ドラッグ  



 出逢ってからさほど多くの時間を共有したわけではない。
 いつのまにやら麻薬のような彼の存在に身も心も蝕まれていた。
 お互い、訪れたホテルの部屋のベッドに背を向けて座っている。
 小さく息を吐きだす。
 私は、沈黙が耐え切れなくなって、口を開いた。
「……ずっと、このままなのかな? 」
ゆっくり視線を上向けると、眉をしかめられる。
固く引き結ばれた口元が怖い。
暫し沈黙が続き、怒っているのかと不安に思う。
「……、大した度胸だな」
「っ……! 」
 視線の鋭さに、怖気(おじけ)づきそうになった。
 口の端を歪め、彼は笑っているが、どこか恐ろしい。
 膝の上に置いた手を強くつかまれる。
 掌から伝わる震えに、彼はどう感じているのだろうと思った。
「嫌なら抵抗しろよ」
 意思を持って、組み敷かれる。
 大きな体が視界を覆い、肩先に彼の頭がぶつかってきた。愛しい重み。
 耳元に熱い息を感じて、思わず目をつむった。
 体が内側から震える。
 ぶるぶると頭を振って抱きついた。
「涙を堪えているようで、もっと啼かせたくなる」
さらりと言われ、心臓が高鳴る。
 我慢するなと言って、私を啼かせるのだ。
 恥ずかしくてたまらないのに、
 彼は私の卑猥な姿を見るのが好きなようだった。
「っ……だ、だめ」
 ワンピースを捲り上げた大きな手が胸を包む。
 開いている方の手は、下腹に触れ秘めたる部分を弄(いじ)っていた。
「俺に抱かれて、傷を受けても気づかない振りをしているんだろ」
「違う……わ」
 傷つけていると自覚している彼のほうが、よほど苦しいはずだ。
 愛しいから、憎めない。
 彼に、触れられるのが怖いのではなく戻れないのが分かってて、
 逃げることを選ばない自分が、恐ろしい。
「っ……あ」
 ブラの上から、ふくらみを揉みしだかれ、体が熱くなる。
 身を捩ると、大きな体で押さえつけられた。
「執着しているのは確かだよ、お前という存在に」
「それでも、嬉しいもの」
 いきなり、キスで唇を塞がれた。
 ねっとりと絡む舌の動きに翻弄される。
 差し出せば、絡め取られ、白い糸が二人の間で繋がっていた。
「はあ……っ」
 キスが、ふいに終わり、肩で息を整える。
 荒い息が、かかる。
 薄明かりの下で、彼の瞳は獣のように獰猛だった。
 ブラが外され、肌が空気にさらされる。
 視線が注がれていたそこに、唇が触れた。
 いきなり吸い上げられ、電流が走る。
「触れるほどに硬くなるな」
 舌で転がされ、唇に食まれる。
 反対側は、指先でこねられて形を変えていた。
 両方共硬さを増し、まるで彼に触れられて悦んでいるみたいだ。
 ふくらみの間に頭を埋めながら、下腹部も侵略されていた。
 声にならない声をあげて、もだえても容赦なく攻められる。
 膝を押し開かれ、下着も脱がされ肌をさらけ出した私に対し、
 彼は未だ衣服を乱れさせてもいない。
 危うい二人の関係を表しているようで、おかしい。
「青……」
 ぽろりとこぼれた彼の名前。
 声が濡れているのに気づいてはっとした時には遅かった。
「……お前の涙に欲情を煽られるよ」
 自嘲気味に笑い、彼はつぶやいた。
 ばさり、シャツを放る音。
 スラックスのベルトを外す様子をとらえ、やっと彼が、私と同じ状態になったと感じた。
 細身なだけじゃなく、絶妙なバランスが取れた美しい裸身。
 私を奪いつくした青という人がそこにいる。
 覆いかぶさってきた彼が、背中に腕を回しきつく抱きしめられる。
 息もできないほどに、熱くて儚い抱擁。
 背中に腕を回すと、口元から小さな呻き声が漏れた。
「あなたこそ、泣いているみたい……」
 彼は、訝しむように眉をひそめた。
「心が泣き叫んでいるんだわ」
 言い過ぎたかもしれない。
 それでも、自分のことにもっと気づいてほしかった。
「……俺は、沙矢ほど感情が豊かじゃない」
 じゅうぶん、彼は感情が豊かだ。
 表に出すのが上手じゃないだけ。
「……私はあなたに抱かれるのが嬉しい。
 この時間が、好きで失いたくないって思うの」
「俺なんかに、お前は……」
 涙を堪えるように、微笑んだ。
「分かってないんだから」
 頬を包む手に手を添える。
 彼の表情を確かめたくて瞳を凝らしていると、間接照明が消えた。
 彼の前髪が、秘所にかかる。
 舌で滴る泉をすくわれ、蕾は指でこね回される。
「あっ……もうだめ」
 これ以上触れられたら、独りで、のぼりつめてしまう。
 それが、怖かった。
 一度達した方が、楽だから、イカセてくれようとしてるのだとわかっていても、
 置き去りにされているみたいで不安だった。
(……嫌なの)
 今宵も私の思いを知らず、容赦なく、快楽へと導かれるのだ。
「綺麗だよ」
 彼は、甘い秘め事のように耳元で囁いて、中に指を侵入させた。
 かき混ぜられた途端、めまいがした。
 抗えない快楽の波に、引きずり込まれ、脳裏が白く濁った。
 気がついた時、彼は側にいなくて、伸ばした腕は空を切った。
「青……」
 闇の中、準備をする音が響く。
乱暴に、髪がかき混ぜられて、ほろりと涙がこぼれた。
 首筋に彼の息が、吹きかかる。
 手を彷徨わせていると掴まれたので、うなづいた。
 身体を少し浮かせて、ゆっくりと彼自身が入ってくる。
「はっ……あ」
 ナカを満たされた時、一つ、吐息が漏れた。
 首筋にしがみつくと汗で滑る。
「ま、待っ……」
 最後まで言うこともできず、奥を穿たれる。
 鼻から抜ける息は、自分でも信じられないほど甘い。
 媚びているようで、嫌になる。
 唇がキスで塞がれ喘ぎ声を封じられる。
 執拗なほど繰り返される濃厚なキス。
 舌を絡め、吸われ、ナカを突き上げられ、意識が白く濁りはじめる。
 イキたくない。
 意識では抗うのに、快楽の階段を駆け上がるスピードは止まらない。
 頂きを食まれ、ふくらみを揉みしだかれれば、きゅんと下腹がうずいた。
「く……っ」
「やっ……あ」
 眉をしかめ、汗を散らした彼が、いきなり奥を突き上げ始める。
 緩やかさなんてかけらもなく獰猛な勢いで、内部を穿つ。
 卑猥な水音は、お互いが奏でるものだ。
 きっと、それが、興奮材料になり更に行為を激しくさせている。
 背中にしがみつき、腰を浮かせると、より一層彼自身を感じるようだった。
 痛くて切ない繋がり。
 私の動きを察してか、抱え起こされ膝の上で抱かれる格好になった。
 あぐらをかいた彼に、両脚を絡める。
 太くて、大きくて熱いものは、幾度と無く奥と外とを行き来する。
「……うれし……いっ」
 抱かれている時間が、たまらなく好きだ。
 心なんて見えなくても、確かに彼はそこにいて
 私と体を交わしている。
 それが、何よりの歓びだった。
「そういうのが調子に乗らせるんだ」
 嘲るような言葉に、びくりとした。背筋が震える。
 涙を意地で振り切って、しがみついた。
(その言葉で、私こそ調子に乗るわ)
「いくぞ」
「あああっ……」
 大きく突き上げた後、彼が腰をぶるりと震わせたのがわかった。
 隔たりを介して、熱の証が放たれ、私は意識を飛ばす。
 落ちてきた、たくましい肉体に強く抱きしめられたことに
 気づかないままに眠りに落ちた。

