第18章


 学園で過ごす時間は、とても有意義でかけがえのないものだった。
 15歳から18歳までの貴族の子息、子女が通う学園内で、
 リシェラは、一学年、ディアンは、最終学年の年齢だったが、
 護衛という名目で、特別にリシェラと同じクラスに編入することになった。
 平民の通う学校に、15まで通っていたディアンは2年ぶりの学園生活となる。
 馴染めるだろうかと不安だったが、平民の通う学校と大差はなかった。
 貴族と平民の垣根はなく女生徒は、けたたましく、男子生徒は、存在感が薄い。
 仕草は洗練され、上品だが、性質自体は変わらない。
 貴族の子息という仮の身分のせいか、よく声をかけられ困惑する。
 今日は、何やら、普段とは事情が違うらしい。
 ディアンを呼び止めて話しかけてきたのは、とある伯爵家の令嬢だ。
 中々の美貌の薄茶色の髪をした令嬢は頭にリボンカチューシャをしている。
 髪型はリシェラを意識しているのだろう。
王女はファンクラブも組織されているほどの人気ぶりだ。
「ディアン様は、素晴らしいお父様をお持ちね」
「ええ、父のことは尊敬しています」
 疑いようのない本心であったので、よどみなく応じられた。
 繊細な人柄で、こっちが心配になる面もあるが、基本的に好人物であった。
「ではご存じかしら。伯爵家は10年ほど前まで爵位は子爵だったの。
 戦で多大な功績を治められて、伯爵位を国王陛下から、頂いたのよ」
 ジャックからは聞いたこともなかった。
 爵位が子爵から伯爵になったのだということも、それが戦争による恩賞だということも。
 何も知らなかった。ディアンも戦に出た。
 そして恩賞により伯爵位を受爵する話もあったが、辞退した。
 ディアンは元々平民なのでジャックとは立場が違いすぎる。
 一度話を聞いてみたい気がした。
「リシェラ様のこと好きなの? 」
いきなり話題が変わり、呻く。
 平常心、平常心と唱えながら、
「あんなに可憐な方ですからね。もちろん、お慕い申し上げています」
 にこり、と微笑んで答えると、相手は、不満げに唇を尖らせた。
「……もっと、刺激的な答えが欲しかったわ」
 ぷい、と顔をそむけて美貌の令嬢は友人の輪の中に戻っていく。
 何を聞きたかったのだろう。
 けれど、今の時点で本当のことを言えるわけがない。
 ディアンが、貴族ではないことはこのクラスの生徒全員どころか学園内に知れ渡っている。
 王女付きの護衛騎士が特別措置で同じクラスに編入し、
 余計に勘ぐりたくなる気持ちもわからないではないと、最近では思い始めた。
 王女と騎士という距離を学園内では保っているつもりだが、  皆他人事で楽しむのが好きなのだ。
 男子生徒との仲は良好だ。
 リシェラに聞かせられないような、男同士の話題で盛り上がることもある。
 自分とは関係ない世界の話だと思うからこそ、適当に合わせられるのもあった。
 耳をそむけたくなるこっぱずかしい話題をも楽しんでいる。
   学園から城へリシェラを送り届け、二人で薔薇園へ向かった。
 薔薇園は、夕闇に照らされて幻想的な風景を醸し出していた。
 ディアンは、再びここを訪れようと思ったリシェラに、
 何も言わなかった。逆に思い出させてしまうと思ったからだ。
 それでも、彼女がザイスに襲われた赤薔薇の咲く場所を避けたがっていたので、
 手を繋いで他の色の薔薇を目指した。
黄色の薔薇が、群生する場所で、立ち止まった二人は東屋(ガゼホ)に腰を下ろす。
