ケーキのお礼をお父様に言わなければ。
 青が、連絡をとっているのかもしれないが、
 直接お礼を言いたいのだ。
 夕食と入浴を終え、リビングでくつろいでいた私は、はっ、と思い出した。
 目を細めた彼は、ぽん、ぽん、と私の頭をなでて、携帯を操作した。
「おや、青。どうかしたのかい? 」
 彼の方に頭を近づけると、ぐいと引き寄せられた。
 あまりにも自然で、恥じらう隙もない。
 受話器から、聞こえてきたのは、低すぎず高すぎない声質。
 親子でも声はそんなに似ていない。そばにいると雰囲気が近いなとは思ったけど。
 どこかおどけた調子なのは気のせいだろうか。 
 青が、頬を指でつついてくる。
 お父様に返事を返さずに、遊んでる場合じゃないのでは。
 はらはらしつつ見守っていると、
「青、聞いてるの? どうせ、沙矢ちゃんといちゃついてるんだろうね。
 珍しくかけてきたと思ったら、まだ一言も喋ってないじゃないか。
 君が、電話で饒舌なのもおかしいか」
 お父様一人でしゃべり続けているのが不憫に思え、
 青が無造作に掴んでいた携帯をそっと、自分の手に移動させた。
 呆気無く手放した彼は、何を考えてるのだろう。
 最初から渡せばいいのに。わざとお父様を焦らしたんじゃ。
「お父様、今日はありがとうございました。
 お土産のケーキまで頂いてしまって、お気を遣わせてしまいましたね」
「いやいや、こちらこそ。今、ワインを飲みながら、頂いたつまみを食べているよ」
「お口に合いましたら幸いです」
「許婚者(フィアンセ)を連れて来てくれたのもお土産だね」
 顔が赤くなった。
 照れながら、受話器越しに頭を下げようとしたが、
 藤城家のご令息様に、がんじがらめにされていて動けなかった。
 彼との距離が近いのと、ブランケットに包まっているのでとてもあたたかい。
「……そんな。私こそお会いできて嬉しかったです、お父様」
「何度聞いても、そう呼ばれるのいいねえ」
「幸せが味わえてよかったですね」
 急に受話器を奪った青が真顔で淡々と口にした。
「結婚のことは、驚いたけど一年後じゃなくて今がベストタイミングだと思うよ。
 この先は、医師としてもっと大変になるからね。
 大学病院での評判も耳に届いているよ」
「もったいないです。もっと頑張らなければと思っていますから」
 青は自信満々に見えて、実はとても謙虚だ。
 選ばれたのではなく、自分で選んで頑張ってきた人だ。
「俗っぽい言い方をすると運命の出会いということかな」
「彼女以外とは考えられません」
「惚気(のろけ)は年寄りには刺激が強いなあ。
 ハンズフリーにしてくれるかい? 」
 青がハンズフリーのボタンを押すと、お父様の声が直接届いた。
「泣かされたらすぐ言いなさい。青は、私には逆らえないんだからね」
「はーい! 」
 声を弾ませて返事をする。
 お父様にはこういうノリが通じると思われた。
「素敵な夜を。授かり婚でも別に構わないからね」
 ふざける父親にうんざりしたのか、青は低い声でつぶやき、ぷつっと通話を終了させた。
 極端に小声だったのでよく聞こえなかったが、乱暴な言葉だったに違いない。
 目つきが鋭いんだもの!
