Ring


 うつ伏せになった青の背中に手を置く。
「よろしく頼む」
 ノリノリなのは気のせいではないはずだ。
「う、うん」
 腕を伸ばし、もどかしく腰に力を加えると、
「離れてちゃやり辛いだろう? 乗れよ」
 青の低音が耳をくすぐった。
 ええ、乗らなくてもできるんじゃ。いや、逆らうのは得策ではない。
 脳内でぐるぐる回る思考。
「さっさとしないと逆にお前をひっくり返すぞ。いいから乗れよ」
 びくっとした。絶対ひっくり返されるわ!
「……はい」
 彼の体に直接体重をかけないように注意を払いながら上になった。
 肩や背中に力をくわえて揉む。
 バスローブの下は何も着ていない。
「……寒くないの」
「部屋が暖かいから、別に」
「そう」
 ぐいぐいと力を加えていてもやっぱり気にかかる。
「お腹があたって窮屈じゃない? 重かったら言ってね」
「そんなこと気にするなら、最初からさせてない」
 屹然と言われて、息をつく。
 それなら良かった。
「もう少し強めでもいいぞ」
「分かりました」
「丁寧語もグッとくるが、そういうプレイは生憎望んでない」
「プレイとかいう辺り危ないんだけど」
「……お前が望むなら別にいいんだが?」
 彼は満更でもなさそうに言った。
 丁寧語といえば、ふと思い浮かんだことがある。
「青が学校の先生だったら、授業に集中できないかも」
「……そういえば」
 ぼんやりと青は答えた。
「医学英語を教える道を選ぶことも考えたりしたな……一瞬の気の迷いだが」
 一瞬の気の迷いと言う辺りが青らしい。
「どちらにしても先生って呼ばれる職種よね」
 うつ伏せになった体勢で、首を持ち上げた彼は、何かを企んだ顔をしていた。
 ……来る。絶対何か来る!
「お前だって俺に愛を教えてくれた先生じゃないか。
 次はどんな授業をしてくれるんだ。沙矢先生?」
「……生徒あっての授業なので」
 笑ってごまかす。
「満点が取れるように頑張るからお手柔らかに」
「くっ……」
 私の側にいるときの彼は無口ではない。
 どこから出てくるのと言うくらい言葉で迫ってくる。
 小声で、えいやーと言いながら力を込めて、肩と腰を揉みほぐす。
 腰はともかく肩は凝っているようなので重点的にマッサージした。
「……お腹は気にならないが、胸が気になるな。いやらしい先生だ」
 どっちがいやらしいのよ。
「不真面目な生徒ね……」
 ぽんぽんと背中を撫でて終了の合図を送ると、青はむくりと起き上がった。
 再び隣り合って座る。
「男だからしょうがない」
「青だからでしょ」
 男だからで何でもかんでもまとめられても困るわ。
「俺が帰るまでに何かあったんだろ? 言えよ」
 視線から本気が伝わってきていた。
 動悸が激しくなる。
 腰を抱かれて引き寄せられる。
「お義父様が、もう安定期なんだから、無理さえしなければ夫婦としての時間を
 持ってもいいんだよって仰ったの……どう思う?」
 青は、俯き両手で顔を押さえたまま動かなくなった。
「……青?」
 心配になって背中を揺すったけど反応がない。
 しばらくした後、顔を上げた彼は抱きつくように肩に寄りかかってきた。
 そろりと、背中に腕を回して抱きしめ返す。
「義兄さんにも言われたよ。
 ストイックな感じもいいけど、欲求不満オーラがあからさま過ぎるだと……
 容赦がない人だ。頻繁に顔を合わせるわけじゃないのによく見てるよ。
 ……当たってるから彼の言葉に何も言えなかった」
 視線を逸らせない。
 大きな手が、さらりと髪をひと撫でした。
「もう二度と触れ合えないわけじゃないし、耐えられないのもおかしいとも思う。
 それでも、お前を求められないのは辛い。気持ちを伝えずに体を交わしていた
 あの数ヶ月だって、お前を抱いて生きていることを実感していたんだ」
 青を見つめる。彼の両手が顔を押さえていた。
 息を飲む。視線を逸らすことは許さないと言っているようで、
