第14章


 沈黙が、破れる。
 鈴を鳴らしたよな声によって。
「ディアン、髪直してもらえる」
 本来、メイドがすることをディアンにさせようとしている。
 そんなことできません。
 喉まででかかった言葉をこらえ、リシェラに従う。
 断れば逆に意識しているようではないか。
 リシェラ王女がわがままな顔を見せ甘えるのは親しい僅かの人間。
 ディアンはその立場を得ているということが、嬉しくてならなかった。
 絡んだりぼんをほどく。
 手で触れてみると柔らかだけれど、硬質で、指がすっと通る。
 馬毛の櫛で梳いてゆく。
「リシェラさま、何か?」
 リシェラの左手がディアンの衣服の裾をつかんでいる。
 化粧台の前、椅子に座ったリシェラの表情を鏡越しに確かめる。
 静かな表情で、感情が見えない。
 きっとリシェラにも息を飲むディアンの動揺が悟られている。
 ディアンは慌てて笑みを取り繕う。
 弧を描いた唇は謎めいた微笑をたたえている。
 髪をといて、流した髪を後ろで留めた。
「今度、伯爵にお会いにしたいのだけれど、ご都合はいかがかしら?」
「いつでも歓迎してくれるかと思います。夕方にはいらっしゃいますから」
「ありがとう。よかったわ」
「どうして離してくれないんですか」
「だって離したら、ディアン、お屋敷に帰ってしまうでしょう」
 引き止めたくて、掴んでいるらしい。
 ディアンは両手で顔を覆った。
 大人っぽさを垣間見せることがあってもまだ子供ということか。
 それとも。
「どうかしたの?」
「い、いえ……そういえばうさぎのぬいぐるみは、どうされてるんですか?」
「大切にしまってあるわ。時々お手入れもしているのよ」
「寂しくはないですか」
「大丈夫。今はディアンがいるもの」
「うさぎの代わりですか……」
「ああ落ち込まないで。 そういう意味じゃなくて、
 愛情を求めた衝動でぬいぐるみを可愛がってたのよ。
 何も喋らないし動かないんだけれど抱きしめてると安心したの。
 卒業できたのはディアンのおかげでも、あなたはぬいぐるみの代わりじゃないわ」
 急いで説明するリシェラに笑う。
 くすくすと口元を押さえて忍び笑いすると途端に頬を膨らませる。
「こっちが真剣なのに!」
 拳を固めて立ち上がったリシェラが、ふらり、よろけた。
 自然と腕が伸びて、華奢な身を支える。
 めまいを感じたのはディアンの方だ。
 つい必要以上に触れて抱きしめてしまう。
 すっぽりと収まる小さな体を包みこむと、鼓動が高鳴った。
 鏡に映る二人は、主従には見えず普通の恋人同士に見えるかもしれない。
 二人の間に僅かの隙間が、なければだが。
 ふるふるとかぶりを振ったリシェラがディアンを見上げる。
 なぜかうるんだ瞳で。
「ディアン……、私は」
 リシェラははっと口を押さえて部屋から飛び出した。
 ディアンは胸を締めつけられた心地がした。
 走り追いかける。
 城中の者たちが何事かと振り返り、視線を向ける。
 尋常でない様子の王女と側仕えの騎士。
 城内にざわめきが満ちた。
 当のリシェラとディアンは人目をはばからず追いかけっこを繰り広げている。
 体格差からディアンが追いついてもいいものだが、
 決してリシェラの前を行こうとはしないのは騎士としての意地と誇りともいえた。
 息も絶え絶え、精も根もつきはてたのは東の塔の頂上。
 ぜえぜえと息を整えながら、リシェラが突然笑い出した。
「もう、何で追いかけてくるのよ」
 声にも笑いが混じっている。
「心配でたまりませんでした。ただ、無我夢中で」
「……恥ずかしかったの! ディアンに顔を見られたくなくて」
「どうして」
「……っ」
 ディアンが問いかけるとリシェラはぷいと顔を背けた。
「知らないわ」
 唇を尖らせたリシェラはそれでももう逃げようとしなかった。
「ここ初めて来ました。街中を見渡せるんですね」
 眼下に広がる街は美しい。
「見下ろしているだけでは駄目なのよ。
自分の目で確かめなきゃわからないことがたくさんあるわ」
 強く、澄んだ眼差しは遠くを見ていてディアンは切なさに駆られた。
 同時にはっきりと自覚する。
 自分は彼女に惹かれ、触れるのも恐れるほど愛しているのだと。
 公平に物を見る心、強さとひたむきさに潜むかよわさ。
 全部に恋している。
 生まれながらの王女とも呼ぶべき貴い女性に。
「学園で頑張りましょ。勉強以外にも学ぶべき所はあるものね」
 いつの間にか見つめられていて、ディアンは微笑み頷いた。
 一瞬の出来事だった。
リシェラが背伸びしてディアンの頬に唇を寄せた。
 頬に触れて、離れた感触に呆然とし、反応が遅れてディアンは真っ赤になった。
 またリシェラは走っていったようだ。
 ディアンは床にへたりこみ頬を手で押さえた。
熱を冷まさなければ戻れない。