 ベンチにリシェラをエスコートし、その後でディアンも座った。
「お父様がお母様を想って植えた品種もあるのよ。ほら、あそこに咲いているのが
 “セラ”。青いバラは遺伝子的に咲かないから、髪の色をイメージしたみたいね」
 黄色味の強い花は、王妃の髪色のようだ。
 ディアンの淡い金髪より濃い黄金色。
「あとね、バラが未だに満開なのは特別な肥料を与えているからだと聞いたわ。
 あと一か月は咲いているんじゃないかしら。夏の間は見られるわね。
 小さいころは、不思議に思ったものだけど、お父様がお母様を  心の底から愛しているのが伝わってきたから。
 伯爵家から嫁いできて、王妃の重責をご立派に、
果たされているお母様の心を慰める為に、たくさんバラを植えたのよ」
 薔薇の説明を聞きながら、ディアンは、リシェラを見つめていた。
 娘が母を褒めるのではなく王女として王妃を讃えているのだ。
「恋は、よくも悪くも人を狂わせるのね」
 ぽつり、呟かされたそれは、ディアンの返事を期待していないようだった。
 風に掻き消されるくらいのささやかな声をどうにか聞きとったけれど、
 抑揚のなさに、彼女の心境を考えてしまう。
 ジャックの屋敷で、話を聞いてから、リシェラは、憂いを帯びた様子で物思い
 にふけることが多くなった気がする。
 手の届かない何処かへ、行ってしまいそうで拳を握りしめる。
 ディアンもリシェラとは別の視点から、感じることがあった。
 身分の違いに狼狽えてしまう。
 所詮、仮の身分で本物の貴族ではないから。
「ねえ、こっちに白いバラがあるのよ。行ってみない? 」
「そうですね……白いバラもいいですが、俺の側にあるバラの方がいい。
 恐ろしいほど綺麗で心を縛りつけて離さないから」
「っ……」
 ディアンは、自分自身から出てきた言葉にハッとする。
 学園に通う中で、何故か声をかけてくる令嬢たちをあしらうのも慣れてきて、
 貴族の男のように、言葉の語彙も増えたように思う。
 誰かを参考にしてはいないのだが。
 リシェラは、絶句した後、ディアンの胸をぽかぽかと殴り、
 彼の胸元に頬を埋めた。背中に抱きつく。
「照れてるんですか」
「何でからかうのよっ」
 ディアンは、愛しくてたまらなくなって、ぎゅっと抱きすくめた。
 耳にかかる髪を梳いてよける。
 チェリー、もしくは、ストロベリー。どちらだろう。
 鮮やかな髪に触れて、唇を寄せる。
「ずっと、リシェラ様と共にありたい。
 あなたが願うよりきっと強い気持ちで願ってる」
 リシェラが瞠目し、ディアンから離れた。
 向かい合って大きな瞳で見つめてくる。
「私、あなたが平民の生まれとか、気にしたことない。
 だって、好きな気持ちに身分なんて関係ないもの」
 静かな口調だからこそ、余計に気持ちが伝わってきて、苦しい。
「何で俺は平民なんだろう……。
 せめて貴族の身分があればって思うんです
 ずっと気にしないふりをしてきたけれど、あなたを好きになればなるほどに
 違いを意識してしまう」
 俯いて、歯を食いしばる。顔を上げたとき、強い視線を感じて。
 気がついたときには、唇が重なっていた。
 背伸びしてしがみつくようにディアンに触れていた。
「好きよ。大好き……」
 頬に優しいキスを受けた。
「俺は、あなたの恋人ですか? 」
 彼女は、俺にはもったいない人だ。
「そう思っていたけど、あなたは違うの? 」
 真っ直ぐな言葉が、胸を貫く。
「この世界でもっとも大切な人です……その気持ちを許してくれますか?
