my exclusive a doctor

 
                  

今日に限って青が中々降りてこない。
朝食の準備ができた頃には姿を見せるのに今日はどうしたんだろう。
とっくにお父様は朝食を終えて仕事に行ったというのに。
まさか、青に限って寝坊!?
それはないだろうと思いながらも階段を上がる。白いレースのエプロンの裾を持ちながら。
目当ての部屋の扉を開けると、ベッドの端に座る後姿。
ワイシャツを着た背中に抱きついてしまいたくなる。
「青、朝よ」
無言の背中に声をかけて肩に手を置いた。
ゆっくりと振り返る顔。
「沙矢、一緒に行こうか」
「いいの?」
実は妊娠が発覚してから一緒に健診行くのは初めてだったりする。
といってもまだ検診自体3度目なのだが。
今までは、お屋敷の専属運転手さんの運転する車で来ていた。
病院では身内として接することはなく一患者として接してくれる藤城隆先生に、
私は安心して診察を受けている。
プライベートと仕事をきっちり区別している姿は、尊敬できる人だと思う。
「ああ」
「付き添ってもらえなくてもこれはこれで嬉しい」
「そっか」
「青、早くご飯食べなきゃ駄目よ。お義父様はもうお仕事行かれたわ」
「可愛らしい幼な妻だな」
含み笑いをする青。喉の動きを見てドキッとする私は変なのかしら。
「幼いって歳じゃないわよ。若奥さんって言ってくれない」
「幼な妻って響き良いと思わないか」
「イコール子供っぽいってことでしょ」
拗ねた口調になる私を青は見つめ続ける。
自分の頬を指差して薄っすらと笑う。
ベッドに腰掛けて私は、青の頬に口づけた。
ちゅっという軽い音。
そのまま肩に手が置かれ、青は唇を重ねる。
一瞬で離れた唇に物足りなさを感じた。
「おはようのキス終わり」
満面の笑みを浮かべる青に心臓が一つ鳴った。
私の前でしかこんな顔をしないのだろう。
ベッドから降りてすたすたと歩いていく青の背に従い、部屋を出て螺旋階段を下りる。
それぞれのスリッパの音が響いていた。



