sinfulrelations

夕方。部屋で着替え終わった所で携帯の着メロが鳴った。
「これから帰るからな」
電話の声は普段より余計に低く聞こえてドキッとする。
「分かった。待ってるね」
バッグを持ってコートを羽織って階段を下りる。
玄関で青を待つ時も頬が緩むのを抑えられない。
二人きりのイヴというのも勿論あるが、何より久々のデートだ。
心も浮き足だつというものよ。
朝食を食べた後、使用人の皆と明日開かれるクリスマスパーティの下準備をしていた。
ツリーに飾り付けしたり、ケーキの生地を焼いたり、
人数が増えると余計準備にも気合が入るというものだ。
夕方までかかったが下準備は全て整った。携帯には６時半と表示されていた。
耳を済ませているとチャイムが鳴り響き、扉を開けると青が立っていた。
私が準備を済ませてるのを見計らっていたのか、帰る直前に電話をかけてきたのね。
「おかえりなさい」
「ただいま。髪結ったのか」
「後ろから見て？」
アップにして後ろから細い髪を一筋垂らしているのだ。
「大人っぽさの中に可愛さがある。メイクもお前らしさが出てる」
「褒めちぎらないでよ」
「言葉なんかじゃ足りないくらいだぞ」
まじまじと見つめる青から目を逸らす。
「解く楽しみができたな」
「は！？」
私の反応をさらりと流して青は大股で階段を上り出す。
「着替えてくるから待ってろ」
青がちらりと振り返った。
「私もついてく」
「着替え見たいのか？」
「……からかわないでよ」
「折角降りてきてたのにまた上がるのか。おかしな奴」
螺旋階段を上って青の部屋に入ると、彼が脱いだコートを一旦預かる。
「じゃ外にいるね」
青のコートを抱えて扉を閉めた。
夜の服装は既に決めていたのか、５分も待たずに青が姿を現した。
黒いジャケットの中に白いシャツ、品の良いネクタイ、下は黒のパンツ。
コートを手渡すと素早く身に纏い、青は私の手を引いた。
「楽しもうな」
こくりと頷く。私は青の一言で黙ってしまう。
否を唱える理由がない。
「俺としたことが……」
はっとしたように、青は私の方を見た。
薄いクリーム色のコートの中は見えないはず。
「うん？」
「どんな洋服を着てるんだ。見せてみろ？」
マフラーを取り、着ていたコートのボタンを外して肌蹴させた。
「めかし込んだな。似合ってるよ」
満足そうな顔で青は口の端を吊り上げる。
「よかった」
「だが。首元はスカーフでしっかり隠してるくせに腕は見せるのか？　」
「ノースリーブのワンピースの方がおしゃれだったんだもの。
どうせコートを上に着るし寒くないでしょ」
むっとした青を見てしくじったと思った。
彼の性格知り尽くしてるはずが。
「いいか、そのコート脱ぐなよ」
「は……い」
マタニティでない普通の服を着れる間は、思う存分好きな服を着たいの。
赤ちゃん生まれるまでは多分これが最後だしいいでしょ。
階段を下りてドアを開けると空には星が見えなくて曇っていた。
わあホワイトクリスマスになるかもしれない。イヴは無理だとしても。
青が中からドアを開けてくれると、車に乗り込む。
「言い忘れてたが、今日は帰らないからな」
「服、用意してないわ」
「気にするな、ちゃんと用意している」
青が徹底的に演出する人というのを忘れていた。
二人でかけがえのない時間を過ごす為に。
「今日のこと青も気づいてたからそれで……」
はしゃいでた青は明らかにキャラ違ってたもの。とか言ったら緊張感がないか。
「今日くらい羽目外してもいいだろ。俺らしくなくても」
「ううん、青は青だから心配しないで」
青は苦笑しつつ、ハンドルとギアに手を置いている。
「行くぞ」
ルームミラーに映るように頷けばゆっくりと車が走り出した。



都内でも高級なホテルのレストラン。
中へ足を踏み入れると、脱ぐなと言われたコートを
あっさりと店員さんに預けて予約していた窓際の席に座る。
メニューを見てもイメージつかめないので青に任せることにした。
窓から景色を見ていると料理が運ばれてきた。
一品ずつ食べ終わった頃に出てくる仕組みのコース料理だ。
家で食べる料理はいっぺんに並べるので、少し新鮮だ。
外食でフレンチって食べたことなかったな。
一緒に暮らし始めてからは青が帰りが早い時は一緒に食べてたし、休日も家で食べてたものね。