「お父様……すごい」
「さすがに実父でも許容できない部分がある。
 たとえ、病院長だろうが、産婦人科医だろうが、デリカシーがなさすぎだ」
 言うほどには堪えてなさそうだ。
 そりゃあそうか。
「これくらいで赤くなる初(うぶ)な青じゃないものね」
「……時々、お前の純真さが恐ろしいな」
「純真じゃないわよ、別に」
 肩を抱かれ、ぽすんと身を寄せる。
 大きな体に包み込まれると安心する。 
 帰った途端にアレがきた。
 一緒に暮らし、彼と身体の関係がある以上、
 隠すべきことではないから伝えているけど、最初はためらった。
 訊いてはこなかったから、自分から伝えたのだけど。
 青は医師としての知識と彼の性格もあるだろう。
 こちらが驚くほど細やかな配慮をしてくれる。
 ブランケットに二人でくるまっているが、特に私の腹部からずれないよう位置を調整している。
 大きな手がお腹をなでてくれている。
 結婚して子供ができたら相当過保護に甘やかされてしまうのでは。
 うぬぼれではなく、確信した。
「青、甘やかしすぎよ」
 スキンシップ激しくて隙あらば接触してくるだけじゃなく、
 彼はこちらを十分過ぎるくらい気遣ってくれている。
 人に知られたら呆れられるレベルだ。
「甘やかす権利くらいくれてもいいじゃないか」
 有無を言わさない口調だ。
 髪をなでられ、照れてしまう。
「私、今まで一人だったから優しくされるのに慣れてないのかも。
 男の人ってこんなに、優しいものなの? 」
 独りよがりな気持ちで一方的な気持ちをぶつけてくる人は別として。
 恋人という距離になったら、皆(みんな)
 こんなに甘く愛されるのか、気になったのだ。
「襲いたくなるくらい可愛いことを聞くな」
 ため息をついた青に、むうっとする。
「お前だったら、誰だって優しくしたくなるだろ
 ……側にいていいのは俺だけだがな」
   独占欲を溢れさせる姿が嬉しい。
「前も言ったが、もっと甘えてほしい」
「窮屈になるかもしれないわ」
「望むところだ。むしろ、大歓迎」
 青が私の体を離して立ち上がる。
 まどろみかけた所で、横抱きにされて運ばれてゆく。
 今日は自分の部屋で眠らせてと伝えて置いたから、
 シングルベッドに降ろされた。
 この期間は、三日目まで離れて眠ることをルールにさせてもらっている。
 寂しいが、甘えすぎてしまってもよくない。
 将来、妊娠したりしたら、もちろん側で眠るし、
 彼も離れることを許さないだろうけど、
「さーや、おやすみ、ゆっくり休めよ」
「おやすみ……も、もう、またさーやって……」
 頭にぽんぽんと触れられ、おでこを撫でられたら一気に眠気がやってきた。
「俺だけが呼ぶことを許された愛称だから」
 耳元で囁かれたので、しっかり聞き取れた。
 眠りへと誘われてゆく中、一瞬手を握りしめられたことに気づいた。
「おはよ……」
 パジャマ姿のままダイニングに行くとテーブルの上には、温かい食事が並べられていた。
 卵粥って、なんか風邪ひいた時のメニューみたい。
「体温はかったか? 」
「36.5度。平熱でしょ」
「昨夜より下がったか。よし」
「あの……いつも思うけど青はよく体温まで見抜けるわね」
 昨夜は、体温計を使ってはいない。
「どれだけ側でお前を確かめてると思ってる」
 表現が独特だわ。
「今日は無理をしないこと。残業はなるべく断るんだぞ」
「……う、うん」
 青は心配性にもほどがある。
 スーツ姿をびしっと決めて、目の前に立っている愛しの彼氏は、  大人の男性そのものだ。
「あのね……金曜日に病院へ行こうと思うの。一時間早退するわ」
 藤城総合病院だ。薬を処方してもらっていたがやめることを言わなければいけない。
「……一人で大丈夫か? 」
「もちろん。最初も一人で行ったんだから」
「どこかで待ち合わせようか。たまには外で食べよう」
「うん。嬉しい。あ、今までの担当の先生がいるからお父様には……」
 言葉をつまらせてしまった。
 彼の実家が経営する病院だと知らず、
 薬を処方してもらいに訪れていただけだ。
 この先訪れる機会があるのだとしても今は病院でお世話になるのは遠慮するべきだ。
 それに、まだ私は彼と結婚しているわけではない。