 彼の顔に手のひらを寄せ、額から、頬、鼻筋、顎を辿る。
 彼も同じように、私を確かめていた。
 顔が近づいて、瞳を閉じる。
 角度を変え、重なる口づけが、体の熱を焚きつけていく。
「……っ……何故私達って触れ合わずにはいられないの?」
 震える声は、ほとんど独白に近かったけれど、
 青は、しっかりと答えを返してくる。
「理由を求めてもしょうがないだろ」
 頬を舌がなぞる。肩口を抱かれる。
「それが俺達なんだから」
 見事に切り返されて、納得以外浮かばない。
「……ん」
「それでも、お前一人の体じゃない今は、無茶は許されない。
 そうだな。お互いに満たされる方法を試そうか?」
 甘い声が、脳内を侵す。
 視界が反転し、見下ろされる。
 彼と指を繋いで、結び合わせると、空いた方の手で髪を撫でてくれた。
「嫌なら止める。無理強いするほど愚かな男じゃないからな」
「……触れ合いたくてどうしようもないわ」
 触れられたいのではなく、互いに触れ合うことを望んでいた。
 私の言葉に、彼は満足したのか、口角を上げて笑った。
 あの皮肉っぽい笑みだ。
「同じ気持ちなら問題ないな」
 互いの指を固く繋ぐと、その熱さにじんと痺れた。
 間近に迫る青に、頷いて了承の意を返した。
ぱちん、と部屋の照明が落ちる。
「……ネグリジェよりもボタンのパジャマの方が好きだ」
 腕を上げて、彼が脱がせてくれるのを手伝う。
「何で?」
「脱がせ甲斐があるからな」
「……言うと思った」
「じゃあわざわざ聞くなよ」
 一気に下着まで外されて、着た意味はあったのか疑問だ。
「っん……ふ……」
 舌を差し入れられ、絡める。
 深く、濃厚な口づけが、案外体力使う行為だと気づいたのは、いつだったろう。
 唇を貪る度漏れる音は、耳を塞ぎたくなるくらいだけれど
 この音は逆にお互いを駆り立てる材料になるのだと理解していた。
 意識が白くなり、夢中になる以外できなくなる。
「ある意味悪いことしてる気分になる」
「俺達が良ければそれでいいんだよ」
 瞳が潤む。情欲とは別の部分の感情がこみ上げていた。
「罪悪感はあるでしょ」
「不可侵条約なんて意味のない物を交わしたことへのな」
 青が、バスローブの紐を解き、体を密着させてきた。
 彼の体の向きが、反対だ。私の顔の上に跨っている格好。
「……俺は別にされたいわけじゃない。
 二人でするのは好きだけど」
 二か月前の12月、私が初めて彼へした行為。
 慈しんで触れて、昇りつめるまで、導いた。
 これは、体勢的にお互いにするってこと?
 何かをすする音。背筋が震えたのは、久しぶりで敏感になっているせいだ。
 破裂しそうなくらいの心臓をなだめる。躊躇いなんてない。
 あの時も青への愛しさが溢れて、嫌悪もなかった。
「っあ」
 今、中々触れられないのは、不安のせい。感じさせてあげられるだろうか。
 こうしている間にも指と唇は、大胆に攻めている。
 濡れる音は明らかに自分が出していてキスだけでこんなにも感じていたのだと思い知る。
 つばを飲み込み、そろりと腕を伸ばす。指で触れると震えた気がした。
 そっと撫でて上下に擦ってみる。熱くて溶けだすのではないかとすら思う。
 たくましく成長するまで時間はかからなかった。
「……そうだ、沙矢」
「っく……」
 口に含んだが、全部は受け入れられない。
 あの時はここまでできなかったのを思い出す。
「鏡で見れば相当エロいんだろうな」
 荒い息を吐き出す青に、羞恥を煽られる。
「や……っ」
「……直接見えなくても頭で想像すればいいけどな」
 秘所の側で喋られると、背中が勝手に跳ねる。
 触れられ、触れている。高め合うってこういうことなのだ。
 奥に潜った指が、曲げられ、的確に突いてくる。高い声を上げて啼いた。
 思わず愛撫する動きが止まってしまう。
「物足りないな。手加減しなくていいぞ。
 俺はするつもりないからな」
