第6章



 金属がぶつかり合う高い音が城の中庭に響く。
 一方が卓越した腕を持ちながらも力を抑えていても
 もう一方は、かわすことが精一杯だ。
 リシェラ王女付きの臣下ディアンは、最近、王女の側
 から離れて、剣の猛特訓を受けていた。
 額や首筋には大量の汗が流れ落ちている。
 剣を兵士団の団長に教わり始めてから一ヶ月。
 これでも腕は上がったのだ。最初はかわす事すらできなかったのだから。
 どれだけの想いが彼を突き動かしているのだろう。
 剣を覚えようとしている眼差しは真摯そのもの。
 瞳の輝きは、まっすぐで淀みの色は見当たらない。
「そろそろ休憩にしようか、ディアン」
 兵士団長の顔は涼しげで疲れの色一つ浮かべていない。
 彼がそう切り出さなければそのまま続けるであろうディアンを
 見かねて声をかけたのだ。
「はい」
 ディアンは自分の汗を拭った。
 剣の腕前は依然素人レベルに過ぎず歯噛みしたい思いに駆られていた。
 こんなことじゃ駄目なんだ!
 リシェラ様を守る為には力が足りない。
 守る力もないただの臣下は卒業しようと決めた。
 王女の身の回りに何が起きているわけでもない。いたって平和で
 次期王位を狙い襲ってくる輩も今のところ表れてはいない。
 それでもただ安穏と話し相手の臣下として暮らすのは嫌だった。
 あの愛らしい笑顔を守りたい。そう思うようになった自分を素直に受け入れた。
 もし、何かが起きた時彼女を守るのは自分でありたいと希う。
 強い思いはそのまま力になり、必死で食い下がって兵士団長に
 彼の空いている時間を使って剣を教わることが叶った。
 弱音を吐くことすらなくそれからは、一心不乱に剣の腕を磨いている。
 この王宮を守ることを担っている兵士の中でも群を抜いて強い
 兵士団長であるライアンにこうして教わることができているのは、
ディアンの懇願と  家老ギブソンの口添えのおかげだ。
 ディアンは感謝しつつ毎日を過ごしている。
 団長の都合もあり、さすがに毎日は剣を教わることはできなかったが、
 ディアンからは、休みたいと申し出ることはなかった。
 タオルで汗を拭いて、水を飲んでいるディアンを
 ライアンが眩しそうに見つめていた。
 何の邪心もなく自分の信じる道を突き進む。
 彼ならば、そう遠くない未来に自分と同等の腕を手に入れるだろう。
 それどころか、自分よりも強くなると思わされる。
 何度負かされても向かってくる勢いには時々圧倒されるのだ。
 大切なひとつの存在を見つけたものはこれほどまでに、心がつよくなれるものかと。
 若さゆえの無謀という紙一重のがむしゃらさではあるけれど。



 グリンフィルド城・王女の私室。
 第1王女リシェラは椅子の上でぼんやりと溜息をついていた。
「ディアン、どうして最近あまり来てくれないのかしら」
 はしたないことだと教えられていて体にも染み付いているのに
 肘をついてテーブルに突っ伏してしまった。
「知らないうちにわがままな振る舞いしてたのかな。ああ、やだそれ!」
 うな垂れては、独り言を零す。
「お城の中にいるのは確かなのよ。部屋に荷物はあったからこっそりお城から
 出て行ったわけじゃないってことで。もうっ!ギブソンってば知ってるはずなのに、
 何にも教えてくれないなんてケチー!」
 リシェラはそろそろ我慢の限界にきていた。
「こうなったら自力でディアンの居場所をつきとめてみせるわ!」
 だって言ってくれないのが悪いのよ。
 理由があるのなら話してくれれば納得するのに。
 自己完結させたリシェラは一人部屋を飛び出した。



