第3章



 春に生まれた王女はまるで陽だまりのようだと専らの評判だ。
 天真爛漫で、少しお転婆でどんなことにも興味を抱く。
 王、王妃のどちら譲りでもない赤茶色の髪の毛が、悩み。
 くるくるとよく動く猫のようなお姫様は、リシェラ。
 セラ王妃が20の時に産んだ第一王女で、現在14歳だ。



「お父様、今度お城に働きに来る人って私と歳が近いんでしょう?」
 リシェラはきょとんと首を傾げ大好きな父親である王に問いかける。
「ああ、16歳だったかな」
「わあ。お友達になれるかしら?」
「仲良くなれるといいな」
 あどけなく笑うリシェラの頭を王は柔らかい仕草で撫でた。
 もうすぐ15になるとはいってもまだまだ幼い王女は、
 物怖じせず人見知りもしないので城内の召使い、兵士達とも
 仲が良い。どんな人間とも仲良くなれるという特性を持っていた。
 ただ歳の近い者がいなかった為、友達というものが 今までいなかったのだ。
 政務で忙しい王、王妃に代わって彼女の側にいたのは、
幼い頃王が贈った白いうさぎのぬいぐるみ。
 何処へ行くにもリシェラはうさぎを手放さない。
 年齢的にもそろそろ卒業しなければならない頃だというのに。
 寂しがりやのリシェラは他の何を取り上げられても うさぎのぬいぐるみだけは手離さなかった。
 王女のそんなところをみて、少し大げさだが将来を危惧した
 家臣であるギブソンが、提案をした。
 リシェラ王女付きの臣下を雇ってはどうか。
 歳の近い者が側にいたら彼女もぬいぐるみで寂しさを紛らわそうと
することはなくなるかもしれない。
 ギブソンの提案を王と王妃は反対することもなく受け入れた。
 男女どちらでも可。年齢は14〜18という制限で、
募ったら、数名の志願者が現れた。
 誰を選ぶかは王女自身に委ねられることになり、
リシェラはドキドキ逸る胸を押さえて、壇上から降りた。
 リシェラは瞳を期待に輝かせて一人一人の前を歩く。
 時折会話を交わしながら握手したり、まるで友人に接するように。
「あなたの名前は?」
 リシェラの差し出した手を投げやりな態度で掴む少年は
銀とも見紛うプラチナブロンドの髪、どこか虚ろな緑青の瞳を持っていた。
 見るからにやる気がなさそうな少年を見て
何故志願してわざわざこの場にやって来たのか分からないと王も王妃も訝しんだ。
 家庭の為に働きに来た者達は皆、雇って欲しいという
姿勢がありありと感じられるので逆に明らかに落としてくださいといわんばかりの態度は、
他から一線を画し悪い意味で目立っていた。
「ディアン……です」
「ディアンね。あなた、私のお友達になってくれるかしら?」
 リシェラは無愛想極まれないこの少年に決めたらしい。
「分かりました」
 ディアンの緑青の瞳にはリシェラの栗色の瞳が映っていた。
 側に仕える臣下を決めるのに、お友達と発言したのも リシェラの性格が垣間見られる。
「行きましょ」
 ぐいとディアンの手を引いて駆け出すリシェラ。
 既に周りが見えていないようだった。
 肩を落す志願者達にフォローの言葉をかけるのはギブソン。
 王と王妃は苦笑し、駆けて行くリシェラの背中を見送っていた。

