睡眠不足
成人式に出るので久々に実家に戻ることになった。
青に伝えた方がよかっただろうか。別に隠すような付き合いでもないのだから、
堂々とこの人が、付き合っている人だと言えばいいのだ。
大げさなほど驚くか、言葉をなくすかどちらかではないだろうか。
母よりもずっと上の世代の女性もとりこにしてしまう人だ。
紹介した時のことを想像して、ほくそ笑む。
彼のことを話せるのが夢じゃなくて、現実になって、胸をなでおろしていた。
地下鉄の中、少しずつ近づく地元に、ドキドキしつつ、
少しだけ不安もあった。
周りは大学生で、東京の大学へ進学したクラスメイトもいたけれど、
結局卒業後に会うことはほとんどなかった。
仲良かった友人たちは地元に残ってしまったし。
入社して陽香と親友といえるほど仲良くなったことは救いで、
彼女のおかげもあって恋が明るい方向に動いた。
(私もちょくちょく帰ればよかったんだけど)
一昨年のお盆休みと去年の年末年始は帰ったが、それから色々な出来事があり
プライベートも手一杯で、余裕がなかったというのもある。
落ち着いた頃合で成人式を迎えることになり、本当によかった。
携帯のバイブが着信を知らせ慌てて開くと青からのメールがあった。
『緊張するなよ。楽しんで来い。
それから、お母さんにもよろしく』
(実家に寄るって言ったけどまさか彼からそんな言葉をもらうなんて)
言葉通りで、そこに深い意味はないのだとしても妙に嬉しい。
今日は5時起床して、嬉しいハプニングがあった。
久々に青の寝顔が見れた。
思わず顔を近づけて覗き込んだら、絶妙のタイミングで目を覚まして、
キスされてしまったのだけど。
あの甘い声と表情は朝には相応しくない。
彼は成人式のときどうだったのだろう。7年前か。
外見に関してはそんなに変わってなさそうだ。
電車を降りると、駅に母が迎えに来ていた。
ロータリーにバックしてきた車の運転席から覗いた顔の懐かしさに微笑む。
「お母さん」
「久しぶりね」
にこりと笑い、助手席のドアを開けてくれたので、乗り込む。
たまにしか会わないからか、いつも甘い。側を離れても子供は子供だということか。
着物を着付けてもらったら、すぐに会場に向かうつもりなので、
実家で過ごす時間は、あまりなかった。
成人式の会場へは、駅まで送ってもらい、そこから、
バスに乗ることになっている。
同級生とも待ち合わせているし。
「ちょっと見ない間に大人っぽくなったわね。見違えたわよ」
「ありがとう。嬉しいな」
「私も歳を取るはずだわ」
おどける母は、前会った時とまったく変わらず綺麗で若々しい。
「……さては」
エンジンを掛けずに、じっと視線を送ってくる母に、
「な、何!? 」
うろたえてしまう。鋭い母は昔から何でも見抜くのだ。
悩んでいれば気づくし、さりげなく気遣ってくれる。
こんな人になりたいと、憧れた。
「女の子はあっという間に変わってしまうのね。
社会人として仕事も、恋もして」
さらり、呟かれた言葉に何も返せなかった。
頬に触れた手のひら。変わらぬ笑みは、少しだけ歳を取ったように見えた。
「お父さんには沙矢の花嫁姿見せてあげたかったわ」
「お母さん? 」
感傷的になっている母に、動揺する。
「結婚するなんて言ってないのに」
「そうね。でも遠くない未来にあなたのお嫁に行く姿が見えるのよ」
「それは、分からないけど、付き合っている人はいるわ。
実は一緒に暮らしてて」
母は目を見開いて動転した。
お嫁に行く姿が見えるとか言ったくせに!
「あの奥手の沙矢が……! お父さん……」
顔を覆った母におろおろするが、指の隙間から覗いた表情は
いたずらな笑みを浮かべていた。
「一時期すごく悩んでいたわよね?
