柔肌



 彼は組み敷いた少女の背中を抱きしめた。
 赤い刻印は決して残さない。
 僅かの後に消えるのだと知っているからこそ、  余計な事はしない。
 消えたら、またつけてほしいだなんて言われたら、  優しく突き放すだろう。
(会えば会うほどに手放せなくなる。もはや手遅れだろうか)
 呆然と見上げてきた少女を抱き上げて自分のマンションに連れ込んだ。
 無防備で、危うい子供のような女。
 最初に誘ったのは向こうだった。
 面倒な未成年に手を出したことを正当化するつもりは毛頭なかったが、
 彼女のあの声を聞かなければ、決して手を出す事はなかったはずだ。
 すがるような甘い声で言われた瞬間に、ぷつりと何かが壊れた。
『抱いて……』
 無防備で、震える声が耳を侵した。
 すがりついてきた少女に喉を鳴らし、押し倒して
 貪って、彼女を食らいつくした。
 当然、守るべき物は守った。
 一時の快楽のために、すべてを失うことなどできようはずもない。
 床に散らばった制服と下着に、ああと思う。
 自分の学校の生徒というのを知りながら、手を出した。
 相手も勿論分かっいて、先生と呼んだ。
 担任で受け持っているわけではないが、
教科担当で週に何度も顔を合わせている。
「可愛いよ……」
 汗ばんだ髪を撫で梳いて、額に口づける。
 小さく、くすくすと、笑う彼女は俺の手を固く握り締めていた。
 腕の中にいる少女は、ひたむきに一途で、きしりと胸が軋んだ。
(君はどうしてこんなに俺を欲しがるの?
 俺の側にいても何も得る物はないというのに)
 肌理(きめ)細(こま)やかな肌は、ひどく馴染むようになっていた。
 吸いつくようだ。
 己は、弱くて愚かしい。
 不敵に笑いながら、紫煙を吹かす。
「……好き」
 口の端を上げて、緩やかに動く。
 甘い声で啼き叫ぶ少女の肢体は次第に弛緩し始めていて、
 途切れがちな声を深い口づけで塞いだ。
 

 ベッドヘッドに凭れて、ぼんやりと宙を見上げていた彼女は、差し出された水を喉に流し込んだ。
 唇から顎に伝う滴をみだらな舌にすくわれて、ぞくりと震えた。
 ボタンを留めず羽織っているだけのワイシャツ。
 黒縁の眼鏡をしたまま、唇が重なる。
 肌に触れる違和感。
「っ……」
「ああ……ごめんね」
 目の前で眼鏡を外す姿を見上げる。
 顎から首筋を大きな手のひらが這い、包み込んだ。
「先生」
「先生って呼ぶならもう会わないから」
 ドキッ、とした。
 なんて、冷たく笑うんだろう。
 ぶるぶると頭を振った。
「い、いや」
「じゃあ、名前で呼んで」
「かける」
「いい子にはご褒美をあげる」
「んん……」
 敏感な場所に繰り返されるキスは、体の奥をざわつかせる。
 少しずつ熱があがって、肌が色づいていく。
 冷たいけれど優しいキス。肌の上を掠めては離れる。
「もっ、と」
「わがままなことを言ったら駄目」
 笑って、指先でいじる。
 甘い痛みが、声に変わって、まるで媚びているみたいで涙がにじんだ。
「また抱いてもいい? 」
 断らないと知っていて、彼は彼女に毎度同じ事を聞いた。
 穿ちながら、キスをしながら耳元で問いかけるから、
 まともに答えを返せているか定かではなかったけれど。
 彼にとってはどちらでもいいのだ。
「……雨降ってるね」
 肩を抱かれ引き寄せられて、視線を向ける。
 ぽつり、ぽつりと小さな雨音は次第に激しくなっていた。
 ぶるりと体がふるえて、身をよじる。
「寒いの? こんなに側にいるのに」
 裸眼の彼が目を眇(すが)めて見つめてくる。

「もう帰ってほしいのに、雨が降ってきちゃって困ってるんじゃない? 」
 泣いているのか、笑っているのか自分でもよく分からなかった。
 彼の視界に少しでも映っていたい。
 私のことを気にしてくれればいい。
 彼女は無意識で願う。
 彼が、彼女の一挙手一投足に惑わされていることなんて知る由もない。
「まさか。君を帰らせない口実ができて嬉しいだけさ」
「え……」
「悪い子だから、適当に友達の家に泊まるとか言えるね? 」
 ぽかんとした。おかしくなって、笑い出す。
 どっちが、悪いんだか。
「シャワー浴びておいで」
 ジッポで火をつける。二本目だ。
 悪戯めいた微笑を浮かべて、頬にキスをした。
「覗きに来ないでね」
「君の柔肌なら、後でめいっぱい堪能するからいいよ」
 冗談で言っているわけではないと知っている。
「かける……先生のえっち」
「意味が分かる君もね」
 服を抱えて、部屋を抜け出した。
「まいったな……」
 彼の独り言はシャワーの音にかき消されて聞こえなかったが、
 シャワーから戻った彼女は、彼に答えた。
 まるで聞こえていたかのような言葉に翔は、面食らう。
「私がね、先生って呼びたいのは、尊敬しているから」
 うつぶせの背中をなぞる指先、そして待ち望んだ唇が強めに刻印を残す。
 嬉しくてたまらなかった。
 ずっと残してほしかった証をやっとくれて、余計に愛しくなった。
「夏穂……」
 火照(ほて)っているのはシャワーを浴びたからか、彼が火をつけたのか、
 きっと両方で、うっとりと瞳を閉じて彼の仕草を想像しては肌に熱がこもる。
 遠くで見ていたときからずっと好きだった人と
 こんな風な時間を過ごせて、夢だったら醒めないで。
 衝動的に求めたのではなかった。
 突き放されて軽蔑(けいべつ)されても、一度きりでもいいから彼に抱かれたくて懇願した。
 先生と呼ばれることを拒むのは距離を感じたくないからだといつか聞いた時、
 ああ、この人は遠ざけようとはしないのだ。
 受け入れてくれるのだと感じた。
 女子高生を弄ぶような人物ではないことは、知っていた。
 真面目だからこそ苦しんでいる。こうなってしまったことを。
 これ以上余計な苦しみを感じさせたくない。
 とろける甘いキスが唇をついばんで、首筋に痕をつける。
「もう……しないで。十分に満たされてる」
「こうしてるだけで気持ちいい? 」
 頭を揺らせば、背中から抱きすくめられる。
 長い腕が腰を包み、やがて上の方に伸びてくる。
 横になった彼が腕の中に閉じ込めるから、心が弾んで高鳴った。
 大好きな人に柔肌を愛でられる。
 ひとつに繋がらなくても、淡い幸せをもたらした。
「かわいい夏穂、大好きだよ」
 ぽつり、涙が頬を零れ落ちた。




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