「どうしてですか」
「趣味よ」
 説得力ないのに頷ける台詞だ。
「で、これは誰なんですか?」
「さあ。ふふ、私の到着を待ちなさいな義妹ちゃん」
「え……」
「待ってて。すぐに行くから」
「翠さん!?」
 つい弾みで名前で呼んでしまった。
 あっという間に電話は切れ、ツーツ−ツーと虚しい音が響き渡った。

  「翠お義姉さん、これからいらっしゃるんだ!?」
 慌てて写真を手に立ち上がる。
 さすがに本棚だらけの暗い部屋で語らうのもおかしいだろう。
 写真は、ビニール袋に入れてジャンバースカートの中に
 携帯と一緒にしまい、そそくさと部屋を後にした。
 お出迎えしようと玄関先に佇んでみる。
「沙矢様?」
「双葉さん」
 この家の運転手の一人である弥生双葉さんだ。
 パンツスーツ姿でびしっと決めている。
「どうかされたんですか」
 私のこの行動は奇妙に映るのだろうか。
 玄関にいると誰かとすれ違うのも当たり前だった。
 やっぱり大人しくリビングで待つべきか。
 内心焦りつつ言葉を紡ぐ。
「あの……これからお義姉さんがいらっしゃるそうなので
 お出迎えしてるんです」
「それでしたら、リビングでお待ちになったらよろしいですのに」
 さりげない言い方だ。
「ここで出迎えたくて」
 やはり言われたが、こうなったら引き下がれない。
 変な意地があった。 
「きっとすぐお見えになるでしょうしね」
「ですよね」
「それでは、私はこれから出かけますので、失礼致します」
「あ、はい。行ってらっしゃい」
「はい。翠様にもよろしくお伝え下さいませ」
 双葉さんは去って行った。  
 知りたいようで知りたくない。
 正直言えば怖い。
 熊のように落ち着きなく歩き回る。
 くるくると髪を指に巻きつけてみたり、
 お義姉さんが来るまでの時間が苦行だった。
 そっとお腹に手の平を寄せる。
 少しずつ目立ってきた腹部には新たな命が息づいている。
 ほんのり温かい気がして少し、気持ちが和んだ。
 呼び出しのブザーが鳴り響く。
 滑らないように気をつけて早歩きする。
 かちゃり。扉を開け放つと私に負けないくらいの笑顔を浮べた
 翠お義姉さんが立っていた。
「いらっしゃいませ」
「お出迎えしてくれて嬉しいわ、我が愛妹」
 むんずと抱きしめられてしまう。
 香水の甘い匂い。
「お義姉さん!?」
 かなり驚いて、反応が遅れた。
 女の人に抱きしめられるって滅多にない経験だろうなあと思った。
 母とも同世代の友人とも違う大人の女性。
 といっても翠お義姉さんは、年齢よりかなり若い。
 若さの秘訣を聞いたら失礼なのかな。
「お正月以来だものね。たまには私も沙矢ちゃんに触れたいわ」
「いくらでも触ってもらってかまいませんけど」
「まあ。青に殺されちゃうわね」
 くすくすと笑い、お義姉さんはついてきてと言う風に先を進んだ。
 リビングに入ると、ソファに座って優雅に足を組む。
「暫くお待ち下さい」
 半ば呆然としていた私は慌てて、言い置いてダイニングに向かった。
 確か……ローズヒップティーがあったよね。  
 お義姉さんは帰った時いつでも飲めるようにマイティーを置いているのだ。
 藤城家の家族も勿論飲んでもいいが、切れることがあってはならない。
 愛用のお茶が常にないと駄目なのだ。
 カップも愛用の品が丁寧に棚にしまわれている。
 ポットからお湯をカップに注いで捨て、紅茶を注ぐ。
 薄紫色のお茶からほんのり漂う匂いが鼻をつく。
 同じのを頂こうと、自分の分も注いだ。
 リビングに辿り着くとテーブルの上には、アルバムが置かれていた。
 中が開かれている。
「ありがとう」
 すっと細い指がカップを受け取る。
 テーブルの上にプレートを置き、隣りに腰を下ろす。
 お義姉さんが、こっちをじっと見ている。
 ジャンバースカートのポケットから写真を取り出してお義姉さんに手渡した。
「丁寧に扱ってるのね」
「指紋や汚れがついてはと思いまして」
 ビニールを取るとお義姉さんは、
「この写真も見てちょうだいな」

 テーブルの上の写真を私に手渡した。 
 怪訝に思い写真を見ると、美女の写真。
 長い黒髪、きつめの美貌の女性。
「……これが何か」
「あらん、分からない?」
「ええっと」
 写真を食い入るように覗きこんだ。
 日本人と欧米人だから他人なのは間違いないが、どこか似ている。
 まさか姉妹……。
 ハーフで、片方が日本人、もう一方が外国人の血を受け継いだとか。
 姉妹どちらともと付き合っていた!?