 こんなに情けなくて弱い俺でもいいですか」
 ザイスに対しては、強気に出れてもリシェラの前では途端に弱い自分になる。
どんな自分も取り繕えない。
 全部さらけ出して裸にされている気分だ。
「嫌よ」
 おどけて笑うリシェラは、ディアンを元気づけようとしてくれていた。
「ありがとう。勇気出ました」
「よろしい。ついでにあなたに提案があるわ」
 腕を伸ばし、頭を撫でてくる手。リシェラは笑い、ディアンも笑った。
「私はあなたが、平民の生まれでも関係ないと思ってるけど、それは刹那的な考え方なのよ」
 リシェラの言いたいことが分からず、ディアンは首をかしげ、腰をかがめた。
 リシェラの背の高さに合わせる格好になり、彼女は狼狽えた。
「て、天然だわ。うう。やるわね」
 頬を染めつつ、見つめてくるリシェラに、ディアンも赤くなってしまう。
「ずっと一緒にいる為なら、必要な物がある。
 学園に通う間だけじゃなくて、正式に貴族の身分を持てばいいの」
「そ、それって」
「伯爵は、あなたを一時的に預かっているだけなのかしら」
「あ……」
『本当に息子にならないかい』とか、
『君が伯爵家の跡取りになってくれれば』
 と冗談か本気ともつかぬ言葉を時折、ジャックは漏らすのだ。
 その度にディアンは、苦笑していたのだけれど。
 話を聞いてリシェラは、
「ちゃんと確認して! 」
「わ、分かりました」
 リシェラの勢いに気おされながら頷いた。
 部屋の前まで送っていく。王女付きのメイドが通りかかるか知れない。
 その前に、まだ本日最後の役目が残っている。
 部屋の扉を開けて、離れがたく見つめてくるリシェラに、
 素早く口づけると
「おやすみなさいっ」
 顔を真っ赤にして扉を閉じた。
「……何よ、こっちには言わせてもくれないの? 」
 拗ねたリシェラの声を、ディアンが聞くことはなかった。


 トリコロール伯爵家での晩餐は、とても落ち着くなと感じる。
 割りあい質素な食事のせいもあるかもしれない。学園の食事は豪華すぎる。
 ジャック・トリコロールは食事も普段の暮らしも地味で質素だ。
 貴族は、派手で贅沢な暮らしをしていると思い込んでいた。
 そういえば、グリンフィルド城内で国王一家と食事を共にした時も
 決して豪勢ではなかった。揃い踏みした面々に気後れし、緊張したが。
 王族や貴族などの高い地位にある者は相応の責任もいるのだと、思い知った。
 和やかに食事を終えて、お互いに後片付けをした後、
ディアンは恐る恐る  ジャックを呼び止めた。
「あの、お話ししたいことが」
「食事の時にはできなかった話かい。そうか、じゃあ部屋までおいで」
 ジャックに自室へと誘われ、後に続く。
 いつだって、穏やかで笑みを絶やさない伯爵は最近変わった気がした。
 今までも決して陰気でも無口でもなかったが、前より陽気に饒舌になった。
 何だか親しみやすくなった気がするのだ。
「込み入った話をするのなら、お酒だよね」
 にこにこと罪のない笑顔で言われ、うっ、と怯む。
 酒の入った棚から上等なワインを取り出している。グラスも2つ置かれていた。
「まだ誕生日が来ていませんので、さすがにその……」
 この国では18になれば飲酒することも、結婚も認められている。
 誕生日は、もうすぐではあるが。
 言葉を濁して、やんわりと断ろうとするが、
「まあまあ。硬いこといわないで付き合ってよ」
 あっという間に、グラスに注がれてしまい、躊躇いがちに受け取った。
 漂う芳醇な香り。きっとお酒が分かれば美味しそうだの思えたのだろう。
「息子と一緒にお酒を飲むことに憧れてたんだ」
 憧れ、いやそんな朗らかに言われても!