 走ると余計顔が赤くなった。
 頬にくちづけることは挨拶で幼い時父と母にしていた。
 なのに今は何故か、胸が鼓動をかき鳴らす。ぎゅっと押さえてしまう。
 王子さまのキスを待ちわびるのは、お伽話の世界で自分には遠いことだと思っていた。
 けれども。
 憧れより近い場所で、焦がれている。
 ただの従者ではなくて、それ以上の感情で彼を見ている。
 だから、こんなにも胸が痛い。
 部屋に入り鍵を閉めたリシェラはぺたんとベッドに座った。
 はしたなくも両腕を広げて寝転ぶ。
 髪を触れながら、ディアンの指先を思い浮かべていた。
 恋している自分に戸惑い自問自答する。
 過去を思い返せば、ますます恋心が本物だと思い知る。
 彼が戦でいない時、心が張り裂けてしまいそうだった。
 心配で泣いたのも数えきれない。
 身分を意識するより先に恋に気づいたことは、しあわせなの?
 今は考えられない。 
 明日会うのが気まずいということだけだ。


「おはようございます」
 城門まで迎えに行った所、リシェラはもじもじと手を擦り合わせながら、
 ちらちらと窺うようにディアンを見ていた。
 あからさまに態度を豹変させているリシェラに、
 内心、苦笑いして、手を差し伸べると、恐る恐る眼を合わせる。
「おはよう」
 きゅっと握られた手の強さに微笑み歩き出した瞬間、前方から声がかかる。
 最近、遭遇してないので、安心していたが。
「やあ、お二人さん」
「……おはようございます」
 黒髪を背に流し、リボンで結わえた男。
 ザイスである。
 ディアンは軽く頭を下げたが、リシェラは眼を合わせず、他所を向いてしまった。
「まだ、ご健在だったんですね」
「何気に失礼だね。 死ぬわけないだろう、未だ22なのに」
「……え、そんなに若かったんですか」
「ディアン、20歳過ぎたらあっという間なのよ」
 リシェラの本音むき出しの発言にザイスは、口元を押さえている。
 よほど、ツボにはまったらしい。
「王女殿下はどこでそんな言葉を覚えたんですか……くっ」
「確かに」
 ディアンもザイスの発言に思わず頷いていた。
「じゃ、ごきげんよう」
 ひらひらと去っていくザイスに、あの人何しに来たのだろうか
 とリシェラとディアンの二人は思った。
 教室内に入ると、なにやらひそひそ声が聞こえてくる。
 貴族の学園ということもあり、大声で騒ぐような生徒はいない。
 表面上は品性を保っているだけか。
 ディアンは彼らも普通の少年少女だと認識している。
 やたらと気位が高かったり上品ぶっているのにすぎない。
 どこから漏れたのか知らないが、ディアンが本当の貴族ではないことは皆に知られていた。
 心無い噂話は、陰湿さを纏って日々繰り返される。
 どうでもいい。
 貴族の子息は仮の身分であることは自分で分かっているから。
 王家の援助さえなければ、ここに通えるはずがないだの。
 そんな平民があろうことかリシェラ王女と付き合っているらしい。
 だとしたら、とんだ醜聞じゃないかと。
 言いたい奴には言わせておけばいい。
 堂々としていればいい。下手に出れば、逆効果だ。
 実は学園の中ではリシェラと必要以上に親しく接していない。
 よそよそしさが却ってあやしいらしく。
 噂が立つ懸念は最初からあったのだ。
 承知の上で通うことを決めたのだから文句は言えない。
 季節外れに編入しただけでも、注目されてしまうのだ。
「ディアン、ディアンってば!」
 いきなり顔を覗きこまれて飛びのいた。
 椅子から転げ落ちてしまい、リシェラが苦笑し手を差し伸べた。
 あまりの大げさな反応に、リシェラは不謹慎にも笑い出しそうだった。
学園内で、リシェラがディアンを呼ぶのは珍しいことで、
 驚きすぎてしまったのだ。
「……は、はい?」
「何ぼうっとしているの? もう終業のベルが鳴ったわよ」
 昼食をとった後から、記憶があやふやだ。
 自分の世界に浸るのも程がある。
 周りをひと睨みし黙らせた後、うだうだ考え込んでいた。
「すみません……ちょっと考え事をしていて」
「あのね、ディアン、私たちのこと噂になってるでしょ。
 最近になってひどくなってる気がしない?」
「そういえば」
「いじめられたりしてないわよね? まさか暴力とか」
 心配そうなリシェラにディアンは瞳を緩めた。
「大丈夫です。何ともありません。
むしろ、心配するのは  俺の方であるはずなのに」
「あら、主として、従者の安全を第一に考えなければならないでしょう」
「頼りになる主で嬉しいです……リシェラ様に比べて、このクラスの人たちは」
「しょうがないわよ。皆退屈しのぎを探しているんだから」
「王女に対してあるまじき非礼じゃないですか。
私は何を言われても構わないのですけど」
 ディアンは拳を固めた。
「王女を名乗ろうが学園では関係ないのよ。同じ一生徒に過ぎないのだもの。
 世間を知って揉まれてきなさいってお父様もお母様も仰ってたし、
 お母様も昔通われた所だからずっと憧れていたの。
 噂なんてその内飽きたら止むんだから気にしていたってキリがないわ。
 でもディアンのことを悪く言う人は許さない。あなたを守るためなら王女の権力を使うわ」
「そんなことをしたらあなたが普通の学園生活を送れなくなってしまうでしょう。
 ご友人も増えてきたと仰っていたじゃありませんか」
「でも……」
「どうせなら学園でも普段通りでいた方がいいんじゃないですか?」
 大胆な自分に呆れながらも、楽しくなっていた。
 心強いリシェラに感化されているのかもしれない。
「腹を立てているだけでは割りに合わないと思うんです。
 だから……逆手にとってやりましょう」
「そうね」
「そういえば今日のお城での挙動不審振りを説明していただけますか」
 ディアンは、気づけば意地悪い笑みを浮かべていた。
 教室内に二人きりで何をしているんだろうと内心思うけれど
 貴重な時間だから有効に使いたいと思う。
「むっ」
「声に出して言う人初めて見ました」
「からかって楽しい?」
「もちろんです」
 ディアンは心の底からにこやかに微笑んだ。
 リシェラが、何故か頬を真っ赤にして顔を背ける。
「リシェラさま」
 振り向かせたくて呼んでみる。
「何?」
 くるりと振り返った顔は、唇をまげて少し不機嫌そうで。
 だから、思わず、顔を重ねた。
 やわらかな唇に触れて、意識が遠のきかけた。
 甘い誘惑の引力が強すぎて呆然とする。
 リシェラの腕がだらりと下がり、指先がディアンの袖を掴んだ。
「好きです」
 キスの後の高揚した気分のまま、耳元で囁く。
「ずるいわ」
「どうしてですか」
「キスされて告白されて平静でいられると思うの……」
「俺は大丈夫です」
「私が無理なの……私もあなたが好きだから」
 ディアンは耳を打つ震える声に、呆然となった。
 せめて片思いだったら、よかった。胸が躍るはずなのに苦しい。
 愛しいから、抑えが利かなくなる。
 歯止めなんて最早無理だ。
「ディアン、何も言ってくれないの?」
「想いが叶うなんて、信じられなくてどうしたらいいか分からないのです」
 リシェラは、一瞬怒ったような顔をした後、頭を振って言った。
「私はあなたを縛らないし縛られないから。あなたも自分を追いつめないで」
「リシェラさま」
 その大きさに驚き、圧倒される。
 ディアンは自分の矮小さに情けなくなり、このままでは駄目だと思う。
 膝の上で拳を握る。
「お互いに好きって伝えられたんだから、十分だわ。ね?」
 さあ帰りましょう。ディアンは繋がれた手を握り返す。
 また救われた。
「ありがとう……ございます」
 ぼそぼそと呟いたディアンに、なあにとリシェラが首を傾ける。
 くすぐったくて、しあわせだった。


