15-1 愛しい者の腕の中



 あれから、三月が過ぎた。
 涼の怪我はすっかり完治し、日常生活を取り戻している。
 奇跡的か日頃の行いがよいのか、バイクの損傷は軽いもので修理費もさほどかからず済んだ。
 貯金を崩さずにすんでほっとしたらしい。
 今日は、菫子へ贈ると言ってくれた革製品を買いに来たのだ。
「涼ちゃん、この暑いのに皮は着たくないから、申し訳ないけど」
 菫子は、涼を見上げてきっぱりと言った。
「今着るわけやないんやで」
「……そうなんだけど」
 ライダースーツ三点セットを求めて店を訪れたものの、菫子は渋り続けていた。
 冷房の効いた店内は涼しいのだが、革製品を買うには早いと思うのだ。
 客は少ないほどではなく、そう思っているのは菫子だけかもしれないが。
「……試着してみたら気が変わるで」 
 促され、革のジャケットとパンツを選んで、試着室に入った。
「覗いたら、二度と涼ちゃんの部屋に行かないわ」
「……きっびしー」
 涼は、大げさに身を竦めた。
 むっと頬をふくらませて、乱暴に試着室のカーテンを閉めた。 
「ふざけすぎ」
 怪我をしている時の方がまだ扱いやすかった気がする。
 甘えたい盛りの子供のようで、愛おしさも溢れだした。
 大柄のお子様に母性をくすぐられていた。
 着ていたノースリーブの上からジャケットを纏う。
 フレアースカートをハンガーに掛けて、パンツを履く。
 ボディーラインが出る素材なので体に密着している。
 涼が同じ格好をすると長い足が際立ち、惚れ惚れと見とれてしまう。
 小柄な自分では、革が似合わないのではないか。
 鏡に映して確かめても、しっくりこない。
 試着室の外から、忙しなく動く足音が聞こえる。
 そわそわ落ち着かないのだろう。
「……普段はせかせかしてる方じゃないんだけどな」
 菫子のことになると調子を崩すらしいと最近分かってきた。
 周りが見えなくなることもしばしばだ。
 革手袋をはめて、ライダー気分になれたのが救いだ。
「これ、かっこいい」
 一人で頬を染めた菫子は、暫く鏡を見ていたが、
「まだか」
 涼の声に我に返った。
「……開けていいよ」
 自分から開けて姿を見せるのが恥ずかしくて頼ってしまう。
 もじもじ足をすり合わせながら、開かれるカーテンの音を聞いた。
「ええ感じやん。かわええで。胸とか強調されてるし」
「そこしか見てないの?」
「そんなことないで。グローブもパンツもよく似合ってる」
 かあっと熱くなる頬に手をあてる。
 じろじろと上から下まで眺めまわされ、たじろいだ。
「これでええと思うで。菫子はどうや?」
「……うん、いい」
 頭に手が伸びてきたので、避けるようにカーテンを閉めた。
 今、髪の毛を乱されてもすぐに直せない。
 自分が、気に入ったかどうかよりも
 涼が気に入ってくれたので、すんなりと決めることができた。
 我ながら、どうしようもないと思う菫子である。
(最初に胸を見たのが、気になるけど、男の人って皆ああなのかしら)
 脳内では疑問符が飛び交っている。
 着替え終わり、元通りに商品を戻すとそれを胸に抱えて試着室を出た。
 すかさず、涼がそれを受け取りレジへと急ぐ。
 余裕のある姿が頼もしくて笑みを浮かべた。
 こっちを想ってくれている上での行動を実感して幸せを感じた。
 受け身ばかりでは駄目だからもどかしくても行動で返そう。
「……さ、帰ろ」
 店を出ながら涼を見上げた。
「涼ちゃん、あんな事故に遭ったのにバイクに乗るの怖くないの?」
「全然。より一層安全に気をつければええ話やし。
 菫子もちゃんとしがみついとけよ」
「がっしりとくっついとくわ」
「どうせなら、安全ベルトでもお互いの腰に巻こうか」
「……うわっ」
 腕を取られ、涼の腰に回され固定される。
