砌と抱き合って眠った朝は、どうしようもない充足感と共にある。
離れたくなくてベッドの上からは起き上がらない。
先に目が覚めると何より寝顔が見られるから、私は彼の側で肘をついてる。
長い睫が縁取る瞼、すっと通った鼻梁、少し大きめの唇。
あどけないといったら怒るかもしれないけど、寝顔は幼くて、
寝る前の男っぽさが嘘みたく思える。
先に起きれば貴重な寝顔を見られて嬉しい。
長い睫に指で触れるとぴくんと震えた。
「ん……」
砌はごろんと横になった。瞼は閉じたままだ。
「みぎり!?」
つい声に出して呼びかけてしまった。
あわわ、起こしたらどうしよう!?とか思ってたら案の定、
ぐいと腕を引かれて引き寄せられて、砌の胸の中に閉じ込められた。
少年と大人との狭間の体は、一見細身だけどさすが男の子というべきか
私なんてすっぽり包み込んでしまうんだ。
安堵感で、眠気に誘われるよう。
「明梨」
「ん?」
至近距離で声がする。
まだ少し声が甘い。
いつか彼が言っていた飴玉を転がしているような関係。
わたしたち、まだ飴玉転がしてるかな。
結ばれても、一番大切な部分は何も変らなくて、ただ新しい気持ちとか知っただけで。
お互いの口の中で何度溶かそうと飴玉は消えてなくなることはない。
「ねえ、砌、いつ起きたの。もしかして私がずっと見てたの気づいてた?」
「気づいてないとでも思った? 」
「可愛げないなあー。さっき可愛いって思ったのが台無し」
「別に思ってほしくない」
ちょっぴり拗ねた口調。
そっと手を伸ばして頭を撫でると顔がみるみる内に赤くなる。
「やめろってば」
制止の言葉を発しても乱暴に振り払ったりしないんだから、
やってもいいってことだよね。
調子の乗って髪の毛をぐしゃぐしゃ掻き混ぜたら今度こそ振り払われた。
仕返しとばかりに、彼の指が頬に伸びてきて、
「……ふへ」
左右に引っ張った。軽い力だから痛くはないんだけど。
「間抜け面」
「ひ、ひど! 」
クスって笑う砌。
全然悪意なんてなさそうな顔をしてるから遊んでるのが分かる。
砌は頬を引っ張るのを止めて、指先でつついてくる。
くすぐったくて喉の奥から声が零れた。
「……っは」
頬が緩んで、締りがなくなってる。
だって砌の指はくすぐるように肌を移動してゆくんだもの。
快楽とは別の気持ちよさを感じてるから、甘い声じゃなくて笑い声になる。
笑みを刻む顔をふと、砌の両の掌が包み込む。
至近距離だから自然と目線が絡まる。
二人とも、朝陽に透けた髪が金色に輝いてる。
朝の光は眩しすぎて目に痛いくらいだね、砌。
お互い、シーツにうつ伏せになって肘をついて頭だけ上に向けてる状態だ。
「私……砌との子供が欲しいな」
「ぶっ!? 」
「何で吹きだすの? 」
「妙なこと急に言うな」
「顔、真っ赤だよ」
いつもはからかわれる方だから逆にからかってみる。
茶化しちゃ駄目な所だったかな。
「今は明梨と一緒に居られればそれでいいよ。
これから大学行って、結婚してそれからだろ」
「そうだね」
照れながら、真剣な口調で砌は言った。
砌ママとパパにちゃんと育てられているからか、すごく真面目。
軽い口調でふざけることもあるけれど本質の部分はきちんとしてて
私よりずっと色んなこと見て考えてる。
そんな砌をどんどん好きになっていく。
ベタだけど付き合い始めた頃より何万倍も好きだよ。
「ふわあ」
「あくびが声に出る奴いるかな」
顔全体で笑われた。
おかしいかなあ。
「眠いんだもん」
「もう充分寝ただろ」
「うん、でもまだだるいから起きられない」
だるいって!
自分の言葉にはっとした。
あからさますぎるかも。
隣りで肘をついている砌の顔を覗き込めば口元を歪めていた。
ニヤリ。何かを企んだ時の顔をしてる。
「そうか、だるくて起きられないんだ」
恐ろしいくらい淡々とした呟き。
ちょっとどころじゃなく嫌な予感。
「それじゃまだ起きなくていいな」
決めつけないでよそこで!
シーツに潜る砌に抗おうとじたばた足を泳がせる。
本気で嫌というじゃないから、少し拒否する振りをしてるの。
「……っ」
今何処で砌の吐息を感じたのだろう。
ゾクッと体に震えが走った。
やがて砌はシーツの中から顔を現した。
しっかりと私の体に腕を回してて逃げられそうにない。
素肌が触れ合ってる事実に顔に朱が灯る。
「……きゃー!! 」
砌のもたらす行動に甲高い声を上げる私。
明らかに楽しんでる声に砌が気づかないはずはなかった。
肌を掠める髪、唇が触れて、ぶわって熱が戻ってくる。
これ以上は駄目。
帰らなくちゃいけないのよ!?
「もう……だめ……」
掠れた声で訴えても無駄なんだって知ってる。
ますます楽しそうな砌の様子が伝わってくる。
「俺の子供が欲しいんだろ」
「へっ」
その話は終ったんじゃないの。
「だったらその時が来るまでに予行演習しとかなきゃな」
「……何度すればいいの?」
さっきまでの余韻のせいか体は敏感に反応する。
「さあ?とりあえず近い将来失敗しないように」
「……何それ!?」
ぽかんと大きく開けた私の唇を砌が強気に塞ぐ。
淡いキスは段々と深いものになり、
体が芯から溶けてゆくのを感じた。

