あれは間違いなく藤城青その人だ。
ジャケットの色合いは地味だが彼が纏っているだけで、やたらと目立つ。
どこにいても目立つんだから。仕事帰りなのに、くたびれた様子は全くない。
話までは聞こえないが、意外な姿を見た気分だ。
案外世話好きらしい
どんな場所でも彼を視線で追ってしまう私だった。
肩をゆすられて、横を振り仰ぐと
頬を林檎色に染めた陽香が頬を緩ませていた。
目元が潤んでいるのは気のせい?
「ねえねえ、二人で撮った写真ってないの? 」
「……あるにはあるけど」
「ちょうだいー」
「無理。人に見せるものじゃないって怒られるもの」
「この親友のお願いが聞けないっての? 」
舌っ足らずで呂律が回っていない。
親友の唇からは、アルコールの匂いがした。
「陽香……いつの間にお酒飲んで」
私が、青ばかり見ていた瞬間だろう。
その間にカクテルを取ってきたのだ。
「腹立つのよ、あの部長! 」
「何かあったの? 」
「……な、なんでもない。聞かなかったことにしてくれる」
急に口をつぐみ目をそらした陽香を問いただしていいものか悩む。
酔って本音が出てしまったのだ。
その証拠に彼女は赤らめた頬で、下を向いている。
「……また話せる時に聞かせて」
「そうね」
酔っている陽香を一人にするわけにはいかない。
急いで水を取ってきて強引に飲ませると、少し落ち着いたようだ。
胸を撫で下ろして、
「今日の合コンでどれだけのカップルできるのかしら」
「どうかしらね。別にくっつかなくても気の合う者同士で
飲んで話せたら楽しいんじゃないの」
「陽香は相手を見つける目的はないの? 」
「……いいのよ。今は仕事に生きるの。
振り回したくも振り回されたくもないわ」
「……陽香」
「合コンに来といて何言っているのかしらね」
くすっとおどけた陽香に笑みを返す。
「あっ……誰かこっち来るわ」
「初めまして」
三十代半ばと思われる眼鏡の男性は、私と陽香に名刺を差し出した。
きょとん、としてしまうけれど彼はお構いなしで反対側のソファに座る。
名刺には神崎銀行○○店支店長、小松恭一と書かれていた。
(確か青が利用してるんじゃなかった? 超大手の。この若さで支店長だなんて)
目の前のエリートは、結婚指輪をしている薬指を隠そうともしていない。
「いやあ、君たち競争率高くて、側に近づくの大変だったよ。
一人手ごわい男が、睨みをきかせてたし。
あんなイケメンとは張り合いたくないよね」
「っ……!? 」
青が、少し離れたところからこっちを見ているのに気づきうろたえた。
人前でみっともないとか考える余裕はない。
「別に相手を探している風じゃなかったってことは、
やむを得ず参加したのかな。知り合い? 」
「知り合いといいますか……」
「この子の彼なんですよ。私が無理に二人に参加を頼んでしまって」
陽香は、どういうつもりか本当のことを告げた。
眼鏡の男性は、なるほどという風に頷いてから、私に向き直った。
「どうりで君を守っている気がしたわけだ。
こんな可愛くて綺麗な彼女なら片時も離れたくないだろうに」
思い切り照れて、咽せた。
「こちら側の美人さんも皆狙っているみたいだよ」
陽香は、ぱちくり瞬きして、ふ、と笑った。
「でも小松さんもご結婚されてるんですよね」
「そうだね……合コンって普通に考えると軽い感じがするよね。
でも私はそうは思わないよ。気の合う者同士を見つけて純粋に
語り合う場でしょ。別にどこもやましい所なんてないんじゃないかな」
彼は極めて紳士的に微笑んだ。
「そう思います」
陽香と私は同時に発言してしまった。
「仲がいいね」
「親友ですから」
ぎゅっと腕を絡めてくる陽香に心が弾んだ。
それから、私たちは小松さんと暫く雑談を交わした。
柔らかな口調で話すその人は、本当に気さくで、
ジョークもお洒落だったし、年の離れたお兄さんのように感じていた。
こんなお兄さん欲しいかも。
甘えさせてくれて、厳しい時はちゃんと厳しくて。
私は一人っ子だったから、昔から兄弟というものへの憧れは強かった。
「両手に花だな。久々に若い女の子とこんなに喋った気がする。
妹ができたいみたいだ」
「私も小松さんのことお兄さんみたいだなって」
にこっと笑ったら、小松さんは頭を撫でてくれた。
「さ、沙矢、青さまが物凄い形相で向かってくる」
陽香が、しがみついてきたので二人して震えながら抱きしめ合った。
そのくらい青の迫力が、半端なかったのだ。
「初めまして、藤城青と申します」
さっと名刺を差し出し、青は小松さんと名刺交換をした。
よく持ってたわねと内心感心する。
「沙矢がお世話になりました」
「いや、こちらこそ。可愛い人だね沙矢ちゃん」
「ちゃんづけで呼ぶな。馴れ馴れしいんだよ。
妻帯者の分際で、若い女の子二人誑かすなんて恥知らずが」
「「誑かされてないです」」
二人同時に声を発する。青はこちらの意思を察してくれた。
「沙矢は俺の女で、陽香さんは沙矢の親友だ。
俺は沙矢のパートナーとして二人を守る義務がある。
彼女たちが、違うというなら信じるが……」
