第10章



   両国の国境の地は荒野と化していた。
 既に戦が始まってから半年も過ぎ、両陣営とも疲れを見せている。
 当初グリンフィルドは勝てるかどうか分からなかったが、
 軍の指揮を執るライアンと兵士としては無名に過ぎないディアンの
 活躍で、どうにかあちらの戦力を殺ぐことに成功した。
 次々と築き上げられていく死体の山に
 ディアンは次第に心に闇が巣食うのを感じていた。
 敵を倒し、味方も大勢死んだ。
 何故自分は剣を握っているのだろう。
 いつこの戦は終るのだろう。
 あちらの王が、楽しんでいるように見えて仕方がない。
 グリンフィルドが申し込んだ停戦調停に応じず、
 のらりくらりとした戦い方は馬鹿にされている気がした。
 グリンフィルドなど本気を出せばいつでも倒せるのだろう。
 負けを認めれば、これ以上無駄な人死にを出さなくてすむ。
 誇りか最後の意地か双方とも負けを認めないから、戦は無駄に長引いていた。
(皆、愚かだ。シェスカもグリンフィルドも) 
 心の中で独りごちるディアンは、どうやったら戦いを終らせることが
 できるか模索していた。親しくしているライアンならば話を
 取り合ってくれたかもしれないけれど、彼は既に戦死していた。
 力を認められて軍に入隊したものの下っ端に過ぎないディアンがいっても
 反感を買うだけだろう。ましてやぴりぴりとした緊張感漂う戦場の中では。
 思考している間に剣でどこかを斬られたらしい。
 ぐらっと体が傾ぎ、倒れる。
 頭上に煌く剣が見える。もう駄目だと目を閉じた。
 振り下ろされる瞬間、脳裏に浮かんだのは、愛らしい王女の姿。
『……ディアン! 』
 姿が消える瞬間声が聞こえた
 切羽つまった様子で助けを求めているような。
「リシェラ様ーーーーっ! 」
 ディアンは一瞬の内に真上で光る剣を弾き飛ばし、相手の体に剣を突き立てていた。
 呻き声とともに相手の体が横倒しになった。
 荒い息を吐き出し整えて辺りを見渡す。
 あの方の元に帰らなければならない。あの方の側が生きる場所だから。
 今のディアンの唯一の希望だ。
 どれだけ血で汚れても、傷ついても心だけは朽ちさせてはならない。
 襲い掛かる他国の兵士たちを薙ぎ倒す彼の勢いは、仲間から見ても恐ろしいほどだった。
 それから、三ヶ月の後、互いの国に多くの死傷者を出した戦争は終わった。
 戦いを仕掛けた側のシェスカが、国王の指示で残り少ない兵を撤退させたのだ。
 友好同盟を結びこれからはも力をあわせてお互いに平和な国を作ろうと。
 グリンフィルドとシェスカの両国国王はお互いの愚かさを認め固い握手を交わした。
 国土への被害などはほとんどなく戦地だけが激しい戦いの後を残していたが、
 いずれは戦争があったことなど忘れられるのだろう。
 薄汚れたぼろぼろの鎧姿でグリンフィルドに帰還したディアンは、
 今回の戦争を書物に書き記すことを決意した。
 あんなに会いたかったリシェラの元には行かず一ヶ月も自分の部屋に引きこもったままだった。


 
「ディアンは何で姿を見せないの! 」
 リシェラは鬱憤が溜まっていた。
 戦争は一月も前に終わり、ディアンも無事に戻ってきている。
 王や王妃の元に挨拶には訪れているというのだから間違いない。
 何度も投げかけられた問いに同じ答えを返すギブソンに行き場のない不満をぶつける。
 去年の七月以来だから一年近くもディアンと会っていないことになるのだ。
 会おうとすれば簡単に会えるはずなのに、どうしても会えない。
 避けられているとしか思えなかった。
「……もうすぐ16の誕生日なのよ。彼に祝ってほしいのに」
「どうして彼に祝ってもらいたいのですか? 」
 ギブソンは真顔で尋ねる。
「主人の誕生日を祝うのは従者の義務だからよ」
 リシェラはしどろもどろになりながら誤魔化す。
 それ以上の想いが顔を覗かせている心に違うと言い聞かせる。
 戻れなくなると自覚しているから強がりを口にする。
「そういうことにしておきましょうか」
 くすくすと笑う家老にリシェラは少しだけむっとし頬を膨らませる。
 彼には絶対敵わないのだから、無駄なことはしない。
