10月31日、今日は藤城家への引越しの日だ。
夜はパーティをするみたいで、藤城家の面々が勢揃いするらしい。
いかにも上流階級って感じがして、ワクワクする。
ハロウィンのパーティなんてしたことがなかったもの。
「とりあえず持っていくものはこれくらいでいいだろう」
衣類や身の回りの物を箱に詰めている。
青の車に載る程度の量だから大したことはない。
「もうこれくらいね」
「このマンション引き払うわけじゃないから、もぬけの殻にする必要はないし。
必要最低限な物だけ持って行って後はまた必要な物があれば買えば」
「合理的ね」
「慣れきった感覚だからな」
青は余裕の態で発言する。
「着く前に連絡入れた方がいいかしら」
「しなくていいって」
青はクスっと笑った。
律儀な奴めって心の中で思ったに違いない。
「この服……懐かしい。やっぱ持っていかなきゃ」
ふふと笑う。
青はそんな私をじーっと見つめていた。
「どうかした?」
「いや、年に2度も引越しさせて落ち着かなくてすまないな」
今年の始めに、このマンションへ引っ越した。
あれから1年も経ってはいないのだ。
そう思えば慌しいかもしれないけれど。
青だって二度目でしょう。
「あなたが一緒だもの」
だから、別に度重なる引越しも苦ではない。
寧ろ、楽しくて仕方がないくらいだ。
「沙矢は、時々幸せな言葉をくれるよな」
「大したこといってないじゃない」
「何気ない一言が嬉しいんだよ」
青が穏やかな顔で真っ直ぐな言葉をくれるから、微笑んだ。
そっと髪を撫でてくれて額にキスを落す。
「そろそろ行くぞ」
「はーい」
青は箱を2個抱えて、私は小さなバッグ一つで部屋を出る。
いっぱい持ってくれてありがとう。礼言われるようなことはしていない
って言うあなただから、私は心で唱えておくわ。
背中に手を伸ばし、衣服を掴み、頬を寄せた。
ぶつかりそうになる寸前で青が立ち止まり、私が離れるとまた歩き出す。
エレベーターを降りると車に乗り込んだ。
青は後部の座席に箱を置いて、運転席に座る。
ギアを握る手に自分の手を重ねる。
一瞬、目が合う。
「今日は甘えてくるんだな」
「青が甘えてもいいって言ってくれたし……それに
今の内に甘えておこうと思って。子供が生まれたら甘えられないでしょう」
「そうだな。好きなだけ甘えておけ」
少し照れながら告げると青は優しい顔で笑った。
伝わってくるエンジンの振動。
私が手を離すと、彼は静かに車を発進させた。
「着いたらお父様にご挨拶して、あ、お義姉さんやお義兄さんも来るんだ。
砌君、彼女連れてくるのかしら!」
青ははしゃぐ私をルームミラー越しにちらりと見つめた。
くっくって笑いたそう。
「青も思い切り笑ったら。その方が運転も楽しいでしょ」
「笑わなくても充分楽しいから」
「我慢は体によくないわよ?」
「我慢というよりも笑いすぎて運転に差し支えると困るからな」
「それほどおかしいのを堪えてるのね」
青は邪笑すると、口を噤んだ。
独り言も虚しいから、私も黙った。
笑顔だけは消えることはなかったけれど。
3時過ぎくらいに藤城のお屋敷に到着した。
玄関まで辿り着く間、ずっと庭を眺め回している私を見て、
青は、散歩に誘ってくれた。
荷物は、使用人の方に屋敷内に運んでもらうよう青が携帯で頼んでいた。
操子さん以外にここで働いている人いたんだと新発見をした気分だ。
庭は屋敷をぐるりと囲っていて、とても広く色んな物があった。
「洋風かと思ってたら池があるなんて」
「祖父さんの趣味だ。祖父さんが死んだ後、親父が自分の好きなように
作り変えたんだよ。池だけはそのままにしてな。屋敷だって前は和風だったんだぞ」
「お父様とお祖父さまの好みって全然違うのね」