「くっ」
 攻撃を返したディアンが、ライアンの剣を弾き飛ばした。
 剣は宙を回転し、地へと落ちていく。
 荒い息を吐き出しながらディアンは目の前の光景を信じられない思いで見つめていた。
 かわすしかできなかった攻撃を返せたのだ。
 そしてディアン以上に驚いているのはライアンだ。
 かわすことができるようになったのもつい先日のことであるのに、
 翌日には自分の攻撃を返したのだから。
「ディアン!」
 声を聞いただけで嬉しそうな様子が分かる。
「リシェラさま!?」
 あまりにもこの場に似つかわしくない人物の登場にディアンもライアンも呆けてしまった。
 緊張感を漂わせている中庭が一変して妙な雰囲気になった。
 駆け寄ってくるリシェラにはディアン以外見えてないらしい。
 勢いよく抱きつかれた衝撃でディアンは地に尻餅をつく羽目になった。
 ライアンは苦笑し王女と臣下の姿を眺めている。
「リシェラさま、どうしてここへ?」
「どうしてここへじゃないわよ。探したんだからね。
ディアンが私に黙って何処かに行くなんて珍しいもの」
 ディアンは文字通り抱きつかれているだけだ。
「リ、リシェラ様、ずっと見てました?」
 タイミングの良すぎた気がした。
「うん、見てたの。二人とも真剣でこっちに気づく様子なかったわ」
 ディアンは顔を赤らめた。やられる所も見られていたのだろうかと。
「二人の決着がつくのを待ってたんだけど……びっくりしちゃった。
 ライアンの攻撃を返しちゃうんだもん、ディアン」
 ディアンは勇姿を見られて内心嬉しさでいっぱいなのだが、
 ライアンに関しては、ばつが悪い。
 兵士団長の立場でありながらよりにもよって王女に負ける場面を見られてしまった。
公式の戦闘ではないのだが、兵士ではない一臣下に負けたことが情けないことこの上なかった。
「ライアン様は手を抜いてくださってますから。実力では到底足元には及びませんよ」
「そうなの?」
「え、ええまあ」
 ライアンにとって本気の力だったなんて言えるはずもない。
 本気を出していなければ剣はおろか、自分の体まで地に弾き飛ばされていただろう。
「王女さまを守りたくて彼は剣を覚えようと頑張っているみたいですね。
 どうでしょう、黙って側を離れたことも許してあげては?」
「ラ、ライアン様!」
 ディアンは動揺した。顔を赤らめていなくとも焦っているのが分かる。
 自分から話したかったのだ。
 ライアンの小さな仕返しなのだがディアンはそんなことも露知らず。
 子供じみた意地悪だなと思いつつ、これくらいいいだろうと。
「ありがとう、嬉しいわ」
 素直な言葉にただ癒される。
 ほっとして気が抜けたのも束の間、
 体を離したリシェラがディアンの手を取り、声を張り上げた。
「痣とか肉刺だらけじゃない!私のためというのは本当に嬉しくて感謝してるわよ。
 でもまず自分を労わりなさい!傷残ったらどうするの!?」
 リシェラは痛々しいとばかりに顔を顰めた。
「傷残ったらって、男ですよ俺は」
「ええそうですよ。闘いで負った傷は男の勲章ですから」
「ディアンは兵士じゃないのよ」
 興奮しているリシェラの勢いは止まらない。
「それでは、積もり積もった話は二人きりでなさって下さいね」
 兵士団長ライアンは微笑ましく見つめてその場を颯爽と去って行った。
 残されたリシェラとディアンはお互いの顔を見て吹き出した。
「今度から私に伝えてからにしてね」
「はい?」
 ディアンは間の抜けた返答をした。
「だって私が見てないと危なっかしいんだもの。
 攻撃を返したのもさっきが初めてだったでしょ。
 かわすのが精一杯なの知ってるんだから」
 一緒にいたいというのが理由だが綺麗にすり替えたリシェラである。
「痛いところをさらっと突かないで下さいよ。
 心配なさらずともばれてしまった以上ちゃんとお伝えした上で
 剣の鍛錬に向かいますから。勿論、リシェラ様もご一緒に」
「それが懸命ね」
 くすくすと笑うリシェラにディアンは、目を奪われていた。 