 リシェラにとってギブソンは祖父のような存在だった。
 あったかくていつも近くで見守ってくれる。
 リシェラはきっと顔を上げて
「探しに行くわ……絶対逃がさないんだから」
 瞳をきらきらと輝かせた。
「良い考えですね」
 にっこりと笑ったギブソンはリシェラの頭をそっと撫でた。
 リシェラは彼にとっても孫のような存在だ。
 恐れ多くて口になんて出せないのだが。
 駆け出したリシェラの後ろには優しい眼差しで見送るギブソンの姿があった。



 意味もなくかちゃかちゃと五芳星に触れる。
 あれだけ会いたがっていたのに、滑稽なことだ。
 穢れた自分の姿を見られたくないなんて。
 城まで帰ってきておいて怖気づいている。
 ディアンはギブソンに無理を言って城内の雑務を処理する仕事をさせてもらっていたが、
 避けていても、見つかるのは時間の問題だ。
 王女の従者であるディアンが城にいながら王女から離れているのは
 命令違反ということになるのは重々承知していた。
 ならば城から出て行けばいい。
 自問しても出てくる答えは否ばかり。
 自分のいる場所はここしかないということ。
 忠誠を誓ったただ一人の主にもう少しだけ時間を下さいと
 ディアンは心中呟いていた。



 ワンピースの裾を捌きながら歩く。
 床につくほどの長さの生地が鬱陶しくて仕方ないが、
 絨毯の敷かれた城内を走ることは厳禁だ。
華美な装飾のあるドレスでなかったのは幸いだけれど。
 広い城内を巡るのは一苦労だったが、リシェラは目についた扉のすべてを開けて中を確かめた。
 王族以外の者は入れないエリアを覗いて全部探した後、東の塔を上った。
 螺旋階段を上っているリシェラに東塔を警護している兵士は驚きに固まり慌てて頭を下げた。
 こんな場所に王女が来るなんてと瞳が語っていた。
 階段を上りきった場所に、ようやく探していた人物を見つけた。
 後姿でも間違えるはずもない。
 リシェラは胸の鼓動が高鳴るのを感じて手のひらでその場所を押さえた。
 急き立てる心を落ち着けようと深呼吸すると
「ディアン! 」
 自らが認めた唯一の従者を呼んだ。
 肩がびくんと反応し、ゆっくりと振り返る。
「リシェラ様……」
 リシェラは軽やかに近づいていく。
 一歩踏み出し思いのままに行動しかけたリシェラであるが、
 何故か抱きつくのは躊躇われた。
 気恥ずかしさでできなかった。
 一年近く会わない間にディアンは随分とたくましくなっていた。
 少年から男性になった彼の姿に、リシェラは戸惑う。
 ぼうっと見つめているだけで、時が止まってしまった。
 ディアンは真っ直ぐリシェラの方を見つめて、跪いて華奢な手の平に唇を落とした。
「戻りました」
「今帰ったわけじゃないでしょ。帰ったらすぐ挨拶に来てほしかったのよ? 」
 言葉とは裏腹に口調には勢いがない。
 見つけたら彼を怒ってやろうと思っていた気持ちはいつの間にか萎んでいた。
 会えただけで心が満たされたのだ。
「……申し訳ありません。あなたの元を訪れる勇気がありませんでした」
 リシェラはきょとんとした。
「壮絶な戦いでした。ライアン様も亡くなってしまい、俺が生きて帰れたのは奇跡かもしれない。
 死神に嫌われているんでしょう。だからしぶとく生き延びてしまった」
「何でそんな言い方するの? 生きて帰れてよかったじゃない」
「俺は誰かを殺しその命を背負いここに立っているのです。
 味方も大勢を失い敵方の命もたくさん奪いました」
 リシェラは唇を振るわせた。戦慄が走った。
 ディアンは過酷な現実を体験したのだろう。
 その間城でのうのうと暮らしていた。
 歴史以外では戦争なんて知らない自分が軽々しく分かった風に口にしてはならないと思った。
「この身は穢れているから、リシェラさまの臣下になんて相応しくないんです」
「本気で言ってるの? 」
「はい」 
「馬鹿ね」
「リ、リシェラ様」
 リシェラに痛烈な一言を放たれディアンは唖然とした。
「私はディアンを臣下に持てて誇りに思ってるのよ。
 お父様……王も王妃もこの城の者皆があなたを讃えてくれたでしょう?
