十二月初めの第一日曜日。私は市内のコーヒーショップにいた。
「ああ、分かるわ、その気持ち」
 私の言葉に真剣に耳を傾け、自分のことのように真摯に受け止めてくれたのは沙矢ちゃん。
 沙矢ちゃんは砌の叔父さんに当たる青くんの恋人。
当然、私よりも年上だけど、親しみを込めて、ずっと『沙矢ちゃん』と呼ばせてもらっている。
 沙矢ちゃんは憧れのお姉さんだ。
優しくて可愛らしくて、私にないものをたくさん持っている。
青くんが沙矢ちゃんに惚れ込んだのもとてもよく分かるし、
私が男だったら、沙矢ちゃんみたいな人を恋人に欲しい、と真面目に思う。
 そんな大好きな沙矢ちゃんに、私は思いきって自分の気持ちを吐き出した。
 砌のお母さんでも良かったかもしれない。
でも、やっぱり砌の一番近しい身内だと思うと、どうしても言えなかった。
その点、沙矢ちゃんは血の繋がりはないから安心出来る。
こんな言い方をすると、沙矢ちゃんを部外者扱いしているようだけど。
「私もね、明梨ちゃんのように不安を感じた時期があったもの」
 沙矢ちゃんはほんのりと苦笑いを浮かべる。
 私はカップを握りながら、まじまじと沙矢ちゃんを凝視してしまった。
「沙矢ちゃんも……?」
「ええ」
 沙矢ちゃんはカフェラテを一口飲んでから続けた。
「私と青が出逢って間もない頃は、お互いどこか遠慮していた部分があったから。
好きだけど、お互いの領域に土足で踏み込んではいけないような気がして……。
でも、結局は収まるべき所に収まってしまったって感じね。
もちろん、後悔はしてないわよ。青もきっと、私と同じ気持ちでいてくれてると思う。
って、ごめんね。ちょっとのろけちゃった」
 そこまで言うと、沙矢ちゃんは照れ臭そうに微笑みながら肩を竦めて見せた。
 本当に、仕草のひとつひとつが可愛い。
同性としてみると、やっぱりちょっとジェラシーを感じてしまう。
「沙矢ちゃんみたいな人を恋人に持つ青くんって幸せ者ね」
 ほとんど無意識に、私は口にしていた。悪気はなかった。
けれど、よくよく考えたら、嫌味っぽかったかもしれない。
 沙矢ちゃんは目を丸くしながら私を見つめていた。
やっぱり、気を悪くしてしまったかな、と思ったけど、違った。
「そんな風に言ってもらえるなんて嬉しいわね」
 沙矢ちゃんは口元に手を添えながら、クスクスと小さく笑った。
「でも、私は砌くんこそ幸せ者だと思うわ。
明梨ちゃんほど、砌くんを大切に想ういい子はなかなかいないもの」
「私が……?」
「ええ」
 沙矢ちゃんはニッコリと頷く。
「不安を感じるってことは、それだけ相手を思い遣っている証拠だって私は思う。
 それに、生きていれば何もかも順風満帆にいくとは限らない。
 時にちょっと刺激の強いスパイスが入れば、
 ささやかな幸せがより大きなものに感じられるんじゃないかしら?」
 沙矢ちゃんの言葉は説得力がある。やっぱり、
 青くんとたくさんの困難を乗り越えてきたからこそなんだろう。
 きっと、私が想像する以上に。
「――私は、砌と一緒にいる資格があるのかな……?」
 私が言うと、沙矢ちゃんは私の右手を沙矢ちゃんの両手で優しく包み込んできた。
 ほんのりと温かくて、柔らかい。
「明梨ちゃんじゃないと駄目なのよ、砌くんには」
 ああそうか、と私は思った。私は沙矢ちゃんにそう言ってほしかったのだ。
 砌には私が必要。私じゃないと、砌は駄目なんだ、って。
 沙矢ちゃんはきっと
――ううん、絶対に私が欲しいと思っている言葉を分かっている。
