白き桜に眠る日 第4話

大学から多少遠くても、少しでも側にいたかったから病院の
すぐ近くの場所のアパートを借りた。
古ぼけた小さなアパートでも構わなかった。
彼の側にいられることだけが重要だったから。
この部屋の窓からは彼のいる病院が見える。
そのことが私にとって何よりも幸せだった。


彼のリクエストを一通り聞いて、私は料理に取り掛かっていた。
その間、彼は部屋でテレビを見ている。
ぼんやりと。
「出来るまでの間、寝てても良いのよ?
今日は歩き通しで疲れたでしょう。」
「折角作ってくれた料理食べられずに眠ったままになったら 嫌だから起きてるよ」
子供のような無邪気な顔で彼は言った。
そうだ、プレゼント!
後で渡すの忘れないようにしないと。
小さく笑って私は料理を再開する。
病院では食事制限があったから、好きな物食べられなかったものね。
せめて今日くらいは彼の好物を食べさせてあげたい。
野菜を刻み、お湯を入れた鍋に入れる。
味付けはコンソメとお醤油。
最後に卵で閉じて、卵スープが出来上がった。
シンプルで簡単なものが彼の好みなのだ。
葱を油で傷めそこに卵を入れて手早くかき混ぜ、
ご飯を入れて炒める。
ジュージューという音と匂いが部屋中に満たされる。
「うわーよい匂い」
テレビを見ていた彼が匂いを嗅ぎ付けてこちらにやってきた。
「もう少しで出来るから座ってて」
「ん。分かった。」
彼は素直に頷き椅子に座った。
「伊織はきっと良い奥さんになれるね」
真剣そのものの口調で彼が呟く。
なんて残酷なことを言うの。
お互いにとって辛いだけじゃない。
それとも優はとっくに覚悟ができてるの?
私はまだ心が揺れている。

「そうね……私もそう思う」
彼の方を振り向き、私は微笑んだ。
ズキッと胸が痛い。
あなたのお嫁さんになりたかったわ。
今でもなりたいと思ってる。
もう少しだけ夢を見させて。
今日だけ……今夜だけでいいの。
出来上がったチャーハンと卵スープを器に盛り付け、 テーブルに並べる。
よく見たらテーブルがピカピカになっていた。
「ありがとう。優」
「何も手伝ってないんだし、これくらいはしないとね」
戸棚に手を伸ばし、彼はグラスを取っている。
さり気なく気遣える人。
そんな優しい人だから好きになった。

これだけじゃ何か寂しい気がして、テーブルの上の
炒飯と卵スープ以外にも作ろうと思った。
冷蔵庫の野菜室からレタスを取り出し、ツナ缶と合える。
ドレッシングをかけて、即席サラダの出来上がり。
冷蔵庫から冷えたお茶を取り出し、
彼の用意してくれたグラスに注ぐ。
その間彼は調理器具を洗ってくれていた。
「優、そんなの後で良いからそろそろ食べましょう」
「あ、ちょっと待って。もうすぐ終わるから」
彼は丁寧に布巾で鍋や、お玉の水気を拭いている。
「これじゃあどっちのお祝いか分かんないわよ……ふふ」
私は少し笑いが止まらなかった。
「……そうかなあ」
彼は小さな仕草で首を傾げた。
「良いから座って。渡したいものがあるの」
私の言葉でようやく彼は椅子に座ってくれた。
空き椅子に置いた包みを取り出し、彼に手渡す。
「改めて21歳の誕生日おめでとう」
「ありがとう、これ開けて良い?」
私にそう言うと同時に彼は包みのリボンを解き始める。
「もうせっかちね」
そんな彼を見つめて私はまた笑う。
「あっ!」
彼は微かに驚きの声を上げた。
「この季節にセーターなんて変なんだけど、やっと完成したから」
これを完成させるまでに何年かかっただろう。
彼に片思いしてた頃、バレンタインデーに渡そうと
心に決めて編み始めたセーター。
こんなに季節外れの贈り物になっちゃったね。
「嬉しいよ。ずっと伊織の所で時間をかけて温められて
僕の元に渡ったんだ。ありがとう。」
真っ白なセーターを自分の体に合わせてサイズを確かめる彼。
いつの間にかセーターの方が大きくなってしまったみたい。
彼はあの頃から随分痩せてしまった。
ごめんね。
もっと早く渡してあげられれば良かったね。
じわりとこみ上げるものを誤魔化すように私は笑った。
鼻をすする音に気づかれてなければいいけれど。
「着て見せて」
「ああ」
彼はもそもそと上着の上からセーターに袖を通す。
「ぴったりだ」
彼がそう言ってくれているだけで、不恰好なのは一瞬見ただけで分かった。
袖の辺りなんか特に腕がすっぽり隠れてしまっている。 サイズが大きいのだ。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
彼は着ていたセーターを脱ぎ、きちんと畳んでからまた包みの中へ戻す。
「いただきます」
子供のようにしっかりと手を合わせて、彼は食事を取り始めた。
ゆっくり口に運びながら、私の方を見て微笑む。
私も同じ様に手を合わせ、食事を開始した。
こうやって二人で食事をするのは久しぶりだ。
彼が入院する前はよくお弁当を作ってあげたり
してたけど、病院では食事制限があるから
好きな物も食べさせてあげられなかったもの。
にこやかに食卓を囲みながら、色んな事を話した。
これまで言えなかったことも全部洗いざらい、
お互いに言い合った。
とても有意義な時間だった。
食事も終り、別々にお風呂へ入って、瞬く間に時間は過ぎた。
今日という日がもうすぐ終わる。
病院の桜の木がこの部屋からも見える。
夜の闇の中に浮かび上がる桜。
心なしか色がくすんだように感じた。
昨日見た時は鮮やかな桃色だったのに……。
あの並木道の桜のように薄くなっている。
全てを封じる白が近付いている。
夜風に煽られて桜の花弁がひらりとまた一枚舞った。

開け放っていたカーテンを私は急いで閉めた。
窓から見える景色が痛い。
彼は少しだけ寂しそうな顔をして布団に入った。
まだ見ていたかったのにと、彼の心から聞こえてくるようだった。
それでも私は自分の意志を曲げる事は出来ない。
一人残された私はどうすれば良いの。
覚悟は未だ決まらない。
時々、顔を顰めて苦しそうにする彼を見てみぬ振りをしてでも、
側にいたくてたまらない。

隣りの布団に横たわる優の寝顔を見つめながら、
私は消え入りそうなその背中を抱き締めた。
ぎゅっと彼の手を握って私も布団に横になる。
せめて今夜は同じ夢が見られますように。
祈りながら瞳を閉じた。



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