キャンディ



 彼女の掌から渡されたのは、小さなキャンディ。
 甘酸っぱさに自分達の関係を連想する。
 幼なじみとして側にいるのが当たり前。
 二人が十九になる時に結婚をしよう。
 親同士も公認の約束を交わしている。

「セラ」
 振り向いた彼女に口移しで渡した。
 飲み込む音が間近で聞こえ胸が高鳴る。
 彼女は顔を真っ赤にしていた。
 こんな彼女を見られるのも自分だけだと思えば嬉しかった。
「喉につまるって」
「大丈夫よ」
 微笑み合う。  ここはセラの家が管理している庭園である。
 ここでのデートは定番になっていた。
 穏やかな日差しの中で花を摘んで、他愛もないことの  有り難さを思い知る。
「ジャック、早く大人になりたいな」
「うん、僕も」
 早く大人になって結婚したい。
 そうすれば、共に暮らせる。
「まだ三年もある」
「もう三年しかない」
 互いに譲り合わない。
 夢見ている未来はいつの日か訪れる現実。
 たった一つの憂いが、心を重くするけれど…………
 口に出したら彼女は怒るだろう。
 何も気にせず無邪気に笑いあっていられるほど
 僕たちは子供ではなくなってきている。
「早くジャックが、うちに来てくれたらいいのに」
 父は、彼女の家より爵位が低い為、彼女をトリコロール家に迎えることは出来ない。
 婿養子として彼女の家に入ることが決まっている。
 下の者が上の者に従うのは当たり前のことだ。
 彼女の両親だって心の中と外では違うはずだ。
 もやもやと嫌なことばかりこの頃は考えてしまう。
 勘が鋭いセラは僕の心の中を探り当てるだろうな。
 彼女は全部教えてくれないのに卑怯だなと思う。
「…………何考えてるの?」
 顔を覗きこんでくる瞳は眩しいくらいに綺麗で。
「セラは綺麗だなって」
「聞き飽きた言葉だけどジャックに言われると格別に嬉しいわね。
…………やっぱりこんなこと言うの可愛くないのかしら」
 咲き始めた花のような表情で笑うセラ。
「誤魔化される私だと思ってる…………」
 問いかけではなく淡々とした呟き。
 手を握り締められて、真っ直ぐ視線がぶつかる。
「ジャックのそんな所が嫌いだわ…………どうして
 悩む必要があるの。私達は結婚を反対されたりしてないじゃない。
私がお嫁に行こうとあなたがお婿に来ようとどっちにしても
変わらない。私があなたの物になるって事は」
 セラの言葉は内面を抉るナイフだ。優しくて鋭利な。
「セラ…………」
 首に回された腕が熱い。
「好きだ」
 体を離して掠める口づけをする。
 微かにキャンディの味を感じた。
 大胆な自分に驚いて照れ笑いをすると、
 セラも顔を赤らめた後、口づけをくれた。


 キャンディの瓶を開けて互いに一つずつ取った。
 オレンジの味の甘いキャンディは口にすっと溶けてなくなる。
 口の中で転がすと鼻の奥がつんとした。
 駆け落ちできたら家も親も関係なく二人でいられるのだろうか。
 全部を捨てて生きるほど、生きる術を持たない子供の私とジャックに
 できるわけがない。貴族で温室育ちで苦労も知らない。
 ジャックの憂いは私のせい。
 本当は辛いから思わず強い口調になる。
 きつい子だって完全に思われているよね。
 涙を強気に代えて自分を保っているだけだよ。

「今から言っておくわ。また言うかも知れないけど。
私、ジャック以外の人を永遠に好きにならないから」
 一瞬、面食らった顔をした後、ジャックはふんわりと微笑んだ。
「何があってもずっとジャックだけよ。覚えておいて」
 ジャックの嬉しそうな顔につられて私も笑う。
 何かあるとは思わないけど、これだけは言っておきたかった。
 子供っぽい主張でも。
「永遠の真実の意味は、自分の生きている間ずっとってことだよ。 それでも充分長いと思うけど」
「人生は長いんだから悩んだ時間なんてほんのちょっとよ」
 何やってんだろうね。
「くさっ」
「どっちがくさいのよ」
「確かに」
 他愛もなく笑い合う。
 さっきまであんなに辛そうだったのに、立ち直りの早さは天才的なんじゃない。
「キャンディなくなったね」
 もう一個と瓶を傾けた時はたと気づく。
「じゃあ記念にもらっとく」
 ジャックは瓶を陽に透かして目を細めた。
「空き瓶なんだから捨てなさいよ」
「捨てていいならもらっていいだろう?」
「いいけど」
「手紙を入れるのも面白そうだ。ほら、瓶の中に手紙を入れて
 海に流したりするじゃないか。瓶は波に揺られて相手の下まで当ても無い旅を続けるんだよ」
「頭の固い大人たちにはロマンなんて理解できないから、見つからないように
 隠して置いといて。見つかったら汚いって捨てられかねないわよ。
…………そうね、プランターの中がいいんじゃないかしら」
「間違ってもポストには入れちゃ駄目よ」
「悪いことしてるわけじゃないのに秘密みたいで楽しいね」
「まあね」
 指先を触れ合ったら、時が止まったみたいに感じた。
 この手の温もりは忘れない。
 野原の花たちが風に揺れていた穏やかな春の日。
 キャンディーよりも甘い思い出。


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