「どうした、食べないのか？」
「食べるわよ？」
曖昧に笑ってフォークを手に持った。
食べるのが勿体無いくらい綺麗に盛り付けられた料理たち。
「まさか食べさせてほしいのか。俺は構わないが」
ニヤリと青が私をからかう。フォークをナプキンの上に置いて食べるのを中断してる。
緊張を解そうとしてくれているんだ。
「遠慮しておきます」
言葉遊びも何も私の言葉はいつでも本気だ……。
青のように器用になれなくてちょっと悔しかったりする。
「９割本気だから遠慮するなよ」
　これ口癖かしら。
「……う、はい」
駄目だ。敵ってない。
「美味しい」
気を取り直してお魚の料理を口に運ぶ。
蒸してるのかな。くせがなくて食べやすい。
「そうか」
向かい合って食事をしていても家にいる時の照れはない。
青は時々こっちを見て微かに微笑んでくれるから私も微笑み返す。
生のピアノ演奏の音で気分が高まるみたい。
ピアノの音があるのに静寂があって不思議。
穏やかな時間がゆっくりと流れてゆく。
食べ終わった頃は９時前だった。
支払いを済ませて次はバーに向かった。
カウンター席に座ると、青がバーテンダーに声をかける。
暫くして、薄い青色の液体が入ったグラスが二つ目の前に差し出された。
「妊娠中だから飲むのはよくないが、今日は特別だ」
「あ、嬉しい」
「度数低いから飲みやすいんじゃないか」
グラスを傾けると甘味が口の中に広がる。
アルコールよりもフルーツの味を感じた。
「甘くて飲みやすいわ」
青も同じの飲むのねと言おうと思ったが、止めた。愚問ね。

ホテルのフロントでキーを受け取ってエレベーターに乗る。
最上階のフロアーで降りると、予約していた部屋の扉を開けた。
広い窓は全面ガラス張りで夜景が見渡される。
灰色がかった空、いつ消えるんだろうと思う街の明かり。
私は青を置いて走り出してしまっていた。
窓の景色に手を伸ばせば、その内雪が降り出すかもしれない。
走っても咎める声がしなかったのは大目に見てくれてる証拠。
「沙矢」
「え？」
ふわりとした感触。
青に柔らかく抱きしめられていた。
青に頭を向けると、彼が頭を傾けてキスをする。
時間が止まる。
唇を触れ合わせるだけのキスでも充分酔ってしまう。
漏れる甘い響きを新たなキスで掻き消す。
吐息が乱れるまでお互い唇を離さなかった。
青は私を抱きかえてソファーに下ろし、自分も隣りに腰を下ろした。
「……酔うのはまだ早いぞ」
青はクスクス笑う。私はぼうっとしたままだ。
チャイムの音に、ソファを軋ませて立ち上がった。
ノックの音がして、青が返事をすると、ベルボーイの男性が入って来た。
運んできたワゴンには何が入っているのかしら。
丸い蓋のついた物とシャンパンのボトル、グラスをソファの前のテーブルに置いて、
ベルボーイの男性は軽く会釈して部屋を出て行く。

開けてみろと青が視線で促すので、逸る気持ちのまま蓋を取った。
「ガトーショコラだ」
ドライチェリーが上に飾られていて、蝋燭が立てられている。
「料理の最後にでてこなかっただろう？
部屋で食べようと思ってケーキだけ別で注文したんだ」
目を輝かせてケーキを見つめる私を一瞬見やって青は照明を落とした。
蝋燭の仄かな灯りが部屋を照らす。
雰囲気が変化した室内でお互いの顔だけを見つめ合っている。
沈黙の時間は僅かでも永遠にも感じた。
蝋燭の朱色の光のせいか、青の瞳に炎を見えた。
焼き尽くされるかと思うほど苛烈な
眼差しは、受け止めるのが精一杯。
ドクンと心臓が一つ鳴って戸惑う。
「どうした？」
青は全部気づいてる。ずるい。
余裕の眼差しが注がれてる。
テーブルの上で顎に掌を当てて肘をついてる。
これ以上耐えられそうになくて、息を吹きかけて
ろうそくを消せば、青が照明をオンにした。
「おかしな気分にでもなったか？」
「蝋燭の灯りって神聖ね。時々風に揺れて消えかけるのが怖い。
一瞬で消えるのは怖くなかったんだけど」
心許なくて。物悲しい気分になる。
クリスマスは楽しいだけのものじゃないんだよね。
「俺たちは胸に消えない炎抱えているだろ」
真面目な顔で青は言う。
「”消えない”じゃなくて消せないの」
「誰にもな」
小さくて可愛らしいケーキは、二人分って感じだ。