「まあな……お前の気持ちもわかる。強引すぎたな」
頭(かぶり)を振って微笑む。
 食事を終えて、地下の駐車場で車に乗り込んだ。
 彼は私の体調が悪い時は、普段よりも運転に気を遣ってくれる。
 元々、運転が上手いのではらはらしたこともないし、酔ったりしたことはない。
「青、今日と明日を乗り切れば楽になるから、大丈夫よ」
 彼は目線で頷き、車をゆっくりと発進させた。
 流れ行く景色を眺めながら、この車にずっと乗っていたいなあと思う。
 街で偶然出会い、部屋に誘うことになった日、
 このまま連れ去りたいだなんてうそぶいた青に
 少し期待したのは嘘じゃなかったが、怖い気持ちもあった。
 はっきりしない気持ちのままでついていくことはできなかっただろう。
 あの頃を思えば、築けている今の関係が誇らしい。
 私が知らなかっただけで、着実にクリスマスのカウントダウンを始めていたのだけれど。
 考え事をしていたら、会社の前の道までたどり着いていた。
 ゆるやかに停車した。
 車を降りて運転席側に回り込むと、運転席のウィンドウを開けてくれて、彼が顔をこちらに向けた。
 何気ない仕草の後、目が合った時心臓が跳ねる。
 助手席のシートに腕を回して車をバックさせる時の真摯な表情は特にドキドキする。
「無理はしないけどいつも通り、がんばるわ。青、今日もがんばってねっ」
 満面の笑みを向けると彼が目元を和らげてこちらを見つめてくる。
「ああ」
 手を振り駆け去ろうとしたら、
「早速、無理してるだろうが」
 静かだが、威圧的な口調で言われてしまった。
「ごめんなさい」
「骨折はしなくても転ぶと膝やら打つだろうな。ドMだから、気にしないか」
「あの……、なんで急に意地悪なことを言うの。
 しかも、転ぶと決めつけてるんですけど! 」
「……転ばない根拠などどこにもない。
 余計な痛みを増やす可能性を生じさせるな」
「は、はい」
 甘い時は甘くて、厳しい時は厳しいのが青だ。
「時間には余裕があるだろ。ゆっくり颯爽と歩いていけばいい……」
 ぼそり付け足した青に、ぶんぶんと首を横に振る。
 ゆっくりと歩いて車から離れる。
 振り返って、小さく手を振ったら、彼も優しい笑みで振り返してくれた。

「ということがあって……」
「うわー週最初のお惚気(のろけ)きたあ! 」
 大げさな反応に顔が真っ赤になる。
 昼休憩の時間、陽香と二人で食堂でお弁当をつつきながら、
 朝の出来事を話したら、惚気と言い切られた。
「惚気かなあ」
「最近ドSも影を潜めたのではないかと、心配してたけど、
 沙矢の考えなしのふるまいに青さまは刺激されるようね」
 メモメモと、口にする陽香は明らかに面白がっていた。
 ドSが影を潜めて心配って、一体何なの!?
 飲んでいたペットボトルのお茶を吹き出しそうになった私は、ジト目で、陽香の方を見た。
「他にはないの? 」
 私が、妙な気配をまとわせていても意に介さず、わくわくといった風情で訊いてくる。
なんでも聞いてくれるのは、ありがたいことだと思い口を開いた。
「青は生理の時、驚くくらい気遣ってくれる人だったの。
 エロいばっかりの人じゃないのよ。無理強いしないし、
 生理の時は一切そういう素振り見せないわ」
「お医者様だから、そういうの自然にできそうね。
 飴と鞭を使い分けて沙矢を操縦していることといい、どれだけなの、青さま」
「遠慮無く言い過ぎよ」
 陽香は私のことをよく分かっているから反論なんてできないが、抵抗の意思は示しておく。
「青も4月からはご実家の病院に勤務することになるし、色々大変なのよね。
 お父様の打診もあったんでしょうけど、彼はずっと前から決めていたらしいわ」
 医学部を卒業し、研修医として歩き始めた頃から、先のことを考えていた。
「ふむ。結納はいつだっけ? 」
「今週の土曜日。緊張するわ」
「結婚への道を着実に進んでいるわけだから、あとは流れに身を任せちゃえばいいの」
 気が楽になったような。
 陽香に感謝しつつ、また自分のデスクに戻った。
 



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