朝食を終えて車に乗り込んだ所で青が身を乗り出してきて覆い被さるような体勢になった。
瞬時に重なる唇。
「んん……」
次第に深くなる口づけに、思考が濁ってゆく。
「……っは……」
唇が離れて肩で息をする私の視界に飛び込んできたのはぺろりと唇を舐めている青の姿だった。
濡れた唇は朝に相応しくない妖艶さを醸し出している。
「いきなり驚くじゃない」
「行ってきますのキスじゃないか」
悪びれもなく言う青はあっという間に出発体勢に入っている。
ハンドルを握る右手、ギアに置かれた左手。
「あの、わたしも一緒に行くんだから意味ないと思うわ」
どぎまぎしながら口にする私に、青は口の端を歪めた。
「そんなの関係ない」
顔に表情が出ないよう気をつけて口を噤む。
助手席のシートベルトを締めて合図を送ると青がギアをチェンジして車を発進させた。
「さっきこれはこれで嬉しいって言ったのは、勤務するあなたと一緒に病院に行けるからよ」
ルームミラー越しに話しかければ視線が返ってくる。
一秒にも満たないけれど見逃したりしない
交差点に差し掛かった所でウィンクした青に、私もウィンクを返す。
信号で止まった時にするささやかなスキンシップ。
藤城総合病院に着き、産婦人科棟のロビーで椅子に座って待つ。
ぎゅっと膝の上で手の平を握る。
暫くすると院長こと藤城隆先生が歩いて来た。
「青と一緒に来たんだね」
「行き先は一緒ですし定期健診は、午前の診察始まってすぐの時間だったので」
カルテを持って歩くお義父様は忙しそう。
「じゃあ、また夜に」
それだけ話すとお父様は立ち去った。
まだ朝早いので私以外の妊婦さんは診察を待っていない。
心なしかそわそわしながら、壁に立てかけられた時計を見る。
「藤城さんどうぞ」
看護師さんが診察室の扉を開いて呼んだ。
バッグを手に、診察室に入る。
「よろしくお願い……し!? 」
言葉が微妙な所で止まってしまった。
混乱と動揺、驚愕が入り交ざった複雑な感情。
「せ……青」
思わず口元を押さえる。
白衣姿の青が椅子に座って笑っている。
楽しそうな姿に、ああ、策略にはまったと思った。
「座って下さい」
お父様が、仕事に私情を挟まないのとは違う。
青が他人行儀だと些かおかしい。
普通に普通にと自分に言い聞かせる。
「診察をするので服を脱いで下さい」
気分を落ち着かせるように深呼吸してブラウスのボタンを外す。
聴診器がお腹にあてられる。
青はどこまでも冷静だけれど私は心臓ばくばくだ。
「順調ですよ。そろそろ性別も分かるんですがお知りになりたいですか?」
私はふるふると首を降りブラウスのボタンを留めた。
「楽しみなくなるのでとっておきます」
「1月の第三水曜日の午前の一番でいいですか? エコーも取りますので楽しみにしていて下さい」
青が楽しみなのでは。
「あ、はい」
声が上擦った。
妊婦に刺激を与えないでよ。
お腹を押さえて肩を震わせる私に罪はないんだから。
「っく……あははは」
膝を叩いて笑う私に怪訝な眼差しが降り注がれている、絶対に!
「何がおかしいんだ」
「だ、だって青が……」
笑いすぎて瞳が潤む。
「患者に接する態度を取ったまでだが」
「お願いだから普通にして。心臓に悪いわ。笑い死にしそうだったのよ」
「分かった」
黙った青の方を見やれば、口の端を上げていた。
「今日から藤城沙矢の担当医になった」
「は!?」
「沙矢が定期健診に来る時は俺が、診たいというのを親父に頼んだら OKしてくれたんだ」
「いいの?」
「問題はない。お前を他の医者に任せてたら安心できないからな、俺が」
 お義父さまには診ていただいたけどね。 さらっと言ってのける青に笑いが込み上げた。
「芝居じみたことやめてね、担当医の藤城青先生」
「ああ」
しれっとワイシャツのポケットに触れる青に、脳裏に明かりが点灯した私は、
ハンドバックをごそごそと探って煙草の箱によく似た物を取り出した。
箱の中からフィルターに包まれた一本を取り出す。
「はい」
「何だ……シガレットチョコ?」
「ん。チョコレート食べたいなと思ってスーパー行ったら
これ見つけてね、青と一緒に食べたいって思ったの」
「煙草のフェイクか」
「吸ってる気分味わえるでしょ」
にっこり笑うと苦笑いした青は、シガレットチョコのフィルターを
剥がし 円筒形のチョコを口に放り込んだ。
「煙草を探す癖、抜けないみたいね」
悪戯に笑えば虚を突かれたようにはっとした青。
「自分でも気づいてなかった」
「でも駄目じゃない、青、今勤務中なんだから」
思ったことを口にした。
煙草を吸ってないので探る格好だけだが、勤務中なのだから本当に吸ったら不味いだろう。
「妙な所にツッコむな」
乱暴に髪を掻き混ぜられた。前屈みになった私に青の顔が降りて来る。
間近に迫った顔に、躊躇った隙に唇が重なった。
チョコレートの甘いキス。
ホワイトデイにもこんなキスをした。
絡まる舌によってチョコの味を伝えられて。
息を乱す私に、口の端を上げて笑む青がいた。
いいのかなあ、仕事中に。
「ありがとうございました青先生」
「……お大事に」
 芝居じみた言動をした私に青が苦笑う。
「じゃあ帰るね」
「そろそろ外に迎えが来てるんじゃないか」
「あ、そうかも」
椅子から立ち上がってドアに歩いていく。
「休憩時にでも食べてね」
ポーンと投げたそれをナイスキャッチする青に手を振って私は診察室を後にした。
煙草の代わりにはならないお菓子だけれど、気分転換になるでしょ。
オフホワイトのコートを羽織り、手袋を嵌めると、医院から出た。
駐車場の中央に止められた車から女性が降りて来る。
運転手スタイルで、帽子も白い手袋も嵌めている。
歩いてゆくとさっと後部座席の扉を開けてくれた。
「えっと初めてお会いしたような」
「青様から、くれぐれもよろしく頼むと申しつかりました
弥生双葉と申します。以後よろしくお願いします」
斜め45度に会釈した女性の綺麗な仕草に見とれてしまう。
すっとした立ち姿が印象的だ。
「よろしくお願いします。あの、そういえばうちの運転手さんって
男性じゃなかったですか?確かお見かけしたのは男性の方なんですが」
「男性の運転手は隆さま専属の者がいますね。私は普段はお屋敷の中で
働いていて頼まれた時は結構驚いたのですが。
今回、沙矢さまの専属運転手もさせて頂くことになって大変嬉しく思ってます」
青は自分で運転するから、私一人の外出の時お世話になることになる。
「こちらこそ」
「青さまがご不在の時は、私がお出かけの際お供しますのでお申し付け下さいませ」
「お屋敷の中でお会いしたことないですよね」
「裏方なので目立ちませんので」
裏方とは何をするのだろう。藤城には一体何人の使用人の人達がいるの?
双葉さんは青がいない時にお世話になるのだろうから実質私専属ってことに。
車に乗り込み柔らかく沈むベンチシートに凭れながらそんなことを考えていた。
外国のタクシーでこんなの見たなとか呑気に思ってみたり。