 立派に活躍してきたあなたを穢れているなんて言う愚かな人がいたら
 逆に私が怒るわよ。勿論あなたが言っててもね」
 リシェラはきつい口調になる自分を自制できない。
 ディアンがどうでもいい存在だったらまた違ったのだろうけれど。
「はい」
 頷き、ディアンは頭を垂れた。
「ごめんなさい、まだ言ってなかったわね」 
 柔らかく微笑むリシェラの動向をディアンはただ見守る。
「お帰りなさい、ディアン」
 リシェラの手がディアンの手を掴んで指先に触れた。
「ただいま、戻りました……リシェラ様」
 差し出した手のひらをディアンは、強く握り返す。
 ようやく帰ってきた気がした。



臆病な自分がようやく取り戻した日常。
 一年ぶりにあったリシェラは眩しいほどに綺麗になっていた。
 未だあどけなさもあるが、一つ一つの表情が大人びている。
 そんな彼女を傍らで守る日々だが、
 一年離れていた間に、大きな変化があったことを思い知ることになる。
 毎日かかさず届けられる花をディアンは花瓶に飾る。
 朝摘み取ったばかりの白薔薇は朝露を含み清廉な印象を受ける。
 一輪ずつ届けられるそれは、何か意味があるのだろうか。
 先に届けられた方だけ先に萎れ朽ちていくのは分かり切っているではないか。 
「飾らなくてもいいわ」
 部屋に届けられた薔薇を律儀に飾ろうとしたディアンにリシェラはあからさまに不快な
 様子でディアンの方を見やって花瓶から抜き取ると部屋の隅にあるくず入れに投げ捨てる。
「何がそんなに気に入らないのか知らないですが、花に罪はないんですから」 
 拾い上げようとするディアンをリシェラが恨みがましく睨んだ。
「ええ、花に罪はないわ。贈り主が問題なのよ!
