第22章


ジャックに息子と呼ばれることをこれだけ誇らしく思えたことがあっただろうか。
 胸の中がほのかに熱くなり貴族になることよりも彼の子息として
 生きられることが、しあわせなのだと気がついた。
 唇を閉ざしていたディアンが、ふいに顔を上げた時、
 リシェラ含む王家の面々、ジャックははっと息をのんだ。
「どうかされましたか? 」
 周りが言葉もなくこちらを見てくるのに、焦り始め恐る恐る言葉を口にする。
「王子様みたいだったからよ」
 リシェラの言葉には飾りがなく、それ故に羞恥と照れが襲う。
「えっ……そんな! 」
 慌てふためき顔を真赤にさせるディアンの姿に、くすくすと忍び笑いが漏れ始めた。
「金髪と青い瞳のあなたは、
 赤い髪のリシェラの隣に並んだら映えるでしょうね」
 王妃の言葉にきょとんと首を傾げる。
「ね、立ってみて」
 ディアンの座る椅子の横にやってきていたリシェラが微笑みかけてくる。
 いつも隣を歩いているものの、改めて言われると気恥ずかしい。
 すっと立ち上がるとリシェラがにこにこと笑い隣に寄り添った。
「うん。悪くないな」
 国王が、目を細めている。
「私ね、学園を卒業したら彼と結婚するわ」
 今、なんと言われた。
 王女の行動は常に予測がつかないもので、時にディアンを困惑させてきたけれど、
 今ほどディアンを唖然とさせたことがあっただろうか。
 落ち着いていなければと言い聞かせるものの心臓は勝手に暴れ始めてしまう。
「ディアン……いつの間にそんなことになったの? 」
 驚きつつ冷やかしの視線を送るジャックに、何も答えられない。
(いや、俺もまさかの展開についていけてないんですけど)
「そうよね。男性がリードしてくれなくても
 女性が、引っ張ってあげればいいのよ……おめでとう、リシェラ」
 王妃は、満面の笑みを浮かべている。
 将来の結婚相手としてディアンを認めたも同然の第度だ。
「お母様、おめでとうは、まだ早いわ。お返事も頂いてないのに」
 王妃と王女の会話に、そろそろパニックになりかけた時だった。
「ディアンが、顔面蒼白だぞ」
「ああ……、その先のことを考えちゃったみたいですね」
 国王と、ジャックも意気投合しているようだ。
「ディアン、私が王位を継承した時側で支えてくれるパートナーはあなたしかいないと思ったの」
「パートナー」
 リシェラが言われたことを繰り返すと、答えが明確になってくる。
 用意された舞台の上で踊らされる覚悟を決めればいいのだと開き直りも生まれてきた。
 まだ二年もあるではないかと。
 貴族としてトリコロール家の跡取りとして成長する時間は十分にある。
 リシェラを愛する気持ちだけは、誰にも負けない。
 下心だろうが、何でもいい。
 拳を握りしめ、リシェラの方を見つめる。
「よろしくお願いします」
 グローブに包まれた手に触れる。
 腰をかがめ、華奢な手を包み込んだ。
 騎士が崇拝と敬愛を捧げる王女へのキス。
「え、何ですか? 」
 ぼそっと呟かれた言葉が聞き取れず聞き返すと、背伸びしたリシェラが耳打ちしてきた。
「ディアン、大好き」
 顔が火照る。甘く鼓動を打ち鳴らす。
 彼女の両親である国王夫妻や養父のジャックが
 見ているだろうが、もう抑えがきかなかった。
 腕を強く掴む。
 有無をいわさずリシェラを己の胸の中に閉じ込めた。
 この時ほど、身長差が嬉しかったことはない。
 小柄な王女は、長身のディアンに抱き寄せられ息を詰めた。
 甘いため息を漏らし、背中に回る腕を受け入れる。
「好きです……結婚したらあなたの全部が俺のものなんですね」
 なんて滑稽なんだろうか。
 欲望が、そのまま口から漏れてしまったが、もはや取り返しがつかない。
 事実、結婚したらリシェラを手に入れることができるのだ。
 玉座に上り詰めた孤高の女王を影となり日向となり、
 支えよう。俺のために。彼女のために。
「な、何言うの……ばか」
 頭を引き寄せ、鼻をすり寄せる。
 どこから香るのかと不思議になるくらい甘い匂いがする。
 腕の中身じろぎしていたリシェラがディアンの背中に腕を回してくる。
