無言のまま、翠蘭を見つめていた。
 何度見ても新鮮な気分になる。
 見ていると自然と触れたくなった。
 彼女はきっと知らない。
 心を差し出しても未だ足りないくらい囚われていること。
 無垢でありながら気高い瞳にいつも、心が燃え立つ思いがする。
 何度求めても足りない。
 そうして欲してしまう。壊したくないと思いながら。
 彼女を愛しつくすのだ。
  「リジム?」
 ほら、何も分かってなどいない。
 首を横に傾けて瞳を瞬かせている。
 何度となく夜を共にしているのに、彼女は驚くほど無防備で純粋だ。
 その一方で女としても目覚めている。
 どんなに激しく求めても彼女はあまやかに包み込んでくれる。
 少し強引に振舞ってもどこまでも彼女は優しかった。
 永久に敵わないのだろう。
 おおらかな母性で包まれて手の平で転がされているに過ぎない己は。
彼女と共に過ごせる時間が一番くつろぎ、心を解きほぐせた。
 王たるもの我慢も堪えなければならないことも山ほどある。
 自分を見失わずに立っていられるのは翠蘭という支えがあるからだ。
 息子であるラセルは、自分には懐かないくせに義母である翠蘭には
 べったりくっついて離れない。三人で一緒に眠るのもいいのだが、
 彼女に触れることができないのが辛かった。
 息子のラセルにさえ嫉妬心を掻きたてられるのだ。
 情けないことに。
 誰にも目の届かない場所で独り占めしたいのが本音だが、
 じっと大人しくしている女ではないから、それもできない。
 無理矢理に束縛すれば、苦しめるだけ。
 翠蘭が嫌がることはしたくない。
 ふっと微笑んで腕を掴む。
 こちらを見つめたままに寝台に倒れこむ。
 黒髪が散るまで僅かだった。
 寝台に腕をついて、見下ろす。
「好きだ、翠蘭」
 頬を指で辿り、髪をそっと撫でれば安心したように彼女は笑った。
 首に指を這わせて往復する。
「くすぐったいよ……リジム」
 そのまま喉を鳴らしそうな表情だ。
「首を撫でられて嬉しがるなんて、翠蘭はまるで猫だな」
「首輪はいらないからな」
「我が妻がご所望なら贈ろう。ちゃんと鈴つきのやつを」
「からかうな」
「翠蘭が可愛いのが悪い」
 目を瞠った彼女がはにかんだ。
 その熟れて色づいた頬に口づけを落とす。
 首に回された腕は、こちらに任せてくれているということ。
 愛撫する場所を少しずつ移動させる。
 首筋に唇を押し当てると、身をよじる。
 もう、歯止めがきかなかった。
 夜着の合わせ目から、手を差し入れる。
 びくんと反応を示す姿に気をよくする。
 悪戯めいた笑みを浮べ、彼女を攻略することに着手した。
 


 いつだって心許なかった。
 自分の全部を晒すこと。
 彼でなければ、私は受け入れることなどできなかっただろう。
 戸惑うばかりで、受け入れることの痛みとそれ以上に感じる
 充足感、悦び。
 偽らざる愛を感じた。
   自然と誘導され、腕を引かれただけで寝台の上に崩れる。
 これから私を腕の中に抱くことへの期待が彼の瞳には浮かんでいた。
 寝台に腕がつかれ、そっと頬を包み込む。
 愛を告げる甘い声。彼が毎日囁いてくれる真実の言葉は
 とても大切で、胸の中で抱きしめていたいと感じる。
 やわらかな動きで、髪が撫でられ、ほっと瞳を緩めた。
 首筋に指が触れ、往復する。
 くすぐったくて抗議の声を上げると猫みたいだなんて言われる始末。
 首輪はいらないと言った私に、望むなら鈴つきのをくれるだなんて
 彼はどこまで私をからかうんだろうか。
 戦神とも謳われている吐藩の若き王のこんな素顔を誰も知らない。
 私だけが知っている彼の顔も増えてきた気がする。
 政務で難しい局面に立たされることも少なくないから、常に気を張っていなければならない。
 表面に出さなくとも相当疲れているだろう。
 そんな彼が私の側で安らいでくれるなら
 こんなに幸せなことはない。
 彼の首筋に腕を絡めると私の首筋に熱い吐息が触れた。
 身を捩った時、彼が肌に直接触れてきた。
 背が跳ねる。
 鼓動が高鳴った。
 色香を漂わせながら、どこか悪戯めいた子供のような顔。
 覆い被さってきた彼に縋りついて瞳を閉じた。 
 波の中へ漂い始める。
 小船は座礁することなく、目的地まで一緒に進むのだ。

 腕の中に包まれて陶酔したままに、
 いつの間にやら眠りの淵に誘われていた。



「リジム?」
 シーツには温もりだけが残されている。
 手で探っても、温もりの元がいない。
 辺りを見回すと窓際に佇む人影を見つけた。
 慌てて夜着を羽織り、側に駆け寄る。
 ぼんやりと月明かりに映し出された横顔に陰影が描かれている。
 腕を組んで夜空を見上げていたリジムが、翠蘭に気づき手招きした。
 肩を寄せ合う。
「月を見てたのか」
「今日は満月だが、月は満ち欠けによって色んな形に変わる。
 まさに人の人生みたいだな」
 深い言葉だと思った。
 擦り寄ってたくましい胸元に頬を埋める。
 そっと回された腕が体を包み込んだ。
「私はずっとここにいるよ……リジムとラセルの側にいるから」
「ああ、俺も翠蘭の所に帰ってくる」
迷っても立ち止まっても最後の心の拠り所は、リジムであり、翠蘭だから。
 どんな困難に阻まれようが負けることなどない。
 お互いに強く誓いを立てていた。
 彼が顔を重ねてくる。
 触れた唇は、溶けそうなほど甘く熱かった。
 余韻醒めぬ体が、再び新たな熱を求めている。
 二人共同じ気持ちだったらしい。
 自然と縺れ合うように寝台の上に崩れた。
 彼の背中に月が見える。
 うっとりと目を細めて、荒れ狂う波に飲み込まれていった。