第21章


 セラ王妃は、肖像画の間にいた。
 ここには、歴代の王と王妃、女王の肖像画が壁に飾られていた。
 生家が伯爵家より上の爵位があれば、王族と婚姻を結ぶことができる。
 かつてのセラが、伯爵家出身であったように。
 昔、子爵家もしくは子爵家より下の爵位であればと何度願ったことか知れない。
 結ばれなかった彼の家に、娘の大切な存在が迎えられた今
 不思議な縁というものを感じずにはいられない。
 だが、王女である娘は、結婚と恋愛は別物として考えなければならなかった。
 リシェラには、兄弟がいない。その事が今更ながら悔やまれる。
 王位を継ぐという重責を娘に負わせることは、とても苦しくてたまらない。
 セラは、王妃でもあるが、娘を思う母でもあった。
 決して表に出さずとも。
 側室を迎えることをセラを含めギブソン以下重臣が、
 助言したけれど、王である夫は頑として首を縦に振らなかった。
 重臣たちには、王妃だけが私の后だと強く宣言し、
 セラには、ただ一人を愛しぬく覚悟であなたを迎えたのだから。
 と真摯な口調と眼差しで言った。
 真摯な眼差しと口調に嬉しさと切なさが募った。
 王統を継ぐのが男子でなければならないということはない。
 リシェラの他に王の子がいれば……と、
 栓のないことばかり心に浮かんでは消える。
 皆、彼女が女王の資質を持っていることを疑っていない。
 セラもそれをよく理解していた。  本人のみが無自覚なのだ。
 グリンフィルド建国来女性統治者が統べたのは一度きり。
 17歳で女王となり、生涯独身を貫いた異色の女王アリシア・グリンフィルド。
 生涯、ただ一人の恋人がいたというが、子を成さず、
 清いままに、天に召された。
 直接、彼女の血を受け継いだものはおらず、
 弟王子の血筋が今のグリンフィルド王家を継いでいる。
 リシェラの場合兄弟がいないので、彼女が結婚をし
 王統を継いで、王家の血を残さねばならない。
 夫となるものは、王族の伴侶として、血筋と教養など
 あらゆる面で優れた貴族か、他国の王族であることが望まれる。
(国を愛しリシェラを愛し尽くしてくれる者)
 壁に飾られたアリシア・グリンフィルドの肖像画は
 即位間もないころのもので、まだ幼さもあるが、凛とした美しさがある。
 髪の色も瞳の色もグリンフィルド王家の色。
リシェラと同じ色彩だ。
 彼女は女王となるべく生まれたのかもしれない。
「……アリシア様、私は娘には幸せになってほしい。
 王家に生まれた以上、自分の幸せを一番に望むことは許されないのでしょうか。
 母親としての自分は、愛しい人と幸せになってほしい。
それだけを願ってしまうのです」
(それでも、私は王妃以外の何者でもなくて)
 アリシア女王の肖像画を見上げたセラの瞳に翳りが走る。
 そこにあったのは、娘を思う母親の姿だった。
 謁見の間に赴き、王の隣の椅子に座る。
 暫くして、午後に対面する人々が並び始めた。
 他愛もない雑談から、解決して欲しい相談事まで、
 国の人々の話を聞くことは、国政を行う上でとても重要だった。
 跪く人々に、立つよう促し国王と王妃自ら膝をついて話を聞く。
 威厳を損なうどころか、目を見て言葉を交わす姿に国民は親しみを感じた。
 午後の謁見を終え、国王夫妻はティールームでひと息つくことにした。
 今回も時間を押してしまったので夕刻をとうに過ぎている。
「もうすぐリシェラが帰ってきますわね」
「そうだな」  
 国王ギウスは立ち上がりせわしなくテラスに向かった。
 王妃セラは、唖然とした次の瞬間には忍び笑っていた。
 彼は溺愛する愛娘には滅法弱い。
 国と国民を愛さず、王女にだけ心を向けていたら、
 この国はとっくに傾き他国により滅ぼされていただろう。
 リシェラを溺愛するギウスを上手くコントロールしこの国の政治を
 影で支えているのは他ならぬセラだった。
 自惚れではなく、彼がリシェラを愛するのはセラの娘だからだ。
 似た響きの名前を独断で決めてしまったことからも分かる。
 過去のわだかまりを拭い、側にいて支えたいと思うのは変らないギウスの優しさがあったから。
 王妃は、ひとつ息をつくと、テラスへと向かった。