私が嬉々としてペーパーナイフでケーキを切る横で、
青はシャンパンのボトルを開けた。
小気味良い音が響く。
「はい」
青は私が差し出したケーキの皿をテーブルに置き、グラスを掲げた。
私もグラスを手に取り、カチン合わせて鳴らした。
「メリークリスマス」
お決まりの台詞を言うのが嬉しい。
グラスを口に滑らせれば、泡が弾けた。
「あ、アルコール入ってないシャンパンなのね」
「子供が飲むものと同じだ」
ケーキもほろ苦くて大人の味だ。
頬張る私を青が見てる。ああ、今日も見すぎです。
「ついてる」
「……きゃっ」
何が？と瞬きした瞬間、頬に熱い舌が触れた。
「甘い」
「え、あまり甘くないわよ？」
「ああ、お前の頬を経由したからか」
青は、甘い台詞を吐く時ほど真顔になるんだから。
惑わされてばかりよ。
ぎしぎしとソファが軋む音。
青が横から覆い被さってきた。
甘いチョコレートの匂いが鼻についた。
さっきまでケーキを食べていたのだから当然か。
「……青」
「沙矢」
青が背中から腕を回して結っていた髪を解いた。
はらりと髪が落ちていく。
髪の一房にキスをされ、髪を掻き分けて耳朶に触れ舌を這わせてくる。
甘噛みのような強い感覚じゃなく、淡い刺激。
それを何度も繰り返されると、体は震えだすから、青の肩を掴んだ。
青の唇が私の唇を開く。
されるがままなのではなく導かれてる。
好きな人とのキスって何度しても飽きないのね。
もっとしたくなるから何度しても足りない。
ふわりと体が浮く。
私を抱えて、部屋の照明をオフにした。
広いベッドの上に降ろされ、同時にベッドサイドランプがオンになる。
長い髪がシーツに散らばった。
ただ抱きしめてくる青を私は抱き返す。
温もりも感情も伝えることができるんだから、これ以上は欲しない。
「シャワーは明日の朝浴びような。洗ってやるから」
耳元で囁かないでよー！
人の気も知らないで。
「じゃあ私も洗ってあげる」
「後悔するなよ」
挑発的な青に自分がどんな大胆な台詞を口にしたか思い知らされた。
体を横向きにしてお互いの顔を見つめる。
「青、今日もお疲れさま。お休みなさい」
頬に軽くキスをしたら音がした。
この音は耳まで真っ赤になる。
「可愛すぎる……ちょっとは抑えろ」
「はあ？」
わけがわからないので変な声を出してしまう。
「無茶しなければ、このまま抱くこともできるが。
だが、お互い大人しいままじゃないだろ？」
「……そ、そうね」
曖昧に笑う。
相手を貪ろうと躍起になるから、繋がったまま
じっとなんてしてないわ絶対。
「こうして触れられる距離にお前がいるんだから贅沢だな」
「手を伸ばせば捕まえられるの」
「ああ」
ぐいと引き寄せられて力強い腕の感触を感じた。
朝まで絶対離さないと青の腕が語っている。
逃げるわけないの知り尽くしてるくせに。
私も青の背中に腕を回した。
「おやすみ」
青はベッドサイドランプをオフにし、互いの手を繋いで、瞳を閉じた。
同じ夢の中に二人がいますように。



「……青？」
頬に指の感触を感じて目が覚めた。
どうやらつつかれているらしい。
小さくへこませては元に戻すそれがひたすら繰り返される。
「何やってるの、もう」
「触り心地がいいから」
青はいけしゃあしゃあと言った。
「あ、雪よ、外見て！」
窓の方に視線を向ければ空から雪が降り注いでいた。
「ああ、さっき気づいて起こそうとしてたんだ」
「起こそうとしてたの……？ 」
「起きただろ」
ぐ。言葉に詰まった。
頬に触れる仕草さえ青って……。
「先にシャワー浴びててくれないか。
車の中に忘れ物をしたから取りに行ってくるから」
用意してあるって言ってたし服ね。
「ええ」
目を擦りながら起き上がった。
青も腰掛けていたベッドから立ち上がって部屋の入り口に向かった。
私もその後ろ姿を見送った後、テーブルに置いてある
バッグを手に持って、化粧室のドアを開けた。
鏡を見ながらお化粧を落せばいつもの私の顔になる。
ばしゃばしゃと水で顔を洗い、タオルで
拭くととてもすっきりした気分だ。
バスルームのドアを開けて、案の定二人で入れそうな位
大きなバスタブに驚いて、お湯を張った。
折角だから湯船につかりたい。
湯気で曇ってゆくバスルームから出て、