 かさかさという軽い音に、ベッドを抜け出す。
 実はあまり眠れなかったのだ。
 部屋のドアには封筒が、挟まっていた。
 瞳を細めて、嘆息する。
 綺麗な女性らしい文字でつづられたDianという文字。
 封筒の裏に書かれた名前は、Rishera=greenfildとある。
 ポストに入った手紙を、ジャックさんがさり気なく持ってきてくれた。
 早朝に届いた手紙は使者が運んだもののだった。
 そっと胸に抱いてから、ペーパーナイフで封を開ける。
『6時に、薔薇園で、待っています。
 リシェラ』
 城に一緒にいる時、共に行けばいいのに、わざわざ手紙をくれたのは、
 待ち合わせというものをしてみたかったのだろうと思う。
 くすり、と笑って丁寧に手紙を折り畳む。
 衣服を着替えて、リビングにいくと、ジャックさんが朝食を差し出してくれた。
 この手紙の為に、早く起こしてしまったようだ。
「すみません……」
「遠慮しないでいいよ。君は息子も同然だろ」
 照れてしまう。
 少しずつ親しくなっている。名前で呼べるようになったこともあるし。
彼は養父の形だが、年齢が若いし、歳の近い友人のように思えていた。
 食事を取り通学の準備を整えると余裕を見て屋敷を出た。
 城の門番が、門を開く。
 朝もやが煙る薔薇園へと足を急がせた。


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