 青は、嫌になるくらい丁寧に愛してくれていた。
だから、応えたい。何も知らなくても想いのままに。
「っ……あ」
 青から洩れた低い呻きにどきっとする。
 ほとんど聞いたことがない彼の濡れた声は、驚くほどエロティックで、神経を揺さぶる。
 声を聞いて満たされた。不器用な仕草でもちゃんと伝わっていた。
「ん……でも、こんなことするなんて思わなかった」
「新鮮だろ」
「でもそろそろ……限界かな」
「ちゃんと言えるんだな」
 感心した風に言った青は、私の上から離れた。
 腕を彷徨わせて彼を求める。
「待ってろ。お前はいい子だろう」
 くすくすと忍び笑い。包装を破る音が聞こえ、瞳を閉じる。
 ベッドに体重がかかる。
 私の体を拘束するように腕をついて彼が覆いかぶさってきた。
 濡れた髪を梳く指先。頬、額、顎、首筋へとキスが降る。
 背中に腕を回すと汗ばんだ肌に指が滑った。
「直に繋がることはできない。
 だから、約束を破ることができる」
「っ……ああっ」
 力強く貫かれる。
 息を整えていると、青は動きを止め包み込むように抱きしめてくれた。
「……っ青……愛してる」
 奥で彼の存在を実感しながら呟く。
「ああ……愛してるよ……沙矢」
 不思議な一体感に酔う。彼と繋がっていることに涙が出た。
 胸を優しく揉みしだかれ、甘い声で媚びる。
 手を押し当てて鼓動の音を確かめる。胸板に啄むキスを送る。
 耳たぶが青の唇に挟まれて、電流が走った。
 お互いを愛撫していても、腰の動きは再開されないまま。
 ゆったりとこの時間を味わいつくしている。
「……お前の中にいるだけでもイキそうだ。
 物足りないなんて、わがままを抜かすつもりはない」
「……うん、嬉しい」
 唇を重ねる。
 昇りつめたのは、いつだっただろう。
 いっぱいキスをして体温を分け合って。
 繋がりが解けた時、青は横になって私を抱きしめた。


「っ……ううん……青」
「……せっかくの我慢を無にする気かよ」
 がばっと飛び起きる。
「え、えっ?」
「寝起きの舌っ足らずな声の吸引力は半端じゃないんだぞ」
 横で肘をついた格好で、青が見つめている。
 攻める台詞を言われても襲われる気配はない。
「傷つくな」
 安堵が顔に出ていたようで、青は、沈んだ声を出した。
「ご、ごめん」
「謝るなよ。ちょっとは疑え」
「騙したのね」
「騙される方が悪い」
 舌を出した青こそ、吸引力抜群だった。少しばかり憎たらしいけど。
「青……仕事大丈夫よね」
 窓から差し込む朝陽に、朝が来たことを知る。
「問題ない。逆に、パワーをもらった」
 青がそう言うのだから大丈夫なのだろう。
 清々しいくらいのさわやかな笑顔なんだもの。
「とりあえず、お前は寝てろ。調子悪いってことにしといてやるから」
「……恐れていたのに」
 満たされすぎたことで動けなくなってしまうのを。
「よかっただろ」
「……はい」
 ぽんぽんと頭をなでられ、引き寄せられると布の感触がした。
 青はとっくに服を着ていて出かける準備をしていたのだ。
 ぼんやりと見つめる。
「やましいことは何もないんだから、堂々としていればいい」
 優しげな眼差しに頷くが、心の中では絶叫していた。
 ああ、嫌だ。お義父さまと顔合わせ辛い。
「……そうよね」
 間が空いてしまったのは仕方がない。
「おはよう、沙矢」
「おはよ……」
 頬にキスをされ、まどろみから一気に覚醒した。
 このタイミングで言うのは絶対おかしい。
「行ってくるよ。留守を頼む」
「行ってらっしゃい」
 壁に背中を凭れさせ、ひらひらと手を振る。
 青のすっきりとした顔は、とても分かりやすい。
 部屋を出たら表情をがらっと変えるのだろうけど。
「ごめんなさい……明日はちゃんとします」
 引っ越してから初めての朝寝坊に、心の中で何度も詫びた。
 

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