あの時と同じ人でしょう」
確信しているのか自信満々に言われ、こくりと頷く。
「苦しみを超えて結ばれた人とは、長く続くわよ」
「私もそう願ってる」
願うことから始まり、そこから叶えていく。
走り出した車の中、色々話した。主に話していたのは母で聞き手に回った。
久々に会ったが、やはり母は母だった。
保険の外交員をしているからか私よりずっと社交的で話も上手い。
たどり着いた実家は、変わらない風景の中にあった。
家庭菜園は、母の趣味の一つで、少ないながらも野菜が植えてあった。
帰る時持って帰りなさいと、言われて瞳を輝かせる。
自分が使っていた部屋に行くと、
掃除をしてくれているようで、母には感謝する。
住んでいなくても沙矢の部屋に変わりないのだからと。
母が着ていた着物を手直ししてくれた着物。
コートを脱ぎ、服の上から合わせて鏡の前に立つ。
「胸は大丈夫? 一応直したんだけど合うか心配だわ 」
「もう、お母さんまで」
「あら。誰に言われたの? 」
分かっているだろうに、くすくす笑ってからかわれる。
「だ、大丈夫よ」
着付けを手伝ってもらいながら思う。
自分でできるようにならなければ。
母に着付けやメイクをしてもらうのもきっとこれが最後だ。
「できた。よく似合うわよ」
改めて全身をくまなく鏡で確かめる。
青い地に白い百合が咲き乱れた柄。
何だか大人っぽくて気恥ずかしい。
「大丈夫よ」
とりあえず今のところはぎりぎり大丈夫だったが、
やはり変化しているかもしれない。
「次はお化粧と髪のセットね」
瞬きする。人にお化粧(メイク)や髪をセットしてもらうことは滅多にない。
陽香に教えてもらった時以来だ。着付けも、
美容室で着付けてもらおうかと思っていたら母が、やってあげると言ってくれたし
今日は思いきり甘えさせてもらおうと思った。
母の日には、存分に恩返しをする。
花だけじゃなくてちゃんと戻ってくる。
青も一緒に来れたらいいのに……。
妄想が激しすぎだ。
顔を百面相みたいに変化させる私を鏡越しに見ながら、母は笑った。
お母さんにもよろしくと、言ってくれた青の言葉が頭の中で響く。
「今度、彼を連れて来てもいい? 」
「まあ。紹介してくれるの。嬉しいわ」
それから、青について色々話した。
勿論、言える範囲で大まかな事はぼかしてだけれど。
二人だけが知っていればいいのだ。
藤城青と名前を伝えた時、母は青の苗字に微妙に反応した気がした。
珍しい苗字といえばうちの苗字も同じだ。
気になったが、詳しく教えてくれなかった。
この時胸に残った疑問は、近い未来に彼から知らされることになる。
駅へ送ってもらった時、
『なるべく早く連れて来てね』
と念を押すのを母は忘れなかった。
きっと、必ずと約束して、母と別れた。
母から譲られた着物は、一生大事にしようと思う。
バスを待っていると、数人の女性が歩いてきた。
「沙矢、久しぶり」
「久しぶり」
中学の時のクラスメイト達で仲のよかった面々だ。
一番の親友だった女の子が笑顔で駆け寄ってきて、他の面々が続く。
「変わったわね。あの地味だった沙矢だとは信じられないわ。眼鏡っ子だったのに」
「眼鏡は、視力回復したからかけなくてよくなったのよ」
コンタクトにしようと考えていたけど、視力回復の為に
遠くの星を眺めていたり、目にいいことを色々試したら奇跡的に回復した。
「すごいわね」
バスの相席は親友が座った。
何気なく語らいながら、懐かしいねと笑う。
卒業してから5年も経つのか。
お互いの知らない日々を語るには時間が足りなかった。
会場にたどり着いて、懐かしい顔ぶれの中に混ざると
