バスに乗ってしばらくすると雨は止んだが、星は見えなかった。
 マンションの部屋に戻ると、青へすぐにメールをした。
 帰ってきた返事は、快諾で返信を送りながら、
 心のなかで何度もお礼を言った。
 青の書斎に入り、逸る胸を手で押さえる。
 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、デスクに座った。
 この部屋に入ったことはなかった。
 掃除はしているようで、清潔そのものの室内に、
 本棚と、パソコンが置かれたデスクが置かれている。
 彼も持ち帰った仕事をすることがあるのだろう。
「青、ありがとう」
 画面に向かって頭を下げるのもおかしいけど、言っておきたかった。
 パソコンを起ち上げた瞬間に映ったのは、自分の顔で思わず飛び退いた。 
 帰ったら問い詰めよう。まさか、彼がこんなことをしていたなんて。
「いつ撮ったのかしら。顔ばっかりアップだけど」
 画像を切り取り調整したってことか。
 だめ、集中して早く終わらせなければ!
フラッシュメモリを差し込み、ファイルを呼び出す。
 表示された画面を見ながらキーを打ち込んでいった。
「頑張ってるな」
 突然後ろから声が聞こえて、ビクッと肩が波打った。
 そろりと振り向こうとした時椅子の後ろから腕を回された。
「もう帰ったの……どうしよう、ご飯の準備が」
「一緒につくろうか」
「……ごめんね。青、疲れてるのにありがとう」
「帰った時反応がなかったから、まだ仕事しているんだなって。
 疲れているのはお前もだろ。そろそろ一息いれろよ」
 ぶわっ、と泣きそうになりぐすぐすと鼻をすする。
「うう、優しすぎるわよ」
「当然だろ。エロいだけの男だと思ってた? 」
 ぶるぶると首を振ると、クスと笑われた。
「もう終わる所だったの。先にダイニングで待ってて」
「分かった」
 デスクトップの隅に表示された時刻表示は8時過ぎ。
 一時間粘って、どうにか形がつきそうだ。
 保存し、パソコンをシャットダウンさせる時も
 自分の顔が飛び込んできて、目をそらした。
 鏡を見ているみたいだった。
 食事と入浴のあと、ソファに二人で座ると、彼が肩に腕を回してきた。
 腰に回されることが多いので、きょとんとする。
「それにしても、お前が仕事を持ち帰るなんて珍しいな」
「会社に入って初めてよ。パソコン持ってなかったら
 こんなの無理だったから、本当に助かったの。
 ありがとう、青」
「礼を言われることでもないさ。
 パソコンくらい、自由に使えよ。
 空いていない時は別として、趣味にも利用していいぞ」
「ううん、今日は緊急だったから、貸してもらったけど、
 もう迷惑かけないもの。貯金も少しずつ貯まってるし
 自分で買うわ。さすがに一括では無理だけど」
 一緒に暮らし始めて、生活費はどうしようと私が口にしたら、
 おまえが気にしなくてもいいと彼は言うばかりで、
 フェアじゃないわよっと抵抗した。
 働いている以上、出せる分は出したい。
 折れてくれない青は、生活費の為の口座を作ることで妥協してくれた。
彼に比べたら雀の涙には違いないが、一緒に生活する以上
 私物の費用以外は出したい。
 働いている間しかできないことだ。
「……どんなのが欲しいんだ? 」
「……色は赤で、さくさく動くやつがいい」
 大雑把なことを言ってしまった。
「俺が持ってるようなタイプでいいか? 」
「う、うん。もう少し画面は小さくてもいいかな」
「なるほど。了解」
 了解…… ?
「気が付かなくて悪かったな。
 なるべく早く準備してやるから待ってろ」
「ぎゃあー。買ってなんて言ってないでしょ。
 これ以上甘やかしたら、私わめくわよ」
「どうぞ。わめいたら、更に啼かせてやるし? 」
「青ったら」
 私の馬鹿……。何誘導されているのよ。
 意地悪を言っているようで、優しさばかり
 響かせてくるから、たまらなくなった。
 うつむく頭を引き寄せられて、頬を胸にうずめた。
 細身のようで意外と男らしい体は、頼りがいがある。
「お前の面倒なら一生見る自信あるから、何も気にするな」
 力強い腕に頭を抱かれて、耳元に注ぎ込まれる。
 腕をことん、と胸板に押し当てて、声を押し殺す。
 虚勢を張って強がらなくてよくなった分、私でいられるんだ。
「調子に乗らせちゃよくないわよ」
「お前は、俺がいなくちゃ何も出来ない女じゃないだろう。
 一人で立派に生きていたから、惹かれたんだよ?
