義父様、明日のことですけど、何時からの予定でしたっけ、パーティ」
操子さんと一緒にテーブルの上に料理を乗せた皿を並べる。
「夜からだが、下準備は今日から始めなきゃいけないんだ」
「はい!勿論張り切って手伝います」
「ありがとう。私は仕事があるから手伝えないけど皆と頑張って」
「はーい」
綺麗に片付いてゆく皿を見て嬉しくなった。
二人とも出された料理には味を加えたりせず食べてくれるし。
私が席について食事を取り始めた頃、青は食べ終わって、こっちを観察していた。
本人的には見てるつもりなのかしら?
お義父様は隣の空いた席に置いた新聞
(文字通りニュースペーパーだ)を畳んで立ち上がる。
「私はお先に失礼するよ。青、後でね」
お義父様は颯爽と歩いていく。
青はそれをちらりと横目で見やった後また私の方を見つめてる。
いつの間にか、操子さんはどこかへ姿を消していた。
もしかして気を使ってくれたのかな。
「……じっと見られてたら食べられないんですけど」
恨みがましい声になってしまうのは仕方がない。
「知ってるか。物を口に入れる時の仕草は官能的なんだ」
「……官能って朝から」
「咀嚼して飲み込む仕草にそそられるんだよ」
そそられるって!?
その殺し文句というか朝に相応しくない台詞に、心臓が高鳴った。
「……きゃ」
ハムエッグに慌ててフォークを突き刺して口に運ぼうとしたら、
口に入る寸前に落ちてしまった。
皿構えてなかったらテーブルの上に落ちていただろう。
「う……青が見るから」
「お詫びに食べさせてやる」
正面に座っていた青が、立ち上がって私の隣の椅子に移動した。
何故隣りに座らないのかと青に聞いたら、
正面の方がお前を見つめやすいからな。と答えが返ったんだっけ。
悪びれもせずに普通の調子で。
かちゃり。
私の持っていたフォークは青が握っていて、にっこり微笑んでいる。
あーんとか言わない辺り青よね。
恥ずかしいけど、密かに憧れだったのよ、私。
口を開けると、青は笑みを深くしてそっとフォークを持ち上げた。
口の中に滑り込むハムエッグ。
でも視界に映っていたのは青だった。
ごくんと飲み込んで、瞬きしてもまだ視界全体を青が占めてて。
「美味しかった? 」
「うん……」
青は満足そうな顔で自分の席に戻り、皿を片付けている。
片付けなくてもいいんだけど一人暮らしで身についた癖は抜けないらしい。
お義父様の皿と自分の皿を重ねてトレーに載せて運ぶ。
シンクから水の音がすると思ったら青がお皿を洗っていた。
「いつも言ってるけどそんなことしなくていいから。
急がないと仕事に遅れちゃうでしょ」
「時間ならまだ余裕がある」
私が恐る恐る皿を置くと、案の定、青はそれも洗おうと手を伸ばす。
「青がマメですごく嬉しいわ。頼まなくても何でもやってくれるし」
言葉が返らないのは照れているのかしら。
青が黙々とお皿を洗ってくれるから、
私はお皿を受け取って丁寧に拭いてゆく。
彼は大したことでもないのだろう。
私はその優しさがすごく嬉しくて有り難いのに。
背伸びして体を反らせて、青の横顔にキスをした。
感謝の気持ちを込めて。
青が目を瞠ってこちらを振り向く。
肩を掴まれて、今度は青がキスをくれた。
頬じゃなくて唇を掠め取られてドキンとする。
そのまま口づけは深くなり、声が漏れそうになった。
「沙矢はキスに弱いな」
青の掠れた声にゾクリとした。
「……っ……だって」
芯から溶けそうになる。
ガクンと膝をつく私を青が腕で支えて起き上がらせる。
「今夜楽しみにしておけよ」
「……うん。ここで待ってればいいの?」
完全に息が乱れてしまってる。
「ああ」
クスクス笑っている青。
今日の青、可愛いと思ったんだけど前言撤回します。
「行ってくる」
青が背を向けて歩いていく。
「行ってらっしゃい」
片手は火照った頬に当てて、空いたほうの手を降る。
嗚呼、玄関までお見送りできなかった……。
私はふらふらと歩いて、自分の部屋に戻った。
動悸が治まらない。
今日の青、すごく激しいんだもの。
二人きりのイヴが嬉しいのねきっと。
私もそわそわしてるわ。夜が待ち遠しい。
明日のパーティも楽しそうだけど今夜の方がやはり楽しみだ。
色んな意味で二人が笑顔で過ごす最初のイヴだもの。
初めてのイヴは切なくて不器用な思いを持て余していて……。
あの時がなければ私たちは今も一緒にいなかった。
苦笑は浮かんでも涙が浮かばないのは、幸せだから。
乗り越えてきた日を思うと今年のイヴは特別なものに思えてならなかった。
青もきっと同じ気持ちだろうな。
脱いだエプロンをハンガーにかけると、部屋を後にする。
階下にいた操子さんの所に行き準備のことを訊ねた。


PREV NEXT INDEX


Copyright(c) 2005 tomomi-hinase all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-