Indian summer day



 ぽかぽかとした陽気が心地いいこの日、沙矢は昼休みにカフェレストランに来ていた。
 めっきり寒くなっていた最近にしては、珍しい小春日和だ。
「沙矢、綺麗になったわね」
「え!? 」
「私は嘘は言わないわよ。元々綺麗だったけど
 最近は本当に曇りがない感じ。上手く行っているのね? 」
 目の前の親友の言葉に沙矢は曖昧な笑顔を返した。
「……多分ね。別れを告げられる気配がないもの」
 後退はしていないが、大きな進展もない、あの人との関係。
 少しずつ変わってきているとは思うから、
 嘘なんてついてはいないはずだ。
 ただ一人彼との秘密を打ち明けている親友を少しでも
 安心させたい……ではなくて、
 きっと自分を慰めたいのだ。ずるいのは、彼だけじゃない。
 ぐるぐるとかき混ぜるカプチーノは、
すっかり冷め切っていて  異様な甘さを感じさせた。
 このお店は、家族経営のあったかい雰囲気が気に入っていて、
 沙矢と陽香は月に二度ほど昼のランチに利用していた。
「あなたに綺麗って言われると照れるわ。だって、陽香は私の憧れだもの」
 陽香は、おしゃれのセンスもよくて、スレンダーな美人だ。
 同い年なのに沙矢よりもずっと大人で、屈託のない人柄が特に大好きだった。
「お化粧教えてって、可愛いこといわれた時はどうしようかと思ったわ」
 くすっと笑われて、頬を指で撫でられる。
「結局、そのままの方がいいって言われたのよね。無理してるって」
「なるほどね」
「へ。何? 」
 したり顔で頷いている親友に沙矢はどぎまぎした。
「そのままの沙矢を自分の色に染め上げたかったんでしょうよ。
 とんだ独占欲だわ」
「多分、独占欲は強いと思うわ」
 頬が染まる。
 朝になっても彼が腕を離してくれない時は、
息苦しくて  切ないけれど、幸せなのだ。
 食後のコーヒーを飲み干した陽香は、ナプキンで口元を拭うと、
 にこっと微笑んだ。その眩い笑みに沙矢ははっと目を奪われていた。
「あなたが、いい方に変化しているのを見れば、
 何らかの形でキリがつくのも時間の問題ね。予言よ」
「うん! 」
 この親友の言葉は、何より勇気をくれた。
「私が払っておくから先に出てて」
「ありがと」
 もちろん割り勘だ。
 ランチ代を彼女に手渡し、店を出ると、
 途端に、携帯がぶるぶると震えたので、建物の影に入った。
「も、もしもし? 」
「……沙矢」
少し躊躇いながら呼ばれ、心拍数が上がる。
 息を含ませて僅かに間を置いて青は、彼女の名前を唇に乗せる。
 とても、大切な言葉であるかのように告げるから、
 余計にどぎまぎしてしまうのだ。
 彼は、息を飲み込み、何かを堪える沙矢を知る由もない。
 名前を呼んでから、喋りださない青に、
 痺れを切らした沙矢は自分から語りだす。
 何でもない、じゃあまたで会話が終わったら、元も子もない。
「今ね、友達とご飯食べてたの。もう会社に戻るわ」
「ああ……、そういう時間か」
「食べてないの? 」
「昼休憩は特に時間が決まってなくて、個人で自由に取っていいんだ。
 だからそのまま仕事してるやつも多いな」
彼の職業については、おおよその見当がついていた。
 時々薬のにおいも感じていたし。
 そして、これは嘘だ。私を誤魔化すための嘘に躍らされている振りをする。
「肩が凝るわよ。一度外に出て深呼吸してみるといいわ。
 今日は日差しが暖かくて心地いいのよ」
 おせっかいが過ぎただろうか。
 余計なことを口走ったかもしれないと後悔していた時、
「アドバイスに従ってみるよ」
 青からは意外な言葉が返ってきた。
 最近の彼の様子からすれば、予想できなくもなかったが、
 沙矢の心は、嬉しさで舞い上がってしまった。
「今日の夜会える? 」
「大丈夫よ」
「沙矢の部屋まで行くから待っててくれ」
「……待ってるね」
 些細な約束が、二人を繋ぐ確かなものに感じられて心が淡く色づく。
 通りに出ると、少し呆れた様子の陽香が待っていた。
 帰りに食べるのだというパンを抱えていて、笑みがこぼれる。
二個は入っていそうだ。
 自家製酵母で作られた手作りパンは美味しくて、