時間が戻った錯覚に陥る。
「先生! 」
「水無月か。久しぶりだな」
黒木先生。
当時からかっこよくて、憧れていた生徒も多かった黒木譲(くろき じょう)先生。
相変わらず眼鏡の奥の瞳は優しい。
私は、彼女たちとは違い憧れることはなく、他の先生と同じように敬愛していた。
「すっかり社会人の顔だな」
当時の恩師に評されると気恥ずかしい気持ちになる。
会釈して別れて、式典の為の受付を済ませた。
市長の挨拶から始まり滞りなく式が進む。
着物に着られていないかなと心配になった。
式典が終わったのは、正午頃で、
ちかちかと点滅する光に気づいて携帯を開くと青からの着信だった。
慌てて掛け返すと、待っていたかのように彼は電話に出た。
「お疲れ。今日どうだった? 」
「緊張したけど楽しかったわ。
着物って、肩が凝るけどしゃんとした気持ちになるわね」
「まだ着替えるなよ? 」
「えっ。だって着替えなきゃ帰れないわよ」
着替えるため、男女別に設けられている更衣室に行こうと思っていたところだ。
「いいから」
「う、うん。分かった」
有無を言わさぬ青を訝りつつ、歩き出す。
友人達が、きょとんと不思議そうにこちらを見ていた。
「か、彼から電話があって、着物着替えるなって」
冷やかされて、顔が赤くなる。
「あの人、俳優かな。見たことないけど」
「かっこいいじゃ片付けられないわ」
目敏く何かを発見した友人が見ている方に視線を向けると
青が、颯爽と立っていた。目立ちすぎだ。
そわそわする面々に、愛想笑いをする。
『沙矢』
その時、彼の唇が、私の名前を刻んだ。唇が、動いたのだ。
言葉にしない囁きを、聞き取るというより感じ取って
吸い寄せられるように歩き出す。
もう、周りは見えなかった。
腕を広げていないのは、余裕があるから。
私が自ら飛び込んでいくのを、待ち受けている。
目の前まで近づいて、見上げると、彼は、うっすら微笑んで、力強く抱きしめられた。
肩から背中に回った腕が温かくて眩暈がする。
「東京駅でよかったのに」
「お前の晴れ着姿を見たくて」
「お母さんからもらったから、今じゃなくてもまた機会あったわ」
「この日、この瞬間に意味があるんだろ」
腕の中でじゃれる私の髪を柔らかく梳く。
うっとりと瞳を閉じかけたところで、周りから黄色い悲鳴が聞こえた。
「きゃあ」
振り向くと、興味津々の友人達。
彼だと紹介すると、見てたら分かると言われる始末だ。
青は目礼し、
「初めまして、藤城青です。沙矢がお世話になりまして」
親ですかと突っ込みたくなる。
「いえいえー」
友人たちに断った後、青の服の裾をひいて角まで来てもらう。
「折角来てくれて申し訳ないんだけど、約束があるの」
「ああ。一目着物を着たお前を見れただけで今は満足だ」
続きは耳元に直接ささやかれ、ぶわっと頬に熱が灯った。
「東京駅に5時頃だろ。待ってるからな」
まだ12時を回った所だ。
「青、慌しいわよね。疲れない? ご飯食べた? 」
続けざまに言う私に彼は苦笑いをして、頭を撫でてくれた。
「本当はお前と食べた方が美味しいから、どっちでもいいが」
「駄目。一人でもちゃんと食べて。運転して帰るんだもの」
「分かってる。お前も友達と楽しんで来いよ」
「うん。じゃあ後でね」
はにかむ。ぎゅっと一瞬手をつながれたかと思うと、
頬をくっつけて、唇の感触。軽いリップノイズが響いた。
甘くとろける表情を見せた彼は、小さくひらひらと手を振って去っていった。
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