夢なら覚めないで。
 願うほど、甘く切なく焦がれる感覚。
 それは、彼との口づけ。


 外の冷気が肌を刺し貫く。
 真冬の大気は澄んで、見上げる星空は、果てしなく、一つ一つの輝きは小さくても、
 それぞれが、眩く光り輝いていて、目を楽しませる。
 頬をゆるめて見入っていると、隣で、咳払いの音がした。
「星空に夢中になって俺のこと忘れてないか」
 くす。笑ってしまう。何だか子供みたいにむくれて拗ねるのだから。
「……リジムが隣りにいるから余計綺麗に映るのかな」
 リジムは、顔を手で押さえている。
 参ったと言うように、指の隙間から苦笑いが見える。
「ひょっとして俺より口説き文句が上手いのではないか……」
「そ、そんなこと」
 焦って顔を背けようとしたけれど、大きな両手で捉えられてしまう。
 骨ばったごつごつとした感触。長い指が、頬をゆっくりと包み込む。
「リジム」
 じっと顔をのぞきこまれ、その名を呼んだ。
 目を見開く。唇が重なる
 その瞬間が待ち遠しくて、彼に身をゆだねる。
 けれど、頬が傾いて、リジム顔が近付いたその瞬間
 湧き上がった悪戯心で、指を立てて、彼の唇に触れた。
「……たまには私からさせてくれないか?」
 こんな大胆なことよく言えたなと内心で自分に感心する。
 顔が熱くてどうしようもない。目を瞠ったまま、動かないリジムが怖い。
 リジムがというよりこの間が怖い。早く何とか言ってくれ!
「ああ、いいぞ」
 しばらく考え込んでから口を開いたリジムは、口元をゆるめた。
 にんまり。心底楽しそうで今更、気恥かしさでいっぱいになる。
 少しだけ、踵を浮かせて見上げる。
 真摯な表情に戻っているリジムが、さり気なく誘導してくれているのに気づいた。
 差しのべられた手を縋るように握り締めて、もう片方の手で彼の上着をつかんだ。
 素早く、重ねた唇は、それでも離したくなくて、
 きっとこの先を期待をしている自分に我ながら浅ましいと思う。
 ぎゅっと背中を強く抱きすくめられて、とくん、と心臓が波打つ。
 深くなっていく口づけに、息が乱れる。
 息継ぎの合間に漏れる声が、夜闇に溶ける。
 体が熱くなって、頭が真っ白になっていく。
 しがみついたリジムの体も熱くて、同じだと思うと嬉しかった。
 視界がにじんで、彼の姿も歪んでいく。
 ぐいと手をひかれて、室内へと導かれた。