 沙矢も朝食用に何度か買って帰ったことがあるのだが、
 夕食前の中途半端な時間に食べるのは、一応健康のため遠慮していた。
 どこに入るのだと信じられないが、陽香はよく食べる方だ。
 他愛もない会話をしながら、会社まで戻る。
 デスクに座ると、携帯の電源を切る。
 持っていたバッグにしまうと、改めてパソコンの画面に向き合った。
 雑念など入らないように、仕事が終わるまでお預け。
 大好きな人の声と姿を一度だけ思い出す。
 不器用で、頑なで、言えない言葉は口づけで誤魔化している。
 想像は、当たっていると確信していた。
   

 食材を買って、アパートの部屋に戻る。
「ただいまー」
 誰もいない部屋へただいまと言うのはおかしくはない。
 帰宅したのを実感するためと、気持ちを切り替えるため。
 ここからはプライベートでの水無月沙矢になる。
 戻ると言った方が正しいだろうが、
 別の意味でこれからの時間は闘いだった。
 あの人が部屋に来る。
 心が躍ると同時に不安と焦燥に駆られ、
 何をしていいか分からなくなる。
 すなわち、自分でいられなくなるのだ。
 会社のほうが落ち着いているなんて、不思議なものだ。
 洗面スペースで手と顔を洗いスキンケアを済ませる。
ルームウェアを着て、足元はストッキングを脱いでニーハイを履く。
 冷蔵庫に入れるもの、今日使うものを分けてからテーブルの上に置く。
「……私あなたの前なのに、平気で素顔見せてるのね」
 ナチュラルメイクの姿よりも、素顔のほうが彼は喜んでくれるのだ。
 独りごちると、やはり青が、沙矢にとって
 特別な存在なのだと実感せざるを得ない。
 手早くテーブルを整えると、玄関の扉の音に耳をすませる。
 スーパーに寄って帰ったので、そろそろ彼も来る頃だろう。
 できれば今日でなくて明日会いたかったのだけれど、
 わがままなんて言えない。
 彼も都合をつけてきてくれるのだから。
 恋人同士であれば譲り合ったり普通のことが、少しずれている。
 静かに扉を叩く音が聞こえ、玄関へと歩いていく。
 はしゃぐ心が透けて見えないようにゆっくりと向かっても
 小さな部屋は玄関までの距離など僅かだ。
「いらっしゃい」
「……ああ」
 険しい表情をほんの少し緩めてくれたのは気のせいではない。
「ご飯、良かったら食べてね」
「初対面の男にもそうして、食べ物を薦めてきたな」
 警戒心ゼロなのだと言われている。
「あ、あれは……私のせいで巻き込んじゃったし悪いと思ったから。
 誰にでもするわけじゃないから」
「分かってるよ」
 キッチンのテーブルに隣り合って座ると奇妙な感覚にとらわれる。
 ひと時の戯れに興じるだけの関係ではない慕わしさをいつ頃からか覚え始めていた。
 とくん、とくん。心臓がうるさいし、両手も震える。
 意識しなければ何てことはない。
自分に言い聞かせて皿を並べた。
 パスタを盛り分けて、ソースをかける。
向かい合うことが難しいのではなく狭い為隣り合っているのだ。
「……溶けてなくなる前に掬おうか」
 きょとん、と瞳を瞠る。
 椅子に戻った沙矢に、青が、向き合ってくる。
(隣に座っているのに、わざわざ椅子を横に向けてくるなんて)
 瞬きしている内に、上唇は悪戯な舌の餌食になっていて、
「っ……ふっ……ん」
 微かな喘ぎがもれる。
 なぞるように、掬われていた。
 肩を押さえつけられ、腕の中に捕らわれる。
「とろとろに甘いよ」
角度を変え、貪られる。
 吸い上げられ、甘く噛まれひりひりと痛み出すほどだ。
 キスは濃密な温度を作す
 そろそろ暖房が欲しいと思っていたけれど寧ろ、咽るくらいだ。
 顎に手を置かれ、仰け反る首筋。
 伝い落ちる滴まで舐め取られて、呻く。
「ご飯……は」
 掠れた声を搾り出すが、相手は意に介さない。
「何を食べようが俺の自由だ」
 傲慢な言の葉が耳に落ちてくる。
「雰囲気を壊すなよ」
 息継ぎの合間、薄っすら開いた瞳で青を覗き見る。
 その妖艶さに鳥肌が立った。
 目元が潤んで、視界が揺らぐ。
 滲んだ瞳には、青がぼやけて映っていた。
 こんなにも長くキスだけを交わしている。
 肌を重ねなくても、この瞬間が続けばいいと思った。