 ディアンは毎日、剣の腕を磨いた。ライアンとの鍛錬の日以外も
 自分自身の空いた時間を利用して寝る間を惜しんでは、剣に没頭した。
 時にはリシェラに黙って、深夜一人で森に入ることもあった。
 空気を振動させていると気持ちがいい。
 振るった剣が日に日に輝きを増しているのを実感する度、何かを得ていると思った。
 ある日、リシェラが側で見る中、ライアンとの鍛錬に励んでいると
 王が声をかけてきた。ディアンの噂が王の耳に入ったらしい。
「5回に一度はライアンに一撃を与えられるようになったそうだな」
「まだまだです」
「謙遜するな。ライアンに攻撃を与えられる人間は、兵士連中でも滅多にいないのだ」
「お父様、ディアン強いのよ!剣がしゅんって風を切るの」
「一度見たいものだな」
 ディアンは王の目の前で恐縮した。
 ライアンはやる気のようだが。
「では手合わせしようか、せっかく陛下もああ言って下さっている」
 ライアンはディアンに向けてニヤリと笑った。
「はい」
 ギウス王が、手を下ろすとライアンとディアンの二人は互いの剣をぶつけた。
 お互い本気の力を出している。
 時には睨み合いながら両者は一歩も譲らない。
 リシェラははらはらしながら見守る。
 剣を持つようになってからディアンはまた別の一面を見せていた。
 鋭い眼差しを見ていると、
 やがて自分の側からいなくなってしまうのではないかと不安になった。
 剣を手にしている時のディアンはいきいきしていて、何よりきらきらしている。
 近い目線で話せるのは、彼しかいなくて、それ故に失うのが怖い。
 将来、結婚したら男の臣下を共にできなくなると分かっていても
 側にいて欲しい。リシェラにとって大切な存在になっていた。
 王や王妃への感情とは別の意味で。
 ルールはどちらかが剣を取り落すまで。
 闘いは意地と意地のぶつかり合いと化していた。
 既に始まって30分が経過していたが、未だ決着はつかない。
 ライアンは剣を両腕で持ち、体の前に突き出している。
 足を踏ん張っているから土埃が舞った。
 ディアンは声を上げてライアンに斬りかかった。
 ライアンも必死で剣を離すまいとしている。
 こんなに熱くなることなんて兵士の訓練でもないことだ。
 ディアンは王女に仕える臣下だというのが惜しいほどの人材に育っている。
 悔しいが、もう負けを認めるしかないとライアンは体の力を抜いた。
 ディアンが強く剣を振るとライアンの剣が宙を舞い、次の瞬間には地に逆向きで突き刺さっていた。
「ありがとうございました」
 ライアンが差し出した手をディアンは握り締める。
 互いを労う姿はとても清々しい。
「素晴らしい手合いだったぞ」
 王が手を叩く。リシェラも笑顔で拍手しディアンとライアンの二人を労った。
「時にディアン、そなたは来月誕生日であったな?」
「は、そうですが」
「せっかくこれほどの腕を持っているのだ。自分専用の剣を持つといい。
 兵士用の剣より自分の手に馴染むそなた専用の剣をな」
 ディアンは王の言葉にじっと耳を傾けていた。
 まだ話は続くと思われたから、口は開かないでいる。
「城下町には兵士の剣を仕立てる鍛冶屋がいるのだが、その男に王家より使いを出し、
 王女リシェラの忠実なる臣下ディアンに相応しい物を一振り頼むと伝えた」
「陛下、いいのですか」
「他ならぬリシェラの為に剣を扱うことを覚えたのだろう?
 それならば守るためには相応の武器が必要だ。王女仕えとして恥じにならない立派な剣が」
「勿体無いお言葉をありがとうございます、陛下」
「明日、鍛冶屋に行くといい」
「はい」
「お話は終り?」
「ああ」
 リシェラが待ち遠しいとばかりにディアンの上着の裾を掴んだ。
「じゃあ行きましょう、ディアン。お父様失礼します」
 リシェラに腕を引っ張られ、ディアンは慌てて王に一礼し、城内へと戻っていった。
 王とライアンは互いに顔を見合わせ苦笑する。
 無言の了解で、ライアンは王の共をして中庭から去った。



