口紅(ルージュ)  



 4月。新しい生命が息吹く季節。
 愛しい人と出逢った季節。
 あれから、もう一年が経つんだね。
 もつれ合うように階段から落ちたあの日から丸一年。
 恋愛よりも強い引き寄せられる引力で、求め合い結ばれた。
 本当に、淫らで信じられないようなことをした。
 殻を破りたかった願いがあったとはいえ、
 男の人に免疫のなかった私が、見ず知らずの男性に身を任せた。
 階段から落ちて、彼と目があった時に囚われていた。
 幻のように、綺麗な男性。
 私の体を包み込み守る大きな体にときめいた。
 甘い夢を見せてくれる王子様ではなかったけれど。
 抱かれてから、熱に狂うことになって、
 もどかしさに身を震わせ再会を願い、かなった時
 どれだけ心が躍っただろう。
 強引さも決して嫌じゃなくて、彼の取っていた部屋で、  二度目の夜を迎えた。
 時計の音が残酷に思えて聞きたくなくて、
 頭(かぶり)を振っていたら信じられない言葉を耳にする。
 明らかに女性の名前。
 彼と恋愛関係にあったわけではない従姉妹の女性の名前だったのだけれど。
 怖かった。
 肌を重ねているだけの関係にすぎないからこそ、不安だった。
 あの時くれた、赤いピアスは今も大切にしまってある。
 多忙なのもあるが、朝まで共に過ごせることは稀(まれ)で、
 夜の間だけ、欲に溺れている関係は恋人には少し遠かった。
 彼が口に出しかけた言葉を聞きたくなかった。
 貴重なお休みに、泊まる旅に出かけた時は、とても浮かれていた記憶がある。
 私以外、彼の側に誰も居ないという言葉が、真実だと感じられた。
 彼を誘惑した9月の赤い月が照らす夜。
 思い出すと子供っぽかったなと恥ずかしくなる。
 よく、あんなことができたものだと。
 どうしても、心を手に入れたくて、必死だっただけ。
 その日から暫く会えなかったが、誕生日を共に過ごせたことは大きかった。
 もっと、近づけたと思った。
 恋人らしい戯れもなく、行為に溺れる関係だったとしても、
 あの日がなければ、今こうして共に過ごせていないと思う。
 クリスマスは、関係が確実に変化した日。
 共に暮らすことをいつから、決めていたのか未だによくは知らない。
 体だけの繋がりじゃなくて、心も繋がってるって
 不器用な彼が、教えてくれた。
 そっか。
 本当の恋人同士になって共に暮らし始めて4ヶ月か。
 この間に結納も整い、正式な婚約者(フィアンセ)同士になった。
 あとひと月と、少しで晴れて彼の花嫁となる。
 藤城青(とうじょう せい)。
 恋をして、愛した男性。
 相変わらずクールではあるけど、整った造作に
 柔らかい表情を浮かべるようになり、もっと親しみやすくなった。
 私は、自分を装わずありのままの自分で共にいる。
   経験を重ねたのとは別に、大人になったとは自分では思えない。
 20歳をむかえても、親友の陽香の大人っぽさからしたら、幼さは残ったまま。
 自分を作らずに、くったくない姿でいることは、
 彼も喜んでくれるから、私はこのままそばにいられたらいい。
 少しずつ、大人の女になれたら。
 7歳離れていても決して年の差など感じさせない人なのは、ありがたい。
 私のおかげで若くいられるとか、言うが、それだけとは思えない。
 彼の家族は、見た目で年齢を測れないほど若々しいからだ。
 老けてしまうのではなく、年齢相応の女性になろう。
 堅く決意し、鏡の前で口紅(ルージュ)を引いた。
 メイクの仕上げは、唇に色をのせること。
 上唇と下唇を合わせた後、鏡で確認し余分なところを拭きとった。
 今日も素敵な一日になりますように。
「沙矢」
 振り返ろうとした時、鏡に彼が映った。
 長身の背をかがめ、私の肩に腕を回してくる。
 鏡を通して見つめられ、どきんと胸が高鳴った。
「足音なかった気がするわ」
「お前が考え事に没頭していたんだろ」
「今日までを思い返してたの!