「ああ。昔気質の人間と、今風の感覚を持った人間と全然違うな」
「ふふ、青は父親似ね」
「一緒にするな」
淡々とした呟きだけど私は分かった。
冷静な顔が崩れる瞬間を見たわ。
やっぱ青って可愛い。
「なるほど……青のウィークポイントは家族か」
にんまり笑うと青は呆れたようだった。
いきなり乱暴に唇を塞がれる。
「青……」
舌を絡められ息ができなくなる。
「んん……っ」
力が抜けていく。
ついに膝が崩れそうになり、慌てて青の足に縋りつく。
どうしてだろう。ディープキスでこんなことになったことはなかったのに。
子供がいるから体力奪われているのかしら。
恥ずかしすぎる……。
呆然としている隙に青が私の体を抱き上げた。
「まさかこの格好でお屋敷の中まで行くつもりじゃないでしょ!?」
「歩けないみたいだから」
「誰のせいだと思ってるのよ!!」
顔が真っ赤になっている自覚がある。
「そんなに興奮したらお腹の子供が驚くだろ?」
にやりと笑い青は歩き出す。
止めて止めて……見られるじゃない!
顔が熱い。これくらいで羞恥を感じてしまうのは二人きりのマンションじゃないからだ。
何いっても離してくれないのは目に見えているから青の肩で顔を伏せた。
「顔熱いようだが、熱でもあるのか?」
しれっと聞いてくる青。
これ以上興奮すると血圧が上がりそうだ。
私は反応したいのを堪え、黙り込んだ。
「青さまお帰りなさいませ、お荷物は、お部屋に運んでありますので」
「お久しぶりです」
にこやかな笑顔で操子さんが出迎えてくれた。
沙矢が頭を下げると操子さんはそれよりも深くお辞儀をする。
恐縮したのか沙矢はまたお辞儀をしていた。
何やってるんだか。
操子さんも引っ込みがつかなくなっている。
「若奥様は本当にお可愛らしい方ですね」
「ちょっと困るくらいにね」
「あらまあ」
沙矢は小さく俯いた。
苦笑する。
「もう皆集まってるんですか?」
「葛井家の陽さまがまだいらしてないですが、他は皆さん揃ってらっしゃいますよ」
「そうですか」
操子さんに案内され、歩いてゆく。
広めのホールがこの屋敷には何個かありその内の一つでパーティーは行われるのだ。
「ねえねえ、青、仮装とかしているのかしら」
沙矢がぼそぼそと耳打ちする。
「ああ……」
溜息をついた。
派手なことを年中やってるわけではないがイベント好きの遊び好きの連中だ。
いや、全員が全員同じ意思ではないが。
沙矢はにっこり笑っている。
絶対に振り回されるんだから、笑ってられるのは今のうちだぞ。
廊下を歩いている途中で、操子さんが何かを思い出したように振り向いた。
「私と致しましたことが、大事なことを忘れていました」
沙矢はきょとんとした。
「おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
嬉しそうに笑う沙矢。
「操子さんありがとうございます」
「お帰りなさいの後で言うべきでしたのに……すみません。
「電話掛けた時、言ってくれたじゃないですか」
「あら、電話とお会いして言うのとでは全然違いますわ」
この人は昔からそうだ。
早くに祖母を亡くした俺にとって操子さんが本当の祖母と同じだった。
「皆様、本日の主役のお二人がいらっしゃいましたよ」
扉を開けると真っ暗なホールの中に蝋燭の光が点っていた。
「すごい」
沙矢は隣で感嘆の吐息を漏らした。
「ふざけるのが好きなだけだ」
密かに漏らす。
はっきりいってこのイベントにつき合わされるのは大嫌いなんだ。
部屋へ入ると、目の前のテーブルに座る魔女が、近づいてきた。
「沙矢ちゃん、おめでとう。会いたかったわ」
「お義姉さん、ありがとうございます」