(なっ! )
 ジャックが、声に出さず唇を動かす。
 それを正確に理解したディアンは、悪乗りする養父を忌々しく思ったのだが、
 国王も生温かく見守っているし、王妃は小さな声だが、はっきりと頑張れと伝えてきた。
 大人たちは、いたいけな青少年を手のひらで弄んでいるかのようだ。
 公衆の面前で、固く抱擁を交わしてしまったが、  これ以上できるわけない。
 腕の中にいるリシェラには見えていないだろうことにホッとする。
 知らなくていいのだ。ここにいる面々が揃いも揃って曲者揃いということは。
 わなわなと、リシェラの背中で手が震えてくる。
 ディアンは、死角になる場所を探した。
「リシェラ様、少しこちらへ」
 こくんとうなづくリシェラを促し手を引いた。
 壁際に彼女の体を囲い、腰を引き寄せる。
 背を屈め、影を重ねるように顔を寄せた。 
 そっと触れ合わせるだけで、びりびりとしびれる心地がある。
 やめないでとうるんだ瞳に訴えかけられるも、これが精一杯だ。
 刹那のくちづけを終え、手を握りしめた。
 影になり見えづらい場所で、彼らの要望には答えた。
 隣を見つめれば、頬を染めて嬉しそうなリシェラに癒やされる。
 振り返り向き直ると、盛大な拍手をされ、この場から逃げたいと切実に願うディアンだった。

 馬車の中では、冷やかしもからかいもなく無事に伯爵邸に帰り着いた。
「久々にときめきをもらった気がするよ」
 夕食の席でしみじみ呟かれ、焦る。
 ワイングラスを手のひらで転がしながらジャックはご満悦だ。
「そういえばさ、誕生日まだだっけ? 」
「……来月です」
「おや。では我が愛息にとっておきのものを贈らなければね」
「改まってしていただかなくても、もう十分受け取ってますよ」
「息子が父に遠慮しちゃ駄目だよ。ね」
 時折垣間見せる茶目っ気に、この人が自分の養父(ちち)なのだと不思議な気分になる。
 見た目も若いし、父というより兄のようだが伯爵として
 領地を治め、領民とも良好な関係を築いている。
 さらりとこなしているように見えて、それは並々ならぬ努力の賜物なのだろう。
 封じた恋を心に抱えながら生きてきた彼は、半ば自分を切り捨てる覚悟で>
 戦に望み、伯爵位をたまわった。
 そして、己が将来受け継ぐことになる。
 ずしりと重いが、女王の隣に並ぶものとして有益な立場になることに相違ない。
「はい」
 照れながら、返事するとジャックは嬉しそうに目と口元を緩ませた。
「誕生日を過ぎたら跡目としてディアンをお披露目しようと思っている。
 王家の方々だけでなく、貴族社会にも君が俺の息子であり、
 将来の伯爵なのだと知らしめなければならないからね」
 自分の地位を盤石なものにしておかなければならない。
 自分が、認められなければ、決意がフイになる。
 あんな奴が、と罵られリシェラと王家に恥をかかせることになってはたまらない。
 リシェラを支えるか枷になるかは自分次第だ。
 明るい未来につながると信じて、ディアンは、養父に頭を下げた。
「はい。頑張ります」
「嬉しいよ。このまま素直なままでいてね」
「……は、はい」
 子供扱いされた気がしないでもないが、我が子だと思ってくれているのが
 わかるから、むっとする気持ちも起こらなかった。
 未来への道筋が見えた高揚でその日は中々眠りにつけず、
 深夜、様子を窺いに部屋を訪れたジャックに気づいたディアンは、寝た振りをしてごまかした。

 学園への道を手をつないで歩きながら、隣にいる存在に意識を傾ける。
 突然、求婚されて本当は迷惑ではなかっただろうか。
 あの状況で断ったりできるはずもないのだ。
 我ながら卑怯なおこないをしてしまったと、後からうなだれていた。
「あ、あのね……昨日のあれは強引すぎたわ」
 早口になったリシェラだが、確かめるように指を繋がれて、ほう、と息をつく。
 強くなった手のひらのぬくもり。
 優しいディアンの眼差しが真上から降り注いでいた。
「嫌なんかじゃないです。あなたの全部を俺のものにできるって、
 本心から言ったんですよ。あんな言葉を言ってしまって他に言葉はなかったのかと