 だからこそ、私に勇気を与えてくれるんだ、とも。

 時は流れ、クリスマス・イヴ。
今日は青くんと沙矢ちゃんのお宅に、砌と一緒にお呼ばれされている。
 本当は二人の時間を邪魔するようで申し訳ないと思ったのだけど、
 沙矢ちゃんが『ぜひともいらっしゃいな』と誘ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
 もちろん、手ぶらで行くつもりはない。砌と待ち合わせしてから、途中でフライドチキンを買った。
「もうちょっと気の利いたものが良かったかな?」
 歩きながら漏らす私に、砌は、「別にいいよ」と苦笑いしながら応じる。
「料理とかケーキはさや姉が全部準備してくれてるし。
 それに、こっちが変に気を遣うとさや姉も落ち着かないんじゃないかな?」
「そうゆうもん?」
「そうゆうもん」
 砌は私の台詞をおうむ返しすると、空いている右手で私の左手を取った。
 以前はぎこちなかったのに、いつの間に自然に手を握り合えるようになったのだろう、とふと思う。
 でも、こんな風に何でも自然に出来るようになれたのは素直に嬉しい。
 今の幸せに不安を感じないわけじゃない。
けれど、沙矢ちゃんに励ましてもらってからは、
 ちょっとした不安ぐらいで心が揺らがなくなっている。沙矢ちゃんの力は偉大だ。
「さて、ちょっと急ぐか? あんまり遅くなると、せい兄が煩いからな」
 砌の歩く速度が少し速まった。でも、それでもちゃんと私に合わせてくれる。
 そんなさり気ない優しさが嬉しくて、私の頬は自然と緩んだ。

 二人のマンションに着くと、早速沙矢ちゃんがお出迎えしてくれた。
「いらっしゃい、二人とも」
 沙矢ちゃんはエプロン姿だった。
 フリルがたっぷりあしらわれていて、ドラマに出てくる若奥様そのままだ。
 もしかしたら、青くんがプレゼントしたのかな、なんて考えた。
「さ、入って。青もずっと待っていたのよ」
 私達を招き入れてくれる沙矢ちゃんからは、ほんのりと甘い匂いがする。
 砌が道すがら、『料理とかケーキを準備してくれてる』と
言っていたから、生クリームの匂いかもしれない。
 通されたリビングには、沙矢ちゃんの言葉通り、青くんが待っていた。
 青くんは私達が入るなり、ほんのりと柔らかな笑みを浮かべた。
「こんばんは」
「おっす」
 私と砌はほぼ同時に挨拶した。
「これ土産。何も持たないで行くのは悪いって明梨が言うからさ」
 そうぶっきらぼうに言いながら、砌が青くんにフライドチキンの入った袋を差し出した。
 青くんはそれを受け取り、「悪いな」と私達に向けて軽く会釈してきた。
「ま、適当に座れ。俺は沙矢を手伝ってくるから」
「あ、それなら私も手伝う」
 踵を返しかけた私を、青くんは首を横に振って制止した。
「その気遣いは無用だ。
招待した側が招待客を働かせるなんてことは出来ない。いいからゆっくりしていてくれ」
「――ごめんなさい……」
「いいから。あ、気持ちだけは俺も沙矢もありがたく受け取っておこう」
 そう言うと、青くんはいそいそと動く沙矢ちゃんのお手伝いに行った。
「ほら、いつまで突っ立ってんだ?」
 ちょっとぼんやりしていた私の手首を、砌が軽く掴む。
 私はそのまま、砌と並んで正座した。
「本当に、何もしなくていいのかな?」
 リビングとキッチンを行き来している青くんや
沙矢ちゃんを眺めながら、私は思ったことを口にした。
「だから、変に気を遣う必要はないって言っただろ?」