 ぐるぐる考えていると唐突に声が聞こえてきた。
「この二枚の写真の美女は同一人物よ」
「ええええっ!」
「そこまで驚いてもらえて嬉しいわ」
 お義姉さんは満足そうにカップを口に運んでいる。
「でも、日本人と西欧人ですよ?」
「ふふ」
 それきりお義姉さんは黙った。
 悪戯めいた笑みを口元に刷いて。  
 はいと差し出された私が見つけた方の写真。
 じっくり見比べてみた。
 誰かに似ている。
 片方だけではなく両方ともだ。  脳裏に閃いたが、違う違うと頭を降る。
 いつの間に私はこんなに想像力が豊かになってしまったのよ。
 ありえないっ!と思う気持ちもありつつ口からは言葉が零れていた。
「…………青」
「ついに禁断の名前を口にしたわね」
 お義姉さんは口元を押さえる。
 堪えきれなかったのだろう。
 けたたましく笑い始めた。
 けれど不思議と上品な雰囲気を崩すことはない。
 私は答えが当たってしまったことに恐ろしささえ感じていた。
 あの青が女装したのだ!
 驚かずにいられるはずがない。
 写真を知っていて尚且つ隠したと自白していたのは隣にいる女性で。
 ゆっくりと機械的な動作でお義姉さんいえお義姉様の方を向いた。
 ぎいぎいと音がしたのではと思う。
「沙矢ちゃん、どうしたの」
 満面の笑みでご機嫌なその人は動じていない様子だ。
 さすが青の実姉。青の上を行く……。
「どうやって……青乗り気だったはずないし」
「心配しないで。あの子、私には逆らえないから」
「そういう問題じゃ」
「そういう問題なの」
 無敵だ。青が怒ろうと不機嫌だろうと
 痛くも痒くもないし気にしないんじゃないかしら。
 そりゃ冗談紛いのことに限るだろうけれど。
「いい写真でしょう。とっておきの二枚だわ。
 万が一写真がこの世に存在すると青が知ったら、
 大変だけど、捨てるには惜しいわよね?」
 極めて自己中心的な言い分ながら、私は思わず頷いてしまった。
 だってこんな貴重な物捨てるなんて勿体無い!
 私、性質悪いかもしれない。
「分かり安いのは良いことだわ」
 口の端を緩く吊り上げたお義姉さんは、
「罪悪感なんて抱かなくていいのよ。
 悪いことしたって自覚してるあなたは善人だもの」
「お、義姉さんは」
「勿論、悪いことしてると思ってるわよ」
 胡散臭いんですが。
「それとこれとは別よ。楽しいことは共有したらより楽しいじゃない。
 沙矢ちゃんと楽しみを分け合いたくて来たの」
 お義姉さまは本物なんですね。
「……青が怖い」
「まあまあ。今はいないんだから」
「よく女装なんてさせることできましたよね」
 呆れ混じりに感心していた。
 片方はカラーコンタクトで気合も入っている。
「今からそうねえ。8年位前かしら。
 成人式の翌日に撮ったものよ」
「何でまた」
「成人の記念。あの子が素直に頷いてくれるはずないって思うでしょう」
 さっきから試されっぱなしだ。
「そうですよね」
「そこはね、姉の実力行使。案外素直に言う事聞いてくれたわよ」
「い、いいです。聞きたくありません」
 声が上擦った。
実力行使って何ですかー!
