彼が護り手になったのは、複雑ないきさつがある。
 それは、苦々しい記憶で、未だ傷は癒えたわけではなかった。
 前の護り手だった存在を、残酷なやり方で殺された。
 彼にとっては羽虫を握りつぶす感覚でしかなかっただろう。
 今も許せない。憎い気持ちは胸の奥底に滾っている。
 けれど、相方として行動を共にして、悪くないと思うようになった。
 柘榴の妖主の、偽物。影
 本物にはなれないと卑屈に口にする彼に苛立ち、
 叱咤し、あんたは偽物なんかじゃないと伝えた。
 こんな奴にあの子の命を奪われただなんて、腹が立ったのだ。
 少しずつ、彼は変わってきた。
 柘榴の妖主とは関係なく、鎖縛として自分を生きることを
 意識しはじめたからかもしれない。
 おかげで、以前よりもいくらか付き合いやすくなった。
 反対に、胸にもやもやとする気持ちを抱えることになってしまったが。
 ラスほど鈍いつもりはないから、分かるが、
 この気持ちを認めてしまえば、彼と普通に接することができなくなってしまう。
 憎しみとは別の所で、芽生えた想いに見て見ぬ振りをするしかない。
 幸い顔には出ないタイプだから、気付かれることはないはずだ。
 気づかれたからといって、鎖縛は何とも思わないに違いないが。
 不自然なほど意識するようになってしまったかの男は、後ろからゆっくりと歩いてくる。
 視線を上に向けて、常に周りに気を配りながら隙のない印象だ。
(……しぶしぶ後ろを歩いてやってるって感じだけど)
「あのね……鎖縛」
 すると気配が近づいた気がした。
 憮然とした様子で隣にいるではないか。
「後ろにいていいから」
 心臓が大きくどくんと波打った。頬に触れてみれば熱い。
 今日は、一段とどうかしている。
 どうかしているわ。
「俺がどこにいようが俺の勝手だ」
「あ、そう。勝手にすれば」
 かわいげのない一言にむっとする。
 あくまでも引く気はないらしく、心なしか距離を詰めてきた。
 思わず足を止めてしまった。何か反抗的すぎる。
 何故こちらの意を汲んでくれないのか。
 それを魔性否超がつくほどのひねくれ卑屈男に期待しても仕方がないか。
 不愉快ながらも諦めの境地で溜息をついた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
 心配そうに顔を覗き込んできた鎖縛に、唖然とした。
「はっ……何で」 
「さっきからどうも気が重そうだ」
「あんたのせいよ!」
「俺が何かしたかよ」
「言っても分からないもの」
 まったく分かってない。
 あんたのことを考えて気が重いのよ。
 気にしなければいいと思うのに、頭の中から出て行ってくれないのは誰よ。
 こっちばかり振り回されているみたいで厭になるじゃないの。
 こんな奴を、好きだなんて、信じられない!
 むかむかしてきて早足になってしまう。
 相手はぶつぶつ何事か呟いてから、後ろからついきている。
 走り出したら、追いかけてくる。
 止まったら、向こうも足を止めて、彼の背中がぶつかりそうになった。
「……疲れないのか」
「そりゃあ疲れるわよ……だから追いかけてこないで」
「嫌だ」
「今は一人になりたいのよ」
「俺は、側にいたい」
 今、何て言ったの。
「……っ」
 悔しくて口をとがらせる。
 いつの間にやら正面に立ち塞がった鎖縛が真剣にこちらを見ていた。
「どういう意味」
「言葉そのままの意味だ。俺は、離れたくなんてないから、
 逃げたら追いかけるしかないだろう」
 どういう理屈だ。結局自分のやりたいようにやっているだけじゃない。
 睨みつけても相手には効いてない。まったくもって馬鹿らしい。
「お前は、ころころ表情が変わって面白いな」
「まあ、どういたしまして」
 感心されても嬉しくない。
「本当に俺を遠ざけたいなら、いくらでも方法があるだろ。
 ……もう少し素直になったら可愛いのに」
 さっきから、こいつのペースに乗せられている気がしてならない。
 私も、おかしいけど、鎖縛も変だ。何故無駄に構うのだろう。
 忌々しいだけの女狐じゃないの?
「可愛くなくて悪かったわね」
 ふん、と鼻を鳴らしてやった。
「そんなかわいくない口は閉じるしかないな」
 えっと思った時には遅かった。
 背をかがめた鎖縛が、私の肩に手を置いて、顔を重ねてくる。
 熱い唇が、唇に触れている。
 吐息が混ざるほどの激しい口づけだった。
 息が苦しくて、喘ぐ。
 ……どういうつもりなの。
 すがすがしいほど、ずるい。
 潤んだまなざしで見ても、何食わぬ顔をしているだけなのだ。
 眼を大きく見開いて、肩を押し戻した。
 平手で打つという考えは起きず、流されるままになっていた。
 動揺と戸惑いはあっても、不思議と不快感はなかったからだ。
 ぼんやりと、相手を見つめて慌てて顔を逸らした。
 耳まで真っ赤なことに気づかれたくはない。
 これぐらい、どうってことないわよと自分に言い聞かせた。
「お前は?」
 きょとんとする。相手は要求しているらしい。
「ちょっと考える時間がほしいんだけど」
「分かった」
 鎖縛に背を向けて、その場にしゃがみこんだ。
 向こうは気持ちを伝えたつもりなのだろうか。
 本能に忠実な魔性が、してきた行為の意味……。
 ……唐突すぎて頭がついていかないんだけど、
 まさか、彼も私を好きってこと?
 鎖縛は、いくら顔が似ていてもあの性悪極悪妖主とは、まるきり違う。
 女性をもてあそぶ器用な真似は不可能だろう。
 確か、姉とも慕った妖貴の女性には、頭が上がらなかった。
 強い女に弱いのだ。
 あの女性に似ていると言われたこともあったが、
 気が強い女に惹かれるのだろうか。
 ラスは鎖縛にとって特別な存在になっているようだった。
 そういえば犬属性なんだったわこいつ。
「……ふう」
「聞こえ見よがしな溜め息だな」
「犬は犬らしく、私の後をついてくればいいのって結論が出ました」
「はあ?」
 眉をしかめた鎖縛に、ぷっと笑いがこみ上げた。
「答えがほしかったんじゃないの」
「それが、答えだっていうのか?」
 不服そうな鎖縛に、ちっちっちっと指を横に揺らした。
「ご主人様の唇を大胆にも奪っておいて、まだ何か欲しいの、鎖縛」
「……ちっ」
 かわいさ余って憎さ100万倍ってところかしら。
 にっこり笑う。背伸びして、鎖縛の頬に唇をくっつけた。
 掠める程度のささやかな。
「お返しよ」
やばい。声が上ずった。
「こんなんじゃ物足りるわけないだろう。
 ……まあ、俺がすればいいだけのことか」
「生意気な犬ね」
「俺はこんな手がかかる主人を持った覚えはないがな……」
 犬という単語に過敏に反応した鎖縛は負けじと反論した。
 どうしてもくだらない口論をしてしまうのよねえ。
 腹が立つこともしばしばだけど、退屈しないから、
 許してあげるわ。
 鎖縛を好きになった自分を否定するつもりは更々ないし。