 恥ずかしかったのはこっちです。先に求婚されてしまうし」
「だって、待ってたらいつ求婚してもらえるか分からなかったんだもの」
「し、しましたよ。いずれは。時期尚早というのがあるじゃないですか」
「こういうのは、言ったもの勝ちだわ。
 私は恋愛で自分を失うのではなく、恋愛をバネにして頑張るの」
 つん、と顎をそらしたら、ディアンは小さく笑った。
「その為にも頑張ります」
「二人で頑張りましょうね」
 日に日に思いは強くなる。
 胸の高鳴りは壊れんばかりで、愛しい、愛しいと急かすかのようだ。
 王城も学園も屋敷ももっと遠ければいいのに。
 ずっと、手をつないで離れたくない。
 らちもないことを思いながら、学園の正門をくぐった。
 さすがに学園内では、節度を保ち二人共お互いのことを意識から追いやっていた。
 恋する気持ちは変わらないからこそ、できる。
 暗黙のルールになっていて、関係が深まってきた今のほうが冷静だった。
 もどかしい季節を越えて、落ち着いてきたのだろうか。
 休憩時間、伯爵令嬢カレン・オーギュストが、ディアンに話しかけていたが、
 リシェラは、特に気にならなかった。
 自分の前では不器用で、時々無自覚に殺し文句を言う彼だけれど、
 学園では完全に仮面をかぶっていた。
 冷たくはない程度にさりげなく応じ、その場を切り抜ける。
 異性に対しても、同性に対してもだ。
 教師の前では普段の彼が垣間見えたりするが、教室では素を見せない。
 リシェラだけが、このことを知っていた。
 友人との会話は楽しい。
 数ヶ月の学園生活の中で、今まで知らなかった世界が広がっていくのを感じていた。
 そして、貴族は平民と一線を画す存在なのだと思い知らされた。
 打ち解けるように笑いながら、心のなかではどこか寂しさを感じてしまうのはわがままか。
 彼らのほとんどは、平民を自分たちより下に見ている。
 どうして、そんな風にしか考えられないのと言ってやりたいものの、
 王女としての立場を考えた自制心が邪魔をする。
 私達は平民の皆さんに支えられている。
 税や作物を収めてくれて国庫は保たれ、生活できているのだ。
 地位があれば、他を嘲笑していいわけない。
 放課後、授業を終えたリシェラは、担任教師の元を訪れた。
 口に出したくても言えない歯がゆさを話したかった。 
 先生はリシェラ様が、我が国の王女であることを誇りに思いますと、言ってくれた。
 正門の前で待っていたディアンに同じことを話すと、抱きしめてくれた。
 私はあなたのために強くなりますと、言って体温をわけてくれた。
 その優しさに甘えてしまう自分に、ますます涙が溢れ出る。
 背中を撫でる手は泣いていいんだと伝えてくれていた。
「リシェラさまを好きになってよかった」
 胸に拳をあてて頬をもたせかける。
 抱きしめる腕の力はますます強くなっていた。
「ちょっと苦しいわ」
「ああ……ごめんなさい」
 気がついたように離れようとするからしがみついた。
「苦しいんじゃないんですか? 」
「胸が苦しいの……だからもう少し抱きしめていて」
「よろこんで」
 おどけたディアンにくすくすと笑う。
 腕を回さず彼から抱きしめられるだけ。
 あまえられる心地よさに酔いしれる。
 リシェラが、ディアンを年上だと感じる瞬間だ。
 弱かろうが、肝心なときに情けない部分を見せられたとしても、
 人間臭くてかっこいいと思える。
「お父様とお母様もあなただから、認めてくれたのよ。
 ディアンには生まれ持ったものがあるって、言ってらしたし」
 鮮やかなプラチナブロンド、青く透明な瞳には、自分だけが映っている。
「リシェラさまの髪に触れたいです」
「触ればいいじゃない」
 いきなり言われて、きょとんとする。
 彼の腕の中なのだから勝手に触ればいい。
「妖精みたいですね」
 長い指先が髪を滑る度、目を細める。
 ほんとうに、やさしい仕草で触れてくれるから、意識してしまう。
「気持ちいいですか」
「ええ、もっとしてほしいわ」
 リシェラは今まで自分の髪を大して好きでもなかったのに、ディアンが褒めてくれるから