「ありがとう」
沙矢は黒マントに黒い仮面をつけた奇妙な女にそう言った。
いい加減、歳を考えろ。
腕を組んでいると、魔女もとい葛井翠がじーっと見つめてきた。
「青、平静を装っててもわかるのよ? 」
「何がだ」
「惚けても無駄。あなたの考えてることなんてお姉さまには全部ばれてます」
得意満面の様子で翠は言う。
沙矢はいつの間にか奥のテーブルでジュースを飲んでいる砌に話しかけていた。
後を追おうとするが足止めを食らわされる。
「さっさと着替えてきなさい」
できるなら聞かなかったことにしたい。
「ちゃーんと沙矢ちゃんのもあるから、ね? あなた一人じゃないでしょ」
緻密に練られた計画だと言わんばかりの只一人の姉を見て、呆れた。
年数を生きている分敵う相手ではない。
俺は敗北の白旗を上げた。ここまで調子崩されるのは、この姉くらいだ。
「うふふ、最初からそう言えば良いのに。素直じゃないんだから」
「はいはい」
適当に相槌を打ち、姉の元を去ろうとする。
「あなた達の部屋にあるわよ。行ってらっしゃい〜」
ポンと肩を叩かれる。
「分かりました、お姉さま」
「よろしい、青ちゃん」
顔が引きつるが、何とか笑顔に代えた。
「大人になったわね、あなたも」
「翠姉さんが歳を取られたんじゃないですか?」
「青、後で覚えておきなさい」
凍りついた笑顔がそこにはあった。
小さな子供なら、涙も引っ込むはずだ。
嫌味の応酬ができるようになったのも、成人してからだった。
歳が離れていることが大きく影響しているといえる。
「あ、青ー」
中央のテーブル付近を歩いていると、沙矢がばたばたと駆けて来た。
「走るな。転んだりしたら危ないだろう」
軽く舌打ちした。
「う、ごめんなさい。お話終ったの?」
「ああ、部屋に戻るぞ」
「どうして?」
「このパーティに出席するのにそんな普段着でどうするんだ?」
こうなったらノるしかない。
一日でも帰ってくる日をずらせば、よかったのだ。
たとえ何言われようと。
「私、衣装持ってないわ」
「だから戻るんだよ、部屋に」
ぐいと腕を引っ張って部屋を抜け出す。
「沙矢姉、母さんの手作りドレス、いい出来だから気に入ると思うよ」
気づけばすぐ後ろにいた砌が、こちらに手を振っていた。
ホールを出てまた長い廊下を歩く。
腕を離し手を繋いでいた。階段を昇り、部屋を目指す。
俺が元々使っていた部屋と、この家には他にも空いている部屋はたくさんある。
俺がいた部屋は、寝室として使う予定なので荷物もそこに運んであるのだ。
「私、前も思ったけどこの部屋好きよ。青の匂いがするもの」
部屋に入った途端、沙矢は言った。
「この前使うまでは10年以上使ってなかったのに匂いあるわけないだろ」
「青がずっと過ごしていたからよ。何年経っても匂い残ってるの」
「これからはお前の匂いもつくわけだ」
「そうね」
沙矢は微笑んだ。
「この中に衣装入ってるはずだ」
クローゼットを開ける。
「ドレスに、タキシードとマント!?」
沙矢は目を見開いていた。
衣装といえば大体想像つくだろうに、大げさに驚いている。
目を輝かせてハンガーにかかっていたドレスを手に取り胸に抱きしめた。
「かわいい!」
「意外にセンスはいいからな」
「お姉さんにお礼言わなきゃ」
「青のタキシードも素敵。黒なのね」
黒のタキシードにマントがついてドラキュラスタイルだ。
こんなに嬉しそうな姿を見たら何も言えなくなる。
「着替えようか」
「私、隣に行って着替えてくるわ。廊下で待ち合わせね」
「まだオプションで仮面とかティアラもあると思うぞ。多分ダイニングの前で渡されるから」
「わあ」
沙矢は笑顔で部屋を出て行った。
