息を飲んで、ベッドサイドの明かりの中彼を見上げる。
「あなたは十分冷静よ。だから、全部奪われたいって思うの」
彼の手に手を重ねて、微笑む。
 もしも、彼が冷静でないというのなら、私を滅茶苦茶に壊しているはずだ。
 彼はそんな人じゃない。
 部長の家を去ってから、随分時間は経っているが、
 私を慰めることだけに心を砕いてくれている。
 ずっと好きで、どんどん好きになってしまう。
 終わりのない気持ちで溺れる……。
「沙矢」
「どんな風にされたっていい。
 思い出したくないことをかき消して欲しい」
 抱きついて、懇願する。
 汚れを、あなたが塗り替えて。
「……あなたに抱かれたいの! 」
「後悔するぞ? 」
「私は一度だってあなたに抱かれたことを
 後悔したことも苦痛に感じたこともないわ」
 強く感情を吐露して、彼を見上げる。
「お前はまったく……」
「え」
 嘆息した彼が、私の頬を手のひらで包む。
 艶を帯びた表情に、どきんと胸が高鳴った。
 まだ、何も始まっていないのに震えてしまう。
 腕を引き寄せられ、骨が軋むくらい強い力で抱きしめられると
 次から次へと新たな欲求が生まれるようだった。
 頭を抱かれて、瞳で問いかけられる。
 射抜かれて、私は自分の誤りを悟る。
 ごめんばかりでは、相手に負担をかけてしまう。
 感謝を伝えたら、相手への救いになるのだ。
「来てくれてありがとう……信じてた」
「当たり前だろ。俺も、もっと早く行ければよかったよ。ごめんな」
 指先で拭われる滴。くすぐったくて、小さく笑った。
 首を振って彼にしがみつく。
 もっとこの匂いに包まれたい。
 彼のすべてを感じなければ私の身体は癒される事はない。
 取り返してくれた携帯は、ベッドサイドに置かれている。
 部長は会社を追われると思うが、彼の妹である春日佐緒里はどうなるのだろう。
「……まさかあんな事をされるとは思わなかったから」
「普通では考えられないな。今頃自分のしでかしたことによって、
 失った物の大きさを思い知らされているんじゃないか」 
 皮肉っぽい口調の青に、何とも言えない気持ちになった。
 不愉快を態度に表す彼は珍しい。
「大丈夫か? 」
「あなたから愛をいっぱいもらえたらすぐ元気になるわ」
「無邪気に言うな。恐ろしい」
 いきなり押し倒されて、ベッドが弾んだ。
「許してやるよ。妙な薬のせいで、感じたかもしれないが、
 イってはないんだからな」
 にやり。笑いながら、素早い動作でパジャマを下着ごと床に落とされる。
 乱暴ではなくて、ボタンも千切れたりしない。 
 ふいに照明が消され、暗闇の中に二人の身体が浮かび上がった。
「どうして……? 」
「明るいほうがいいのか。案外大胆だな」
 クスクス、笑われるが思考はどんよりと曇っていた。
 部長の好きにされた形跡が肌の上に散らばっているから見たくないのだ。
 おでこをぽんと撫でられてきょとんとする。
「馬鹿。いらないことを考えるな。見えなくても、感じるんだよ。
 暗闇の中の方が、お前にとって楽だろうと思っただけだ」
 彼の気遣いが、身にしみるようだ。
「あの人にも言ったんだけど、心と身体は青に捧げてるもの。
 男の人でもあなたは特別だから」
 最後の部分は耳元で告げて、彼に口づけた。
 すぐに深い口づけになって、意識が混濁し始める。
 角度を変えてはキスが降り注ぐ。
 官能に火を灯していく。
 彼は、下着だけ履いたまま私を抱きしめていた。
 素足を絡めて、距離を近づける。
 彼の欲望は既に限界まで張りつめていた。
 私は、まるごと全部欲しくてたまらない。
「好き……青っ」
 首に腕を絡めて、ぎゅっと抱きつく。
 素肌で抱きしめ合う。
 乱れた吐息はどちらのものかも分からない。
「俺は、じっくりお前を愛したい。
 すぐに繋がったらもったいないだろ」
「っ……ああ」
 元々あった赤い痕は、消えかかっていたが、
 邪な欲により上塗りされている。
 それを、彼が元に戻そうとしていた。
 ちくり、刺すかの痛みの後、吸い上げられる感触がして呻く。
 胸のふくらみは、強弱をつけて、揉みしだかれていた。