「……青、私ね」
 長い人差し指が、唇に押し当てられる。
「続きは、ベッドで教えてくれ」
 ふわ、と抱えられ、連れて行かれる。
 狭いシングルベッドへと、少し乱暴に押し倒された。
 覆い被さってくる大きな体は熱くて、沙矢の体の熱も上げていくようで、
 キスが降り注ぐ前に彼の頬を手のひらで包んだ。
「お願いがあるわ……。
 私の部屋に来ているんだから聞いてね」
「言ってみろよ」
「もっといっぱいキスして。
 私が目を覚ますまで帰らないで」
「その代わり好き放題お前を味わわせてもらうが」 
 もう一度、心臓が高く鳴った。
 最初の夜の赤信号よりも、光が激しく点滅していた。
 あの時は、恋よりも欲で、互いを望んで堕ちただけ。
 今では、この人のことが愛しくてしょうがない。
「んん……」
 啄ばまれ、同じように返したら彼が笑った。
 自然と零れたに違いない笑みに、どうしてか泣きたくなった沙矢は、
 目を大きく見開き、声を押し殺し、感情を押さえ込もうとする。
「何故泣く……」
「あなたが笑うから」
 口にしなくてもいいのに、唇から零れ落ちてしまった。
 一度吐いた言葉は、唇の中に吸い込まれて戻ることはない。
 切なさと嬉しさがない交ぜの複雑な感情の揺れだった。
「それほどまでに、俺の笑顔は貴重か」
「もっと、笑って」
 無表情とまではいかないまでも、彼の表情はあまり変わらない。
 激しく表情を動かすことなんてないのではないか。
 彼の笑顔はどれだけ魅力的だろうと考えずにいられない。
「できるなら苦労しないが、今日お前からのアドバイスをもらった時
 俺は、笑ったんじゃないかな」
「自分のことなのに半信半疑っておかしいわ」
「笑うのは得意じゃないからな」
 思わず、笑ってしまった。
「今日は暖かくてまるで……」
 その先を引き取るように、青が唇を開く。
「indian summer dayか」
 突然流暢な英単語が飛び出してきて、沙矢ははっとする。
「小春日和のことだよ」
 サマーは分かる気がするけど、インディアンは何でだろう?
 場に相応しくない謎を抱き、青を見つめる。
「ねえ……青? 」
「誘ってるんなら望みどおりだな」
 含み笑いをされ、唇を塞がれた。
 望むとおりにたくさんのキスが、与えられて、  沙矢は、とめどなく涙をこぼした。
 胸がざわついて、脳裏が焼ききれそうで、  甘いため息が漏れる。
 首筋を辿り、鎖骨に口づけられた時、びくんと背筋を振るわせた。
 唇が辿る先で、赤い華が、息づいていく。
 衣服は一切乱れていない。
 手首から腕に舌が這った。緩慢な動作だ。
 先に仕掛けたのは向こうなのに、彼は焦らして楽しんでいるようだ。
 瞬きしては、青の顔を見上げる沙矢に彼は、意味ありげにほくそ笑んだ。
「キスされたいんだろ。たっぷり味わえよ」 
「っ……! 」
 ルームウェアのボタンが、もどかしく外される。
 胸元に息がかかり、谷間に口づけが触れた。
 ブラの上から、キスされただけで、背筋からぞくぞくと駆け抜ける痺れ。
 固くなっているのが、自分でも分かり、彼の唇に直接愛でられるのを待っているかのよう。
 はしたない言葉を口走りそうで、小指を噛んで唇を塞ぐ。
 押さえた声音が、青の嗜虐心を煽っているとも知らない。
 口づけは、胸元を通り過ぎて平たい腹部に移る。
 強く吸われた場所には痕が残るのだろう。
 彼と次に会う日まで、残っているかは定かではないけれど。
 膝を立てて、誘っているとも気づいていなかった。
「はっ……うう……ん」
 ブラとショーツに足にはニーハイを身に着け、
 体の下に、脱がされかけたルームウェアが敷かれた状態。
 決してセクシーな下着ではなく、可愛らしいものだが、
 必死で堪えている様子は、たまらなく、
 少女の無垢さと、大人の女の大胆さが同居しているようだ。
 まだ、20歳にもなっていない少女とは思えなかった。
「次は、どうされたい。言えるだろう? 」
 意地悪気な問いかけに、沙矢はふるふると頭を振るう。 
 上唇を、ちゅと吸われ、熱が高まる。
 沙矢は、シーツを握り締め、感服した。
 顔を真っ赤にして、声を震わせる。