 リシェラは覇気のないディアンにも我関せずといった様子で無邪気にはしゃいでいた。
 見かけは歳相応なのだが醒めたような眼差しが、彼を歳よりも上に感じさせる。
 無理矢理掴んでディアンを自分の部屋に連れてきてしまったことにリシェラは些か反省していた。
 肌触りのよい羽毛のソファーに、ディアンは引っ張ってこられたまま腰を下ろしていた。
「どうして俺を選んだんですか。見るからに扱いにくそうな俺を」
 自らそんな風に言ったディアンを見てリシェラはくすくすと笑い出した。
「瞳が澄んでて綺麗だったんだもの」
「どこが………?」
「お父様もお母様も私の選択を変に思ってるでしょうけど。私はあなたが良かったの」
 ディアンは、徐に立ち上がると扉に向かいだした。
 乗り気ではなかったのだからここで断った方がいいだろう。
 今ならまだ遅くはない。
「さっき何故選んだか聞いたわね。それじゃあなたは何故ここに来たの?」
 穏やかな口調だが侮れない。ディアンは驚き立ち竦んだ。
「気の迷いかな。やはり王女様のお守りなんて俺のガラじゃないみたいです。
申し訳ありませんがまた他の人を探されてください」
 リシェラにとって聞き捨てなら無い言葉が混じっていたが、
 感情を抑えて彼女は、ディアンに詰め寄る。
 扉に背中を寄せた状態でディアンはノブを握っている。
「一度了承しておいて断るの?それでも男なのあなた」
「な……」
 ディアンは噂と違うリシェラの姿に息を飲んだ。
 世間知らずで甘ったれな王女ではなかったのか。
 この部屋に戻ってからのリシェラは広間ではしゃいでいた姿とは別の姿を見せていて。
甘くみていたかもしれない。
 もし選ばれたら一度了承する振りをした後で一方的に断ろうと考えていたのだが。
「一ヶ月だけでいいからお友達として側にいてくれない?
 それであなたがどうしても嫌だって言うなら我儘は言わないから」
 リシェラは寂しげな瞳を讃えていた。
「…………分かりました」
 ディアンは、リシェラの瞳の奥の影を見てしまい、動揺した。
 気の迷いではなく確かに自分の意志で出した答えだったけれど。
 自分の下に仕えることになる者を友達といい、その手を求める。
 無邪気な仮面の下の孤独。
 もしかしたら、自分と似ているかもしれないとディアンは思った。
 部屋の中に視線をやれば、チェストの上にうさぎのぬいぐるみが見えた。
 年齢にしては幼稚な嗜好。
 視線が余所を向いているディアンに気づいたリシェラが、彼の顔の前で掌を上下させた。
「ディアン?」
「あ、…………」
 我に返ったディアンは少し頬を赤らめていた。
「ね、ディアンって背高いのね。背伸びしないと視線合わせられないわ」
 ディアンは無邪気に笑うリシェラを見て悪戯心めいたものが芽生えた。
 そっと彼女の腕を掴むと、自分の頬に触れさせる。
 戸惑う視線が見上げてきた。
「届いたでしょう?」
「ほんとね」
 リシェラの言葉を聞いてディアンは彼女の腕を戻した。
「これからよろしくね、ディアン」
 二度目の握手をするための手が差し伸べられる。
「はい」
 差し出された手にディアンの手が重ねられると、リシェラは満面の笑みを浮かべた。
 本来なら跪いて、手を取るくらいするのが普通なのだが、
 リシェラが友達と言った言葉に従っているのか、本当に無知なのか
ディアンはそのまま手の平を重ねた。
 他の者が見ていたらきっと見咎められただろう。
 リシェラが全く気にしていなくても。
 それから、リシェラは何処へ行くにもディアンと一緒だった。
 うさぎのぬいぐるみを手離すようになったかといえば、未だ片時も離さないのだが、
王女の笑顔を見られるだけでいいと皆思っていた。


 城中が寝静まった深夜。
 部屋の中で一人、リシェラは声も出さずに泣いていた。
 頬を涙が伝い落ちているが嗚咽だけは堪えている。
 誰かに聞かれたら心配をかけてしまうから。
 膝を立ててうさぎのぬいぐるみを抱えているリシェラの瞳には何も映っていない。
 怖い夢に捕まえられて目を覚ました夜はこうしてぬいぐるみを抱いて、呼吸が収まるのを待つ。
 優しくて温かい母が底知れぬ闇を抱えていることを
リシェラはいつだったか知ってから、 時折夢にうなされるようになった。
 母は父のことを愛していないのではないか。父は母のことを愛しているのが分かるのだけれど。
 他にも自分の知らないことがたくさんあるのかもしれない。
 リシェラは確かめたくても今が壊れるのが怖くて踏み出せない。
 乱暴に瞼をこすってリシェラはうさぎを抱きしめる腕に力を込めた。
 薄っすらと廊下から差し込む光にリシェラは気づくことはなかった。
 扉の隙間からリシェラを見つめていた人物は、音を立てないように注意を払い
扉を閉めた。拳を握っている自分を認めて苦笑しながら。



「おはようございます」
「おはよう、ディアン」
 リシェラの部屋を訪れたディアンはカーテンを開けて振り返った。
 リシェラは、笑おうとしたがぎこちなく表情が固まってしまう。
 今日はディアンが来て丁度一月。
 答えを聞く日だ。
 リシェラは、迷っていた。
 ディアンが言うのを待つか、こちらから聞いてしまおうか。
 ディアンに我儘を言ったのは自分だ。
 どんな答えを出そうとも否を唱える権利など無い。
 この一月一緒に過ごしてますますディアンを気に入ってしまった。
 できることならこれからも側にいて欲しい。
 おはようの挨拶以外言葉も交わさずお互い黙り込んでいる。
 もしかしてディアンは言い出し辛いのだろうか。  期待してもいいのだろうか。
 リシェラがディアンを見上げると決意を込めた眼差しをしていた。
「………ディ」
 名を呼びかけたところでディアンが口を開いた。
「これからもリシェラ様の側に仕えさせて頂けないでしょうか?」
 あの日、リシェラが見初めた澄んだ眼差し。
 ディアンが膝をついてリシェラの手を取った。
「…………本当に私の側にいてくれるの?」
「嘘偽りなど申しません」
「うん」
 はにかんだ笑みを浮かべるリシェラに、ディアンは答えを返すように華奢な手の平に唇で触れた。
「ありがとう、ディアン。これからもよろしくね!」
 ディアンは立ち上がって頭を下げた。
 リシェラはほっと胸を撫で下ろす。
 これからも一緒にいられると思うと嬉しくてたまらなかった。


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