SHINE
ダイニングキッチンに戻ると、青が、テーブルの椅子に座って新聞を読んでいた。
「今何時? 」
「7時15分」
ほう、と息をつく。
「急いでご飯とお弁当の用意するね。昨日の夕飯の煮物だけど」
「お前に作ってもらえるだけで、幸せだよ」
さわやかに、微笑まれて、笑い返す。
何もかも彼任せではよくないと思う。
どちらか一方に負担がかかるのもいけないけれど。
時と場合による。平日に、求めるのは禁止しなければと誓う。
お言葉に甘えて、ご飯を炊いといてもらったけれど。
何で朝からあんなにすがすがしいのだろう。
抱き合った翌朝のほうが元気なのは何故なのよ。
冷蔵庫から、取り出した筑前煮を二つのお弁当箱につめる。
昨日の夕食はお弁当分に残すのを考えて煮物にした。
結局手つかずだったため、朝も食べなければいけないのだが。
(よく考えたら、彼のお弁当作るの初めてだわ)
プチトマトとレタスを入れてお弁当箱の蓋をする。
朝の分は、目玉焼きもプラスした。
レタスとプチトマトもさらに盛りつけテーブルに置く。
もう一度洗面所まで戻って手を洗ってくると、にこにこ笑顔の青が手招きしていた。
「おいで」
とてとて、と歩いていくと腕を引かれる。
彼の隣の椅子にすとんと腰を下ろした。
いただきますと言って食べ始める。
もくもくと食べ終わり、お弁当箱を渡す時抱き寄せられた。
「サンキュ」
照れ隠しに笑って頭を彼の胸に寄せた。
「体、大丈夫か」
(何で今頃聞くのー! )
こくん、と頷く。お風呂での出来事を思い出し、顔に血が上った。
「まだまだ高ぶってるらしいな」
「青って、意外によくしゃべるわよね」
「お前といる時だけだ」
彼の言葉は真実を言っている。まじめな顔だった。
「うれしい」
「行こうか」
私が先に玄関の扉を開けて、彼が扉を閉める。
最新式のセキュリティは、中々慣れない。
駐車場で車に乗り込む。
助手席は私の指定席。
青のたった一人の特別な存在だと、実感する瞬間、幸せをかみ締める。
車が走り出すと、心地よい揺れに身を任せた。
赤信号で止まった交差点で、ふいに口にする。
「車の操縦すごく上手いわね」
彼はくっ、と喉で笑って続けた。
「お前の操縦をマスターできるのはいつかな」
「とっくにしてるんじゃないかしら」
返答に、彼は珍しく肩を揺らして笑った。
「お前の方こそマスターしてるぞ。
俺を翻弄することにかけては右に出るものはいない」
「上手いのね」
走り出した車には、明るい空気だけがある。
「感想聞かせてね」
「ああ。帰ってからな」
あっという間に会社に着いてしまい、車から降りる。
離れた所で止めるルールは、破ることはない。
「送ってくれてありがとうね」
「お礼より、愛してるの言葉がいいな」
「ん。愛してるわ」
「愛してるよ」
耳元にささやかれ、窓から顔を覗かせた彼は、唇を奪った。
温もりを交わすだけのやさしいキスは、次第に濃厚になっていく。
「だ、だめ」
「おはようのキスと行ってきますのキスを兼ねてるんだよ」
悪びれない彼をじとっと見つめる。
「頑張れよ」
「青も」
一時の別れを告げて、歩き出す。
派手なエンジン音を立てて、青の車は遠ざかっていった。
彼は自分が他人の目にどんな風に映っているか
意識したことがあるのだろうか。
携帯の写真を見ただけで、陽香は過剰反応した。
もし実際に、青を見たら失神しそうだ。
自分のデスクに座る。
向かい側に座っている陽香が、ウィンクしてきた。
「陽香、おはよう」
ぱたぱたと手を振る。彼女は声を潜めた。
「おはよう。今日、いつにも増してつやつやじゃない」
意味深な笑みを向けられ、目を逸らした。
「休憩時間に話を聞かせてね」
「分かった」