「……そんなことできないわよ」
「冗談なのに本気にした?」
 自分からくっついてしまいそうな所で、いきなり腕を離されて呆然とする。
 にやけた顔がこちらを見下ろしていた。
 公衆の面前で何やってるんだろうと我に返る。
 幸い誰も自分達のことなんて見てはいないが。
(なんで、彼の冗談を真に受けてしまうのかしら)
「菫子、明日は半年記念やな。何しよう。
 らぶらぶするのは決まってるとして、どんな風に演出するかやな」
「一緒に過ごせればそれでいいの。ご飯作って食べて眠って
 朝の光で一緒に目覚められれば」
「かわええ!」
 大声で叫ばれ、
「声大きすぎ!」
 たしなめたが、逆効果で腕の中に閉じ込められた。
 ぎゅうっと抱きしめられ、紙袋が押しつぶされた。
 すっぽりと包まれ、背中に腕を回して応える。
「……暑いのに嫌じゃないなんて」
 変な感じだと思った。
それから涼おすすめの定食屋で遅めの昼食をとり、河川敷までバイクを飛ばした。
 川のそばまでいくと涼しげな風が吹き抜けて過ごしやすい。
 夏以降また草野球の試合を見に訪れる回数が増えている。
「おーい」
 菫子は、小学校高学年と思しき少年二人に手を振った。
 駆け寄ってきた少年たちは涼がいるのにも拘わらず、菫子の隣に腰かけた。
 座ったまま涼は横にずれる形になる。じとりと目が据わっている様子は大変大人げない。
「とうこ姉ちゃん、最近よく見に来てくれるよね」
「いつも思うけど、飛ばす野次がすごいよな。打たせないように腕を壊してしまえとか!」
「本気なわけないでしょ」
「分かってるけど、熱が入っている様子がおかしくて」
「おかしいって何なのよ、あっくん」
「面白いの間違いだった。ごめん」
 けらけら笑う少年たちに菫子は口の端を曲げる。
「背比べしようよ」
 言い出したのは背が低い方の少年だった。
彼は、あっくんより背が低く菫子と並んでも同じ位なのだ。
 手を引っ張られ立ち上がる。
 ぎろりと睨む視線に脅えたのはあっくんこと篤紀だった。
「お、おい……健太、やばいって、涼くんが」
 涼の視線にも篤紀の言葉にも気づかない健太と菫子は、並んで背を比べた後、
 背中合わせになりながら、計っていた。
「よっし、勝った。俺、最近急に伸び始めたんだよな」
「踵を立てたりしてない?」
 じっと下を見ている菫子に健太はすっかり勝ち誇った様子で、
「だってこの前計ったら154センチだったもん」
「私だってヒールのついた靴履けば160なんて余裕で越えるのに」
 菫子の悔し紛れの発言に、健太は苦笑した。
「それは、ずるだよ……」
 あっくんの突っ込みに、涼は肩を震わせた。
「ぶっ。どんぐりの背比べやんか」
 笑い転げる涼に、菫子と健太が顔を赤らめて地団太を踏んだ。
 そのタイミングが完璧に合っていたので涼は面白くなかった。
「涼くんなんてすぐに追い抜いてやるからな」
「できるもんならやってみぃ、ちびっ子」
 わざわざ神経を逆撫でる涼の神経が知れないと菫子は思う。
「……とうこちゃん、これから試合だから行くよ」
 ぱたぱたと駆け去るあっくんに、
「がんばってねー」
 と菫子は、ぶんぶん手を振った。
「とうこ姉ちゃん、しっかり応援してくれよ。
 絶対勝つからさ!」
 真剣なまなざしに菫子は、微笑ましい気持ちで頷いた。
「健太、ヘマしたら駄目よ」
「分かってる」
 駆け出していく少年を眩しそうに見送り、菫子は頬杖をつく。
「……健太……菫子にくっつきまくりやったな」
「小学生相手に恥ずかしくないの」
「……小6やろうと、男は男や」
「可愛い弟みたいなものよ。あの子たちが小三のころから知ってるもの」
「……背比べ楽しそうやったな。俺らもやらへん」
「絶対嫌」
「健太とは、したくせに」
「は? 明らかに身長差あるのにやったって意味ないじゃない。