渋々参加した馬鹿騒ぎも、沙矢がいるだけでこんなに心が弾むものなのか。
俺は、着ていたジャケットとパンツを脱いで、タキシードを身につけた。
パーティ用の衣装は、お姫様ドレス。
ウエストラインがふんわりと緩やかなデザインで着脱もしやすいつくりだ。
いつから作り始めていたのだろう。
ちゃんと妊娠した時の事を考えてくれていたなんて。
「……ありがとう、お義姉さん」
ワンピースを脱いでドレスを纏う。
コンコン。ドアをノックする音が響く。
「沙矢ちゃん、いる?」
「お義姉さん?」
ドアを開けるとお義姉さんが入って来た。
「やっぱり似合うわー。とっても可愛い」
「これいつから作ってくれてたんですか?」
「9月から一月がかりで作ったの。デザイン、そういう感じで良かった?」
「ええ。お腹周りがゆったりしてて着やすかったです」
「念のためって思ってたんだけど、ちょうどよかったわね」
「あっ」
少し顔が赤くなる。
一緒に暮らしてるんだから、不思議はないのか……。
「あなたがそんなにも可愛らしいから青も壊れ物を扱うように大事にしてるのね」
何でそこまで分かっちゃうの。
青が信じられないくらい私の事を大切にしてくれること。
「はい」
お義姉さんは髪にピンで留めるタイプの小さなティアラをつけてくれた。
「お姫様のできあがりね」
魔女姿のお姉さんはにっこり笑った。
「王子様は廊下で待ちきれない様子だったわよ」
「お義姉さんも一緒に戻られるんでしょう?」
「私はあなた達の後ろからついてゆくわ。ありがと、沙矢ちゃん」
翠お義姉さんはニッと笑った。
「あの子が怖いから」
そっと耳打ちする辺りつわものだ。
扉を開けると、黒タキシードに仮面をつけた妖しい人がいた。
上から下まで眺め回すと、訝しげに視線が浴びせられる。
「似合うなーって。結婚式の時の白いタキシードもかっこかったけど、黒いのも似合う」
寧ろ、黒い方が青には似合ってる気がした。
「サンキュ、お前こそ可愛い。よく似合ってるぞ」
「さっきから何度も言われてる」
というか青にはこれまで何度言われたか……。
「抜群に可愛いからな」
「……20過ぎてティアラなんて恥ずかしい……」
「その認識おかしいぞ。姉さんなんて幾つだと思うんだ」
すみません、お義姉さん。青の言い方がおかしくてつい笑ってしまいました。悪気はないんです。
「でも魔女なんてぴったりじゃないか」
頷いて良いものかどうか悩むんだけど。
「行きましょ」
「お手をどうぞ」
「はい」
あの言葉遊び。
今日は服装も決まってるから、大分真実味あるわね。
手を引かれ、階段を下りてゆく。
まるで本当のお姫様の気分だった。
ただし、手を引いている王子様は一筋縄じゃいかない人だけどね。
ふふと心の中で笑ってホールまで歩く。
昔、こういうの夢見てたわ。
貴重な体験だと思えば胸が弾む。
思いっきり楽しまなきゃ。
青の腕に腕を絡めて部屋へ入った。
途端に拍手が巻き起こる。
パチパチパチって弾ける音。
え、何!?
「おめでとう」
大きな声が聞こえた。
声を合わせてその場にいる全員で言っているのだ。
青と視線を交し、微笑み合う。
すたすたと向こうから歩いてくるのは、ああ、お兄さんだ。
私達が着替えている間にいらしたのね。
「おめでとうってまだ言ってなかったよね。今日はね特別なんだ。
青と沙矢さんの子どもができたお祝いのパーティだよ」
青は私の腰を抱いて歩く。
真ん中のテーブルへ座るよう勧められた。
テーブルに行くと砌くんが駆け寄ってくる。
「せい兄、おめでとう。さすが」
余計なことまで言った砌くんはこつんと頭をどつかれた。
「ありがとよ、甥っ子君」
微かに涙目になった砌君は、私の方を見た。
助けを求められてる!?