「お父……国王陛下……王妃陛下」
 慌てて言い直すリシェラに小さく手を振る両親はにこにこ微笑んでこちらを見つめていた。
 深く頭を下げるディアンに、
「硬くならないでいいのですよ」
 と王妃セラが柔らかい声音で告げた。
 三階から声をかけられているのに、周りが静かなのでよく響いていた。
「リシェラも、今は私的な時間なのだからお父様お母様でいいのだぞ。
 他人行儀で寂しいではないか」
 あからさまに肩を落とす父に、母は苦笑いする。
「ただいま帰りました」
 ぶんぶんと手を振るリシェラの隣りで、ディアンは目礼し、ぎこちなく笑った。
「仲がいいわね」
「……っ」
 リシェラは顔を赤らめた。未だ手を繋いだままだったのだ。
 それでも離そうとは思わなかったのだけれど。
 うつむき躊躇いがちに手の力を弱めるディアンに
 リシェラは大胆にも更に強く手に力を込めた。
「あ、あの、これは」
 しどろもどろになりながらも、手を繋いできた
 リシェラを決して振り払わない。
 歯がゆいけれど、気持ちは満たされていた。
 ぺこり、一礼して城内に入る。
 手を繋いだままでも微笑ましく
見守ってくれる城の面々にありがたいと心底思う。
 決して息もつけぬ場所ではないのだ。
「リシェラ様、嫌じゃなかったらこのままでいいですか」
「手を繋いでいたいわ」
 うっすら頬を染めて見つめると、ディアンは、息を飲んだ。
「どうしたの? 行きましょう」
 手を繋いだ状態で、歩みを止めたディアンにリシェラはきょとん、と首を傾げる。
 促して、歩き出した時、ディアンの手の熱さに驚いた。
 一旦リシェラは部屋に戻り、ティアラを身に着けた。
 廊下で待っていたディアンと国王夫妻のいる階上に向かう。
 大きな扉を開く。
 玉座に座る二人は気さくに立ち上がり歩いてきた。
「陛下……っ……どうされたんですか」
 いきなり国王に抱擁され、ディアンは柄にもなくうろたえた。
 後ろによろけそうになったが、何とか踏みとどまる。
 リシェラは、その様子を吹き出しながら見ていた。
 セラ妃もにこにこと微笑んでいた。
「来てくれてありがとう」
「いえ……こちらこそ、ご家族の時間に割り込んでしまって」
「君ももう家族同然だ。リシェラの公私のパートナーなのだから」
 見透かそうとする国王に、ディアンは、すっと肝が冷えた。
 適当な気持ちなら、許さないといわれている。
 私的にも、彼女の側にいるのならば。
 強い気持ちを持たねば、そこで終わりだ。
「お父様、ディアンをいじめないで。案外へたれなのよ」
 深く考えずに発したリシェラだったが、ディアンは救われる思いがした。
 いい意味で緊張を殺いでくれる。
 テーブルに並べられた焼き菓子を薦めてくる二人に目礼し、そっと手を伸ばす。
 どうにか、うろたえずに過ごせるのはリシェラがいるからで、
 私的な場で国王夫妻と対するなど、考えただけで卒倒しそうだ。
 いくら、貴族の子弟として正式に向かえられたとしても、
 生まれと育ちは、変えられない。
 貴族らしい振る舞いを少しずつ身につけてきたといっても所詮、つけ焼き刃だ。
 目を伏せたディアンに、リシェラが手を重ねてきた。
 ほっそりとしてしなやかな手のひらに、胸が高鳴る。
 こんなときに不謹慎だが、うっかりときめいてしまった。
「こら、私達を忘れてないか? 」
「いいじゃないですか」
 いたずらな視線を送る国王を王妃がなだめている。
 手を重ねるどころか、しっかりとつなぎ合わせ、国王に寄り添う。
 愛する者を見つめる視線だ。
 ディアンは、目のやり場に困ると思った。
 二人が視線を絡め合う様子は絵に描いたように美しい。
「お母様達こそ、今日はとっても仲良しね」
「リシェラとディアンも、私達のようになればいい」
 冗談か本気ともつかぬ国王の言葉に、どくんと心臓がうるさくなった。
 ディアンが憂えていること。
 リシェラと王位に座す様子を未来予想図として思い浮かべられない。
 彼女が、王位に座り、跪く自分の姿なら容易に浮かぶのに。
「……私は、リシェラ王女を心の底からお慕いしています。
 できることなら、ずっと側にいてお守りしたい」
「本当に側にいたいって思ってるの?