「胸の頂を吸って、それから……めちゃくちゃに揉みしだいて! 」
「お前のその声と表情、恐ろしいくらい官能的で美しいよ」
フロントホックのブラが外され、肌が露にされる。
 舌先が、ふくらみの周りを這い、頂を登って来る。
 はっ、と息をつめた。なぶられる動きに支配される。
 指の腹で、転がされ、もう一方は舌先で転がされている。
 断続的な喘ぎは、もはや止めようがなかった。
 頂ごと押しつぶしながら、荒々しく膨らみが揉まれる。
 形を変えるほど、乱暴に触れられて、奥が疼く。
 潤いが、溢れてくる。下肢が、熱く痺れた。
「こんなに濡らして。俺に、感じてくれてるんだな」
 ショーツの中をまさぐられ、指が、敏感な場所に届いた。
 つ、と濡れた場所を撫でられ、声も出せずに呻く。
 濡れてではなく、濡らしてと言われたことに、
 羞恥以上に、欲情する自分がいる。
 沙矢は、己を隠すことはできなかった。
 ショーツを引き抜かれる。
その生々しい感触に彼の言葉通りだと思い知っていた。
 足を大胆に開かされ、その間に青は顔を埋めた。
「っ……やっ……あ」
 焦らされることなく、蕾を舌に掬われキスを受ける。
 塗りこまれるように、舌を動かされ、ぱたり、とシーツに沈む。
 奥を突かれた時、脳裏が白く染まった。
 荒い息をつき、肩を上下させていた沙矢は、ぎしりとベッドが傾いだ音を聞いた。
 体重をかけて青が覆い被さってきたのだ。
 固く繋がれた指先は、不安がらせないようにという
配慮を感じられ、ほっ、と胸が安らぐ。
 当の青にしてみれば、所有欲の表れでもあったのだが。
 避妊の準備を整えた青が、腰を押しつける。
 ソレと分からない位の薄い膜。
「っ……」
 耳朶が、口づけられる。
 やさしく、だんだん強く吸われ体が仰け反った。
 同時に、奥に青自身が入り込んできていた。
 中を満たされた充足感と、欲望を満たした喜びで
 互いに吐息をこぼしていた。
 沙矢の頬をすべる滴。広い背中にぎゅっと腕を回して絡めた。
「っ……く……」
 青が、苦しげに呻いて、腰の動きを早める。
「はあ……んっ! 」
「いきなり締めるなよ。もたない」
「んん……っ」
 絡めあう舌。
 激しいキスで漏れる水音と下部での交わりの音。
 聴覚までも侵されていくようで、二人は淫らに狂う。
 固い頂に歯を立てられ、腰が揺れる。
膝裏を持ち上げられた。半身を折りたたまれ繋がる。
 どちらがどちらの体が分からなくなるほど密着している。
 膝ががくがくと崩れていく。
「も……許して……っ」
 隈なく愛撫を体中に受けて、感度が上がっているのだ。
 長く繋がってなどいられない。
 せき止められない感情が、滴となって零れる。
 青は舌で、唇で沙矢の涙を拭って苦く笑った。
「抱いたら、抱くほどに離れられなくなるなんて知らなかった」
 青のもらした本音。
 最後に、最奥まで突かれて、眼裏に、光がはじけた。
 沙矢は、首に腕を絡ませて彼の熱の息吹を受け止めた。
 とめどない本流に飲み込まれて、堕ちていった。


  髪をなでる動きを感じ、ぼんやりと目を開けた。
 青は、せつなげに瞳を細め、沙矢を見ていた。
 彼は優しいのだ。知っていた。
 だから、嫌いになれなかったのだ。  肩に頬を押し当てて涙を隠す。
 泣いたのは何度目だろう。嫌がられてないだろうか。
 引き寄せられた肩はわなないていて、感づかれないはずもないのだ。
「……っ青……せい」
「どうした? まだいるぞ」
「なるべく早くまた会いたいわ……」
 抱かれるほど、寂しくなる。
「ああ俺を待ちきれなくて、思い出しながら、
 自分を愛撫しないとも限らないもんな」
「っ……」
「俺は、それじゃ足りないからできない。
 満たされなくて自滅するからな」
 沙矢へ不躾な言葉を投げつけた代わりに青も正直に伝えてきた。
「……あなたじゃないと駄目なのよ。だから」
「信じろ。週末の夜はお前で予約済みだ」
 頬が緩み、彼の腕の中でふわりと微笑んだ。
 その表情に青は見惚れて、ただ強く腕の中に抱きしめた。
 自分が、女にした少女。
 儚く、強く、美しい沙矢を。



 12   残り香   sinful relations