「あら、そう?」
「青の名誉の為に遠慮します」
「まあ固いのね。気にしなくていいのに」
「……でも見事な変身振りですよね。女性かと思いましたもの。
 姉妹両方と付き合っていたのかなって想像膨らませちゃいました。
 姉妹だとしたらハーフで、片方が外国人、片方が日本人の親の方に似たんじゃないかなと」
顔立ちはそっくりで目の色と髪の色は違うってありますよね」
 さりげなく話を逸らしてみた。
「沙矢ちゃんってば想像力豊かなんだから。
 あながち間違いではないけれど……青、外国の女性にももててたと思うのよ」
「青が言ったんですか?」
  「いいえ。女の勘だけど。ほらあの子、英語堪能だし」
 盲点だった。
「気分害しちゃったかしら。でも今は貴女が奥さんなんだからね。
 過去のことを受け止めてあげられたらもっといい女になるわ」
「はい!」
お義姉さんの真剣な眼差しに、訴えるものを感じた。
「私だって何でもお見通しじゃないのよ。ずっと一緒にいたわけじゃないしね」
 こっくりと頷いた。
「確かに本物と見紛うくらいの変身振りよね。西欧風も純和風も」
「自分が性質悪くても勿体無いって思ってしまうんです」
「うんうん。私も100人に見せても日本人と西欧人の女性だって騙せる自信あるわ」
 やけに強い口調に聞こえた。
「ロングのウィッグの方もですけど、ブロンドの方はもっとすごいですよ。
 カラーコンタクト装備なんて手が込んでますもん」
「どうせなら雰囲気出さなきゃね」
 眩いばかりのブロンドを背中に流した女性(?)と
長い黒髪の女性(?)は、強気な表情でこっちを睨んでいる。
 青だと判明したから余計にそう感じる。
「ひ……っ」
 私が床に取り落とした写真をお義姉さんは拾いあげて鞄にしまった。
 隙がない人だなあ。
「写真は大事に保管しておくわね。
 うちにあったら、万が一でも見つからないでしょうし。
 沙矢ちゃんも気づかれないように態度に気をつけなければね?」
 悪戯めいた唇が言を紡ぐ。
 自信がありません。
「それとも焼き増しする?」
 一瞬迷ったけれどぶるぶると頭を振った。
 秘密を知っただけで、十分罪深い。
 こっそり眺める勇気は到底なかった。
「もしも気づかれても沙矢ちゃんなら大丈夫か。
 少し意地悪に可愛がられるだけでしょうし」
 わ、何故分かるのですか。
「一人で楽しむのも乙。二人で楽しむと倍以上楽しめるって分かってよかったわ」
 カップのお茶を飲み干してお義姉さんは立ち上がった。
 颯爽と歩いていく後姿に、後ろからついていった。
「あの、私もお義姉さんが只者じゃないって再認識しました。
 これからはお姉さまと呼ばせていただきます」
正式には義をつけるのが普通だが、気分の問題だ。
「どこまでもついていらっしゃい」
 たおやかな微笑みに見惚れ、手を伸ばしていた。
 捕まえられた右手。
 時が止まる。
 私はお姉さまと握手していた。
 小さく手を振られたので同じように返す。
 車が走り去る音が聞こえ、胸を撫で下ろしたのだった。
 嵐は、過ぎた。
 一日は未だ終わっていない。
 青に会った時、果たして平静でいられるだろうか。



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