部屋に戻ると目の前に青が立っていた。
ソファーの上を見れば大きな長方形の箱が置いてある。
「後で化粧してやる」
「……え、うん」
声が弾むのが自分でも分かった。
「風呂沸かしたのか」
「お湯出してるけどシャワーもできるわよ。先に入る？」
「お前と一緒に入る約束だ。待つよ」
ソファーの上にある箱が気になるんだけど！
「あ、服見てもいい？」
「後のお楽しみ」
青は口元だけで笑った。
「そうね、楽しみはとっておくわ」
「ルームサービスがすぐに来る。朝食でも取ろう」
青と一緒にソファーに座った瞬間、ふと思い出した。
「ねえ、砌くん、どうだったかしら」
「今日の夜問いつめてやろう」
「下世話なんだけどね」
「条件付きで別荘使わせたんだ。聞かないでどうする」
ああ、砌くん……おたおたしてしまうんじゃないかしら。
砌くんが可哀相になった。
ノックの音がして扉が開く。
昨日と同じワゴンが運ばれてきて皿が直接テーブルに置かれた。
「ごゆっくり召し上がって下さいませ」
ぺこりと礼をしてベルガールの女性が出てゆく。
「食べるか」
「お風呂見てくる」
食べる前に、お風呂が気になったので、バスルームに行った。
並々とお湯がいっぱいに溜まっている。
蛇口を閉めるとキュキュと音がした。
「お風呂溜まってたわ」
「そうか、まあとりあえず朝食だな」
青の合図で掌を合わせていただきますをした。
普段、家で食べるような朝食ばかりが並んでいてホッとする。
ポタージュスープ、サラダ、目玉焼き、トースト。
早く食べなきゃと思うんだけれどついつい悪戯心が沸き起こる。
オレンジジュースを一口飲んで、ちらとグラスの向こうを覗った。
食事の時のマナーの良さはとてもではないが真似できない。
見習わなければと思う。
「仕返しでもしてるのか？」
フォークを置いて、口元を拭いていた青に目敏く指摘された。
「欲求に従ってしまいました」
「食欲ないわけじゃないんだろ？」
自分の方ばかり見て食べないから青は心配したらしく。
「大丈夫」
「じゃバスルームにいるから、ゆっくり食べて来いよ」
置いて行かれる。急いで食べよ。
「寂しそうな顔しなくてもそこにいるから」
クスッと含み笑いをして青はバスルームに消えた。
一気に顔に朱が上った。
青が見てないのをいいことに大口を開けて
目玉焼きを食べたら、喉につまりかけた為ジュースを流し込んだ。
私ってば馬鹿……。


お風呂では、約束通り青が私の体を洗って、私は青の体を洗った。
正確には背中の流しっこだったのだけれど。
青が先にバスルームから出て、私はその後を追うような感じになった。
雫が滴り落ちる青の髪。
朝から色香たっぷりだ。
この格好のまま立ってたら風邪を引く。
パサリとバスローブを落として体を拭き始めた。
青が扉を開けて部屋に戻る瞬間、視線を感じた。
背を向けていたのにまるで背中に目でもついているみたいに。
部屋から持ってきた箱を開けると中には、白いニットのワンピース。
袖を通すとゆったりとした着心地がした。
「青、どう？」
部屋に戻って開口一番に言った。
「似合ってる」
「ふふ」
くるくると回ってみせると腕を掴まれる。
「化粧しなくちゃな」
ぐいと腕を引かれてベッドの側に置かれているドレッサーの前に座らされた。
顔を覗き込まれて、ゆっくりとリップブラシで口紅を引かれる。
持ってたの？
「メイク込みのプレゼント」
色づく唇。
今すぐあなたにキスしたくなる。
ドキドキするのよ。私、青にお化粧してもらうのって初めてじゃない？
男の人が化粧をしてくれるのって
（それが好きな人だからだけど）色っぽい仕草だと感じた。
私の後ろに膝をついている青。
鏡に映った姿をよく見れば昨日と違うラフな服装。
当然ながら着替えも持ってきていたようだ。
鏡越しに指を動かす青が見えた。
当たってればいいなと思って私は後ろを振り向く。
青の唇に自分のそれを重ねた。
赤い色をあなたにもあげたい。
「当たり？」
「大正解」
「実は私がキスしたかったの」
おどけた私に珍しく青が破顔した。
「帰ろうか」
「うん」
１０時頃ホテルをチェックアウトして家に戻った。
私はいつしか、藤城家とか他人行儀な呼び方をしなくなっていた。
自分の家として慣れたからだろうな。