有無を言わさない彼女に、逆らう術を持たない。
電源を切る前に携帯を確認する。
青からのメール着信だ。もう会社に着いたのだろうか。
『勇気がいるだろうが、馬鹿変態部長にはきっぱり言ってやれよ。
結婚を前提にした同居だ。確かな絆で結ばれている。
軽い気持ちで一緒に暮らしてるわけじゃないんだよ、分かったか』
ぱたんと携帯を閉じる。
結婚を前提になんて、初めて聞いた。
(部長に直接言っているみたい。こんな風に言えるはずないので、
自分なりに伝えようと思った。気持ちは同じなのだから)
デスクの横にバッグをかけると息をつく。
目を擦ってPC画面に向かう。
あともう少しで始業のベルが鳴る。
(実はベルの音は好きなのよね。古風で可愛い)
仕事が始まる前に、社内メールで、部長宛に昼休みに食堂で待っていますと
伝えた。
時間に気を使ってくれたのか、すぐに返事が来る。
了承の意を示したものに、少しの不安を抱く。
上司と部下として付き合っていかなければいけない相手だ。
覚悟を決めよう。
表計算ソフトを起動させて、今日の業務開始だ。
もくもくとキーボードを打っていると、時間の立つのも早い。
昼休みになって、陽香と一緒に食堂へ行く。
離れた席から見守ってくれると約束してくれた。
お弁当は後で食べることにした。
「待たせてしまったかな」
独特の抑揚が聞こえ、顔を向ける。
「いえ、今来たところです」
「そう。なら、よかった。一緒に食べる? 」
「後で、友人と食べますから」
「それは残念だ」
部長は手にしていた重箱をテーブルの上に置いて広げ始めた。
マイペースさに唖然とする。
「この間の話の続きをここでしてもいいのかな」
「すぐ終わりますから。誰に聞かれて困るものでもないですし」
部長は目をすがめた。続きを要求するように頷く。
「私がどんな場所に住もうとも、会社にご迷惑になることはしていません。
結婚を前提に一緒に暮らしているんです。
彼を真剣に愛していますから」
きっぱりと言うと、部長は気おされたようだった。
「僕の方も私的なことに踏み込みすぎたよ。
許してくれるかな」
目礼をされ、動揺する。
「いえ、もう気にしていませんから」
手振りで示すと、相手は小さく笑った。
「じゃあ、失礼します」
会釈して、席を離れる。
サーバーから水をグラスに注ぐ。
グラスを手に、
手を振っている陽香のいるテーブルの席に座った。
「お待たせ」
「意外な一面を見たわ。やるわね」
「えっ。聞いてたの。やだ……」
「はっきりとは聞こえてないけど、雰囲気で伝わってきたわ」
「彼のアドバイスがあったから言えたのよ」
「ああ、あの超絶イケメンね」
「ぶっ」
超絶って略語なのかしら。分からないけど合う。
お弁当をテーブルの上に広げると、横で見ていた陽香が、目を瞠った。
「あら、煮物なんだ。前までは遠足みたいなお弁当だったのに」
「……昨日作ったの」
厚焼き玉子にから揚げ、ブロッコリーが定番だった。そういえば。
「残り物でもすごいわよ。そういう家庭的なところも彼は好きなんでしょうね 」
「大げさよ。陽香だって作ってるじゃない」
「冷凍食品ばかり詰めてるけどね。だから、遠足って褒め言葉よ」
子供の喜びそうな内容のお弁当だけど。
煮物を口に運ぶ。青にも気に入ってもらえているといい。
考え事に耽っていたら時間はすぐに過ぎる。
既に食べ終えている陽香を待たせてはいけない。
夢中で頬張って、食事を終える。
水を飲み干して、口を拭く。
陽香の方に向き直ると、くすっと悪戯に笑った。
「たくさん可愛がられたのね」
彼女は、心なしか低めのトーンだ。
「えっと……」
顔が火照ってきたのでおしぼりを顔に当てた。
「動揺したら余計怪しまれるのよ」
「分かってるわ」