 ほとんど変わらないから、意味あったのよ」
「……ほら立て」
 半ば強引に立たされ、背後に影が重なる。
 少しよろめいたが、手を握られて支えられた。
「涼ちゃんの方が半端じゃなく高いのは最初からでしょ」
「改めて、菫子のコンパクトさを実感して満足や」
 腕が腰のあたりに回り、すとんとそのまま座りこむ。
「……ちょっと。こんな所で」
「気にせんでええ。あの子らは弟みたいなもんなんやろ」
 涼の膝の上に乗っている状態の菫子は、身をよじりすり抜けようとしたが、
 やはり逃げられずますます抱えこまれる格好になった。
 試合が始まっていて、菫子と涼の方を見ているものはいないと思われるが、
 試合を見に来たのかいちゃつきにきたのか疑問だ。
「菫子は小学生の時何センチやった?」
「小学生の時は高い方だったのよ。150……」
「今とそう変わらんやん。すぐ止まったってことやろ」
「う、うるさい。涼ちゃんは何センチだったのよ」
「170やった」
「腹が立つ」
「20センチしか差がなかったのに?」
「……ずっとでかかった人に言われたくない」
「人それぞれやけど、男の方がでかい場合が多いのは女を守るためなんやで」
 はっとして、涼の顔を横から見上げる。
「うん……」
「試合見よう」
 そっと膝の上を降りて隣りに座ると、手を繋いだ。
 汗ばんだ大きな手のひらは暑くても離したくはなかった。
「あのユニフォーム好きなのよね。一度着てみたいわ」
 少年たちの姿に目を細める菫子に、涼は複雑な笑みを浮かべた。
「今度貸してもらえ……いや、あかん……それはまずい」
「どっちなの。冗談だから別にいいんだけど」
 いちいち小学生相手に焦る涼の独占欲の強さは果てしなく、菫子は笑みを浮かべた。


     試合は、健太と篤紀のチームの勝利だったが、相手チームも奮闘した。
 お互いにライバル意識を燃やして、また強くなるのだろう。
 健太と篤紀と親しくならなければ、どちらも応援していたに違いない。
 大学一年の夏休み、草野球の試合を見に来ていた菫子に健太と篤紀の二人が、
 偶然声をかけたのがきっかけで、仲良くなった。
 草野球の行われる日には、頻繁に訪れていたが、色々な都合で来られない時があったので、
 新鮮さもあり、草野球が、好きなのを再確認した。
 涼の怪我も全快して落ち着いて、久しぶりに試合を見に行ったのが6月半ば。
 菫子と涼が交際し始めたのを知った彼らは、散々冷やかした。
 何だよ今更かよと言う言葉が大半を占めていた。
 篤紀と健太以外のメンバーとも顔なじみで、
 菫子は、立ち上がり、それぞれの名前を呼んで応援する。
 涼はその勢いに飲み込まれて静かに見守るだけだ。
 バイクに乗りこもうとしている時、篤紀が菫子を呼んで耳元で話しかけた。
「……がんばれ」
 柔らかく笑った菫子に涼は何を言われたのか聞きたくなったが、
 野暮だなと、その考えをかき消した。
 菫子の眼差しは優しくて、彼らのことを大事に思っているのが伝わってきた。

 涼のマンションに辿り着き、二人で夕食を作り食べ終わると、
 携帯のディスプレイは7時半を差していた。
 寝室の床にぺたんと座りこむ。
 後からやってきた涼の腕が、伸びてきて頬にグラスがあてられた。
 氷で冷えたグラスが、ひんやりと気持ちいい。
「ありがと」
 手に持つと、グラスが音を立てた。
 ドライに設定したエアコンでも、部屋は十分の涼しさだった。
 残暑は未だ厳しいが、朝夕の風は涼しくなり、ゆっくりと遠ざかっていく夏が寂しい。
 グラスを傾ける。
 ミント水が喉を潤す。
 強い視線を感じて慌てて目を逸らしてしまった。
 


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