 何の日か、覚えてる? 」
「俺とお前が、出逢った日だな。
 初めて記念日でもあったか」
「コミカルに表現するような雰囲気はなかったわよ」
 彼がうそぶくので、くすっと笑った。
「欲しくて抱いた。お前も抱かれたかったから受け入れた。
 それだけのことだ」
 冷静に語る彼の腕の力はますます強くなった。
 肩から腰に回され、もっと背をかがめた体勢になる。
 こんな風に束縛されたら、くらくらしてくる。
 左腕で、腰を抱いて、右手で髪を一筋掬ってはもてあそばれる。
「も、もう」
「唇を尖らせた表情もかわいい」
「冗談言わないでよ」
「お前にうわべは言わないと言っただろう。
 華やかな色を唇に乗せて、本当に綺麗だよ」
「色っぽい? 」
「俺の全身に口づけの痕を残して欲しいくらいに」
 特有の甘い殺し文句を惜しげも無く披露し、彼は鏡の正面に回った。
 硬い胸に頭を抱かれたので椅子に座ったまま、腰に腕を回す。
「私ね、今の優しいあなたも好きだけど、
 ミステリアスで、ダークなあなたも好きだったわ」
「ドMにも程があるな。俺はお前に酷いことしかしてなかったじゃないか」
「不器用な中に、見える感情の揺れに、ドキッとしたのよ」
「沙矢は、出逢った日から俺以上に大人だったな。
 外見以上に、中身が大人だよ。
 気遣いと、自分の意志を貫く強さ、女らしい優しさ。
 すべてに置いて魅力的だ。日々美しさが磨かれている」
「そんなに褒め殺したって駄目。何にも出ないから」
「口づけの痕をくれるんじゃないのか? 」
 腕の中に捕らわれながら、ああと思う。
 かなうわけないんだ。
 彼に言われたら、してあげたくなるし、
 自分がしたいと能動的に感じちゃう。
「座って」
 私と位置が変わり、化粧台の前に、彼が座った。  
 暴れる心臓をなだめる。
 滑らかな頬を押しつつみ、唇を寄せた。
 軽いリップノイズを響かせて、額、頬、顎、首筋、
 男らしさを感じさせる喉仏にドキッとしながらキスを重ねる。
「待て」
「ん? 」
「わざとやってるんじゃないだろうな。妙に舌の動きがエロティックだが」
「分からないんだけど」
「本当にエロくなりやがって。俺の教育の賜だな」
「何言ってるの。恥ずかしいから」
 からかわれて、頭を振ったら、髪が触れて少しこそばゆかったらしい。
 かすかな声が漏れた。
「口づけの痕なんてお風呂に入ったら落ちちゃうけど」 
 ふう、と息をついて離れようとしたら体が、反転した。
 横抱きにされ、部屋の外に連れて行かれる。 
 寝室のベッドに、降ろされ、組み敷かれた。
 さっきの比ではないくらい、心臓の音がうるさい。
 両手首が、捕まれ、体がベッドに押しつけられている。
 のしかかられて、真上に見える表情はどこか誘っているようで、
 まだ本気ではない。私を、試してる。
「こういうの、たまらないんじゃないのか」
「……うん」
 否定できずに即答する。
 彼に支配されていると感じられるからだ。
「全身に口づけをくれる約束を果たしてもらっていない」
「えっ……」
「さあ、今度はどうするんだ? 」
 挑発されている。
 口元を歪めた表情はあくどくて、最強にエッチだった。
 妖しい色気だなんて言葉では片づかない。
 青の手を強く握ると、彼も動いて体の位置を入れ替えた。
 今度は、私は青の上にいる状態になった。
 もう、手助けはしてくれない。
 こちらから、動かなければ。
 彼の上着のボタンをゆっくりと外していく。
 あらわになった素肌は、午後の光の中で眩しいほどだ。
 思わず喉が鳴ったのは、あらためて綺麗だと思ったから。
 そそられ、願いどおりに痕を残したいって気持ちが強くなった。
 四つん這いの状態で彼の体の肌に、淡い色を落としていく。
 チュッ、と軽くくちづける度に、彼が頭を押さえつけて、私を体に縫い止めた。
 つい、肌に痕を残すことに夢中になってしまった。
「色々まずい事になるかもな」
 まずい。考えたら、顔から火が出そうになった。
 意外にくびれた腰は妙にいやらしい。前から思っていたが。
 でも触れても柔らかいところはどこもなくて硬いのだ。
 細いようで、硬い筋肉がしっかりとついている肉体。
「っ……やばいな」
 彼の胸の頂にキスしたら、妙に色っぽい声がもれた。
 そうだ。ここにキスしたって痕は残らない。
 胸板を通り過ぎ、腰元に円を描くようにキスをする。
「……えっち! 」
 腕が触れてしまい、彼の熱が、そそり立っているのが分かった。
「俺のせいじゃない。必然的な欲情だ」
 どの口が言うんだろう。
 平然と言い放った彼の吐息はわずかに乱れていた。
「も、もういっぱい痕を残したわ。終わりなんだからねっ」
 腕を引かれ、抱き起こされた時には腕の中にいて、
 不埒な手のひらが、わたしのワンピースのジッパーを背中で下ろしていた。
 隙もあったけど、やること早すぎだ。