 翌日、ディアンは街へ下り鍛冶屋の元を訪ねた。
「すみません、城から来たのですが」
「ああ、話は聞いている。とりあえずここにある剣から選んで持ってみてくれ。
 剣、槍、斧、弓、ナイフ、一通り揃っている。
 あんたが選んだものを見て仕立てるからよろしく」
「分かりました」
「俺はキルヒだ。よろしくな」
「ディアンです。よろしくお願いします」
 互いに笑顔で手を握り交わす。
 店内には女性でも持ちやすそうな軽いナイフから、
 ずっしりと重い斧まで多種多様の武器が置かれている。
 ディアンは店内に並べられた武器のひとつひとつを手で触れ目で見て確かめていった。
 実際に振ってみたりして使い心地を調べて何本もの武器にそうやって
 触れていった時、心惹かれる物が見つかった。
「キルヒさん、こういうのがいいんですけど」
「片手剣か、分かったよ」
 剣は両手で持つものがほとんどだが、片手で持つものも存在する。
 片手一本で持つ為、扱いは両手剣より難しいが、スピードを重視するならこちらだ。
「来月にはできると思うからまた取りに来てくれるか。そうだな7月頭かな」
 きっと、王からディアンの誕生日のことを聞いているのだろう。
 その上で間に合わせるように言われている。
 ディアンは嬉しいが恐れ多いと感じていた。
 過ぎる心遣い。
「あ、はい!」
 ディアンは勢いよく頭を下げると、鍛冶屋を後にした。

 7月1日、剣が出来上がったという連絡を受けたディアンは、再び鍛冶屋を訪れた。
「持っていくといい」
 渡された剣にディアンは瞳を輝かせる。
「ありがとうございます」
「作っておいてこんなことを言うのもなんだがそれを使う時が来ないように祈ってるよ」
 あ、勿論兵士との鍛錬は別だぞ。
「そうですね……使わないなら使わないに越したことはないですね」
 いつかリシェラを守るために必要になった時の保険のつもりだ。
 今のところ兵士達との鍛錬以外に使う用途はないだろう。
 単純に自分専用のものだから嬉しいのだ。
 柄には蔦模様が刻まれている剣は、新品らしく切っ先が白く光っている。
「では失礼します」 「ああ」  鍛冶屋を後にしたディアンは城へ戻るとりシェラの私室に直行した。
 王に報告しなければならなかったが、何よりリシェラに見せたかった。
 腰に穿いた剣を見てリシェラは自分の事のように喜んだ。
「ディアン、よかったわね!」
「まだ恐れ多い気持ちもありますけどね」
「認められてるってことじゃない。すごいことだわ」
「そうでしょうか」
「うん」
 注がれる朱色の飲み物。
 ディアンはお茶を入れるのも上手くなった。
 私がが教え込んだ賜物とリシェラは言って憚らない。
 鼻に近づけてお茶を匂う。
 レモンティーは王女の大のお気に入りだ。
「ごめんね、私から言い出したのにすっかり忘れてて」
 というとリシェラはすうと息を吸い込んだ。
「17歳の誕生日おめでとう、ディアン!」
 空気を振動させる大音声。
 ディアンはこの言葉が一番聞きたかったのかと今更ながら思った。
 祝ってもらいたいのは誰よりもこの王女。
 途端に込み上げた感情が、形を伴い外に溢れ出す。
「え、ディアン、泣いてるの?」
 リシェラはディアンの頬に指を滑らせる。
 頬に触れた指は、上がった熱を溶かすに丁度いい温度。
 零れ落ちる雫を拭う指に自分のそれを重ね合わせた。
「あのね、プレゼント用意してあるの。その剣みたいに
 立派なものじゃないかもしれないけど気に入ってもらえるといいな」
 リシェラは繋がっていた指を離して、椅子から立ち上がると
 ぱたぱたとベッドのほうに走っていった。
「お待たせー」
 ディアンが、目を細めた次の瞬間、首にはペンダントがかけられていた。
 リシェラからの贈り物は、金色の五芳星が象られ銀の鎖がついている。
「星の輝きはすべてを導いてくれるんだって。
 ディアンに幸せが訪れたらいいのにね」
 ディアンはリシェラの無邪気な発言に吹き出してしまう。他意はないのだろうが。
 くすくす笑うのを止められない口を抑えて、
「ありがとうございます、とても嬉しいです」
 微笑みで応えた。
「ううん、来年も一緒にお祝いしようね」
「はい」
 いつの間にか淡い想いが彼らの胸の中で小さく芽吹いていた。
 ふわりと笑う王女とその忠実なる臣下の穏やかな時間は、静かに流れていく。
 やがて想いが花開く時が訪れるまで。


next
top