バーカウンター



 ささやかな照明に照らされたバーの店内。
 隣りには、恋人であり同志でもある存在がいる。
「誕生日おめでとう」
「んーありがとう」
 グラスを合わせると高い音が響く。
 猫のような気紛れさで翻弄する彼女は今日で20歳を迎えた。
 病院長の令嬢の彼女と医大生の自分。
 そういう意味では似合いの二人だろう。
 しかも既に親同士公認の中で将来結婚を約束した仲である。
「青ったら本当に生意気なのよねえ。誰に似たんだか」
 青というのは彼女の弟で現在小2の男の子だ。
 くそ生意気なほど礼儀正しく、冷めた目で世間を見てるような子供らしくない子供。
 何度も会ってるがとりあえず嫌われてはいないようだ。
 普通の子供なら興味を示さない難しいことを聞いてきたり
 おおよそ掴めない。さすが彼女の弟だ。一筋縄じゃいかない。
 頭が良すぎる故に可愛くないという輩もいることだろう。
 俺は翠から聞いて知っていた。
 彼は、感情を上手く表に出せないのだ。
 数年前、翠と青の母親が亡くなってから余計にそういう雰囲気が強くなったらしい。
「青が可愛いくて仕方ないって感じ?」
「まあね、歳も離れてるしそれなりに可愛いわ」
「俺とどっちが好き?」
「あはは……あなたらしくないこと言うわね」
 彼女はからからと笑い飛ばす。
 かなり意地悪な質問だったに違いない。
 少なくとも、家族と恋人を比べるなんて間違っている。
「おかわり下さいな」
 彼女の言葉に、バーテンダーが新しいカクテルを差し出す。
 小さな店のカウンターは狭く二人きりの世界となっていた。
 すっと受け取った彼女が、グラスに浮かんださくらんぼを口に咥えて笑う。
 一瞬、見惚れてしまった。
 隙を見せない彼女が無防備に笑ったから。
「翠!?」
 ふいを突かれ口の中に放り込まれたさくらんぼ。
「茎を上手く結べる人ってキスが上手いんですってね」
一瞬離れた唇が言葉を紡ぐ。
 俺は、彼女の唇にさくらんぼを移動させ、茎を結ぶ。
 自然とキスは濃厚なものになっていた。
 視界を横切ったバーテンダーは、見ない振りをしてグラスを拭いていた。
 どちらともなく離れた唇。
「合格点まであと少しね」
「そうか、じゃあまだまだ練習が必要だな」
 吐息混じりになる声はまるで、激しく愛を交わした後のようで。
「変なこと考えたでしょう」
「何故?」
「顔に書いてあるわ」
 くすくす笑いながら頬に細い指を滑らせる。
 艶やかな真紅のマニキュア。いつの間にこんなに似合うようになったのだろう。


 バーを出て歩く。
 行き交う車は止む事が無く、街灯の明るさが夜の世界を照らす。
 差し出した掌に翠は指を絡める。
「この街が好き。陽と生きてあなたの子供を産んでそんな風に
 この街の中で生きて行きたいのよ」
 時折見せる翠の素顔は意外にも20の女の子らしい理想を描いていて
 普段の彼女からは想像できなくて、  こういう所に惹かれてるいるんだと思う。
「ああ」
 より強く手を握り締める。



 ほとんど物が無い雑然としている部屋でも
 人が増えただけでこんなにも雰囲気が変わる。
 誰でも同じじゃない。翠だからだ。
 一日主の帰りを待っていた部屋は湿って冷たいのだが、今日は心なしか温かい。
「今度、うちに泊まりに来ない?」
「お嬢様がそんなこと言って大丈夫か?」
「お嬢様って呼ばれるの好きじゃないって知ってるでしょ。
 大丈夫よ、知っての通りうちはアバウトだから」
「ああ、そうだな、じゃあまた今度」
 さらっと返した言葉に翠は笑う。
 別に図々しいわけでもなんでもない。これが俺たちにとっての普通なのだ。
「泊まりは別としてお父様も会いたがってたから」
「近い将来俺の父親になる人だもんな」
「既成事実作って結婚纏めちゃいましょうか」
「既成事実はともかく俺が卒業したら結婚できるな」
「あなたとならお金なくても、暮らしていけそう」
 どこまで冗談か判別がつかない。
 度を過ぎれば笑えなくなる冗談を平気で交わし。
 横抱きにすると首に腕を絡ませてくる。
 抱かかえたまま、唇を重ねる。
 舌で唇に触れて啄ばむように。
 頬に額に、首筋に、キスをして互いを奪い合う。
 アルコールが入っているからか、すぐに体の熱が上がる。
 彼女の指先がシャツのボタンを外し肌蹴けられたシャツの中に指を差し込む
 すっと撫でて胸に頬を寄せられ、彼女の首筋に顔を埋めて甘い香りに酔いながら。
 言葉も無い静寂の中で、衣擦れの音だけが響く。
 肌から落ちたシャツとワンピース。
 折り重なりながら床へと沈む。
 暗い部屋の中で黒い影ができた。
 もどかしいキス。
 指を絡め合わせて、見つめ合って不敵に笑う。
 一歩も譲らない。
 どちらかにリードされる関係でもなく、同じリズムで、確かめ合う。



 20の誕生日にはバーに連れて行って。
 そして夜は、二人で波の音を聞くのよ。



 何も持たない俺でもこの約束は守りたかった。
 ずっと二人でいようと決めていたから。
 

 甘やかな重力から抜け出して衣服を纏う。
 まだ彼女は起きる気配がなかった。
 シーツから覗く肩は細くて、やはり女なんだなと思う。
 強くて、一見騙されそうになるが実際は簡単に壊れそうで
 抱き合う時はいつも気を使っていた。
 勝気な彼女が、とても可愛く見えて。
 あまり可愛いなんて言い方好きじゃないみたいなので心で思うだけなのだが。
「愛してる」
 笑って口づけを重ねる。
 長い髪が陽の光に透けていた。
 その髪を撫でると名残惜しくも立ち上がる。
「ゆっくり起きろよ」
 小さく笑って部屋の扉を閉めた。



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