 シーツを掴む。
 もはや、薬の効果は消えていて、青からもたらされた快楽のみ存在する。
「もしものことがあったとしても、俺はお前を決して離すことはなかったから」
「っ……、ほんとう? 」
「何が起きたって、俺以外の物にはならないって言ってくれたんだろ」
「うん」
「そんなお前を、手放すはずがない。
 今すぐにでも籍を入れて独り占めしたいよ」
「お役所は、土日関係ないのよね。休日受付があるから」
 二人とも裸で、真っ暗闇の状況で大切な話をしているのが不思議だ。
「法的にも、お前を俺の庇護下で守れる」
「ん……ふっ」
 キスの合間に言葉を紡ぐから、何だか変な感じだ。
 額、頬、鼻、首、鎖骨、全身にキスの痕が増えていく。
 乱暴に残された欲の痕なんて、あっという間にかき消された。
 嫉妬よりも、愛が勝ってるみたい。
 吸われ、甘噛みされた頂は、真っ赤に腫れちゃったかな。
 ちゅ、ちゅ、と音を立てて、舌を絡む度唾液まみれになってる。 
 汚れを清められている。
 全身全霊の愛撫はどこまでも、淫らな熱を高める。
「お前の白い胸は俺のものだ。
 結婚して子供が生まれたら貸してやってもいいが」
 至極真剣に言われて、どうしようかと思った。絶対、本気だもの。
 ぎゅっ、と胸に押し付ける様に彼の頭を抱いて愛しさを伝える。
 近い将来、真実にしてね。
「愛をいっぱいありがとう」
「礼を言うのが早い。これからなのに」
 甘く痺れていた。
 頂はぱくん、と彼の口内に飲み込まれては姿を見せる。
 舌先で転がされ、つつかれる。
「はっ……ああ……ん」
赤ちゃんだったら離さずに吸い続ける。
 彼のは愛撫。持ち上げては揺らし、円を描くように揉む。
 時折こちらの表情を覗い、イヤらしく見つめてくる。
 執拗に胸ばかり責められ、じゅん、と奥が潤む。
「っ……、もうやだ」
 自分でも分かるほどに太ももまで滴っていた。
「待てない? 」
「あなたもじゃないの? 」
「ああ、俺の形を味を早く思い出せ」
 指が、濡れた場所を確かめる。
 蕾をそっと摘まれて、思わぬ声が漏れた。
 忘れられるわけない!
 身体が覚えているんだから。
「ああ、固いな。とろとろに濡れてるよ」
 青は絶対私を辱めて楽しんでる。
 きっと、生きがいなのよ! と確信した。
「ん……あっ……あ」
 濡れた場所を舌が往復する。潤みを掬われて全体に塗りつけられている。
「お前が立てている水音だ……」
 蕾を押しつぶした後、中に指が入ってくる。
「とんだ催促だな」
 くっ、と喉で笑う。
 きつく締めつけたらしい。
 びくびく、と反応するそこが、彼を待ちわびていた。
 いつだって恥ずかしい。
 こんな親密な行為、身体だけじゃなくて心まで繋がらないと意味はない。
 長い指が、中でうごめき、掻き混ぜた。
 蕾への刺激もあって、身体が痙攣してしまう。
 ごつごつと浅い場所を指を曲げて触れる。
「っああっ」
「いい反応。俺好みに育てたんだから当然か」
 意識が白く濁った時、耳元に落ちて来た声を聞いた。
 弾む息を整える。彼が、ゆっくりと私に体重を預けてきた。 
 隔ては、気にならないほどに薄い。
 乱暴に、揺さぶられず、ほっとした。
 自分は何に怯えたのだろう。彼は部長とは全く違うのに。
 負担をかけないように位置を考えてくれている。
「俺は、無神経に女を傷つける抱き方はしない」
 胸が高鳴り、赤面した。
 春日は、後先を考えずに、私を犯そうとしたのだ。
 同じ男でもぜんぜん違う。
 もしかしたら、外に出されたのかもしれないと想像して怖気(おぞけ)が走った。
「……限界だ。堪えが効かないな俺も」
 入り口に宛がわれる彼自身。
 待ち焦がれていたそれは、力強く漲っている。
 私と彼、どちらともしっとりと濡れていた。
 さら、髪を撫でられ、頬に唇が押し当てられる。
 何度もキスされて、酔いしれている間にその瞬間は訪れた。
「あっ……は……!」
 入り込んできた彼が、奥を目指して突き進む。
 彼の背に腕を回した。抱きしめられるだけじゃなくて、抱きしめたい。
 これが、抱き合うってことでしょう?