あわあわしているディアンは、自然とグラスを持つ手が震えていた。
「真面目だね。僕なんて君の年には酒なんて当たり前に飲んでいたけれど」
 それもそれでどうかと思う。大胆な発言だ。
 気が付けば、ジャックはグラスに口をつけていた。
 ディアンは罪悪感に襲われながら、自分のグラスを傾ける。
 鼻をつく香りに、くらりとした。
「大丈夫かい!? 無理強いしてすまなかった」
 慌てた伯爵が、グラスを取り上げようとするが、ディアンはやけっぱちで飲み干してしまった。
 お酒の力でも借りなければ、話ができないと思ったから。
 ジャックは顔を覆ってしまった。ショックだったのかもしれない。
 が、すでに酔っ払いかけているディアンはそんな様子は目に入らなかった。
「ジャックさんは……戦に赴かれていたのですか」
「ああ、行っていたな」
「どうして、戦に? 」
「自ら志願したんだよ。名誉が欲しかったわけじゃない。
 自分の居場所が欲しかったのかな」
 生まれも育ちも恵まれている彼は、何を求めたのか、この間の話を聞いて理解できてしまった。
「ディアンも行っただろう、戦に」
「はい」
「戦なんて、愚かでしかないよ。もう二度と起こしてはならないと思う。
 現国王が王位についてから二度も争いが起きているんだよ。信じられないけど、事実だ」
「その時の戦は激しかったのですか。歴史で習ったのは、
 自国の兵も他国の兵も死者がいなかったということですけど」
「そうだね……。あの時は、誰も死なせずグリンフィルドは戦勝国となった。
 君は、もっと酷い争いを見てきたんだよね」
「大切な方を失いました。今でもとても尊敬している」
 熱い瞳で語るディアンに、 ジャックは目を細め遠くを見つめるような顔をした。
「僕もね、戦に行っている間に、両親が相次いで他界してしまった。
 唯一の跡取りが、事後承諾で戦に行くのを勝手に決めて
 最後まで反対されたし、恨み言もぶつけられたけど、気持ちは変わらななかった。
 子供じみているけれど、少し恨みもあったのかもしれない」
 ごくり、と唾をのむ。
 子爵家は伯爵家の言いなりで、伯爵家も王家に従うしかなかった。
 仕方がないと言っても傷を負ったのは当人同士で。
 時が癒してくれるまでもなく、忘れようとしたのだ。
 忘れられるはずもないのに。
「大きな戦いではなかったけど、功労者は皆恩賞を受けたよ。
 僕の場合、伯爵位の受爵だった。
 両親が亡くなったのと引き換えに、伯爵になるなんて皮肉な物だね」
 瞳の端に光るものを捉えて、過去を悔いているのが窺えてしまう。
「実は、散々断ったんだ。とんでもないと。
 死者を出さずに戦を終えられたことが、誇りなのですと
 訴えたんだけど、国王はどうしても、僕に伯爵位を与えたかったらしい。
 これは、頼みなのだとまで言われたよ。この国の最高権力者に」
 罪滅ぼしのつもりだったのだ。気持ちが相手を顧みていなかった部分はあるだろう。
 それでも彼にとっての精一杯の謝罪だった。
 王の懺悔が聞こえてくるようだった。
「爵位に見合う立派な伯爵になろうって誓った。
 愛した人にあんな男を好きにならなければよかったと
 思われたくなかったし。打算的だな」
「いえ、お気持ちわかります。俺も愛する人に
 釣り合う男になりたいって強く思うんです」
「リシェラ王女のこと? 」
 ディアンは、微笑んだ。
 誤魔化すように別のことを問いかける。気取られていると知りながら。
「彼女は、似ていますか」
「ああ……。 この間会って驚いた」
「顔を見たのは初めてですか」
「10年ほど前に一度お姿を遠目に見たことはある」
 ジャックは、くすくすと忍び笑いをした。
「そんなに分かりやすかったかな、この間の話」
「はい……あ、すみません」
「いいよ、リシェラ様にもご不快な思いをさせてしまったね」
「リシェラ様は、そんな風には思っていらっしゃいません」
 あの時リシェラは、母親の過去の恋を自分のことのように、捉えて泣いた。
 誰かに感情移入して泣く人を愛おしいと思ったのだ。
  



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