 触れてくれるから、好きだと思えるようになった。
「素直すぎるから、怖いな」
 頭ごと抱えるように抱擁される。髪には手が置かれたままだ。
「ディアン、どうかこのままでいてね。
 私はやさしい貴方(あなた)が好きなんだから。
 これ以上強くならなくてもいいわ。
 戦で得た強さなんてもういらないんだから」
「……はい」
 ディアンが、腰に帯びた剣の柄に指で触れた後、リシェラを抱きすくめた。
 頭を両腕で抱いて、顔を傾ける。
 リシェラは、踵を浮かせてキスをしやすい体勢をつくる、
 唇が触れ合った時、時が止まった。
 もがくほどに、キスが深くなり、次第に身体の力が抜けるようだ。
「愛している……俺のリシェラ」
 キスの合間に呟かれた言葉に涙が、こぼれた。
 主従関係という境を取り払いただの男として、愛してくれている。
「愛しているわ、ディアン」
 腰を抱かれ、半ば宙に身体が浮いた状態でとめどないキスは続いた。
 夕日が重なりあう二人の影を映し出す。
「もうすぐ誕生日なんです……来月の半ばなんですが」
「何をあげればあなたは喜んでくれるのかしら? 」
「……リシェラさま」
「なあに? 」
「何でもありません」
 冗談ぶるディアンに頬を膨らませる。
 名前を呼んでおいて、何でもないはないだろうに。
「あなたと同じ時間を過ごせれば十分です」
 王宮の正門が見える手前で、リシェラは立ち止まりディアンを呼んだ。
(何だか寂しい)
 甘いキスを交わした後とも思えないくらい平然としている彼が憎らしく思えたのだが、
 それは、もう一度キスをしてほしいという願いからくるものだった。
「ディアン」
 振り向いた彼に抱きついて、唇に触れるか触れないかのキスを残す。
「また明日ね! 」
 唖然とする彼に背を向けて駆け出す。
 夕日に照らされた淡い赤髪が揺れていた。

 正餐の席で、上機嫌のリシェラに空気は普段以上に和やかだった。
「熱でもあるのか? 」
「な、ないわ。いたって元気よ、お父様! 」
 ギウスに心配され、頬に手を当てながらにこにこと笑うリシェラは
 セラの若いって素敵ねという呟きに更に頬を火照らせた。 
 食事を終え、髪が乱れるのもかまわず、寝台の上に身を投げ出す。
 枕を抱えてごろごろと転がる。
「大胆なことしちゃったわ」
 今更照れと羞恥が襲う。
 キスの直後に見たディアンの表情(かお)が、あまりにも  切なくて、心を揺さぶった。
 甘くとろけそうで、まだ顔の熱は醒めないままだ。
 父に気づかれるだなんて醜態までおかしてしまった。
「あんな顔を他の人の前でされたら嫌だわ」
 学園では仮面をかぶり演技で乗り切っているけれど、素の彼ではないはずだ。
 リシェラの前で見せるような素の姿は、きっと誰もをとらえる。
 身分なんて関係ない。
 否(いや)、今では立派な伯爵令息だ。
 彼自身にまだ爵位はないが、トリコロール家に迎えられれている。
 恋愛対象は置いておき、貴族として皆から認められるのは重要な事だ。
 自分が思いの外(ほか)、独占欲が強かったことに驚く。
 従者の彼も、恋人の彼も、自分だけのそばに居てほしい。
 しまい込んでいたうさぎのぬいぐるみを抱きしめていたら、いくらか心細さはぬぐわれた。
 頭をなでて、鼻をすり寄せる。
 こんな子供っぽいことをしているのが、ばれたら、呆れられてしまう。
 もう、抱えて眠ることなんてないと思っていたのに、卒業できていなかった。
(ディアンと結婚したら、こんなこともなくなるのよね)
 自分に言い聞かせながら、時が早く過ぎればいいと考えていた。
 二歳上のディアンが同じクラスにいるのは、リシェラの従者の彼に与えられた特例だ。
 おかげで、卒業する時彼は20歳だが、老けてはいないから問題はないはず。
「う……失礼かも」
 年齢を気にしているとしたら、傷つけてしまう。
 あくびがもれる。そろそろ限界らしい。
 くすっ、と笑ったリシェラは、ようやく眠りにつこうとしていた。
 



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