砌以外見えなくなって、時間も何もかも忘れてしまうのだ。

『何度すればいいの? 』なんてまた無邪気に聞くし。
きっと彼女は何も考えてないんだ。
そんな台詞、好きな女に吐かれたらたまったもんじゃないだろ。
俺は無防備でとぼけた明梨が可愛くて仕方がない。
心の中に溢れ出す愛しさを全部与える為、飽きもせず懲りもせず
何度でも求めてしまうんだと思う。これから先ずっと。



ジリリリリリ!
急にけたたましい音がすぐ近くで鳴り響いた。
酷く古い目覚ましだなあ。
へえ、砌、こんなの使ってるんだ。意外。
「最悪」
いい気分が台無し。これからだったのに。
砌は『最悪』だけはっきり口に出し、後はボソボソと呟いた。
「もう起きなくちゃいけないんだよー。砌ママ来るよ? 」
「……嫌なこと言うなよ」
顔を顰めた砌が鳴り続けている目覚ましをバンと叩いた。
「既に手遅れかもしれないよー」
あははとカラ笑いをする私。
「何か、コーヒーの匂いが、ぷんって漂ってる気がしない? 」
「……サービス良すぎるのもどうかと思うぞ」
額を押さえて砌はむくっと起き上がる。
ジーパンは履いたままだったのでそのままドアの方に向かう。
かちゃっとノブを回して扉を小さく開いて砌は辺りを警戒する。
「まあまあ、砌。私たち何も疚しいことはしてないよ? 」
「いやお前なんでそこまで落ち着いてるんだよ。
ちょっとは慌てるだろ普通」
「慌ててもここが砌の家ってことは変らないんだし。
砌ママもパパもちゃんと知ってるんだから。それより床にお盆置いてある? 」
「……ある」
うな垂れながら砌がお盆を持ち上げるとひらりと何か紙切れが落ちた。
「何て書いてあるのー? 」
砌は、ロボットのようなぎこちない動作で振り返った。
紙切れを掲げて見せてる。
私は起き上がり、慌ててワンピースのジッパーを引き上げて、紙切れを見やった。
『お二人さん、昨日は素敵な夜を過ごせたかしら!朝食できてるわよ。
とりあえずモーニングコーヒーでも飲んで降りてらっしゃいな。

追伸:砌へ。後でもう一回聞くけどまさか避妊失敗してないでしょうね?
美人ママ翠さんより』
「今、口調真似ただろ」
「え、ばれた? 」
「さりげなく似てるから止めてくれ」
「似てたんだ。嬉しいなー」
「……はあ」
砌は溜息をついて紙切れをくしゃくしゃに丸めてくず箱に放り投げた。
お盆を持って部屋に入ってくる。
「あ、勿体無い」
「どこが」
いちいち反応を返してくれるのが砌だ。
「明梨」
低い声にドキッとした。
決意の籠もった瞳が私を見据える。
私にコーヒーカップを差し出してから、言葉を続ける。
「今度からホテル行こうか」
問いかけるのではなく決定事項の確認みたいに言った。
「回ったりするんでしょ! 」
ホテルには回転するベッドがあるという。
といっても古い情報だが。
「じゃ決まりで」
砌はニヤッと目で笑う。
ん、ふと気にかかることが。
「……お金の無駄」
「二人きりの時間、堪能できなくてもいいんだ? 」
「う、それも憧れがあるけど、今はこのままでいいよ。
スリルがいっぱいで面白いでしょ」
「お前ってタダじゃ死なないタイプだ、絶対」
あ、何かぐさっときた気が。
「ふん!死ぬ時は道連れなんだからね」
ずるずる。コーヒーを啜る。
立っていた砌がベッドの端に座って私の方に腕を伸ばす。
私はベッドの真ん中で正座してるんだけど。
「また恐ろしいこと言っちゃって」
笑いを含んだ声。
「コ、コーヒー零れる!」
砌が触れたせいで、体が揺れ、カップの中のコーヒーが波打ったのだ。
瞬間、一時停止。
私はカップをサイドボードの上に置いた。
砌のカップはといえば、ちゃっかりテーブルの上にある。
「……悪い」
砌は俯き加減で謝った。
「いいけど」
申し訳なさそうな顔の砌に何も言えなくなった。
そこまで怒ってないからね。
としょんぼりする砌を慰めたい気分になった……が。
「ホテル行かないんなら言っとかないと」
「母さんにさ、明梨はミルクティー専門なんだって」
「い、言わなくてもいい!!」
言ったら砌ママ確実に差し入れてくれるんだもん!
「別に気にしないんじゃなかったっけ」
「よく考えたら恥ずかしい!!公認なのは有り難いとして
差し入れは勘弁してもらおうよ!聞き耳立てられてたらどうするの! 」
興奮する私に砌は苦笑したようだった。
「それ気づいてなかったのかよ」
今気付いたなんて言えるわけなかった。
恥ずかしさを紛らわせるように、コーヒーカップを手に取り口をつけた。
「あ、ちゃんと甘いよ、砌のはどう?」
すたすたとベッドから降りた砌は、テーブルの上のコーヒーカップを持ち上げて、傾ける。
「甘いんじゃなくて甘すぎ」
「あはは。愛情たっぷりだね」
「加減してくれよな」
二人して吹き出して笑い転げた。
ゆっくりコーヒーを飲んだら、何度目かのここの家での朝食に降りなきゃ。
試練が待ち受けてるよ、砌。
自分達が招いたことだから文句は言えないけどね。


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