 カーテンの隙間から差し込む光に、目を細める。ぼんやりと、瞼を擦る。
 ベッドに体が、沈み込んでいる感覚。
 昨夜からのことを思い返すと、頬から全身に熱が走った。
 長い腕の主は、こちらの腰に腕を巻きつけながら、眠っている。
 朝陽が陰影をつくり、長い睫を際立たせてていた。
 寝顔を見つめられる機会なんてそうそうない。
 気づかれないように、その美しい造作を観察する。
(表情がないと、冷たくさえ感じられるほど整っているのよね)
 見つめ続けていて気づかれたら、大変だ。
 多分、彼は熟睡しているわけじゃない。
 思い至った私は慌てて、背中を向けて、体を離した。
(同じシーツをかけているので、離れられる距離は限られているけれど)
 その瞬間だった。
「離れるな」
 意外な言葉に、きょとんとする。
「えっ……!? 」
 寝起きのかすれた声は、すさまじい色香で心臓の音を高鳴らせた。
 回された腕は、しっとりとしている。
 熱を込められた抱擁に思え、目元が潤む。
(なんて、罪な人)
 心の中でひっそりと泣く。
 小憎(こにく)らしささえ感じる。
(あなたが、そのつもりなら私も覚悟があるんだから)
「ん……」
 唇が重なる。
 次第に互いの唇が熱く、濡れてくるのを感じた。
 冷めた彼の唇が、熱を帯びると幸せな気持ちになる。
 私の熱を彼に全部与えられたらいいのに。
(凍えないで……大好きな青)
 もつれ合いながら、シーツに沈む。
 繰り返されるキスと抱擁にめまいがして、溶けてしまいそうだった。
 泣きじゃくりながら、しがみついて今宵も未来(あした)の夢を見る。
 彼の存在は麻薬だと、言い聞かせていたが、
 見た夢は、優しすぎるものだった。
 この夢のような日々が現実となればいいと願うしかない。  


 意識が覚醒した瞬間、腕に重みを感じた。
 胸元に頬を預けて、眠る存在に気づく。
(沙……矢)
 心中つぶやいて、髪に指をすべらせる。
 柔らかな黒髪が、朝日に照らされて輝いていた。
 静脈に打ち込んだ針から、体内に染みこんでいく麻薬のような女だ。
(いや、むしろ……優しく体に作用する薬なのか
 ……副作用は、”離れられない”
 彼女に癒され救われている自分を既に認めている)
 この想いに早く気づいてほしい。気づかれたくない。
 相反する想いが交錯していた。
 気づかぬ振り、騙された振りは、とうに疲れ果てているというのに。
 壊れるほどに抱き殺そうと幾度思い行動にはできなかったか。
 壊したら、もう触れ合えなくなる。
 沙矢を何も知らないままに終わってしまうのは、受け入れ難い。
 抱かれている間、彼女は蕩けそうな甘い声で啼き狂う。
 切羽詰った声で喘ぎながら、確かに俺を求め、責めているようにも感じた。
 好きだ、愛していると言葉にすればきっと簡単なのだろう。
 同じベッドの中で背を震わせながら、
 泣く女を愛おしいという気持ちに偽りは何ひとつない。
 これ以上時間が、砂となって零れ落ちないように己の中で誓った。
 


  
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