 せめてまとめて贈ればいいものを毎日一本ずつ、鬱陶しいったらないわ。
 何が目的であの人はこんなことをするのかしら! ある意味嫌がらせじゃない」
「リシェラ様、白薔薇の花言葉知ってますか? 」
「えっと……なあに? 」
「私はあなたにふさわしい」
「……最悪」
 ディアンの答えにリシェラは呆れ顔だ。
「一輪咲きだとまた違って純粋、素朴の意味があります。
 純粋はリシェラ様に似合いますよね」
「一輪咲きは贈られたことがないわね」
「この贈り主はどなたなんです? 」
「名前を口にするのも嫌なの」
 うんざりした風のリシェラにディアンはどう声を掛けたらいいか分からなかった。
「ああもう気持ち悪い」
 ディアンが思案していると、リシェラはそう独りごちた。
 ここまで嫌われるなんてどんな人物なのだろう。
 ふと思いついたことを口にすることにした。
「"あなたは私にふさわしい”よりはましな気がしませんか」
「どっちも一緒よ」
 フォローにはならなかったようだ。
「噂をすれば何とやらだわ」
 リシェラは扉を一瞬見やった後、窓際に向かい扉から背を向けた。
 こんこんと軽いノック音がする。
 ディアンはリシェラの代わりに対応する為に扉に向かった。
「花は気に入って頂けましたか……おや」
 長身の黒髪の青年が、ディアンを凝視する。
 一応、礼儀としてぺこりと頭を下げた。
「いらっしゃいませ、リシェラ様に何か御用ですか? 」
 険しい目つきで相手を見てしまったが、向こうは気にしていないようだ。
「初めまして、私はザイス・アルヴァンです。リシェラ様のご機嫌伺いに来ました」
「もしかして君がディアン? 」
 ザイスははっと目を瞠った。
「……そうですが」
 ザイスは鼻で笑い値踏みするようにディアンを見た。
「私の顔に何かついてますか」
「ふーん、君がディアンね」
 ディアンの言葉など聞いてはいないのだ。
 勝手に一人納得するとつかつかと革靴の音を響かせて窓際に移動する。
「リシェラ様に置かれましては今日もご機嫌麗しく……」
 ザイスは微笑を浮かべている。
「機嫌がいいように見えるんだとしたらあなたの眼どうかしてるわね」
 刺々しい物言いだが口調には抑揚もなく淡々としている。
 ディアンがこんなリシェラを見るの初めてだ。
 カップとソーサーを手際よく準備し紅茶を注いでテーブルに置くと
「お茶入りました」
 とザイスに声を掛けた。
 リシェラから気を逸らしたい。
 彼女があんなに嫌悪を露わにしている姿を見るのは忍びない。
「ああ、頂くとしよう」
 ザイスは敬語を止め言葉を崩していた。
 王女の部屋にいても許される男といえば、王と臣下くらいなものだ。
 ディアンと顔を合せた時点で何者か気づいておかしくない。
「君にちゃんと言っておかないとな」
 リシェラがザイスを穴が開くほどの強さで凝視している。
 彼女らしからぬ鋭い目つき。
「私とリシェラ様は婚約しているんだ。心に留めておいてくれ。
 彼女の従者なら知っておいて然るべきだろう? 」
 ディアンは勢いよくリシェラの方を振り仰いだ。
「婚約のことはお断りしたでしょう。あの時は会うだけという約束だったんですもの」
「そういえばそうでしたね」
 いけしゃあしゃあと言ってのける男は相当したたかだ。
 ディアンは自分に何かできることはないか考えるが、
 王女と婚約の話ができる身分の人物だ。
 たかが従者の自分で太刀打ちできるだろうか。
 理屈ではそう思うが、今は本能が勝っている。
 リシェラを守るという意志の力だけでディアンは言葉を口に乗せる。
「リシェラ様のご迷惑になることは止めて頂けませんか」
 険を言葉と眼差しに込めて。
「従者風情が、口を出す問題ではない」
「主には精神衛生良好でいてもらいたいですから」
 リシェラの眼差しはこちらを頼っている風に見えた。
 思い上がりに過ぎないかもしれないけれど、大切な主の為に。
「許されざる恋か」
 低音は空気に溶けて流れていった。
 リシェラもディアンも聞き取ることはできなかった。
 ザイスはくくっと喉で笑うと、リシェラにひらひらと手を振って部屋を後にした。
「ご無礼をしてしまったでしょうか」
「いいえ。あれでいいのよ。すっごく頼もしかったわ、ありがとう、ディアン」
「リシェラ様の為なら何だってできます。
 あなたがいるだけで俺は強くなれるから」
 嘘偽りない本心だった。
 リシェラの側にいると弱い自分なんていなくなってしまう。
 どれだけ力をもらっているか分からない。
「ディアン……」
 気づけばリシェラの頬の感触を背中に感じていた。
 いけないと思いながらも離れられなかった。



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