「砌君、今日は彼女も一緒じゃないのね」
さり気なく話を変えてみた。結構気になってたし。
「え、ええ。明梨も連れてきていいって言われたんですけど、
変人家族だって思われても嫌なんで」
「手遅れだと思うが」
しれっと青は言った。
砌君は動揺している。見ていて可哀相になった。
「だ、大丈夫よ。 楽しい家族だって思うわよ! 」
砌君の肩に手を置いて励ます。
「お正月は藤城の家に遊びに来ようって誘ってるんだ」
「じゃあその時に会えるわね」
「そうですね、二人が並んだのを見るの楽しみです」
どういう意味なんだろ?
「砌、お前この集まり好きだったか?」
「こうも毎年駆り出されてちゃ、好きになるしかなかったよ。刷り込みだな」
サブリミナル効果ってやつよね。
あんまり良いイメージないけども。
砌君は何かを諦めた表情をしていた。
「単純馬鹿で幸せだな」
砌君は素直なだけよ、青。
あまりにも可愛らしくて抱きしめたくなったわ。
自分のテーブルに戻れって青が砌君を目で促す。
考えている事はまる分かりらしい。
私だって今の眼差しの意味、ばっちり分かったわよ?
「慌しいな」
「楽しいわ。結婚式とは違った華やかさがあって」
テーブルの上に置かれたグラスを二人で同時に傾ける。
青の方はワインで私のはオレンジジュース。
「ところで去年は参加したの?」
「出てないな」
去年のあの頃私達は近づいていったのよね。
私との事で精一杯で、パーティどころじゃなかったんだったら嬉しい。
私はその時はっとした。
肝心な事を忘れていたなんて……最悪だ。
「ねえ、青」
耳元で話しかける。
「色っぽい声出すなよ」
確かに囁いたけど、変なこと言わないでよ。
自分こそ普段から声色っぽ過ぎるくせに!
「もう酔っ払ってるの?お義父様にご挨拶してないでしょ」
「お前こそな、こんなパーティー衣装で挨拶されても何がお世話になりますだかって感じだぞ」
うっ、そうだ。
青、考えてないわけじゃなかったのね。
私は言葉のパンチを真正面からくらった。
「パーティーが終って落ち着いた頃にしような」
「うん」
それから、カラオケしたり、ビンゴゲームをしたりとパーティーは盛り上がった。
お酒を飲んでいたのは青とお義父様とお義姉さんと操子さん。
砌君は未成年だから飲んじゃ駄目だし、お義兄さんは
運転しなければいけないから飲んでなかった。
ハローウィンの名目で騒ぎたいだけなのではと私は思ってしまった。
青に言ったらその通りだとか言いそう。
でもこんなに楽しい家族(というよりファミリー)の一員になれて本当に嬉しくて。
一人っ子で、母子家庭の私は、賑やかさには無縁で、ここの家に来れてすごく幸せを感じている。
素敵な人ばかりで温かくて、居心地が良い空間。
夜も更けて、葛井家の方々は帰り、お義父様と操子さんも
部屋からいなくなった頃、私は青に向かって強い口調で言った。
「青、カラオケ……今度二人で絶対行こうね!何よあんなに上手いなんて知らなかったわ」
「カラオケ以外ならどこでも連れてってやるから」
「何で嫌なの?」
「今度話してやる」
カラオケ嫌いなのには理由がありそうだった。
うーん執拗に歌うのをせがまれてたものね。
「うん、でも……行きたいな青とカラオケ」
上目遣いで強請る。
身長が違うからどうしても見上げてしまう。
「それじゃ交換でどうだ。俺も行きたい所がある」
「交換?」
耳打ちしなくてももうお父様や操子さんも部屋からいなくなってるのに……。
囁かないで、腰砕けるから。
「……青ってばいやらしい! 」
「別にいやらしくないだろう。世間一般の恋人達は皆行っている場所だ」
青は真面目な顔で言う。
正論かもだけど。
「……うーん」
「カラオケもわざわざ店行かなくても部屋についてるな、そういえば」
何度も行き慣れてるの!?