「沙矢……もっと俺のものになれ」
「……これ以上? 」
 欲張りな彼に、ふふっと笑う。
 繋がれた指先に、指を絡める。
 汗でぬるりと滑るたび繋ぎなおす。
 足を絡めたら、彼の動きが激しくなって、また一歩限界が近づいた。
「キスして……うんと優しく」
「自分の欲求を口に出すのはいいことだ」
 胸元に顔を埋めた彼が、頂を甘く噛む。指で捏ねる。
 き、キスって唇じゃないの!?
言葉に出来ない私は、翻弄されるまま波に飲まれた。
   あの事件は会社で広まる事はなかった。
 もしかしたら、青が配慮してくれたのではないか。
 聞かなくていいと思ったから、そっと疑問は胸にしまっておくことにした。
 話すのは辛かったが、陽香には伝えておいた。
 驚いた後、何も言わずに抱きしめてくれた。
 思い出すのは嫌だろうと、部長に対しては何も言わず、ただ泣いてくれた。
    三月になって数日が過ぎた。
 朝ご飯と昼ごはん兼用のブランチを食べ終わり、ティータイム。
 ちょっぴり優雅な気分に浸っている。
「入籍する日はホワイトデイにしないか。
 分かりやすいだろ」
「そうね。いいかも」
 ソファで彼の肩にもたれながら、うっとりと目を細める。
 今日は、この後お出かけの予定が入っていた。
 ついに、彼のご実家に連れて行ってくれる。
「私、嫌われないかな。あんまり自信がない」
「俺が選んだ女に文句は言わせないよ。
 それに、もっと自信持っていいんだ。
 父も含めて皆お前を気に入ってくれる。絶対にな」
「お姉さんにも? 」
「……既に気に入っていると思うが」
 嬉しくなって顔に笑みが広がった。
「指輪も作らなければいけないし……ちょっと忙しくなるな」
「あ、今何か誤魔化さなかった? 」
 にこにこと笑い彼の袖を掴む。
「襲われたいんだ? 」
「と、とんでもない」
 ぶるぶると首を振る。
 さっき作ったマフィンを、焼けたかどうか確かめにソファから立ち上がった。
 高級な物より手作りのほうが喜んでくれるという
 青からの助言から、作ってみたけど、緊張は消せない。
「ブルーベリーと、チョコチップを二種類作ったの。
 大きくないから食べやすいわよね」
「ああ」
 ダイニングに向かう私に彼はついて来ようとせずに
 ティーカップを傾けていた。
 振り返った瞬間に、一瞬目が合う。
「なあに? 」
「何でもない」
 ふっ、と口元と目元を緩める姿に、頬が緩んだ。
(青の棘は抜けたみたい……)
 会うたびに緊張していたあの頃の彼は、もういない。
 オーブンを開けるとマフィンの甘い香りが部屋を包み込む。
 プレゼント用の白い箱に丁寧につめ終わり、よしと呟く。
 テーブルに置いてリビングに戻ったら、立ち上がった彼が歩いてきた。
「何人いらっしゃるんだっけ? 」
「俺とお前の分を除いて三人分かな」
「分かった」
 春が訪れる。
 色々なことが変化する季節が、二人を待ち受けていた。





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