 手が早い。いや、最初から知っていたけれど。
 キャミソールごとブラジャーも脱がされている。
 ワンピースごと全部一度に脱がされてしまった。
「ば、ばかー」
「かわいい悪態ついても、手遅れ」
「っ……あんっ……駄目っ」
 いきなり頂に食らいつかれ、甘噛みされる。
 舌で吸われた時、びくびくと背筋が震えてのけぞった。
 じゅくじゅく、と吸っては放す唇。
 唾液がまとわりつき濡れそぼった頂きを
 両手のひらが荒々しく揉みしだく。
 下から押し上げ、円を描くようにこねられて、秘部が次第に潤っていく。
 濡れているのを指が確かめ、にやりと笑う。
 指ですくい取った蜜をなめとるのを見せつけられ、顔を覆った。
「いや……」
「涙目も、そそられるな」
 獲物を狩る瞳で、彼が、私に影を重ねる。
 自分の秘所を舐めた口で触れられたことは、これまでなかった。
 青の味を感じたこともない。
 執拗に繰り返されるディープキスで、めまいがしてくる。
 頂きをこする指が、ぴんと弾かれ、浮き上がった腰を抱えられる。
 両足を開ききり、半身が浮いた状態で支えられていた。
 髪が触れて蜜口に、舌が忍んでくる。
 蜜を掻き出す舌。蕾を食む唇。
 長い人差し指が、濡れた蕾を押しつぶした。
「あっ……あ……はあっ……ん! 」
 びくん、びくんと体が弛緩し、彼の腕の中で達した。
 気がついた時、私は開脚した状態だった。
 ひたと突きつけられた熱に、吐息を漏らし、妖艶な眼差しを見あげる。
 頬に触れた指が、涙を拭う。
 手のひらに頬を寄せた。
 薄い膜を纏っていても、熱が伝わる気がする。
 蜜を纏わせるように秘所をこする。
 中に入らずに腰を動かされ、蕾に触れるように往復されたらたまらない。
 あの時はもっと激しい動きで、こちらを翻弄したけど、
 今は確かな愛情の元に、より本能を隠さず私を抱いている。
 衝動的になりながらも、モラルを侵さない人ではあったが。
「んん……っ」
「欲しいなら、言えよ。何がほしい」
 涙がぽろぽろとこぼれる。
「抱いてほしい。ちゃんと、私の中まで来て」
 腰を揺らしたら、彼がうめいた。
「最高に可愛い殺し文句だよ」
 よくできたと言わんばかりに、甘いキスが唇に落ちた。
 同時に、欲の塊が、私のナカを一気に貫く。
「っ……青、好き」
 無我夢中ですがりつき、腰を振った。
 彼が腰を前後させるのに合わせて、波にのる。
 揺れながら、キス。
 落ちて、掠(かす)めて、舌を絡める。
 どんな抱かれ方も、好き。
 この人に愛されるならば、淫らなことだって本望。
 常に思っていること。
 首筋に腕を絡めていたら、ふいに抱き起こされる。
 下から突き上げられ、今までより近い場所で繋がる刺激にふるえた。
「あっ……あっ……あ」
 自分で口走っている言葉の意味なんてわからない。
 感じる場所を的確に突いてくる彼自身に、身体中が歓喜の悲鳴をあげる。
「お前を愛してるよ、沙矢……っ」
 吐息混じりの声が耳にかかる。
 それだけで、一気に崩れ落ちそうになり彼の背筋に爪を立てた。
 赤い口紅は、もうはげてしまったけど、痕を残したくて首筋にキスをした。
 軽く甘噛みして、吸いあげる。
 受け身だけじゃない自分を知ってほしいの。
 だって、出会った記念日よ。
 曜日なんて関係なく朝のことなんて気にしないで愛し合いたいじゃない。
「今のはキた……な」
「ああっ……いやっ……ん」
 ふくらんだ欲望が、私のナカを何度もこすりあげる。
 奥と外を出し入れされる度、濡れた音と弾ける音がたつ。
 速度を増した彼自身が、欲を吐き出すまで時間はかからなかった。
 涙を流して、彼の情熱を受け止めた。
 あの日と同じ薄い膜越しに。
 反らした背を彼の腕が支え、私は落ちてきた彼の身体を抱きとめる。
 呻きの後苦笑がした。
「本当にお前はベッドの上じゃ大胆なんだから」
 また愛してやる。だから、今は眠れ。
 耳元で甘くささやく声に導かれて瞼を閉ざした。

「ねえ、何でさっき、大胆って言ったの? 」
 目を覚ました時、彼は横向きの体勢で肘をつきこちらを見つめていた。
 意識を閉ざす前に、大胆とか言われたような。
「一年だからか、いつにも増して、お前が俺を離してくれなかった」
「えっ……、嘘!? 」
「絡んで、締めつけて、抜くの大変だったな」
 面白がる青を、むっ、と睨んだら、肩を引き寄せられた。
「ヤらしい言い方ね」
「どんな表現しようと同じことだろ」
 ぽんぽん、と背中を小さく叩いてなだめられたら、納得するしかない。
 結局最後は彼の意のまま。
「ずっと、愛していてね」
「俺のこともな」
「ええ」
 温かな肌の中、再び瞼を下ろした。
 初めて抱かれた日が、最後にならずに、今があることを誇りに思う。



  
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