「藤城くんだっけ。積もる話あるみたいだから
向こうで二人っきりで話そうか」
「喜んで」
青は、私をちゃん呼ばわりされたことには、
激怒したが自分のことは気にしていないようだ。
素知らぬ顔で笑い、小松さんと握手を交わした。
私たちを残して、二人は移動した。
青は並外れた長身なので、陰に隠れたつもりが頭が出ている……。
「何の話してるのかしら」
「鈍感ね……」
「……青には敏感って言われるわよ」
「ぶっ。何この天然。恐ろしい」
「喉渇かない? 」
陽香のペースに巻き込まれそうだったので、
さりげなく聞いてみたら
頷いたので、二人で立ち上がった。
陽香と笑いながら、一緒に飲み物を取りに行った所で、
青が、そばに来て腕を掴んだ。話はもう終わったのだろうか。
「……帰るぞ」
青の少し後ろには小松さんが立っている。
しかも苦笑いしているではないか。
青は、私の腕を引き立ち去ろうとしたその瞬間、一度だけ振り返った。
「沙矢ちゃんじゃなく水無月さんだ、小松さん。分かったか」
「別に名前でいいです。仲良しになれた印だもの」
青は私を華麗にスルーし、小松さんと視線を交わした。
「分かりましたよ。藤城くん」
「……分かって頂ければ結構です」
薄っすらと青は微笑んだ。
私は腰を抱かれ、共に歩く。
側にいた陽香にごめんねと視線を送って店を出た。
彼女は、小さくそっと手を振ってくれた。
乗り込んだ車の中、沈黙が支配していた。
すぐに動き出さないので、ちら、と横を見たら彼は口の端をつりあげていた。
目は笑っておらず、何ともやりづらい事この上ない。
「……何か怒ってる? 」
「お前がモテまくるのはよく分かった。
全身を眺め回すように見ている輩もいたんだぞ」
静かな怒り方は、彼の怒りの深さを表していた。怖い。
「ええ……? 」
「そんな風にお前を見ていいのは俺だけだ。
視線で触れるだけでも許しがたいな」
強い独占欲を示されて、驚く。
彼に言われるのなら本望だと思った。
「青、でも仲取り持ったりして、活躍してたわね」
「お前に言い寄ろうとした男と、その男を気にしていた女性がいたんだ。
どうせなら、フリーな者同士くっついた方が未来はあるだろう」
「は、はい」
迫られてドキリとする。彼はいつの間にか私に覆いかぶさっていた。
「車出さないの? 」
内心の焦燥感を気取られぬようにしたかったが、声は震えていた。
青は、聞き流し詰問を始めた。
「お前も他の男に気を許していたようだな」
「っ……違う。お兄ちゃんみたいだなって」
「は。あっちは、お前のことを異性として意識していたぞ。
性的対象としてな」
「な……変なこと言わないでよ」
顔が熱くなる。優しいあの人がそんな風に見ていたとは思えない。
「危機感が足りないんだよ。俺と恋人関係じゃない状況で、
お前が参加してたらと想像するだけで身の毛がよだつ」
痛いくらい強く抱きしめられて、息をつく。
私が、嫉妬するより強く彼は嫉妬していた。
「せ……青。私本当はああいう場所苦手だから行ってないわ。
あなたが一緒だから参加したのよ」
「……無邪気に喜ばせるな」
続きは、耳元で囁かれた。
それから、車はゆっくりと発進しマンションにたどり着いた。
だが、降りる準備をしない。
鍵は開かないどころか、カーテンが閉められた。
座席が倒されて、身動きできない引力で閉じ込められる。
「えっと、なあに? 」
彼が再び覆いかぶさってきた。
「兄が欲しかったら言え。全部俺が引き受けよう」
カーテンも引かれ完璧な防音状態の車内で、甘く囁く。
「……お兄ちゃんが妹にこんなことしないでしょ」
「お前が、慕ってたあの男は、妹なんて思っちゃいないぞ」
いきなりまた小松さんの話をされて、どきっとする。
「既婚者よ、あの人。みんなと楽しく語らいたかっただけって」
「関係ないんだよ。本気になったら、モラルを破る類の人間はいる」
「……っ……ふ」
唇に歯が立てられ、甘美な感覚が揺り起こされる。
上下の唇を同じように愛撫されて、気づけば自ら唇を開いていた。
舌が割り込んでくる。
自ら絡めることを自然とできるようになったのはいつ頃からだろう。
深く唇を交わし合う音が響く。
口づけの合間に、息を継ぐ。息は荒く肩を上下させていた。
籠った熱気の満ちた車内で、ふいに口づけが途切れた。
まさしく、野獣の瞳で射抜かれて、心臓が飛び跳ねた。
唇に直接注がれる声は熱く、掠れている。見せつけられる欲。
「お前が妹だったら、それこそ家から一歩も出さないな」
「悪いお兄さんなんですけど」
「あ? 妹を恋愛対象にするわけじゃない。
心配で、守っておきたくなるのさ」
「度を越してない? 」
「妄想に過ぎないだろ」
にやりと邪笑した青が、再び口づけを奪う。
キスだけで、体中が火照る。
舌を絡ませあって、唾液の糸が顎を伝う。
ぷつん、と糸が途切れて、目が合う。
声に出して彼の名前を叫びたい衝動に駆られてしまう。
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