「よくご存知で」
「勘違いするなよ、言っとくけど俺は行ったことはないからな。一般知識として知っているだけだ」
青らしい気がした。
「子供が無事生まれたらということで」
「約束したからな」
あれ……私がカラオケ行きたいって言い出したんじゃなかったっけ。
何故かこっちが約束させられてる?
私は頷いた。
青の歌声を聞けると思えば、ラブホテルくらい何よ。
拳を握り締めているのを見て青に含み笑いされる。
「可愛いよ、本当にお前は」
ぽんぽんと頭を叩かれて撫でられる。
小さな子にするみたいに。
「青……片付けは?」
テーブルに並べられた皿やら、その他汚れた場所の掃除は誰がするんだろう。
「大丈夫だ。明日にはすっきり片付いてるから」
青はあっさり言った。
「姉さんも誰も気にせず帰っただろ。いいんだよ、気にしなくて」
「こういう家だ」
「そうなのね」
しみじみ納得した。
「え、ちょっと、いきなり!?」
ふわり、抱かかえられる。
お姫様抱っこ。
身重の体になってからは初めてされた。
「重くない?」
「全然」
涼し気な顔をしているから嘘じゃないんだろう。
「疲れただろ。早く部屋へ戻ろう」
「うん」
青の気遣いに胸が熱くなるのを感じた。
大き目の歩幅で青は進む。
長い廊下も階段もあっという間に通り過ぎて寝室に辿り着いてしまった。
ピアノとベッドだけあるシンプルな白い部屋。
部屋の入り口にあるスイッチを押して明かりをつける。
「青、結局、ご挨拶できなかったね」
タイミングが掴めなかった。
お義父様は、部屋からいなくなること多くて捕まえられなかった。
病院は休みというわけじゃなかったし、院長だから忙しいのだ。
「明日でいい。今日は遅いからな」
「お義父様、やっぱり尊敬しちゃうわ。だって病院もあるのに家族も疎かにしなくて」
「昔から良い親父だったよ。誕生日とかクリスマスとか忘れたことは一度もない。
目まぐるしいほど忙しいのにだ」
青がお義父様を誉めるのを初めて聞いた。
口に出さなくても大好きなんだね。
「なんか嬉しいな」
「お前は、毎日嬉しいことがいっぱいなんだな」
「そうよ」
ふふふと笑う。
「着替えてくるから下ろして」
「嫌だと言ったら?」
「駄目よ……」
私の言葉は軽く聞き流したらしい。
静かにベッドに下ろされて、ティアラを外され、ドレスを脱がされる。
青は自分の仮面も外し、ベッドサイドに置いた。
「……お風呂」
「入れてやるから心配するな」
「うわあ、いいって」
「この部屋にバスルームはあるんだから誰に見られることもない」
青は脱いだタキシードのジャケットで体を覆ってくれる。
そしてまた私を抱かかえた。
「ど、ドレス皺になる!」
「後でクローゼットに片付けてやる」
「……はい」
大人しく従うことにした。
だって本当にお風呂に入るだけなんだから。
「黒いタキシード着た青、とってもかっこよかったわ」
青に抱えられ、廊下を歩きながら話す。
「お前がいなけりゃ着なかったぞ」
苦笑する青。
私は思わず、頬にキスをしていた。
「好きって気持ちは枯れることないのね」
「咲き続けるんだろうな」
バスルームの中で、何度もキスをした。
包む込むみたいに背中を抱きしめられた。
明日からの日々に期待と不安を感じる部分もあるけど、青がいるから平気だ。
それに、お腹のこの子もいる。
掌でお腹に触れていると青の手が重なった。
まだ動かないけど、あたらしい家族はここにいる。
見つめ合い、ぎゅっと手を握った。
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