「とりあえず、タオルとテイッシュは買って返すか」
さらり、と言ってのける。
「い、いらないと思う。というかやめてー」
私は、着替えを入れたバッグから使わなかったタオルを取り出し、
部屋の隅っこにたたまれていたタオルをくるんだ。
しっかりと包んでバッグに戻す。
「あ、洗って返すわ。洗濯させられないもの」
言い張る私を、青はきょとんと見つめる。
羞恥があるなら、これを洗ってもらうなんてできないでしょ。
「じゃあ、俺は向こうで待ってるよ」
爽やかに部屋を出る青を見送って、着替えをした。
シーツをはがし、布団を畳む。
窓を開けて布団を干していると、庭から母が手を振ってきた。
「おはよう」
「おはようお母さん」
「気にしなくていいのに。ありがとう」
「いえいえ……っ。こちらこそ。タオルは洗って返すね。
シーツはお願いします」
汗で湿ったシーツを渡すのも気が引けるのだが。
「タオルも洗いたかったな」
妙に寂しげな母に、お気遣いなくと叫んで窓を閉めた。
止めてほしい。
ふう、と息をついて、服の乱れを整えた所ではっ、とする。
着たばかりで乱れも何もない。
挙動不審にならないか不安だ。
キッチンに行くと、テーブルに座った青と母がなにやら楽しげに談笑している。
「仲間はずれにしないでよ……」
近づいていけば、二人に笑われてしまう。
気が合うって、いいことだわ。
前向きに考える。この際青のふてぶてしさには目を瞑る。
母がこちらを向いて、ぎくりと固まる。
満面の笑みにぎくしゃくとした動きになってしまう。
青のとなりに、座ったら普通にしていろと小声で咎められる。
「う、うん」
「この子嘘はつけないからしょうがないわ。それが長所なんだけどね」
「確かにそうですね」
テーブルの上に置かれた朝食を見てお腹が、ぐーきゅるるると鳴り響いた。
恥ずかしくて、目を泳がせる。
「沙矢、青くんが色々作ってくれたのよ。
お料理もできるのね」
感心した風情の母にうんうん、と頷く。
「美味しくて驚くわよ」
青が、どこか照れた風なのは気のせいかな。
普段から、休日は二人で作ったり青が作ってくれたりする。
私より、何倍も料理が上手いのではなかろうか。
静かだけど、雰囲気は悪くない食事だった。
後片付けまではさせられないと母が全部片付けてくれた。
応接間でバッグを手にしている私たちに、名残惜しげに母が声を掛けてくる。
時刻は10時過ぎ。一日近く滞在していたことになる。
「もう帰るの? 」
「はい。これから、東京に戻って藤城の家に向かいます」
「いよいよご対面ね。沙矢、頑張るのよ」
ぐっ、と拳を握る母に、
「が、頑張る! 」
勢いよく返事をしていると頭を撫でられた。
「そんなに気合入れなくても、心配する事はないよ。
そのままのお前でいい。それじゃお母さん、また来ます」
青が自然とお母さんと言ってくれるのが嬉しい。
「ええ、また」
手を振って別れを告げる。
「二人ともおめでとう」
タイミングおかしいのは、もしや血なのかな。
「うん、ありがとう」
手を振って、母の暮らす実家を後にした。
車に乗り込むと、彼がひとつ息をついたので横目で見た。
息ひとつで、こんなに魅惑的な人がはたしているの?
エンジンをかけて車が走り出すと彼は、ぽつり話し出した。
「緊張した」
「そんな風には見えなかったわよ」
「沙矢のお母さんは一人で家を守ってきたんだな」
「うん……私、早く独り立ちしなきゃってずっと思ってた。
お母さんは私がいると疲れちゃう気がして」
「疲れるとは言わないだろ。娘なんだ」
苦笑されると、くすぐったくなった。
「お母さんが失礼なこと言ってごめん」
「いや。今まで守ってきた大事な一人娘を横から得体の知れない男に
掻っ攫われることを思えばあれくらい言われても当然だ。
今まで散々心配かけたのは俺のせいだからな。
許していただけなかったらと不安に思ってたよ」
「得体が知れないってことはないでしょ」
「まっすぐだな、本当に」
急に伸びてきた手に手を重ねられる。掴まれた指先は熱い。
高速道路へ差し掛かったところで、会話はなくなり音楽がかけられた。
直接CDから録音できるのは便利だな。
流れていく景色を見ながら思う。
また帰ってくるね。
東京へ戻ると、自分が通ったことのない道へ向かうのが分かった。
青と出会うまで会社とアパートの往復しかしてなかったから、
知らない場所のほうが多くてとても新鮮だ。
閑静な住宅街。
どこまで続くんだろうという壁が消えては新しい表札が現れる。
今まで縁がなかった世界。
車の通りは少なくて、とても静かだ。
「お疲れ。着いたぞ」
何の感慨も感じられないのは気のせい?