 砌は胡座をかいた姿勢で上体をわずかに逸らせる。
「ここはせい兄とさや姉の城だ。俺達が出しゃばった真似はしない方が無難だ。
 特にせい兄は、自分の領域に勝手に足を踏み入れられるのを好まないからな。
 ま、どうしても何らかの形で恩返しでもしたいってんなら、
 俺達が一緒になった時にでも二人を招待してやればいいじゃん」
「そっか。別に今すぐに何かしなくちゃならないってことはないんだね」
「そうそう。って明梨、俺が何言ったか理解してる?」
「え、理解してるけど?」
 私こそ、砌が何を言っているの、といった心境だった。
 不思議に思いながら砌に真っ直ぐな視線を向けると、
砌は口を尖らせたまま目を逸らしてしまった。
「ま、いいけどよ。またちゃんと言えばいいし……」
 砌がブツブツと何か独り言を言っている間に、
出来上がった料理がテーブルいっぱいに並べられた。
 真ん中には、白い生クリームと真っ赤な苺が綺麗に並べられたケーキが置かれている。
「凄い……。本当にこのケーキ、沙矢ちゃんが作ったの……?」
「そうよ。でも、ちょっと思ったほど綺麗には出来なかったわ。
味はそれほど悪くないと思うけど」
 沙矢ちゃんは謙遜しているけれど、見た目は充分に美味しそうだった。
 むしろ、食べるのがもったいない。ずっと鑑賞していたいほどだ。
 それを沙矢ちゃんに告げると、沙矢ちゃんは「ありがとう」と優しく微笑んでくれた。
「それじゃ、早速始めましょう。まずは乾杯ね」
 とても張り切っている様子の沙矢ちゃんが仕切る。
 青くんもそれに応じるように、私と砌のグラスにシャンメリーを注いでくれる。
「ガキくせえよな、こうゆう飲み物って」
 グラスを持ち上げ、ほんのりと琥珀色をしたシャンメリーを眺めながら砌がぼやいた。
 そんな砌に、青くんはポーカーフェイスでサラリと返す。
「お前も彼女も未成年だ。酒はまだ早いし、
俺も大人として無責任に飲酒させるわけにはいかない」
「変なところでクソ真面目だよな、せい兄って」
「何とでも言え。とにかく子供に飲ませる酒はここにはない」
「分かったよ。ちょっと言ってみたかっただけじゃねえか。
ほんっと、冗談も通じねえんだな……」
 叔父と甥――というより、兄弟にしか見えないけど――のやり取りがおかしい。
 ふと、沙矢ちゃんに視線を送ると、沙矢ちゃんは私に目配せして小さく笑みを浮かべていた。
 私と同様、この二人を微笑ましく思いながら眺めていたのだろう。
 二人のやり取りが終わったタイミングで、沙矢ちゃんが
今度は青くんと沙矢ちゃんのグラスにもシャンメリーをそれぞれ注ぐ。
 お酒の飲めない私達に合わせようという配慮かもしれない。
 シャンメリーはクリスマスになると必ず口にしている。
 幼い頃は炭酸の刺激すら大人の味に感じたのに、
今では普通にジュースのような感覚で飲めてしまう。
 お酒を飲んだことがない私でもそう思うのだから、
お酒をよく飲む青くんなどは物足りないなんてものじゃないだろう。
 沙矢ちゃんのお手製料理もケーキも、ほっぺが落ちてしまいそうに美味しかった。
 本当に、どうしてこうも沙矢ちゃんは器用にこなせるのだろう。
やっぱり、沙矢ちゃんは永遠の憧れのお姉さまだ。
 私も沙矢ちゃんのようになりたい。
 沙矢ちゃんのように美味しい料理を作って、砌に食べてもらえたらどんなに嬉しいだろう。
 ふと、隣の砌をチラリと見ると、砌も嬉しそうに沙矢ちゃんの料理を噛み締めている。
 ――今度、沙矢ちゃんに料理教えてもらおうかな……?
