青の発言に茶々を入れる母に異を唱える。
「二人が仲良しだから、安心するわあ」
「安心していただけてよかったです」
「お母さん、あのね、いつでも遊びに来て」
「ええ」
微笑む母の目じりに涙が浮かんでいた。
私は苦労かけたくなくてこの家を出たけれど、
残る選択肢もあったのだ。
何度か家を出てから思うこともあった。今更なことだけど。
地元に残って就職していたら、彼と出逢う機会もなかったのかもしれない。
送り出してくれた母には感謝してもしきれない。
失くしたもの以上にきっとたくさん手に入れた。
食事を終えて後片付けをして玄関の扉を開けた。
「お邪魔しました。また来ます」
「あ……これタオル」
ばっ、と腕を上げて差し出したら、母は
一瞬きょとんとした後豪快に笑い出した。
吹き出す以上の反応だ。
「律儀ねえ。ありがとう」
間が保てなくなり、慌てて扉を閉める。
「お前な」
呆れた風な青に、恥ずかしくて両手で顔を覆った。
元々母がタオルを敷布団に敷いてくれていたのだ。
そのままにしておくのは憚られたから洗って返したが、
色々思い出してしまい、その時よりも羞恥がこみ上げた。
「後でメールする」
「そうしろ」
それから、花屋でお花を買った後、共同墓地に向かった。
母は毎月月命日に訪れているが、私は地元を離れてから、
来る機会が減ってしまい、離れるとはこういうことなのかと、自覚した。
実家からも近いお寺の境内に父のお墓がある。
和尚さんに挨拶した際、お父様も喜ばれるでしょうねと言われて、頬を染める。
青は腰を折って、丁寧に会釈している。
母の前でしたように、目を瞠るほどの綺麗な所作で。
さくさく、土の上を歩いて、目指す。
「お母さん、昨日来たんだ……」
白と黄色の菊が供えられ、お水も綺麗なままだ。
「先に伝えておいてくれたんだろう」
用事があって一緒に行けないけど、よろしくねと
電話した時に言っていたが、前日に訪れていたらしい。
青が柄杓を使い、お墓にお水をかけてくれた。
背伸びが必要ない代わりに少し腰を屈めていた。
一緒にお墓の前でしゃがむ。
瞳を閉じて、祈りを捧げる。
生きている人は、亡くなった人の供養をするのに、
見守ってほしいとか、願いを言うのはよくないと教えてくれたのは母だった。
二人が結婚することの報告と、これからの未来への誓いを心で呟いた。
青も同じ気持ちで隣りにいてくれている。
さりげなく掴まれた手が、とても頼もしく感じられた。
去年のお彼岸、母と二人でお墓参りした時は、一年後に
隣りに誰かいるなんて想像もしていなかった。
「またね、お父さん」
小さく手を振り、お墓参りを終えた。
東京に戻るために車を走らせ始めた時、青が自嘲気味に呟いた。
「……気持ちだけで繋ぎ止めようだなんて傲慢だな」
「どうかしたの? 」
「やはり、結婚というのは段階を踏んでするものなんだ」
真剣な表情に、彼の考えが分からなくて戸惑う。
挨拶まわりをしているし、それ以外あるのだろうか。
ブレーキを踏んで停止した車内でため息が漏れた。
しくじったといわんばかりのそれに、ドキッとした瞬間、
指が重ね合わせられる。
骨ばった大きな手が薬指をなぞった。
「ここに、指輪を嵌めてないだろ? 」
婚約指輪(エンゲージリング)のこと!?
「え、あっ」
「焦りすぎてて大事なことを見落としていたよ」
ぎゅっ、と繋いで絡められる指。
くすぐったくて目を閉じた。
「言葉だけじゃなくて、ちゃんと形にしよう」
胸に、じわりと広がっていく。
「結婚してほしいって言われて、舞い上がってて
何も気づかなかったのよ、私」
呆然とする。
何故意識すらしなかったんだろう。
青が忘れていたと恥じる必要はどこにもない。
「何て顔してる。お前が俺の側にいてくれることが奇跡なのに」
「それはこっちの台詞よ。具体的に今後のスケジュールはどうなるの? 」
温かい声に泣きべそをかきそうで、話を薦めようと努めた。
「ホワイトデイに婚約、結婚式と入籍は6月かな」
「あ……はい」
指折り数えていると、悪いとささやかれた。
「家を離れて、自覚が薄れていたようだ……。
何言われるか怖いな」
「だいじょうぶ! 私も同罪よ」
微笑んだら、青は小さく、
「まったく……お前は」
とささやいた。
「ジューンブライドでしょう。とっても嬉しいわ」
「喜んでもらえてよかったよ」
「青の言っていたこと無理になっちゃうけどね」
子供を作るのも先伸ばしということだ。
「二重のおめでたで寿退社とかよさそうだな」
更に、悪戯めいた表情が返ってくる。
鋭い青にぎくりとしてはははと笑った。
車がゆっくりと動き出す。
東京へ戻る頃、午後3時を回っていた。
予定通りに行動できたので時間のロスはない。
通り過ぎる景色の中、藤城総合病院の文字が目に飛び込んできた。
彼のご実家が経営する病院だ。
「あっ……ちょっと! 」
すごく大きくて立派な建物だ。
もっとちゃんと見たかったのに、車はすうっと通り過ぎてしまった。
「楽しみは取っておけ」
「うう……はい」
「その内行くことになるから」
「う、うん」
言い聞かせるような青に、不満を飲み込んだ。
