白き桜に眠る日第3話



一時間バスに揺られて懐かしい場所に降り立った。
私の右側を歩く優はただ懐かしそうに目を細めて桜を見つめている。
2年前まではここをよく歩いていたんだ。
一瞬記憶の向こう側にトリップしてしまう。
あの頃は元気だった彼が今は彼が病に冒されている。
他はあの頃と何も変わらない。
この並木道の桜の白も何もかも。
優も思い出しているのかな。
何よりも今日は優の……。
「優……何故急に桜見に行こうなんて言ったかわかる?」
「分からない」
私の言葉に小さく首を傾げる彼。
「今日は優の誕生日でしょ。21回目の」
「そうだったっけ。いつもあの白い部屋にいたからそんなことさえ忘れてたよ」
優は淡く笑う。
「誕生日おめでとう、優」
「ありがとう」
照れたのかぶっきらぼうな言葉が返る。
「懐かしいね」
高校の帰り道、わざと遠回りして この道を通って帰っていた。
家に帰りたくなくて時間さえ忘れて桜を眺めていた。
もうあの頃のことは遠い夢のようにさえ思える。
「伊織とまたここへ来れるとは思わなかった。これって現実なのかな」
ふっと真顔でそんな事を言う優。
私は切なくなった。
「現実よ。当たり前じゃない」
ほらその証処に私の頬はちゃんと温かいでしょ。
そう言って彼の手を私の頬に触れさせる。
「本当だ。温かいね」
彼が私の頬を両手で包み込む。
ふわりと風が吹いて桜の花弁が舞って、互いの髪に花弁が絡まった。
「あ、伊織の髪」
彼そういって手を伸ばして私の髪の花弁を取った。
「優だって」
私も少し背伸びして彼の髪の花弁を取る。
「ふふふ」
と思わず声に出してしまった。
他愛もないことなのにとても心が和み安らぎを感じていた。
病室以外では久しぶりに二人きりになれたんだもの。
「綺麗だね」
「えっ?」
「今日の伊織、凄く眩しいね」
真っ直ぐ見つめる彼の視線に絡め取られて、
私はそのまま抱き締められた。
ゆっくりと桜は吹雪のように舞い落ちていく。

信じられない程の強い力で彼の腕に抱すくめられて、
私はドキドキしていた。
「優……」
私も彼の背中に腕を回した。
桜が降り注ぐ並木道で私たちは寄り添う。
このままこの景色の中ずっと一緒にいたい。
お互い同じ気持ちだった。
「久しぶりに伊織の家に行きたいな」
「このまま夜明けまで桜を見る計画だったんだけど……
 さすがに体が冷えちゃうわね」
本気でそんなことを考えていた。
次の機会がないと分かっていたから、最後の桜を二人の思い出にしたくて。
「伊織の手料理も随分ご無沙汰だし」
「ああ。久々に腕を振うわ。何が食べたいものある?」
「何でも良いよ。伊織が作るものは心がこもっててどれも美味しいから」
「あら。うれしい事言ってくれるのね」
クスと笑いながら、私は彼をきつく抱き締めた。
「伊織……苦しい」
「私もさっき同じ位苦しかったのよ」
いきなり抱き寄せられて胸が苦しかった。
辛かった。
来年の今頃この腕の中に私はいない。
同じ桜を見るのは別の誰かかもしれない。
そう考えるとどこまでも彼を離したくない気持ちが強くなる。
「病気になんてならなければ、伊織と同じ大学で勉強していたと思うと辛いよ」
私は彼の肩口から顔を上げて、彼の顔を見上げた。
彼は言葉とは裏腹に笑顔を浮かべていた
けれど、胸の内では 苦しんでいるのだ。
口元を歪めるように笑い、目は笑っていなかった。
優は大学に受かって入学も直前だったのに突然倒れたのだ。
今でも何故と思う。あの頃何度影で泣いたか分からない。
「駄目よ。これ以上言わないで」
今まで二人とも口に出さずにいたことだった。
言ってはならないと心に言いきかせて。
恋人同士という事の他は頭から切り離して互いに接していたこの2年間。
全部壊れて粉々になるから、言ってはならないことだったのに。
とうとう彼は口にした。
「大学入学前に自分の家で倒れて気が付いた時には病室のベッドの上で、
横には心配そうに見つめる君がいて、ああ病気になったんだなとぼうっとした
意識の中考える時には既にもう手遅れだった」
私の体を離し、堰を切ったように優は喋りだした。
溜まっていたものを吐き出しているみたいに見えた。
一番苦しかったのは優だ。
私でも、彼の家族でもなく。
「でも僕の病気がどんなに進行しようとも、伊織だけは側にいてくれた。
こんな僕を見捨てず側で支えてくれたのは伊織一人だった。
両親さえ治らない病気に諦めた様子を見せた。
どんな状況になっても伊織だけは変わらなかったね。それがどんなに嬉しかったか」
彼は真っ直ぐ私を見つめた。
「当たり前でしょ。優は優だもの。私も変わらないわよ」
私は淡く微笑んだ。
彼の手が私の髪に触れる。
「伊織は強いな」
どれだけその優しさが僕を力づけてくれたか知れない。
彼は穏やかな眼差しをしていた。
昔と同じ笑顔の彼がそこにいた。
熱い気持ちがどこからともなく溢れた。
彼が肩を掴んで、私の唇にキスをした。
彼の気持ちが流れ込んでくる。
こんなに情熱的に口付けられたのは初めてだった。
じんと思いがこみ上げてきて泣きそうになる。
「すぐる……」
私の思いも彼に感じて欲しくて口付けを返す。
彼が私をまた強く抱きしめた。
「行こう……バスに乗らなきゃ」
桜が風に乗ってふわりと舞い落ちた。
このまま桜が散り行くのを見ているのは、苦しい。
ここで夜明けまで過ごすなんて
考えていた自分の気持ちは、何だったんだろう。
けれど……。
このままここにいたら彼が、風と一緒に連れて
行かれそうで、ただ怖くて仕方なくて。
気づけば私は彼の手を握り歩き始めていた。


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