私は、ローマ字の表札に、うわあ青の家だと感動している。
チャイムを押すと、門がゆっくりと開いていった。
ごくん、と唾を飲み込む。
建物まで、距離があるように感じた。。
ここが青のお家。彼が、生まれ過ごした場所なんだ。
「窓から身を乗り出さなくてもすぐ停車するから」
苦笑いされて、顔が真っ赤になった。
はしゃいでしまったのは恥ずかしいが、
落ち着けというのが無理な話だ。
ドアホンに向かい、彼は訪問を告げた。
「青です。戻りました」
「お帰りなさいませ。青さま」
澄んだ女性の声が、聞こえてくる。
「青さま」
つい、反芻してしまった。
「馬鹿にしてるのか? 」
口元を歪め、大きな手が頬を掴んでくる。
微妙にへこんでもごもご声を出した。
「ご、ごめ……違うの」
青さまという敬称つきの呼ばれ方に、興奮を隠せない。
何だか御曹司って感じじゃない?
「お坊ちゃま? 」
「心の声がだだ漏れ」
すっかりいじめっこモードを発動させている
彼の笑顔に、どくんと心臓が跳ねた。
何でだろう。嫌ではない。
こういうのも好きだわと、気づけば頬が緩んでいた。
だって、青は好きな子を苛めて可愛がるタイプって知ってるもの。
しれっとした顔をされたので、慌てて取り繕う。
ゆっくりと扉が開いて、妙齢の女性が姿を見せた。
気品があって知的な印象だけど、どこか母性を感じさせる。
「ただいま戻りました。操子(みさこ)さん」
「お帰りなさいませ」
にこやかな笑みに癒される。ぺこりと頭を下げた。
頭につけているのは、三角巾というよりヘッドドレスに近い。
ああ、メイド服だ。
背筋もピンと伸びてしゃんとした立ち姿に見習わなければと一目で感じた。
「こちらは、水無月沙矢さん。結婚を決めた女性です」
照れが襲ってくる。
「はじめまして。水無月沙矢と申します」
「どうぞ中へお入りください」
にこっと笑いかけられたので笑みを返す。
広い玄関ホールは段差がなく、一瞬どこで靴を脱げばいいのか
分からなかったが、彼を真似ればいいのだと思い同じようにした。
差し出されたスリッパに足を通す。
案内されて進む。
廊下の幅も広くて、何人横に並んで歩けるんだろうと思ったりした。
「青坊ちゃまが、やっと帰って来てくださったと思ったら
こんな素敵なお嬢様までお連れになって」
「す、素敵じゃないです」
掴まれているのは手首だ。
普段どおりに振舞うことで私が気負うのを和らげてくれている。
「本当に可愛くて、いつも癒されています。
こういう時は、変に謙遜しなくていい」
語尾は囁くように言われ、はっとした。はい、と小さく頷く。
たどり着いた場所は、大きな扉の前。
操子さんが開いてくれるのを待って、中へ入っていく。
白で統一された空間。壁も家具も全部が白い。
ソファを薦められ、二人で座る。
「こちらでお待ちください」
そう告げて部屋を出た操子さんは、食器とティーポッドを
持ってきたのは十分ほど経ったころだろうか。
髪を弄ったり、腰を抱き寄せたり忙しなく動く彼に
翻弄されながら待っていたら、あっという間に感じた。
離れようとする私の腰をがっ、と掴むものだから
操子さんに、普段の私たちを余すことなく目撃された。
当然、動じることなく、テーブルにお茶を用意する彼女。
「ありがとうございます」
「操子さんの入れたお茶は久々ですね」
「ごゆっくりなさってくださいね。青坊ちゃまのお好きな銘柄ですよ」
陶磁器のカップからは、湯気と芳醇な紅茶の香りが漂っている。
「青坊ちゃまって、違和感ありそうで、まったくないですね」
その瞬間、後ろ手に腰を撫でられて、声が出そうになった。
見られていないのが分かっているからやってる!
「沙矢様は素直でいらっしゃいますね」
「青にもまっすぐって言われちゃいました」
彼は、無言でお茶を啜っている。
長い指が優雅にカップを掴んでいた。
何も言わないが、こちらの動向はチェックしていそうだ。
「もう暫くしたら、隆様がいらっしゃいますので」
「はい」
隆様って、青のお父様だ。
つまりは藤城総合病院の院長を勤める方。
にわかにドキドキ感が増してきて、心臓を押さえる。
丁寧に会釈して出て行った操子さんは、忙しそうだった。
「へえ、ばくばくじゃないか。大丈夫か? 」
ニヤと笑う彼は私の手を押しのけ胸のふくらみに触れた。
「その手が余計に、心臓をうるさくさせてるのよ」
「他愛無いスキンシップだろ」
「な、撫で回さないで」
手のひらが、円を描いたので、咎めた。
鼓動は跳ねるし、熱くなって唇を噛む。
「緊張感、緊張感よ青」
「これからの修羅場を乗り切るために力もらってるんだよ」
「不謹慎な人だわ」
呆れてしまうが、彼に力をあげれるなら拒絶する必要はない。
触れてもらえないよりずっといいから。
「堪えている顔も、いいな。そそられる」
「っ……も、いいでしょ」
エスカレートしそうな気配に制止のしろ札をあげる。
すんなりと腕をどけて、若干乱れたブラウスを整えてくれる。
姿勢を整えて、その瞬間を待った。
操子さんが、扉を開き、すうっと中へ入ってきたのは、
ナイスミドルという言葉がぴったりの男性だった。
立ち上がって、会釈すると、にこやかに笑い手をとってくれた。
「初めまして。君が沙矢さんだね」
「初めまして……でもないのかもしれません」
はにかむと、彼は全部知っているよと言う風な顔をした。
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