運を引き寄せるにはもっと強気でいなければいけないわ。
 不敬だなんて思わないから自分の気持ちを言えばいいわ」
 セラ妃の視線が、突き刺さる。
 ディアンは、言葉を返すことができず呆然とする。
 一歩ひいた態度が、不快にさせてしまった。
「ディアンは馬鹿がつくくらい真面目で誠実だから、
 言葉にはとても責任をもっているのね。 
 お父様、お母様……、もう少し時間をください。
 私は大好きな人を苦しめてまで無理やり答えさせたくないの」
 国王夫妻を振り仰ぎ、強く言い切ったリシェラは、
 ディアンに改めて微笑みを向けた。
 己の不甲斐なさに打ちのめされたディアンは、彼女の
 真っ直ぐな強さが羨ましく、優しさが有難かった。
 楽しい時間をフイにしてしまったことへの
 申し訳無さもあり、ディアンは下げた頭を中々あげることができなかった。
 リシェラは私室に招いたディアンに手ずから、お茶を入れた。
 あんまり上手じゃないかもしれないけど、と照れくさそうに笑う。
 本来なら自分がすべきことを主にさせてしまい、あわあわと慌てふためくが、
 半ば強制的に座らされ、挙句の果てに怒られてしまった。
「好きな人にお茶を入れてみたかったの」
 お茶の香りが、鼻をくすぐる。焼き菓子も既に用意されていた。
 頬をふくらませながら言われてディアンは、反則だと思った。
 心臓が、壊れそうなくらいに高鳴った。体が熱くなる。
 衝動的に体が動く。
 気がつけば、華奢なリシェラの背に腕を回していた。
「リシェラ様……」
「ディアン」
 幼いままの恋心だったら、楽だったのに。
 きっと、その内たりなくなる。欲してしまう。
 ディアンは知らないわけではない。 
 いつかのザイスが放った言葉の意味。
 腕を回し抱きしめるだけじゃなくて、きっと。
「大好きです。あなたの強さも優しさもその鮮やかなストロベリーブロンドも」
 長身の少年の腕の中にすっぽりと収まる王女の体は驚くほど小さかった。
「あなたを守れる力が欲しい。ずっと愛し続けていきたいから」
 頬を手で支える。燃えるような頬はりんごの色をしていた。
 薄く開いた唇が、ぱくぱくと開閉している。
「キスしていいですか? 」
「そ、そんなこと聞かないでよ……」
 うつむき、目を伏せる様子は、否とは言っていないのが分かる。
 うぬぼれでも、構わない。この状況を利用してしまおう。
(答えなんて欲してない。自分がしたいからするだけだ)
 顔を傾ける。背伸びしようとルームシューズの踵を立てる姿がかわいい。
 そっと、腰を支えて体を浮かせる。
 抱き上げて、ゆっくりと顔を傾けた。
「っん……」
 漏れる息も逃したくない。
 甘くて、溶けるキス。
 お互いの温度で満たして離れる。
 何度も、啄んで酔いしれる。
 もう、戻るつもりはない。
 ディアンは、自分のこの先を彼女に捧げたい。
 彼女の未来が欲しいと、はっきりと自覚した。
 吐息が漏れるほどに、キスを交わしながら、頬を寄せた。
「大好きよ……ディアン。
 貴族とか平民とか関係ないわ。
 私にとってはたった一人の王子様だもの」
 肩に手のひらを寄せすがる。
 華奢な手は大きな手に包まれて彼の頬に寄せられた。
「私は……いや俺はあなたと共にある未来を生きる道を選ぶ。
 たとえ茨の道だとしても構うものか。
 俺以外の誰かにリシェラを触れさせるなんて、想像するだけで気が狂う」
 名を呼び捨てられてもリシェラは不快にならなかった。
 軽んじて口にしたわけではなく、彼からの想いを感じてとても嬉しかった。
 リシェラはディアンの主であり、彼は忠実なる臣下。
 従者として共に学園へ通う関係。
 その境目を壊してしまいたかった。
 お互いに淡い想いを自覚したあの瞬間からずっと。