 私は心底思った。

 夜九時を回った頃に、私と砌はお暇した。青くんが送ってくれると言ってくれたけど
 ――もちろん、青くんも全くお酒を飲んでいなかったから――、砌が断った。
 私としても、青くんに悪いと思ったのと、何より、砌と二人きりで歩きたかった。
「楽しかったね。沙矢ちゃんのケーキも絶品だったし」
「そうだな」
 ここで私達の会話は途切れた。
辺りもシンと静まり、私と砌の靴の音だけが煩いほど耳に響く。
 でも、そんな沈黙も心地良かった。
 行き同様、砌は私の手をずっと握ってくれていたから、それだけで満たされる思いだった。
「――明梨」
 砌が不意に足を止め、私の名前を口にした。
 私は黙って砌を見上げる。
 砌は、私を真っ直ぐに見つめていた。
 熱っぽい視線をまともに受け、胸の鼓動が自然と速まってゆくのを感じた。
 しばらく、お互いに見つめ合ったままでいたけれど、
 砌がおもむろにコートのポケットをまさぐり、手の平に収まるほどの小箱を差し出してきた。
 丁寧に、金で縁取られた細いリボンも巻かれている。
「ほら、とっとと受け取れ」
 呆然としている私に、砌は半ば強引にそれを私に押し付けてくる。
 私は空いている方の手で受け取った。
「あ、ありがとう」
 ビックリしたけれど、素直に嬉しかった。
 少しどもりながらお礼を言った私に、砌は、「別に」とちょっとぶっきらぼうに返してきた。
「そんな高いもんじゃねえし。
 せい兄だったら、高級ブランドとかプレゼントするんだろうけど、
俺にそんな金はないからな。気持ちだよ、気持ち」
 気のせいだろうか。砌の頬にほんのりと朱が差している。
「もしかして、照れてる?」
「んなわけねえだろ」
「意地っ張りな砌って可愛い」
「おい……、男に向かって『可愛い』はねえだろうが……」
 怒ったような口調だけど、本気で腹を立てているわけじゃなさそうだ。
 付き合いも長くなってきて、私も砌が何を考えているのかだいぶ理解出来るようになっている。
 というより、砌自身が分かりやすいのだけど。
「あ」
 私は砌からプレゼントを受け取って、非常に肝心なことを忘れていた。
「私……、砌へのプレゼント忘れてた……」
 そうなのだ。沙矢ちゃんにお呼ばれされたことに舞い上がってしまって、
 クリスマスプレゼントの用意をすっかり失念していた。
 砌はちゃんと考えていてくれていたというのに。
「ごめんね、砌……」
 私は貰ったプレゼントを握り締めながら、頭を下げた。
 こんな私を砌はどう思っているだろう。呆れているだろうか。
 そんな負の感情を心の中で思い巡らせていたら、私の頬にそっと何かが触れた。
 砌の手だった。
「俺は明梨が側にいてくれるだけで充分」
 私は弾かれたように顔を上げた。
 砌は口元に笑みを湛えている。さっきは子供っぽさを見せていたのに、
 急に豹変していっぱしの男の顔になっている。
 何だかんだ言っても、砌もやっぱり青くんと同じ血を引いているんだな、と改めて思った。
「私は、何をしたらいい?」
 少し戸惑った私は、砌に質問を投げかける。
 砌は、「そうだなあ」とひとりごちながら視線を宙にさ迷わせていたけれど、すぐに私に向き直った。
「明梨が欲しい」
 砌の言葉に、私は不思議に思いながら首を傾げた。
「私は砌のものだけど?」
「そうじゃねえよ」
 砌は小さく溜息を漏らし、私の耳元で囁く。
「明梨を存分に食わせろ、って意味だよ」
「――……!」
 予想外の爆弾発言だった。私は目を見開いたまま硬直してしまった。
 そんな私に、砌はなおもからかうように続ける。
「そういう可愛い反応する明梨の方が、よっぽど可愛いよ」
 


 
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雪原歌乃さまより素敵な二次創作を頂きました!
今までSweet dropは、おえびでイラストを描いて頂いたことはあるのですが、
小説の二次を書いてもらったことなくて、
それだけで大感激いたしております。
読んでくださった方はお分かりの通り、sinful relationsとの
コラボということで、二重にお得な気分ですよ。
やばいよ。何このキャラの生き生きとした感じ!
明梨が砌を大好きなの伝わってくるし
沙矢がお姉さんって雰囲気だし、青が大人のいい男。
最後の煩悩滾る砌には、後ろから突き飛ばしてやりたくなりました(笑
かのさま、素敵な二次(二作品へのみなぎる愛)
本当にありがとうございました!!

雪原歌乃さまの素敵サイトはこちら↓





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