「それにしてもラブラブね。
精力があるってことは、仕事もできるってことよ。いいじゃない」
「……うん」
仕事できる男性=で考えたら青に当てはまってる。
うわー、そういうことなんだと納得したが、
他がおろそかではない分いいのかもしれない。
「最近のあなたの雰囲気、柔らかいし、幸せみたいでよかったわよ」
「陽香には、随分迷惑かけたわ」
「迷惑なんて思ったこともない。心配だっただけよ」
拗ねたように口を尖らせる陽香は不謹慎だけど可愛かった。
「ありがとう、陽香」
「じゃあ、行こうか」
席を立つ時、ふと気になって部長が
座っていた席を振り返ったが、既に立ち去った後だった。
その後偶然会った時仕事を頼まれた。
普通に接してくれて安堵する。あくまで仕事とプライベートは別のものだ。
マンションの部屋扉に向かい、二人で決めた暗号を打ち込む。
滞りなく一日の仕事を終えて帰宅した。今日はバスだ。
指紋も認証し、カードキーを通してやっと中に入れる。
エレベーターに乗る前にも、一通りの手順がある。
時々失敗して、部屋へ戻るまでに時間をかけて
しまうのだけれど
恥ずかしいので青には内緒にしていた。
「ふう。ただいまー」
誰もいない部屋でも口にするだけで違うのだ。
彼が戻る前に、気持ちを切り替えるためでもある。
靴を脱いでシューズロッカーに入れる。
手を洗って顔も洗い素顔に戻る。
リビングで、少し休憩するとダイニングキッチンに向かった時、
玄関でチャイムが鳴り響いた。自分で開けることもできるが、
先に帰っているなら、出迎えてあげたくて。
気が急いて足がもつれるけれど、彼の顔を見たい一心で玄関を目指す。
「おかえりなさい」
勢いつきすぎて、彼の体にもたれてしまい、慌てて離れる。
長い腕は、体を引き寄せなかったが、手は掴まれていた。
「ただいま。帰って早々胸に飛び込んでくるなんてそんなに会いたかった? 」
くすっ。口元に浮かべた微笑に頬を染める。
「うん」
「さっき帰ったばかりでご飯、まだできてないの。待っててね」
「いや、俺も今日早かったからな。仕事がはかどりすぎて」
「青の体はどうなってるの? 」
「一週間くらいじゃ腰立たなくならない程タフだよ」
心臓が、どくどくと激しい音を立てた。
「帰ったばかりで何言ってるのよ」
ソファに座る彼に、唇を尖らせて睨む。
「手伝おうか」
「大丈夫」
夕食を食べ終えて、リビングでまったりとくつろぐ。
肩に回された腕。寄り添うと、腰に腕が移動した。
「美味しかったよ、煮物。材料も綺麗に切りそろえられてたな」
本当に細かいところまで気がつくなあ。
「よかった。そう言ってもらえて」
さらり、髪をなでられて、瞳を閉じる。
ふわふわとした心地よさに酔う。
「ちゃんと言ったわ。部長はもう気にしてないみたい。
普通に仕事頼まれたもの」
「何かあったら言えよ。ないに越したことはないが」
「ええ」
「心配だな。お前は自分をまるで理解していないから」
「友達なんて青の写真見ただけで、顔真っ赤にしてたわよ」
「今はお前の話だろうが」
抱きこまれた腕の中で、唐突に口づけられる。
「この甘い唇も、白い柔肌も、自然とにじみ出ている輝きも
すべて俺一人が独占する権利がある。そうだろう? 」
耳元に、ささやきが落ちる。
吐息が肌に触れて、昨夜の情熱を思い出してしまう。
「あなたの輝きも、私一人のものよ」
「可愛らしいことを言う」
横抱きにされて、二人の寝室に運ばれる。
ベッドの中で寄り添って眠る。
穏やかな安らぎをこのままずっと分け合っていければいい。
私は彼の側でだけ輝ける。
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