 沙矢を愛しているだけじゃなく尊敬もしているんだ」
顔を上げると真摯な表情の彼がいた。
 泣き笑いをしてしまい、自分でも気持ち悪いと思う。
 ぽんぽん、と頭を撫でて、髪を梳かれたら、胸がうずくばかりだ。
 尊び敬う。もったいないほどの言葉、想いだった。
「何よ。私の方こそあなたを尊敬してるわよ」
 負けたくなくて強気に返したら、ありがとうと返される。
 空気に溶けるような声だったのは照れていたからかな。
「昨日のことなんだけど、青の考え方って、真面目すぎるくらいで、
 こんな人と愛し合えて本当に、幸せだなって。
 僅かの可能性さえ突き詰めて考えて、大事にしてくれて、
 もっとあなたが好きになったの。青みたいな人他にいないわ。
 私も好きでいてもらえるように頑張るから」
 腕を回して抱きしめたら即座に抱き返された。
 肩に預けた頭をことん、とくっつける。  
「抱かなくても、こうして抱きしめるだけでお前からの愛は十分に伝わるな」 
 ひょい、と横抱きにされる。
 膝裏に差し込まれた手のひらが、上手に私を支えて、移動する。
 ゆらゆらと移動する中、ぎゅっ、と首に腕を回した。
 強い力にならないように気をつけて、しがみつく。
「私を運ぶ時重たいって感じたことないの? 」
「ちっとも。俺より何キロ軽いと思ってるんだ」
 彼の体重のことは考えたことなかった。
「わかんない」
「お前の体重が変わってないとしたら24キロだ。
 それくらい体格差があるから楽に支えられるんだろう」
「す、スタイルいいのね」
 まさにモデル並みだ。
 そろりと、ベッドの上に降ろされて、彼も隣りに座る。
 腕を引かれたら、向かい合う格好になった。
「別に。重くないか? 」
 ひいっ。何を言われているのか分かってしまい、ぶるぶると頭(かぶり)を振った。
「全然! 青にもっと、ぎゅうっとされたいくらいよ」
 にこにこと笑うと、彼は、頬をつねってきた。
「っ……無意識でそういうこと言うな」
「意識して言ってるの」
 必死で言い募ったら、彼が今度は背中をくすぐってきた。
 パジャマの上から、微妙な指使いで、くすぐるから、
 小さく体を丸めてしまう。
「っ……だめ、もう……っく……」
 笑いが堪え切れなくなり制止を唱える。
 そうだ。話すことは他にも色々ある。
「降参が早いな。もっと粘れよ」
「それどころじゃないの! 青、パソコンの画面、私の写真を背景にしてるでしょ」
「ああ」
「あんなのいつ撮ったの?
 初めて使わせてもらったら、自分の顔がアップで出てきて
 心臓が止まるかと思ったわ。しかも、あの表情……」
「起きる前に、ささっと撮った。
 そんなに前じゃないから、恥ずかしがることもないだろう」
「問題はそこじゃないわ! 覗き見たような罪悪感あるけど……、
 微妙な気持ちなのよ。お願い。変えて」
「断固拒否する」
「……言われると思った」
 駄目もとのお願いは無残に却下された。
「だろ。諦めろ。別に疚しいことはしてないよ」
「疚しいことって何? 」
 じいっと見つめたら、しれっととんでもないことを言われた。
「おかず。あれは、イッた後の寝顔だから、想像するとたまらないが、
 俺は、本物のお前でなければ、満たされないんだよな」
「せ、説明してくれなくていい! 」
「息を荒げるな。そんなに毎日したいのか」
「違うわよ」
「それはそれで、寂しいな」
 どう言えばいいの。
「お前が大事で仕方ないのを理解ってもらえて、
 よかった。考えて決めてくれたろ」
「私こそ青を信じてないみたいで、ごめんね」
「いや」
 腕が背中に回される。
 その体温は、私より少し低くて分け合えば、温かくなれるの。
「足まで絡めなくても、熱は伝わってるのよ」
「お前をがんじがらめに縛りたいだけだ」
「普通に言わないでよ」
 くっつくのは、彼の方からが圧倒的に多い。
 パジャマ姿で、身を寄せ合う中で、お互いの息遣いも耳に届く。
 ぼっ、と体温がほんの少し上がったのは彼のせいだ。
「おやすみ。よく眠れよ」
 ぼやく私は容赦なく言いくるめられ、体をまるごと抱えこまれた。
 押しつぶさない程度に腕も足も交差されている。
 髪や背中を撫でられている内に、とろりとした眠気に襲われた。
「おやすみなさい」
「理解してくれるお前に、俺の方こそますます惚れたんだ」
 甘い彼の声と言葉に、導かれて、今度こそまぶたを下した。
 目を覚ますと指輪をした手をきゅ、と繋がれていた。
 彼は既にワイシャツにネクタイをした姿なので、
 焦ったが、時計を見て、寝坊ではないことを知る。
 彼が早起きなのだ。
「おはよ……」
 瞼をこすると、小さく笑われた。
「おはよう」
「ご飯作るね」
 彼は涼しい顔で、私を抱きしめる。
「俺はコーヒーを入れて、トーストを作ろう」
「うん」
 まどろみの中、抱擁が解かれた。
 朝食とお弁当を作り、着替える。
 毎朝、同じ順序で進んでいく。
 一年前と違うのは、隣りに愛しい人がいること。
 車が、そろそろ会社に着こうという頃、停止したので
 櫻井部長の香水のことを聞いてみることにした。
「青、煙草みたいな匂いの香水ある? 」
「ブルガリ・ブラックだな。それがどうした? 」
「櫻井部長が、つけてるみたいなの。
 煙草の臭いかなって思ったけど、何か違う感じで」
「へえ。そんなに至近距離にいたのか。
 部長は、同じ部署の中じゃなく部長室を持っているんじゃなかったか」
彼から発せられるオーラに、なみなみならぬ恐怖を感じた。
 以前のことがあって心配なのだろう。
 それにしては、毒々しくて、少し挙動不審になった。
 車は、既に会社の近くまで来ていた。
 昨日の午後と違い、ちゃんと離れた場所に停めてくれた。
 ゆるやかに停止した車内。横を向いた彼が、じいっと見つめてきている。
「違うのよ。前みたいなことじゃないから安心して。
 朝、エレベーターで会ったのよ。同じ会社にいるならありえる偶然でしょ」
「そうだな」
 ほう、と息をつく。
「じゃあねっ。青も頑張って」
「今日は、昨日より早く帰れるから」
「うん」
 手を振って、気合いを入れた。
 あとでメールしなければ。
 陽香を誘ったことを伝え忘れていた。




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