家に帰り自室に戻ると手帳を開いた。
赤いデニム地の愛用の手帳は記念日が色々書いてある。
リフィルだけ新しいのを買い足して使っているので使い始めて2年になるだろうか。
大切に使っているので、あまり傷んではない。
『専属記念日』なんて書いてあるのを青が見たらどんな反応するだろう。
ベッドにうつ伏せに寝転んでひじをつくと眠りに誘われてゆく。
おかしいな。充分寝てるはずなのに眠気だなんて。
そうだ、布団が気持ちよすぎるんだ。
いいわけして睡眠の衝動に身を任せた。

すやすやという形容詞が正しいなこれは。
ぐっすり眠っている沙矢を見て笑う自分がいた。
覆い被さる格好になり頬に口づけを落とす。
「……ん」
無意識で反応する姿に心臓が高鳴る。
布団をかけようか、起こそうか思案し、やはり起こすことにした。
「沙矢、ったく布団も掛けずに寝るな」
耳元で囁くと肩が跳ねる。
寝ているのに敏感なやつだよ。
「……ん……青」
ゆるゆると瞼が持ち上げられて、俺を見上げる。
何故か沙矢は頬が赤い。
ついからかってやりたくなった。
「今何時……」
寝ぼけた顔で沙矢は、起き上がった。
少し潤んだ瞳に庇護欲を掻き立てられる。
「9時」
「ふ、不覚……起きて青にお帰りなさいって言えなかった」
しゅんとうな垂れる沙矢の髪を撫でると肩に頬を預けてきた。

「気にするな。お前の夕食はテーブルの上に置いてあるからな」
青がテーブルを指し示したので見ると、サンドウィッチが載った皿が置いてあった。
「青が作ってくれたの?」
「ああ」
差し出された腕に引かれるように、ベッドから降りるとテーブルの前のソファーに座る。
青も隣に腰掛けた。
目をきらきらと輝かせてサンドウィッチのサランラップを取る私を青がずっと見ている。
レタスが少しはみ出したサンドウィッチを口いっぱいに頬張った。
「喉に詰まるぞ」
隣から忠告が聞こえるが、気にしないことにした。
料理を一口ずつ口に運ぶのは綺麗だけど大口で食べた方が美味しかったりもする。
サンドウィッチを平らげてゆく私を肘をついて見てる青に美味しいよと目で合図した。
ジュースで、最後の一口を飲み込むと
「疲れてるのに、わざわざ作ってくれてありがとう。
明日はこんなことがないようにするから」
一気に捲くし立てた。
「期待しとくか」
喉で笑う青に小さく頷いた。
「へえ隠れた趣味発見だな」
楽しげに吊り上げられた唇を見て慌てる。
後ろから取り出され目の前に掲げられたのは手帳。
「見たの!?」
「見るわけないだろ」
手帳をそっと渡されて顔を赤らめる。
別に見られて困ることは書いてないが、自分だけの秘密を暴かれた羞恥心が湧き上るのだ。
「そのままにしといてよ」
ぎゅっと胸に抱きしめると青に抗議する。
手帳は私が寝転んでいる側に置かれていたはずだ。
「怒った顔も好きだ」
「ひ、人の話聞いてるの?」
「お前が手帳を捲ってペンで記す姿が想像できるよ」
さらっと流されたし。
それに悦に浸っている風には見えなくても相手は青だ。
侮ってはいけない。寧ろ既に彼の手中にはまっているのを認めてはいけない。
「何意地になってるんだ。睨むなよ。魂まで持っていかれるだろ」
相変わらず冗談染みた言葉を吐く人だわ。
劇中の台詞みたいよ!
「疲れてないの?」
「お前の顔見たら疲れが吹き飛んだ」
「ありがたくも光栄な言葉をどうもです」
大して疲れてないはずの私までどっと疲れが押し寄せてきた。
心地よすぎる疲労というべきか。
このふざけたやり取りをお互い楽しんでないわけがない。
テーブルの上の皿とグラスをトレーに載せてそれを持つと立ち上がった。
部屋のドアに向かう途中で振り返り青を一瞥する。
「青、手帳見て記念日確認してね」
「いい。見なくても全部覚えてるから」
自信に満ちた顔と声で言われて私は、負けたのを感じた。
いつものことだった。


お風呂から出るとゆっくりとベッドに寝転んだ。
うつ伏せになって肘をつくとお互いの横顔を見つめる。
寝る前にこんな風に過ごすのは定番。
「青、また一緒にいられる時間が増えたね」
「叶うなら24時間お前といたいよ」
指先を繋ぎ合わせた。
擦り寄って胸元に顔を寄せる。
頭に手の平が乗せられるのを感じると抱き寄せられた。
腕を伸ばし布団を引っ張って掛ける。
互いの頬に唇で触れ合った後、唇同士を重ね合わせた。
「おやすみ」
唇から漏れたかどうか分からない囁きだったが、
確かに言葉が空気を震わせていた。



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