「婚約指輪は、ちゃんと用意してあるから」
「いつの間に? 」
「本当は結婚指輪の予定だったが……結婚指輪は
もっとシンプルなやつを選ぶほうが無難だし」
「どんな豪華なの用意したの! 」
「さあ。お前の可愛い薬指にぴったりのやつ」
「また恥ずかしいこと言うんだから」
「そうか。もっと恥ずかしくなることしてやるよ? 」
な、何を言うの。
後で何が起きちゃうのか、今は考えないようにしよう。
ぶるぶる震える体を掻き抱いたまま、
車は葛井と表札が書かれた家に到着した。
藤城家はもう少し先だけど、同じ道を通っていけることに気づいた。
藤城総合病院と藤城家の中間の場所が、ここ葛井(くずい)家。
お姉さんと夫妻と彼の甥子さんが住む場所だ。
先に降り立った彼が助手席のドアを開けてくれる。
私は、彼が車を止めるまで、表札のあるあたりで待つ。
広いガレージには二台の車が停まっていた。
一台は、マンションの駐車場で見たから、お姉さまのもので間違いない。
すいすいとバックしてガレージ内に停まる車にため息を漏らす。
「先に下ろしてごめんな」
頬にキスをされてしまう。
「ううん。先に下りてあなたの運転を見られたわ」
手が、繋がれて、握り返した。
段差を上り、玄関扉の横にあるチャイムをそろりと押した。
「はい、葛井です」
「俺だ」
「っ……な、何で」
ガチャっ。ドアホンが乱暴に切られた。
聞こえてきたのは、少し高めの少年の声。
翠お姉さまの息子さんで青の10歳下の甥に当たる男の子だろう。
「動揺してたみたいだけど、青、脅したの? 」
「人聞きが悪いな」
どうだろう……。
すました顔をしているけど、この人は好きなものをいじめるタイプなのだ。
がちゃり。開いた扉から現れたのは、
かっこいいというよりかわいいがぴったりな男の子だった。
さすが翠お姉さまの息子さん。美形だ。
ぱっと見た感じでは青には似ておらずジャ○ーズ系っぽい雰囲気だった。
「い、いらっしゃい」
うろたえている彼と目があったので、微笑んだら、後ろに飛び退った。
ど、どうして。まさか、私が怖いの!?
青と一緒にいて威圧感が似てきたのかな。
戦々恐々とした気分で青ざめる。
「二人はいないのか。車はあったが」
「いるよ……。母さんが、出るといいことあるっていって」
いいこと。もしや、そんなに青に会いたかったの!?
「初めまして、水無月沙矢と申します」
玄関の下足場で、手を差し出した私に、男の子は
顔を真っ赤にして唇を開いた。
「く、葛井砌です。あなたが沙矢さんですね。
母さんから話を聞いてすごく会いたかったんです」
「ありがとう」
嬉しいことを言われてしまった。
そっか、照れていただけなんだ。ますます可愛い。
その瞬間、ぎゅっと手を握られ、長身の彼を見上げる。
貼り付けたような笑顔に、びくりと怯えた。
玄関の床にスリッパを揃えてくれたのは彼、砌くんなのかな。
ほっこりした気分で、見上げると、青ざめていた顔が見る見る赤くなった。
「お邪魔します」
靴を脱いでスリッパに履き替える。
休日の家族の時間に押しかけたのは、私たちだ。
勝手しったる様子で、進んでいく青は、遠慮していないようだけど。
「いらっしゃい」
眼鏡をかけた優しそうな男性が、ソファから立ち上がり歩いてくる。
「ご無沙汰してます、義兄さん」
「ああ、青。初めまして、沙矢ちゃんだよね。
彼の姉の夫で葛井陽と申します」
にこっと笑う顔が眩しかった。
何となく砌くんと似ている。
「お兄さま初めまして、水無月沙矢です! 」
目を瞠った男性は、対面のソファを勧めてくれた。
「もし、青が彼女を連れてこなかったらと思ったけど
ちゃんと来てくれて安心したよ」
「お若いですね……びっくりしました」
奇妙なことに気づいたけど藤城のお父さまも、翠お姉さまも皆、ものすごく若い。
見た目で年齢が分からないとはこのことだ。
もしかして、お姉さまより年下なのでは?
「もう、44になるんだよ。砌と変らない年齢のお嬢さんに
言われるとさすがに照れるかな」
「うちの母より上です……」
「そうなんだ? 」
「……父さんは、よく俺の兄貴と間違えられたりしてるんですよ。
あまり言うと調子に乗るんで気をつけてくださいね」
さらっと、毒を吐いた砌くんは、ぺこりと頭を下げてリビングから消えた。
「いらっしゃーい、沙矢ちゃん」
「ふ、ふえ……翠お姉さま!? 」
突然、登場したお姉さまに首に腕を絡められる。
ふわふわと香るにおいは香水だろう。
「来てくれて嬉しいわっ」
妙齢の女性にぎゅっと抱きしめられて、ぽうっと照れてしまう。
くるりと巻かれた髪が肩先で踊っている。
後ろを振り返れば青と、お兄さまが和やかに談笑していた。
その光景は兄と弟そのもので、微笑ましい。
「沙矢ちゃん、アップルパイって好きかしら? 」
「大好きです」
「よかった。ちょうど焼けたところなのよ」
お姉さまが手を引っ張ってキッチンに案内してくれた。
「仲良いわよね。多分本当の姉の私より好感度高いのよ」
「男同士ですものね」
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