   寝台に腰を下ろして、両手を繋いだままに唇を重ねる。
 最初はそっと確かめて、次は何度も啄んで、
 まるで、口づけの記憶を残そうとしているみたいに、
 繰り返す。吐息が混ざっては、唇が離れる。
 息づかいが、静寂の部屋に響いて、やけに耳についた。
 灯りは、すべて消しているけれど、暗闇の中でもリジムの姿は  はっきりと感じ取れた。
 耳元の装飾具を外して、軽く唇で触れて、吐息をかけてこちらを煽るその様子も。
 頬から首にかけて、指がさまよう。
 唇は肌に温度を残しては通り過ぎていく。
 気づけば寝台に横たえられていて、雄々しい夫の姿を見上げていた。
 背中を抱きしめて、一度強く力を込めた。
 リジムが吐息をひとつ漏らした。
 甘い溜息に胸が疼く。
 もっと近づきたくて、腕を伸ばした。
 頬を撫でた指が、髪も撫でる。
 頬をすりよせて、耳元で囁かれたのは、翠蘭。
 彼に呼ばれると特別なものに聞こえて、自分の名前に愛着を感じる。
「……愛している」
「愛している……リジム」
 何度重ねても、飽き足りない。自然とこぼれてくる言葉。
 額、両頬、鼻の頭、顎へと口づけが雨となって降り注ぐ。
 慈しみをこめた仕草に、心ごと震える。泣いてしまいそうだった。
 肌を重ねて見えたものがある。
 言葉では伝えられなかった何かがそこにあったのだ。
 リジムの思うままに、私の望むままに、  運ぶように、瞳を閉じる。
 体重をかけないように覆い被さってきたリジムの頭を抱きしめる。
 首筋にかかった息の荒さに、高ぶっていくのを肌で感じた。
 性急な求めも、ゆっくりと、愛を確かめるのもどちらでも、いいのだ。
 彼の誠意は本物で、だからこそ受け入れることができる。
 濡れた声が、漏れる。
 肌に甘く痛みを与えて離れる唇。
 熱い指が、体の上を這いまわって、力が抜けていく。腕を寝具の上に投げ出してしまう。
「綺麗だ」
「そんな目と声で言わないでくれ」
 首を振ると、髪がさらさらと音をたてた。
 手のひらに捕らえられて、鋭く声を漏らす。
 手で口を押さえても、声が出るのは止められなかった。
 こちらの気を知ってか知らずか、勝手に口元を覆った手を剥がしてしまうリジムを睨んだ。
「お前こそ、そんな目を向けられて男がどう思うのかちっとも知らないようだ」
 自分を棚に上げて、言われて、むっとした。それも顔に出たのだろう。
 リジムは仕返しとばかりにに、体をくすぐってきた。
「も……う……や……めっ……く」
 全身を震わせて笑ってしまう。
 くすぐられるのは弱いのだ。
 肌を交わす際の独特の緊張感までもがどこかにいってしまった。
 身をくねらせて、笑い転げて、ようやく、笑いがおさまった時息を飲む気配がした。
 リジムが、また食い入るように見ていた。戯れの終了を告げる瞳がそこにはある。
 寝台が、軋む。腕をついたリジムが迫ってくる。
 腕の中に捕われて、微かに開いた唇が小さく震えた。
 野性的な眼差しは情欲を灯していて、めくるめく甘い秘め事への期待で、胸が高鳴るばかりだ。
 見つめ返した時には、リジムは次の行動に移っていた。
 次から次へと新たな快楽が襲いかかって来て、途切れ途切れの息を紡ぐ。
 強烈な波が押し寄せては引くことを繰り返す。
 あますことなく全身に口づけられている。
 疼く体の芯。熱を伴った肌が、行き場を探し始めた。
 この時間は二度と訪れないのだ。それは間違いないが、
 共に生きていれば愛し合う機会が二度と来ないわけではない。
 リジムは自分のすべてを焼きつけて、忘れさせまいとしているのではないだろうか。
 一瞬で過ぎ去ってしまう時を、少しでも長引かせて、堪能したいのだ。
(とうに限界で、早く、導いてほしいのに、何故?
 それとも彼は何かを予期しているの。
 離れがたくて必要以上に攻め苛むのだろうか)
 背中に指を立てて、ねだるように爪を立てた一瞬、低い呻きが聞こえて、奥深くに圧迫を感じた。
 満たされて、零れる涙。掬いとる唇がいとおしくて、また涙を一つ落とす。
 熱情を込めた抱擁に身を任せる。リジムは、そのまま暫く動かなかった。
 落ち着くのを待ってから、再開される。
 揺られて、淡い夢を漂って、宙に放り出される寸前に
 その場に引き留められる。弾けた想いがお互いの中で溶けあう。
 意識が途切れる瞬間に見たのは、リジムの瞳から落ちる一滴の涙だった。


 うつ伏せに横たわるリジムが、こちらに視線だけくれた。
 いつもの彼で、ほっと安堵する。先ほどの涙は、なんだったのだろう。
 気になって、引きずってしまいそうだ。だが聞けはしない。
 優しく微笑むリジムが、遠くに感じられても、勝手な錯覚なのだから。
   儚く消える幻になるはずもない。ここにいて、温もりを半分ずつ
 分け合った後で、余韻に浸っていたくて寂しくなったのだ。
(欲張りすぎて、嫌になる。それでも、もう一度、リジムを感じたい)
 口にはできなくて、曖昧に笑みを返す。
 リジムがゆっくりと体勢を変えて、横から抱きしめてくる腕に、腕を添える。
 胸元に頬を寄せて、見上げる。耳に感じた熱と同時に、リジムを再び自分の中に感じた。
 衝動を止めないで、流れに従った。身も心も嬉しいと泣き叫んでいた。
 このまま触れ合っていられれば、他は望まない。
 今は考えずともよいことは、心の奥に封じ込めて蓋をする。
 要らないことを口に出したら、よくない方向に向かってしまう。
 言霊と呼ぶべきものが言葉には宿っているから、良いことだけ口にしよう。
 強く、笑って生きよう。リジムの笑顔が見たいから。