「ありがとう」
 繋がれた手のぬくもりを信じ、部屋を出た。
 人目をはばからず手を繋いで歩く二人を場内で
 立ち働く誰もが、冷やかすことはなかった。
 無言ながら声援を送られている気がして妙に照れてしまう。
 手を繋いでいることよりも恥ずかしいような。
 目を合わせ、顔を赤らめる。
 自然と早足になる。
 リシェラの足がもつれたら、ディアンが自分の腰につかまらせて支えた。
「な、何か……これって変じゃない!? 」
「あなたが小さいから、これでちょうどいいんです」
 にっこり笑うディアンが、リシェラには少し意地悪げに見えた。
 むう、と頬をふくらませながらも彼にくっついたまま歩く。
 確かに王は長身で、王妃のセラと比べても10センチは低い。
 本当にあの二人の娘なのかと不安を覚えるが、
 赤い髪は王家の血を引く証であり疑うべくもない。
 今度ディアンを肖像画の間に案内しよう。
 同じ色彩を纏うアリシア女王に驚くのではないだろうか。
(あんなに美しくはないのだけれど! )
ぶるぶる頭を振り百面相する王女を愛おしく見つめながら、
 臣下でもある恋人は、ぐいと手を引いた。
「行きましょう。可愛いリシェラ様」
 かっ、と頬が火照る。
 大人びた雰囲気を漂わせるのはずるいと感じた。
(私も、彼と生きたい。
 どうすればいいのか、答えがわかった気がするわ)
 恋心の先を見据え始めたからこそ、
 リシェラは彼の不安も、臆病になる気持ちも理解できたのだ。
無邪気なだけでは、この恋を守り切ることができない。
 同じ気持ちで繋がった二人に怖いものなどない。
 国王夫妻の私室まで目前という場所で、家老のギブソンが、二人を待ち受けていた。
 どうやらお見通しだったようだ。
「国王ご夫妻は、ティールームにおられます。
 少しタイミングが悪かったですね」
 にこやかなギブソンに、リシェラとディアンは顔を真っ赤にして俯いた。
 どうやら冷やかされているらしい。
 ぱっ、と手を離そうとしたディアンをリシェラは
 無言で睨み、更に強く握りしめる。
「お客様はトリコロール伯爵ですよ。
 陛下と王妃陛下がティールームにお招きしています」
 至極真摯な様子で言う家老に、二人はこくりと頷いた。
 トリコロール邸には先日、王室からの養子縁組許可の旨を記した  手紙が届いていた。
 呼び出しをくらったわけじゃないだろうから、一体何の話だろう。
 今まで、好き合っているというだけで、結婚やら将来の約束という
 方向へ話が言ってしまうのは二人の関係性ゆえだった。
 ディアンが、正式に貴族として認められたことで、
 下手な邪推をされることなく、この先も一緒にいられる。
 ティールームの間の扉が内側から開けられる。
 穏やかに談笑していた面々が、リシェラたちの方に視線を向けた。
 リシェラが室内に足を踏み入れ、その後にディアンが続く。
 リシェラは、自分用に与えられた席へと座る。
 ディアンは養父ジャックの向かい側へと腰を下ろした。
 穏やかな雰囲気に、緊張していた気持ちが薄れていくのを感じた。
「血の繋がらないご養子を失くされて以来、一人で生きていたトリコロール伯爵が、
 新たにディアンを養子に迎えた時から、未来は決まっていたのかもしれない」
 国王ギウスのつぶやきが、室内に厳かに響く。
 ディアンは、高揚と共に、緊張が再び蘇ってくるのを感じていた。
「お父様、もうお話は決定済みなのにどうして伯爵はいらっしゃったの? 」
 いい意味で空気を壊してくれるリシェラがありがたいと思った。
「お礼を言いに来たついでに、息子と一緒に帰ろうと思いまして」
 楽しげにつぶやくジャックにディアンは、一気に和んだ。
 



20 22 top